弓場と迅の話
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君の存在を忘れて過ごした4年間が、思い出せない。どうして君なしで立っていられたのだろう。
「やっぱりあの女が好きなんじゃん」
小学生の頃とまったく変わらず、仲を冷やかしてきた友人とは縁を切った。家に篭る莉子の面倒を見てやりたくて、朝練のある陸上部は退部した。元々、縁を切った友人の誘いで入った部活だ。未練などなかった。心配して話しかけてくれた顧問は、申し訳ない思いで口にした俺の弁明を、温かく受け入れてくれて。
「大事なことだな」
そんな言葉を貰えるとは思ってなくて、俺は目を見開いて先生を見た。先生はニヤッと笑って俺の肩を叩く。
「どちらも今しか出来ねぇことだ。お前がその子の隣にいたいって思うんなら、俺は止めない。後悔しない方選べ」
「……はい」
先生の言葉で、俺は決心がついた。先生は白いジャージを翻して去っていく。広い背中に、思わず深く頭を下げた。
陸上部をやめて、朝の登校時間に余裕が出来た。俺は毎朝、莉子の家へ莉子を迎えにいく。大抵、莉子の母さんが忙しそうに出てきて、申し訳なさそうに「ありがとう」と礼を言われる。莉子はなかなか出てこなかった。何日も通って、初雪が降る頃に意を決して。
「あの、俺遅刻してもいいんで莉子の側にいてもいいですか」
不躾な申し出の自覚はあった。幼い頃はよく家にあげてもらっていたが、子供というには大きくなりすぎた。莉子の母さんは少し迷ったあと、家にあげてくれる仕草をする。
「そうしてもらえる?私ももう家を出なくちゃならなくて……鍵は莉子持ってるから、もし拓磨くんだけ行くようなら鍵かけたらポストに入れておいて。なにかあったら、ここに連絡してくれていいから」
そう言って、職場の連絡先のメモを置いて、出かけて行った。家の中はしんと、静まりかえっていて。莉子の父親は、たしか単身赴任で他県に行っていて。母親もフルタイムで働いている。母が専業主婦のうちとは違って、莉子の家は寒くて寂しい。こんなところに、いつもひとりぼっちでいるのか。昼食もまともに食べてないと聞いていて、可哀想で仕方がなくなる。なんとか連れ出してやりたくて、莉子のいる寝室のドアノブに手をかける。ドクリ、と心臓が嫌な音を立てる。不安を振り払うように、でも莉子を驚かせないように、そっとドアを開けた。
「……莉子」
「ん、行かない……」
呼びかけたが、莉子は布団を掻き抱いて丸まってしまう。戸惑いながら、ベッドの上へ足を踏み入れた。莉子を踏まないようにして、横に座る。莉子は、丸まって俺に背を向けたまま。小さな背にそっと触れた。学校行こう。そう声をかけるのも躊躇われて。背中を撫でる。莉子が脱力したのが分かり、少しホッとした。繰り返し撫でてやっていると、そろりと寝返りを打ってこっちを向いた。大きな瞳に俺が映ると、心臓を掴まれているような感覚にぞわりとする。
「拓磨、学校はいいの?」
「……お前が行かないなら、今日は行かなくていい」
「だめだよ、行ったほうがいいよ」
少し考えた。お前は行ってないのに、と口を突いて出そうになり、慌てて塞ぐ。行った方がいいことは、こいつも分かってるんだ。
「別に行かないお前が悪いなんてことないんだから、俺だって1日くらい。いいだろ?」
莉子は俺の言葉を聞いて、目を逸らした。俺はどうしようもなく愛しくなって、頬に触れて撫でた。莉子が目を細めて受け入れるのに、胸を焦がした。莉子の隣にいられれば、なんだっていいなと思った。別に学校に行けなくたって、引きこもりだからといって、莉子を好きな気持ちは変わらない。ただ、元気でいて欲しいし、一緒にいる時間を増やしたいから、学校に来て欲しいだけ。
「学校、そんなに嫌か?」
「……うん、嫌。苦しい」
「そうか……」
小学校の頃は皆勤賞取るくらいだったのに、どうして嫌になってしまったんだろう。一緒に手を繋いで登校したのが懐かしく、やっぱりあの時間をもう一度取り戻したくなる。けれど、俺が毎日この家を訪れて、引きずり出すのは違うと思えた。苦しいと言っている莉子を、無理やり連れ出すなんてしたくない。それだったら、俺がずっとここにいる。流石にそんなことは、叶わないけれど。
「また一緒に学校に行きたい」
もう一度、莉子は俺を瞳に映す。自分の想いを全部吐き出してしまいそうになる。それは泣き出すようなものなので、我慢する。莉子はまばたきをして、俺の願いを聞いていた。
「一緒に行ってくれるの?」
「一緒に行きたい。もうひとりにはしねぇから」
お願いだ。もう君を忘れたりしないから。もう一度だけでもいい、俺と一緒に学校に行こう。祈りを込めて、側頭部に沿って莉子を撫でる。莉子は身体を起こした。あらわになった身体のラインが生々しくて、息を呑んだ。思った以上に君の深い場所まで迷い込んだのだと自覚して、体温が上がる。莉子は目を擦ったあと、ちょっとだけ微笑んで。
「じゃあ、頑張ってみるよ」
髪もボサボサで、血色も悪くて。服だってだらしない寝巻きだけど。どんな女も敵わないと思うほど、可愛かった。傷つけるのが恐ろしくなって、手を引っ込める。目も合わせられなくて下を向いた。俺のために「頑張ってみる」と答えてくれたことが、なによりも嬉しかった。
春になった。あれから俺は莉子の家に行く頻度を落としたけど、莉子が学校に顔出す日は増えた。出来る限り一緒に登校して、必ず一緒に下校した。学校から電車でふた駅、駅から歩いて1キロほど。莉子と登下校出来る日は、どんなに増えても特別だった。下校中、莉子が急にしゃがみ込んだので足を止める。
「ナズナ、咲いてる」
小さな花を指差して、妙に嬉しそうにしてるから不思議だった。
「昔、よく摘んでくれたよね〜」
身に覚えがなくて固まる。そうだっただろうか。莉子が昔の思い出を大事にしているのに、俺は覚えてないと、とても気まずい。気まずいというか、自分はなんてもったいないことをしたのだろうと、悔しくて仕方ない。隣にしゃがんで、ナズナの根本を摘んで捻る。思ったよりも固い茎をしていた。なんとか引きちぎり、莉子に差し出す。
「……ほら」
どうせ渡すなら、こんな野草じゃなくてちゃんとした花をと思うが、莉子が今欲しいのはこれなんだろうから。たった一輪だけど、莉子は優しく受け取ると。
「へへへへ、ありがとう」
眩しすぎてそっぽを向いた。心臓が暴れ回ってうるさい。毎日毎日、不安になるくらい、おかしいと疑うくらい、君を好きになっていく。君がいるだけで、こんなにも幸せだ。莉子は満足気に立ち上がり、歩き出す。少しホッとする、立って並べばこちらの表情を見られることはないから。俺も見れないのが傷だけど。
「このぴょんぴょんしたの、引っ張ってちょっと裂くと音が鳴るんだよね〜」
莉子はナズナで遊び出した。耳元でナズナを揺らすと音が鳴っているらしい。油断して横目で見ていたら、急に袖を引っ張られる。身体を倒すと、顔が近づいて。眩暈がする。莉子は俺の耳元でナズナを揺らした。
「こんな音!」
「うん、うん……」
正直、音なんてまったく耳に入ってはこなかった。君を意識してしまって、クラクラするばかり。莉子はまた機嫌良く先を歩いていく。少しばかり立ち尽くして、見惚れてしまう。
「拓磨?」
君が気付いて振り向いてくれることが、どんなに嬉しいか。きっと君はまだ知らないけれど。自分のこれからの生涯、全てを捧げても君を守るし、支えるから。だから安心して、いつまでも無邪気な君のままでいて欲しい。
「なんでもねぇ」
素知らぬ顔で、君の隣に並ぶ。また2人で歩き出す。君の一番が、どうか俺でありますように。そうしたらきっと、いつまでも隣にいてくれるはずだから。
「やっぱりあの女が好きなんじゃん」
小学生の頃とまったく変わらず、仲を冷やかしてきた友人とは縁を切った。家に篭る莉子の面倒を見てやりたくて、朝練のある陸上部は退部した。元々、縁を切った友人の誘いで入った部活だ。未練などなかった。心配して話しかけてくれた顧問は、申し訳ない思いで口にした俺の弁明を、温かく受け入れてくれて。
「大事なことだな」
そんな言葉を貰えるとは思ってなくて、俺は目を見開いて先生を見た。先生はニヤッと笑って俺の肩を叩く。
「どちらも今しか出来ねぇことだ。お前がその子の隣にいたいって思うんなら、俺は止めない。後悔しない方選べ」
「……はい」
先生の言葉で、俺は決心がついた。先生は白いジャージを翻して去っていく。広い背中に、思わず深く頭を下げた。
陸上部をやめて、朝の登校時間に余裕が出来た。俺は毎朝、莉子の家へ莉子を迎えにいく。大抵、莉子の母さんが忙しそうに出てきて、申し訳なさそうに「ありがとう」と礼を言われる。莉子はなかなか出てこなかった。何日も通って、初雪が降る頃に意を決して。
「あの、俺遅刻してもいいんで莉子の側にいてもいいですか」
不躾な申し出の自覚はあった。幼い頃はよく家にあげてもらっていたが、子供というには大きくなりすぎた。莉子の母さんは少し迷ったあと、家にあげてくれる仕草をする。
「そうしてもらえる?私ももう家を出なくちゃならなくて……鍵は莉子持ってるから、もし拓磨くんだけ行くようなら鍵かけたらポストに入れておいて。なにかあったら、ここに連絡してくれていいから」
そう言って、職場の連絡先のメモを置いて、出かけて行った。家の中はしんと、静まりかえっていて。莉子の父親は、たしか単身赴任で他県に行っていて。母親もフルタイムで働いている。母が専業主婦のうちとは違って、莉子の家は寒くて寂しい。こんなところに、いつもひとりぼっちでいるのか。昼食もまともに食べてないと聞いていて、可哀想で仕方がなくなる。なんとか連れ出してやりたくて、莉子のいる寝室のドアノブに手をかける。ドクリ、と心臓が嫌な音を立てる。不安を振り払うように、でも莉子を驚かせないように、そっとドアを開けた。
「……莉子」
「ん、行かない……」
呼びかけたが、莉子は布団を掻き抱いて丸まってしまう。戸惑いながら、ベッドの上へ足を踏み入れた。莉子を踏まないようにして、横に座る。莉子は、丸まって俺に背を向けたまま。小さな背にそっと触れた。学校行こう。そう声をかけるのも躊躇われて。背中を撫でる。莉子が脱力したのが分かり、少しホッとした。繰り返し撫でてやっていると、そろりと寝返りを打ってこっちを向いた。大きな瞳に俺が映ると、心臓を掴まれているような感覚にぞわりとする。
「拓磨、学校はいいの?」
「……お前が行かないなら、今日は行かなくていい」
「だめだよ、行ったほうがいいよ」
少し考えた。お前は行ってないのに、と口を突いて出そうになり、慌てて塞ぐ。行った方がいいことは、こいつも分かってるんだ。
「別に行かないお前が悪いなんてことないんだから、俺だって1日くらい。いいだろ?」
莉子は俺の言葉を聞いて、目を逸らした。俺はどうしようもなく愛しくなって、頬に触れて撫でた。莉子が目を細めて受け入れるのに、胸を焦がした。莉子の隣にいられれば、なんだっていいなと思った。別に学校に行けなくたって、引きこもりだからといって、莉子を好きな気持ちは変わらない。ただ、元気でいて欲しいし、一緒にいる時間を増やしたいから、学校に来て欲しいだけ。
「学校、そんなに嫌か?」
「……うん、嫌。苦しい」
「そうか……」
小学校の頃は皆勤賞取るくらいだったのに、どうして嫌になってしまったんだろう。一緒に手を繋いで登校したのが懐かしく、やっぱりあの時間をもう一度取り戻したくなる。けれど、俺が毎日この家を訪れて、引きずり出すのは違うと思えた。苦しいと言っている莉子を、無理やり連れ出すなんてしたくない。それだったら、俺がずっとここにいる。流石にそんなことは、叶わないけれど。
「また一緒に学校に行きたい」
もう一度、莉子は俺を瞳に映す。自分の想いを全部吐き出してしまいそうになる。それは泣き出すようなものなので、我慢する。莉子はまばたきをして、俺の願いを聞いていた。
「一緒に行ってくれるの?」
「一緒に行きたい。もうひとりにはしねぇから」
お願いだ。もう君を忘れたりしないから。もう一度だけでもいい、俺と一緒に学校に行こう。祈りを込めて、側頭部に沿って莉子を撫でる。莉子は身体を起こした。あらわになった身体のラインが生々しくて、息を呑んだ。思った以上に君の深い場所まで迷い込んだのだと自覚して、体温が上がる。莉子は目を擦ったあと、ちょっとだけ微笑んで。
「じゃあ、頑張ってみるよ」
髪もボサボサで、血色も悪くて。服だってだらしない寝巻きだけど。どんな女も敵わないと思うほど、可愛かった。傷つけるのが恐ろしくなって、手を引っ込める。目も合わせられなくて下を向いた。俺のために「頑張ってみる」と答えてくれたことが、なによりも嬉しかった。
春になった。あれから俺は莉子の家に行く頻度を落としたけど、莉子が学校に顔出す日は増えた。出来る限り一緒に登校して、必ず一緒に下校した。学校から電車でふた駅、駅から歩いて1キロほど。莉子と登下校出来る日は、どんなに増えても特別だった。下校中、莉子が急にしゃがみ込んだので足を止める。
「ナズナ、咲いてる」
小さな花を指差して、妙に嬉しそうにしてるから不思議だった。
「昔、よく摘んでくれたよね〜」
身に覚えがなくて固まる。そうだっただろうか。莉子が昔の思い出を大事にしているのに、俺は覚えてないと、とても気まずい。気まずいというか、自分はなんてもったいないことをしたのだろうと、悔しくて仕方ない。隣にしゃがんで、ナズナの根本を摘んで捻る。思ったよりも固い茎をしていた。なんとか引きちぎり、莉子に差し出す。
「……ほら」
どうせ渡すなら、こんな野草じゃなくてちゃんとした花をと思うが、莉子が今欲しいのはこれなんだろうから。たった一輪だけど、莉子は優しく受け取ると。
「へへへへ、ありがとう」
眩しすぎてそっぽを向いた。心臓が暴れ回ってうるさい。毎日毎日、不安になるくらい、おかしいと疑うくらい、君を好きになっていく。君がいるだけで、こんなにも幸せだ。莉子は満足気に立ち上がり、歩き出す。少しホッとする、立って並べばこちらの表情を見られることはないから。俺も見れないのが傷だけど。
「このぴょんぴょんしたの、引っ張ってちょっと裂くと音が鳴るんだよね〜」
莉子はナズナで遊び出した。耳元でナズナを揺らすと音が鳴っているらしい。油断して横目で見ていたら、急に袖を引っ張られる。身体を倒すと、顔が近づいて。眩暈がする。莉子は俺の耳元でナズナを揺らした。
「こんな音!」
「うん、うん……」
正直、音なんてまったく耳に入ってはこなかった。君を意識してしまって、クラクラするばかり。莉子はまた機嫌良く先を歩いていく。少しばかり立ち尽くして、見惚れてしまう。
「拓磨?」
君が気付いて振り向いてくれることが、どんなに嬉しいか。きっと君はまだ知らないけれど。自分のこれからの生涯、全てを捧げても君を守るし、支えるから。だから安心して、いつまでも無邪気な君のままでいて欲しい。
「なんでもねぇ」
素知らぬ顔で、君の隣に並ぶ。また2人で歩き出す。君の一番が、どうか俺でありますように。そうしたらきっと、いつまでも隣にいてくれるはずだから。