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俺がもしも鳥であったのなら、貴方を連れてどこか遠くの街へ逃げ出せたのだろうか。俺がもしもブリキであったなら、なにも感じずに平穏を手に入れただろうか。望んだところで、俺は一生人間でしかないのだろうが。
A級に上がって、初めて遠征部隊のメンバーに選ばれた。何が待ち受けているのか分からない旅に、どうしたって不安は募る。ストレスからか、顔に吹き出物が出来た。貴方に出会った時になにか言われるんじゃないかと心配になって、普段通りでいなくてはと思い潰した。洗面所の鏡の前、ところどころが赤くなった顔は酷く幼く見える。今日は遠征前で貴方に会える最後のチャンスだ。しっかりしなくてはと両頬を叩いた。
「おはようございます! 朝の挨拶はしっかりと!」
凛とした声に背筋が伸びる。三つ編みの長いおさげが印象的な貴方は、六頴館中学校の今年度の生徒会長だ。校門の前で、朝早くから挨拶運動をしている。
「お、おはようございます」
「おっ歌川くん。おはよう! 元気無いね?」
「あ、いや。そんなことは……」
貴方は人の機微によく気付き、そして人のために心を砕いた。聖人君子の生き字引とでも言える彼女を、俺は苦手とも言えるし、好きだとも言えた。
「無理しちゃダメだよ? なんか力になれることがあれば言ってね!」
「ありがとう、会長」
笑って誤魔化していることも、貴方は気付いているだろう。でも、みんなの会長である貴方はそれ以上踏み込んでこなかったし、その必要もなかったから、よかったと俺は安堵するのだ。
「あっ菊地原くん! 挨拶ちゃんとして挨拶!」
「うるさいなしたよ……おはよーございまーす」
菊地原は俺の顔を見ると、あからさまに眉を寄せた。
「ひどい顔。明日から大丈夫なの?」
「大丈夫じゃなくても行くさ」
「ふーん……ま、しっかりしてよね」
命懸けなんだし。そう言う菊地原の声が、少しだけ震えている気がした。
遠征は予定通りに遂行され、無事に終了した。遠征先で見たものは、俺たちと同じ人間でしかなかった。腹の底は探り合えども分かり合えるわけもなくて、頭をかち割れば赤色を噴き出すクズの集まり。俺は世界の広さを知った。世界の醜さを知らなかった。目覚ましの音が鳴る。
(あ、朝か)
当たり前のように同じ日々に戻る。世界は変わった? 俺が変わった? 洗面所の鏡に映る俺は、あの日と同じく幼いままだ。そうだ、普段通りでいなければ。聡いあの人に伝わらないよう、世界の秘密を知られないよう、本当の俺がバレないように。信号機は赤は止まる、青になったら左右の確認、歩道に横並びで歩かない。そうやって、常識をこなして行けば、桜の下に校門が見える。
「おはようございます! 朝の挨拶はしっかりと!」
貴方の顔を見るために、前を見た。貴方のおさげが、バッサリと無くなっていた。俺は声を失くす。
「……歌川くん? どうかした?」
「あの、会長、髪」
「え、あぁ。生徒会も無事に引き継ぎ出来たから、気分転換にって……」
貴方が困ったような、怯えた表情をする。
「歌川くん、なにか怒った……?」
そこから、その日家に帰るまで記憶が曖昧だ。頭は重く、胸にはぽっかりと穴が空いたような空虚感がある。髪の短くなった貴方を思い出すと、思考が焼き切れるように燃え上がるのを感じた。俺が知っている名前ならば、この感情は怒り、だ。でもそれが分かっても、自分が何故怒っているのか分からない。分からないまま夜を越えて、気付けば枕を濡らしていた。心と身体と思考とが、バラバラに砕け散ったような感覚に蝕まれる。俺は人間に戻れるのだろうか。窓を雨音が叩く、今日の挨拶運動は中止だろう。俺は機械のように起き上がり、またいつも通りの生活をスタートさせた。
「うわ、なに。なにしたらそんな顔になんの」
教室に入って開口一番に、菊地原にこう言われた。そんなにだろうか。ガンガンと痛む頭で、大丈夫だ、と受け答えする。
「大丈夫なわけないじゃん、馬鹿なの?」
「大丈夫だって…………」
「そんな顔じゃ、会長引くよ?」
その言葉を聞いて、自分の中でぷつりと何かが切れた。
「そんなこと! 分かってんだよ!」
「うわっ急に大声……」
「今の自分が、誰かと一緒に生きていいのか、もう分からないんだよ! 今まで通りじゃない自分が、もう俺がバラバラになりそうなのに、あの人は、会長は、勝手に変わっていって……俺はどこで生きていいのか、分からない……」
最後の方は、声に力が入らず掠れた。菊地原は耳を塞いでいた両手を離して、一つ息を吐いた。
「生きてくしかないじゃん、それを見てきたんでしょこないだは」
菊地原の目は澄んでいて、真っ直ぐに俺を映した。やはり俺の顔は幼く見える。
「変わってないよ、世界もお前も、会長も。少し表情が変わっただけでしょ」
それ以上は言うことがない、という風に菊地原は席に座った。同時に、学校のチャイムが鳴る。俺は、教室を抜け出した。
行くあてもなく、校舎裏のひとけのない所にやってきた。授業中なので、人なんていないと思ったのに。
「あれ? 歌川くん? 授業どうしたの?」
「え……そう言う会長は」
何故かそこには貴方がいて、やっぱり髪は短くなっていたけれど。会長はイタズラが見つかってバツが悪いようで、へへへと誤魔化し笑いをする。
「生徒会やってるうちは流石に無理かな、と思ってたんだけど……一度やってみたかったんだよね、サボり」
衝撃とともに、目が覚める。爽やかに笑う貴方に、今の髪型は似合っている。俺はなんで絶望なんかしたんだろう。
「こないだ、なんか怒ってたよね? ごめんね私、言われないと分からないこと多くて」
生徒会長を終えた貴方は、年相応の女の子に見えた。俺は、貴方のことをこれっぽっちも知らなかったのだと思った。世界よりも何よりも、本当は貴方が知りたかったのに。
「歌川くんは、なんか嫌なことあったの」
「どうだろう……なんとも言えないけど」
世界の広さを知ってしまったけれど、俺は俺でしかないわけで。そんな単純なことに、雁字搦めになっていた。
「なにそれ」
貴方の笑顔に吊られて、俺も笑う。世界の隅っこに、二人きりでいる感覚。いつのまにか空は晴れて、水溜まりに二人が映り込む。大丈夫、俺はこの人の隣にちゃんと立っている。立っていていいんだ、きっと。
「会長、髪」
「ん?」
「短いのも、お似合いです」
貴方は髪を払うと、少し心配そうに尋ねてきた。
「…………長い方が好きだった?」
「いえ、」
バラバラだったものが、一つにまとまる気がした。俺は最初から。
「俺は貴方が好きなんで。だからどんな髪型も可愛いと思いますよ」
変わらない想いを告げれば、赤くなった頬と驚いた顔。
「そ、そんなの反則じゃない……!!」
「はは、そう?」
俺は鳥じゃなくてよかった。目の前のことから逃げ出さずに済んだ。俺はブリキじゃなくてよかった。世界の表情の豊かさに気付けた。俺は人間でしかないけれど、貴方の側にいられてよかった。
「私、わたしは」
貴方の、世界の新しい表情を知るまで、あと数秒。
A級に上がって、初めて遠征部隊のメンバーに選ばれた。何が待ち受けているのか分からない旅に、どうしたって不安は募る。ストレスからか、顔に吹き出物が出来た。貴方に出会った時になにか言われるんじゃないかと心配になって、普段通りでいなくてはと思い潰した。洗面所の鏡の前、ところどころが赤くなった顔は酷く幼く見える。今日は遠征前で貴方に会える最後のチャンスだ。しっかりしなくてはと両頬を叩いた。
「おはようございます! 朝の挨拶はしっかりと!」
凛とした声に背筋が伸びる。三つ編みの長いおさげが印象的な貴方は、六頴館中学校の今年度の生徒会長だ。校門の前で、朝早くから挨拶運動をしている。
「お、おはようございます」
「おっ歌川くん。おはよう! 元気無いね?」
「あ、いや。そんなことは……」
貴方は人の機微によく気付き、そして人のために心を砕いた。聖人君子の生き字引とでも言える彼女を、俺は苦手とも言えるし、好きだとも言えた。
「無理しちゃダメだよ? なんか力になれることがあれば言ってね!」
「ありがとう、会長」
笑って誤魔化していることも、貴方は気付いているだろう。でも、みんなの会長である貴方はそれ以上踏み込んでこなかったし、その必要もなかったから、よかったと俺は安堵するのだ。
「あっ菊地原くん! 挨拶ちゃんとして挨拶!」
「うるさいなしたよ……おはよーございまーす」
菊地原は俺の顔を見ると、あからさまに眉を寄せた。
「ひどい顔。明日から大丈夫なの?」
「大丈夫じゃなくても行くさ」
「ふーん……ま、しっかりしてよね」
命懸けなんだし。そう言う菊地原の声が、少しだけ震えている気がした。
遠征は予定通りに遂行され、無事に終了した。遠征先で見たものは、俺たちと同じ人間でしかなかった。腹の底は探り合えども分かり合えるわけもなくて、頭をかち割れば赤色を噴き出すクズの集まり。俺は世界の広さを知った。世界の醜さを知らなかった。目覚ましの音が鳴る。
(あ、朝か)
当たり前のように同じ日々に戻る。世界は変わった? 俺が変わった? 洗面所の鏡に映る俺は、あの日と同じく幼いままだ。そうだ、普段通りでいなければ。聡いあの人に伝わらないよう、世界の秘密を知られないよう、本当の俺がバレないように。信号機は赤は止まる、青になったら左右の確認、歩道に横並びで歩かない。そうやって、常識をこなして行けば、桜の下に校門が見える。
「おはようございます! 朝の挨拶はしっかりと!」
貴方の顔を見るために、前を見た。貴方のおさげが、バッサリと無くなっていた。俺は声を失くす。
「……歌川くん? どうかした?」
「あの、会長、髪」
「え、あぁ。生徒会も無事に引き継ぎ出来たから、気分転換にって……」
貴方が困ったような、怯えた表情をする。
「歌川くん、なにか怒った……?」
そこから、その日家に帰るまで記憶が曖昧だ。頭は重く、胸にはぽっかりと穴が空いたような空虚感がある。髪の短くなった貴方を思い出すと、思考が焼き切れるように燃え上がるのを感じた。俺が知っている名前ならば、この感情は怒り、だ。でもそれが分かっても、自分が何故怒っているのか分からない。分からないまま夜を越えて、気付けば枕を濡らしていた。心と身体と思考とが、バラバラに砕け散ったような感覚に蝕まれる。俺は人間に戻れるのだろうか。窓を雨音が叩く、今日の挨拶運動は中止だろう。俺は機械のように起き上がり、またいつも通りの生活をスタートさせた。
「うわ、なに。なにしたらそんな顔になんの」
教室に入って開口一番に、菊地原にこう言われた。そんなにだろうか。ガンガンと痛む頭で、大丈夫だ、と受け答えする。
「大丈夫なわけないじゃん、馬鹿なの?」
「大丈夫だって…………」
「そんな顔じゃ、会長引くよ?」
その言葉を聞いて、自分の中でぷつりと何かが切れた。
「そんなこと! 分かってんだよ!」
「うわっ急に大声……」
「今の自分が、誰かと一緒に生きていいのか、もう分からないんだよ! 今まで通りじゃない自分が、もう俺がバラバラになりそうなのに、あの人は、会長は、勝手に変わっていって……俺はどこで生きていいのか、分からない……」
最後の方は、声に力が入らず掠れた。菊地原は耳を塞いでいた両手を離して、一つ息を吐いた。
「生きてくしかないじゃん、それを見てきたんでしょこないだは」
菊地原の目は澄んでいて、真っ直ぐに俺を映した。やはり俺の顔は幼く見える。
「変わってないよ、世界もお前も、会長も。少し表情が変わっただけでしょ」
それ以上は言うことがない、という風に菊地原は席に座った。同時に、学校のチャイムが鳴る。俺は、教室を抜け出した。
行くあてもなく、校舎裏のひとけのない所にやってきた。授業中なので、人なんていないと思ったのに。
「あれ? 歌川くん? 授業どうしたの?」
「え……そう言う会長は」
何故かそこには貴方がいて、やっぱり髪は短くなっていたけれど。会長はイタズラが見つかってバツが悪いようで、へへへと誤魔化し笑いをする。
「生徒会やってるうちは流石に無理かな、と思ってたんだけど……一度やってみたかったんだよね、サボり」
衝撃とともに、目が覚める。爽やかに笑う貴方に、今の髪型は似合っている。俺はなんで絶望なんかしたんだろう。
「こないだ、なんか怒ってたよね? ごめんね私、言われないと分からないこと多くて」
生徒会長を終えた貴方は、年相応の女の子に見えた。俺は、貴方のことをこれっぽっちも知らなかったのだと思った。世界よりも何よりも、本当は貴方が知りたかったのに。
「歌川くんは、なんか嫌なことあったの」
「どうだろう……なんとも言えないけど」
世界の広さを知ってしまったけれど、俺は俺でしかないわけで。そんな単純なことに、雁字搦めになっていた。
「なにそれ」
貴方の笑顔に吊られて、俺も笑う。世界の隅っこに、二人きりでいる感覚。いつのまにか空は晴れて、水溜まりに二人が映り込む。大丈夫、俺はこの人の隣にちゃんと立っている。立っていていいんだ、きっと。
「会長、髪」
「ん?」
「短いのも、お似合いです」
貴方は髪を払うと、少し心配そうに尋ねてきた。
「…………長い方が好きだった?」
「いえ、」
バラバラだったものが、一つにまとまる気がした。俺は最初から。
「俺は貴方が好きなんで。だからどんな髪型も可愛いと思いますよ」
変わらない想いを告げれば、赤くなった頬と驚いた顔。
「そ、そんなの反則じゃない……!!」
「はは、そう?」
俺は鳥じゃなくてよかった。目の前のことから逃げ出さずに済んだ。俺はブリキじゃなくてよかった。世界の表情の豊かさに気付けた。俺は人間でしかないけれど、貴方の側にいられてよかった。
「私、わたしは」
貴方の、世界の新しい表情を知るまで、あと数秒。