短編その1
山手線より、埼京線が最強だと思う。音的にも。だって、渋谷、新宿、池袋を連続して一本で繋いでるんだよ? 凄くない? 原宿は、まぁ。通らないけどさ。
「隼人君、つまんないね」
「え、」
「つまんないわ」
そう言って、彼女は面白そうに笑った。つまらないんじゃないのか? 俺も釣られて笑う。あはは。
「じゃ、別れよ」
そう言うと、俺の彼女だった美希ちゃんは、足早に反対方向へ去っていった。嘘、冗談でしょ。引き止めようとするけど、足は動かなくて腕は短すぎた。俺は新宿の雑踏に飲み込まれて、美希ちゃんは行方知れずで、強い日差しの中で人混みが揺らいで蜃気楼のようだった。
「これから、どこ行こう?」
デート以外の目的は、この都市にはなかった。東京、秋葉原、上野、品川、原宿、代々木、新宿に池袋。どの駅に行ったって、用事なんかない。あれ、何のためにみんな、東京23区に集まるんだろう。俺は、何のためにここに来たんだろう。美希ちゃんを失った今、どこへ向かえばいい。待って、俺そんなに美希ちゃんのこと好きだったの。ぐるぐるした思考を引きずっていたら、肩に思い切りぶつかられた。謝るより先にチッと舌打ちをされた。なんなんだ、この街。そう疑問に思えば、街の全てが異形に見えた。夏の暑さで、歪んで、歪んで。足元がふらついて、その場に崩れ落ちた。汗の雫がアスファルトに落ちた。やば、これ熱中症ってやつじゃないか? 死ぬのか、俺。嫌だな、こんな街で死にたくないな。
「ちょっと、君大丈夫か?」
頭上の声に顔を上げると、冴えない顔したおじさんが、俺に手を差し伸べていた。
「あ、えっと」
「うん、すごい汗だな。とりあえず、これを飲みなよ。封は切ってない」
おじさんは鞄から、ミネラルウォーターのペットボトルを出し、俺に渡した。おじさんの顔とペットボトルを交互に見やる。おじさんが、早く飲めと目で訴えるので、ご馳走になることにした。冷えたミネラルウオーターが、こんなに美味しいと感じたのは初めてだった。
「動けるようなら、日陰へ行こう。ちょうど御苑が近い」
おじさんは俺を引っ張り起こしてくれた。そうして、歩き出す。
「あの、ありがとうございます!」
「ん? 大したことじゃないさ。いいから、ついてきなさい」
俺はお別れのつもりでお礼を言ったのに、おじさんはまだ俺に用があるようだ。そういえば、新宿御苑の入り口なんて知らない。おじさんは、そこまで連れて行ってくれるみたいだ。まだぼやける思考で、とりあえずおじさんの後を追いかけた。公園への入園料は、気づいたらおじさんが払っていた。たくさんの木々に囲まれて、ここは本当に新宿なんだろうかと思った。通り抜ける風はどこか心地いい。おじさんはベンチを見つけると、俺を誘って座った。誘われるまま、俺も腰をかける。
「いいだろう、ここ。都会を忘れられる」
「…………あの」
「うん?」
「なんで、東京にいるんですか?」
唐突にそんなことを口走った。
「あ、すみません! 変な質問を……」
「ははは、君ひょっとして、都会に疲れた?」
「……疲れたというか、分からなくなりました」
なんか憧れて、東京に越してきて。実家が不便な田舎だったわけでもないのに。一人暮らししながら、無難に生活を送って。輝いた日常なんて存在しなくて、毎日過ぎるばっかりで。さっきつまらないって彼女にフラれたんです。そこまで話すと、おじさんは大声で笑いだした。
「はっはっはっは! 君はとても素直で良い子なんだなぁ」
「はぁ、そうですか」
「そうだね。それで、なんで東京にいるかって?」
おじさんは少し考えると、指を鳴らしてこう答えた。
「あげぽよ、だからだね!」
「はぁ……??」
「あれ? ウケない? 君達の世代の流行り言葉だと思ってたんだが」
頬を掻くおじさんに、愛想笑いをした。おじさんは咳払いをすると、今度は真面目に語り出した。
「まぁ、東京にいるとワクワクするんだよ。ここはいつだって新しいことに溢れている。そして、おじさんにとっては全てが手に入る場所だから、気に入っている」
「全てが……」
「だがね、青年。勘違いしちゃいけないよ。それは、どこでも手に入るものなんだ」
「…………??」
言っていることがよく分からなかった。東京で手に入るものが、どこでも手に入る? ワクワクも? 全て?
「手に入れたいものは、自分で決めるんだよ。場所は関係ない、どこへ行ったって全て、勿論ワクワクも手に入る。あげぽよでいられるかは、結局は自分次第なのさ」
「そうでしょうか」
「そうさ。おじさんにとって、あげぽよな場所が東京だった。ただそれだけのことだよ」
そう言うと、おじさんは立ち上がった。冴えない顔だと最初は思ったけど、今は穏やかで優しい顔なだけだと思った。
「じゃ、おじさんは行くよ。頑張りたまえ、青年! 大丈夫、いつだってどこだって、見つけようと思えば見つけられるさ」
そう言って、おじさんは手を振った。俺も軽く手を振り返す。
「ありがとうございました」
「うん、出来ればその素直さ、失くすなよ」
去っていくおじさんの背中は、雑踏に紛れるなんてことはなく、だいぶ遠くまで見送れた。背筋を伸ばして歩く姿が、純粋に素敵だと思った。俺はしばらくしてから、公園を出た。斜陽に照らされた新宿は、そんなに悪くは見えなかった。周囲を見回せば、目に光のない人ばかりだ。憧れてた東京の生活なんて、誰も送ってないんだろう。けれど、おじさんの目は輝いていたと思う。美希ちゃんが好きだったのも、目が輝いていたからだったはずだ。俺はどうだろう。憧れの東京での生活を、手に入れられるだろうか。
「全てを手に入れられる街……」
その全てとは、なんなのか。そして俺にとって、その場所はどこなのか。考えながら、僕は家路に着いた。結局、埼京線を使ったけど寄り道なんてしなかった。
「隼人君、つまんないね」
「え、」
「つまんないわ」
そう言って、彼女は面白そうに笑った。つまらないんじゃないのか? 俺も釣られて笑う。あはは。
「じゃ、別れよ」
そう言うと、俺の彼女だった美希ちゃんは、足早に反対方向へ去っていった。嘘、冗談でしょ。引き止めようとするけど、足は動かなくて腕は短すぎた。俺は新宿の雑踏に飲み込まれて、美希ちゃんは行方知れずで、強い日差しの中で人混みが揺らいで蜃気楼のようだった。
「これから、どこ行こう?」
デート以外の目的は、この都市にはなかった。東京、秋葉原、上野、品川、原宿、代々木、新宿に池袋。どの駅に行ったって、用事なんかない。あれ、何のためにみんな、東京23区に集まるんだろう。俺は、何のためにここに来たんだろう。美希ちゃんを失った今、どこへ向かえばいい。待って、俺そんなに美希ちゃんのこと好きだったの。ぐるぐるした思考を引きずっていたら、肩に思い切りぶつかられた。謝るより先にチッと舌打ちをされた。なんなんだ、この街。そう疑問に思えば、街の全てが異形に見えた。夏の暑さで、歪んで、歪んで。足元がふらついて、その場に崩れ落ちた。汗の雫がアスファルトに落ちた。やば、これ熱中症ってやつじゃないか? 死ぬのか、俺。嫌だな、こんな街で死にたくないな。
「ちょっと、君大丈夫か?」
頭上の声に顔を上げると、冴えない顔したおじさんが、俺に手を差し伸べていた。
「あ、えっと」
「うん、すごい汗だな。とりあえず、これを飲みなよ。封は切ってない」
おじさんは鞄から、ミネラルウォーターのペットボトルを出し、俺に渡した。おじさんの顔とペットボトルを交互に見やる。おじさんが、早く飲めと目で訴えるので、ご馳走になることにした。冷えたミネラルウオーターが、こんなに美味しいと感じたのは初めてだった。
「動けるようなら、日陰へ行こう。ちょうど御苑が近い」
おじさんは俺を引っ張り起こしてくれた。そうして、歩き出す。
「あの、ありがとうございます!」
「ん? 大したことじゃないさ。いいから、ついてきなさい」
俺はお別れのつもりでお礼を言ったのに、おじさんはまだ俺に用があるようだ。そういえば、新宿御苑の入り口なんて知らない。おじさんは、そこまで連れて行ってくれるみたいだ。まだぼやける思考で、とりあえずおじさんの後を追いかけた。公園への入園料は、気づいたらおじさんが払っていた。たくさんの木々に囲まれて、ここは本当に新宿なんだろうかと思った。通り抜ける風はどこか心地いい。おじさんはベンチを見つけると、俺を誘って座った。誘われるまま、俺も腰をかける。
「いいだろう、ここ。都会を忘れられる」
「…………あの」
「うん?」
「なんで、東京にいるんですか?」
唐突にそんなことを口走った。
「あ、すみません! 変な質問を……」
「ははは、君ひょっとして、都会に疲れた?」
「……疲れたというか、分からなくなりました」
なんか憧れて、東京に越してきて。実家が不便な田舎だったわけでもないのに。一人暮らししながら、無難に生活を送って。輝いた日常なんて存在しなくて、毎日過ぎるばっかりで。さっきつまらないって彼女にフラれたんです。そこまで話すと、おじさんは大声で笑いだした。
「はっはっはっは! 君はとても素直で良い子なんだなぁ」
「はぁ、そうですか」
「そうだね。それで、なんで東京にいるかって?」
おじさんは少し考えると、指を鳴らしてこう答えた。
「あげぽよ、だからだね!」
「はぁ……??」
「あれ? ウケない? 君達の世代の流行り言葉だと思ってたんだが」
頬を掻くおじさんに、愛想笑いをした。おじさんは咳払いをすると、今度は真面目に語り出した。
「まぁ、東京にいるとワクワクするんだよ。ここはいつだって新しいことに溢れている。そして、おじさんにとっては全てが手に入る場所だから、気に入っている」
「全てが……」
「だがね、青年。勘違いしちゃいけないよ。それは、どこでも手に入るものなんだ」
「…………??」
言っていることがよく分からなかった。東京で手に入るものが、どこでも手に入る? ワクワクも? 全て?
「手に入れたいものは、自分で決めるんだよ。場所は関係ない、どこへ行ったって全て、勿論ワクワクも手に入る。あげぽよでいられるかは、結局は自分次第なのさ」
「そうでしょうか」
「そうさ。おじさんにとって、あげぽよな場所が東京だった。ただそれだけのことだよ」
そう言うと、おじさんは立ち上がった。冴えない顔だと最初は思ったけど、今は穏やかで優しい顔なだけだと思った。
「じゃ、おじさんは行くよ。頑張りたまえ、青年! 大丈夫、いつだってどこだって、見つけようと思えば見つけられるさ」
そう言って、おじさんは手を振った。俺も軽く手を振り返す。
「ありがとうございました」
「うん、出来ればその素直さ、失くすなよ」
去っていくおじさんの背中は、雑踏に紛れるなんてことはなく、だいぶ遠くまで見送れた。背筋を伸ばして歩く姿が、純粋に素敵だと思った。俺はしばらくしてから、公園を出た。斜陽に照らされた新宿は、そんなに悪くは見えなかった。周囲を見回せば、目に光のない人ばかりだ。憧れてた東京の生活なんて、誰も送ってないんだろう。けれど、おじさんの目は輝いていたと思う。美希ちゃんが好きだったのも、目が輝いていたからだったはずだ。俺はどうだろう。憧れの東京での生活を、手に入れられるだろうか。
「全てを手に入れられる街……」
その全てとは、なんなのか。そして俺にとって、その場所はどこなのか。考えながら、僕は家路に着いた。結局、埼京線を使ったけど寄り道なんてしなかった。
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