失われた風景

【鍵と星】
食事を済ませて、ホテルに戻る。
ツインルームを予約していたおかげでキュヒョンがここに来ても窮屈な思いはしなくて済みそうだった。
窓際に置かれているテーブルと椅子。
そのテーブルの上に買ってきたワインを置いて座った彼の前にグラスを置く。
「備え付けのグラスで味気ないだろうけど」
「いえ、ありがとうございます」
考えるように落としていた視線が、こちらに向けられた。
「全部お話しなきゃならないとは思うんです。でも何から話せばいいのか分からなくて…シウォンさんが僕について聞いた話を先に聞かせてもらえますか?その方が話しやすいので」
「もちろん構わないよ。そうだな…最初はキュヒョンが置いていった鍵で開けた箱の中に君の名前が書かれたメモが入ってた。キュヒョンがうちに来た時からペンダントを付けていたのは知っていたけどそれが鍵だなんて思ってもいなかった、君にとって大切なものなんだろうとは思っていたけど。だから話を聞かなきゃと思ったんだ」
「…本当は全てお話するつもりでした。僕たちが子供の頃友達だったこと。それを預かっていた事。話してお返しするだけで済むことだったんです。でも…」
それだけにするには僕はあのペンダントに頼りすぎました。
キュヒョンは自嘲するように笑ってワインで唇を湿らせる。
「それから、探偵事務所に連絡をとってはみたけどキュヒョンについては何も教えてはもらえなかった。まぁ、当然だよね。寧ろあっさり教えられたら守秘義務を守れない事務所だって信用をなくすだろうし。でもそうなるとどこから調べればいいのか分からなくて、父の話を叔母に聞きに行った。そこで父の親友の存在を知ったんだ。でも叔母もその人たちの事をよくは知らなくて、それでも大学で知り合ったことは分かったから、今度は大学の関係を調べてみたんだよ」
「…名簿とかでは調べられなかったでしょう?」
「うん。それは助言をもらってね。僕たちの父親と同期の人で珍しい学問を専攻しているのなら、今教授になっている人が居たりするんじゃないかと。その通りの人が居たんだ。しかも尋ねてみたらキュヒョンが在籍していたってわかった。優秀な生徒だったんだってね」
「僕は、好きなことを学んでいただけですよ」
そして背もたれに体重を預けると大きく息を吐きだした。
「だったら、僕の大学時代の話は聞きましたか?」
「…教授には詳しくは分からないけど君と同期で連絡を取れるような人は居ないんじゃないかって言われて、そこで詰まるかと思ったんだけどね。運よく同じ大学に通っていた君の後輩に話を聞けた。ジアさんだよ」
キュヒョンの肩がピクリと跳ねる。
大体の内容は彼女の名前で察しはついたのだろう。
「ジアさん…元気でしたか?」
「うん。彼女はキュヒョンの事を信頼してるみたいだった。他の人からキュヒョンの事を聞かれなくてよかったって言ってたよ。ジアさんから…まぁ、人伝で君の実家の住所を聞き出せたんだ。それで尋ねたら…ジョンホさんが居た。彼から少しは君の子供の頃の話は聞いたし、それでここも解ったんだ」
「そうですか…」
これだけの流れを説明すれば、あとはキュヒョンが無駄な説明を取っ払って話してくれるだろう。
彼が話してくれるのを待つだけでいい。
グラスの中身をぐっと飲み干すとキュヒョンは話し出した。

僕の父とシウォンさんのお父さんは親友でした。
大学で知り合った話の合う友人。
父親同士だけでなく母親同士も気が合ったようで二家族揃って一緒に天体観測に出掛けたりもしていたんです。
子供にとって真夜中のピクニックは大人の時間を覗き見ているようでちょっとした優越感があって、毎回楽しみにしていました。
それに何よりも兄のように思っていたシウォンさんに会えることが、僕にとっては一番の楽しみだったんです。
最後の天体観測になった日。
父さんとシウォンさんのお父さんは僕たちに聞きました。
「シウォナ、キュヒョナ。星は好きかい?」
「好き!キラキラ光ってて綺麗だし」
「僕も!」
「じゃあ、あの星を取ってあげようか?」
僕たちが頷くと二人は顔を見合わせて微笑んで、空に向かって手を伸ばしたんです。
広げた手をぐっと握って、僕たちの顔の前にその拳を出すと、手を広げてごらんと。
その中から僕たちの手に転がり落ちた星はガラスの球体でした。
それは僕たちの星。
嬉しくて、宝物にしようと約束したんです。
その後、いつもと同じようにそれぞれの家に帰る前に…それもいつもと同じでしたけど、僕はシウォンさんともっと遊んでいたいんだって駄々をこねていたら、シウォンさんが自分のビー玉を僕に差し出しました。
「僕の星とキュヒョナの星を交換しよう。次に会う時まで大事に持っててね。僕も大事にするから」
そして車の中から小さな箱を持ってきました。
宝物を入れておく箱なんだと言って、その中に何かを書いた紙に僕のビー玉包んで、入れると鍵を掛けてその鍵のネックレスを僕の首にかけてくれたんです。
こうすれば、また絶対に会えるから、そう言って。
でもそれは叶いませんでした。
暫くしてシウォンさんとご両親が事故にあったからです。
子供の僕にそれは知らされはしなかった。
そのうちまた夜中のピクニックで会えるのだと信じていました。
その後、今度は僕の両親が亡くなったんです。
引き取ってくれた祖父は僕に愛情を注いでくれました。
それでも子供なりに、いきなり無くなってしまった体温や愛情は自分の我儘のせいだと思ってました。
もう祖父以外には僕を必要としてくれる人は居ないのではないか、いや、寧ろ祖父ですら僕の事を恨んで疎ましく思っているのではないか、そんな疑心暗鬼にすらなっていました。
その中で首から下げていたネックレスだけが希望だったんです。
そのうちシウォンさんが会いに来てくれるかもしれない。
僕を探してくれる誰かが居る。
そう思うことだけが希望でした。
何年かして、祖父が自分の会社の社長息子が多分僕にネックレスを預けた人なんだと教えてくれたんです。
聞いた名前も間違いはなかった。
けれど貴方が僕を探すはずもないのだということをその時に一緒に教えられたんです。
さすがにその時には僕も祖父の愛情を信じていたし、両親の事も自分のせいなどではなく事故だったのだと納得できるようにはなっていました。
シウォンさんの養父があの宝箱の存在をシウォンさんから遠ざけている理由を聞いて納得もしました。
僕自身も事故で記憶が亡くなったのだとしても覚えていてもらえない事実に向き合いたくはなかったんです。
だって、貴方が僕の希望だったから。
だから僕はこのペンダントを返すことをしなかった。
そのまま一生自分の元にあるかもしれない。
でも万一にでもあなたにこの鍵が必要となる時が来るのなら、その時にはお返しできるようにしようとは思ったんです。
「…キュヒョンが持っててくれてよかったと思ってるよ」
「だったら、いいんですけど…」
「キュヒョンがうちに来た最初の頃に『兄弟がいたらこんな感じかな』って思ったことがあったんだ。それも子供の頃にも同じように感じたことがあるような気がしてた。きっと、二人で遊んでいた時にそんなことを思っていたのかもしれないな…。もしかして俺の事ヒョンとか呼んでくれてた?」
小さな自分が小さなキュヒョンを大事に思っていて、彼も同じように思っていたくれたのなら、そう呼ばれていたのかもしれないと感じて聞いてみた質問に、キュヒョンは極まりが悪そうに椅子に座りなおす。
「僕の両親にもヒョンって呼ぶように言われてたんです…でも、当然ですけど貴方のご両親も、僕の両親も貴方の事を『シウォナ』って呼んでた。なんだか仲間外れにされてるような気がして…」
言い淀んだキュヒョンが意を決したように言葉を続ける。
「シウォナ、って…呼んでました」
一気に口にしたワインのアルコールが回ったような気がする。
キュヒョンにそう呼ばれるだけで、こんなにも舞い上がるなんて重症にも程がある。
「あー…。そう、なんだ」
「え、と。…すいません」
「いや…あの、なんていうか…」
「はい」
「そっちで呼んでもらえた方が嬉しいなぁ、とか」
「だから、シウォンさんって…。どうしてそういうことをサラッと…」
科学館で顔を隠した時と同じ顔をしているらしいキュヒョンが俯いたままで、自分のグラスとこちらのグラスにワインを注ぐ。
ワインの色と同じ色の指先が愛おしくて小さく笑うと、またそうやって笑うと文句を言われた。
だって可愛いから仕方がない。
そこは飲み込んで、話の続きを聞くことにする。
まだまだ序章でしかないのだから。

「そういえば鍵を探すのを決めた時にソンミンに探偵事務所を紹介されたんだけど、あれは二人が結託してしてた?キュヒョンがこれだけのために探偵事務所に居たとは思えないし、ソンミンとは親しかったんだろ?あいつ最後の最後まで何も話さないんだ。キュヒョンと約束したからって。だから今も何も聞いてはいないんだ」
責めているつもりはないけれど、他に上手い言葉も思い浮かばずにそのまま訊ねると、案の定キュヒョンは気まずそうに視線を泳がせる。
「ゴメン。騙されてるとか疑ってるわけでも、責めてる訳でもないんだけど」
コクリと頷いて顔を上げたキュヒョンは今度は柔らかく笑った。
「わかっています。でも全く騙していないとは言い切れない」
ソンミニヒョンは一日でも早く仕事を覚えたいからと、休日にも家に足を運んでいました。
祖父も仕事が好きな人ですし、自分の仕事に誇りを持っている人でしたから、ソンミニヒョンの事はとても気に入っていたようです。
それにあの人、あの優男顔からは想像できない、妙なところで男気のある人だから僕の事も弟のように気にかけてくれて。
色々話をしているうちにペンダントの事やシウォンさんのことも話せるようになりました。
だからシウォンさんが鍵を探し始めた頃に教えてくれたんです。
「どうする?そのまま返すだけでいいのなら、俺から話して合えるようにセッティングするけど」
最初にそう言われた時に会わなくても、ソンミニヒョンに渡してもらうことも考えました。
でもそれは引き受けられないと断られたんです。
この鍵の事を本当にちゃんと知っているのは僕だけなんだからきっちりと手渡すようにと言われました。
でも、どうしても踏ん切りがつかないようならそのまま持っていろ、とも。
どうせ失くした物かもしれないと思っているのだから、しばらくすれば鍵のことも諦めるか、忘れるかするだろうからって。
でも、これは僕のものじゃない。
返さなきゃならない。
頭では解っていても、返してしまえば今まで支えにしてきたものが無くなってしまう。
そう考えると怖かった。
それはすでに僕の魂の一部になってた。
そんな時にやりたかった仕事に就けることが決まりました。
科学館の学芸員募集にダメ元で応募していたんです。
学芸員の資格は取っていたんですけど、実際、欠員が出なければ募集はかかりません。
募集がかかっても数十倍と言ってもいいくらいの応募があるはずです。
博物館や美術館はそんなに多い訳じゃない。
けれど学芸員資格を持つ人は増え続けるわけですから、実際問題、学芸員は余っている状態です。
だからこそ本当に鍵を返す時が来たんだと思いました。
それでソンミニヒョンに会えるようにお願いしたんです。
そしたら、あの人とんでもない事言い出して。
「まだ探偵辞めてないよな?だったら鍵を探せばいいよ。キュヒョナが向こうに行くまでの二週間。シウォナの家で一緒に過ごせるようにするから、その間にどうしたいのか決めろ。返すにしても、返さないにしても俺は何も言わないよ」
多分、あの人は分かっていたんだと思います。
僕の支えがシウォンさんとの繋がりだってこと。
幼い頃の思い出の中のあなたとの繋がりだから、今のあなたと過ごすことで新しい思い出や繋がりを見つければ、昔の思い出に縋っている僕の心とペンダントを置いていけるんじゃないかって。
だからこそ「鍵を探せ」と言ってくれたんだと思います。
新しい鍵を。
上手く話を纏めて、まるで自分の意志で探偵を雇ったように思っていたのだから、どこまでも有能な秘書である。
思わず溜息を吐いて項垂れると、キュヒョンは困ったように顔を覗き込んだ。
「怒ってますよね?」
「怒っていないよ。あの超有能な秘書殿が自分の秘書でよかったと心底思っているだけで。結局俺は何も騙されていないって気が付いたし」
「え?」
「だってキュヒョンは本当に探偵だったし、鍵を探していた訳だし、そもそも最初に俺の家に来た時に言ったよね。『鍵はここにある』って」
「よく覚えてますね」
「自意識過剰だなって思ったから、よく覚えてるよ」
くすりと笑ったキュヒョンが「確かに」と頷いた。
「ソンミンと知り合いだったことも黙っていただけだしね」
「シウォンさんって、寛大ですね…」
「全然」
今だって本当はソンミンに思いっきり嫉妬してるくらいだ。
表に出してないだけで。
相手がキュヒョンでなければ重箱の隅をつつくくらいの勢いで矛盾点を探すだろう。
「それで結局、鍵だけ残していったのは何故?」
そう聞くと、少し緊張した様子でキュヒョンは目を閉じて深呼吸する。
「結局整理できなかったんです…。今から話すことはシウォンさんにとって気分のいいものではないと思います。でも聞いてもらわないとちゃんと説明できる気がしないので…。途中で気持ち悪いと思っても、最後まで聞いてくれますか?」
一度リラックスしたかのように見えたキュヒョンが話している間にもまた緊張し始めているのが分かった。
「…俺は、話を聞きに来たんだよ?」
色んな感情を含んだ表情でキュヒョンは諦めたように言葉を吐き出した。
「僕は…あなたの事が好きでした」

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