本編
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ボーダーに入隊して、2ヶ月ほど経った。私は私なりに真面目に、ボーダーの訓練に取り組んでいた。体調が安定しないので、合同訓練に出られない日もあるが、その分元気な時は個人ランク戦で稼ぐようにしていた。20戦ほどこなして、ラウンジで休んでいる。
「あら、莉子。訓練は順調かしら?」
望ちゃんに声をかけられた。望ちゃんは中学の頃からの知り合いで、母親同士の職場が同じ。ひとつ歳上の望ちゃんは、気まぐれに私の世話を焼く。
「難しいけど、なんとか頑張ってるよ」
「貴方も射手よね?いいわ、私が教えてあげる」
望ちゃんは、私より一足先に正隊員になっている。入隊もちょっとだけ早い。先輩の胸を借りることにした。
「だから、ちょちょいって割って、バーって撃てばいいのよ」
「??」
望ちゃんの説明は、まったく分からなかった。口を挟むことも出来ないくらい。こんな感じ?と質問するのも難しい。私が困っているのを見て、望ちゃんも悩み顔になる。ふと、望ちゃんは視線を外したと思ったら、私の手を引いて歩き出した。背の高い男性に向かっていくと、彼の前に私を立たせた。
「二宮くんに聞けばいいわ。ね、二宮くん?」
「あ?」
「えっ」
二宮、さんはめちゃくちゃ怪訝な顔をしているが、望ちゃんはお構いなしにニコニコだ。
「じゃ、私用事あるから行くわね!」
「え、ちょっと!」
私を教えるの、飽きたんだな。制止の声も虚しく、望ちゃんは颯爽と去って行った。二宮?さんと取り残される。
「望ちゃんがご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「あ、あぁ。別にお前のせいじゃないだろ」
望ちゃんが去った方向を睨んでいたが、私が謝ると表情を柔らかくした。少しホッとする。怖い人ではなさそうだ。
「お前、名前は?」
「小林莉子です。まだC級です」
「加古とは、どういう関係なんだ」
「親の友達の、子供同士です」
「なるほどな……」
この人、背が高くてスタイルいいけど、顔もめちゃくちゃ整ってるな。こんなモデルみたいな人、初めて会ったかも。目の前に立ってるだけなのに、プレッシャーみたいのがすごいな。別に、気にしないし物怖じしないけども。失礼じゃん、それ。
「苦労するだろ、あんなのといたら」
「いやまぁ、気まぐれでマイペースですけど、悪い子じゃないですよ。引っ張ってもらえるので、助かる時もあるし」
「……そうか」
「あの、お名前ちゃんと伺ってもいいですか?」
「……二宮だ。好きに呼べ」
「じゃあ、二宮さんで」
なんとなく横に並んで、立ち話をする形を取るが、お互い黙ってしまった。でも、このまま立ち去るのは勿体ない気がして、あれこれ話題を探す。
「おい」
「あっはい!」
そうこうしてるうちに、話しかけられる。見上げるのは首が痛い。
「俺に聞きたいことがあるのか?なんだ」
「あっえっと。自分射手で……望ちゃんが教えてあげるって教えてくれてたんですけど、分からなくて。望ちゃん、二宮さん見つけたら私のこと引っ張ってっちゃって……」
「はぁ……そういうことか」
「はい。もしかして、二宮さんも射手ですか?」
そう尋ねたら、二宮さんは目を丸くした。私はなんだろう、と首を傾げる。二宮さんは、何か言おうとしてやめる。
「えっと、違います?」
「いや、合ってる。俺も射手だ」
「あ、よかったです」
言ってから、なにがよかったのだろうかと自分に突っ込んだ。これでは、教えてくれとせがんで期待しているようだ。けれど、違うと否定して教わらないのも、損だし変だ。どうしよう、という気持ちが、定まらない視線や慌ただしい手に出てしまう。
「……早足でよければ、少し教えてやる。あいつよりマシなはずだ」
「え、いいんですか」
「あぁ。俺の気が変わらないうちに、早くしろ」
「はい!ありがとうございます!」
頭を下げて、顔を上げたら、うっすら微笑んでいたので、目が止まった。この人、こんな風に笑うんだ。めちゃくちゃ優しい人じゃん。二宮さんはトリガーも見てくれるつもりなのか、ブースに向かって歩き出した。私は後ろをついていく。背の高い人には慣れているけど、緊張感があって頼れる人と知り合えて、ラッキーだと思った。
第一印象は礼儀正しくて良い奴で、思わずあれこれと教えていた。射手のくせに俺のことを知らなかったのも、本人のブレなさが垣間見えて好印象に変わった。見かけたら近況を尋ねるようになり、知り合いくらいの仲になった。
「来週にはBに上がれそうなんです」
「そうか、おめでとう」
「あの、いろいろありがとうございました」
頭を深々と下げるので、律儀な奴と思う。不器用なりに、丁寧に人に接するから付き合っていて心地が良い。
「礼はいらない。大変なのはこれからだぞ」
「……はい!頑張ります」
控えめに笑うのが、押し付けがましくなくて好ましく感じた。それからも、会えば立ち話をする仲に落ち着いた。迅に指導を頼んだと聞いた時は驚いたし、太刀川隊に入ると聞いた時は気の毒に思った。小林は度胸のある奴で、でも押しは強くなくお人好しだから、どこか世話を焼きたくなる人物だった。独特の愛嬌で、ボーダーを渡り歩いていた。
小林が、広報活動にも参加すると聞いた。佐鳥と同期入隊で仲が良かったらしく、小林も興味があったらしく、佐鳥が上層部に掛け合ったらしく。あまり詳しいことは知らない。ただ、小林が「今度テレビに出るんですよねー」と何気なしに言ったから、放送日を訊いて覚えておいた。だから、なんとなく家で見ていたテレビの、チャンネルを合わせただけ。それだけだった。
『次は最近噂のボーダーで活動されているという、謎のシンガー!ふくろうさんです』
確か、ふくろうってハンドルネームで出ると言っていた。シンガーってことは、歌うのか?小林が歌ってるところは見たことがないが、確かにいつもイヤフォンで音楽を聴いていたなと思い出す。小林が画面に映る。気怠そうに立っていて、緊張がまったく感じられない。
『えーどうも。はじめまして。ふくろうと言います。皆さんよろしくお願いします』
喋り出しても、あまりにもいつも通りで。むしろ、俺といる時の方が緊張しているように見える。思っていた以上に、こいつはすごいタマなのかもしれない。タイトルコールがあり、曲がかかる。息を呑んで歌を聴いた。
『〜〜〜〜♪』
上手い。びっくりして、口が空いた。歌が上手いことにも驚いたが、なによりテレビという大舞台であまりにも堂々とパフォーマンスをするもんだから、度肝を抜かれた。なにより、歌が好きなんだという気持ちが伝わってきて、楽しそうに見えた。本当は、こんなに楽しそうにする奴なのか。
『ありがとうございました〜』
歌い終わって、小林がお辞儀をする。テレビは次の進行に流れていくが、しばらく放心していた。なんなんだ、何者なんだ。小林莉子という人物を、これっぽっちも知らなかったのだと痛感した。当然だ、所詮は通りがかれば挨拶する程度の仲なのだから。もっと知りたい、いろんな顔が見たい。もっと上のステージに連れて行ってやりたい。交換していた連絡先にメッセージを送る。
『ステージ、見た。すごくよかったぞ』
自分の語彙力のなさに絶望した。この胸の揺らぎを、どう説明したらいい。もっと明確に具体的に、説明出来るようにならなくては。そのためには、もっと小林のステージを見る必要がある。
『今後のスケジュール、あれば教えてくれ』
そう送って、返信を待つ。待っている間も落ち着かなくて、さっきの放送がどっかで見直せないか調べた。自分の中で、なにかが走り出したのを感じる。けれど、止まるつもりはなかった。止まれるとも思えなかった。純粋にワクワクした。これから、彼女は何を見せてくれるだろう?
今日は、二宮さんとお茶をする日だ。今日の予定がなくて不安だと溢したら、お茶に誘ってくれた。二宮さんはとても面倒見がよくて優しい。さぞかしモテるのだろうなと思う。別に恋人になりたいとは思わないが。恐れ多くて。二宮さんが高嶺の花だという認識はあるので、実は会う時は未だに緊張する。服装も普段は構わないけれど、ちょっぴり気にする。ま、大していつもと変わらないんだけどさ。身だしなみを整えて、家を出る。今日は特に冒険せずにラメールに行こうと思う。
「すみません、待ちました?」
5分前には着くようにいつも動いているのだが、二宮さんが私の後に来ることはない。いつも先に到着している。
「いや、今来たところだ」
そんなわけないだろうに。こういうところがモテるんだろうなぁと感じる。理想の男性を訊かれたら、とりあえず二宮さんを挙げる。誰に訊かれても二宮さんを薦める。二宮さんは今日も素敵だ。隣に並んで、カフェに入る。ゆったりしたソファー席に案内されて、向かい合って座る。二宮さんはアメリカンコーヒーを、私はアッサムティーを頼む。二宮さんは足を組んで、片膝に両手を乗せる。
「最近は、どうしてた」
「んーここ数日はわりと安定してます。ぼちぼちです」
二宮さんの話し方は、ゆったりとしていて話しやすい。話もよく聞いてくれるので、なんでも話してしまう。
「昨日は王子と話してました。昨日の議題は過去についてでしたねぇ」
「過去」
「二宮さんは、過去ってどんなものだと思いますか?」
王子と話したことを、再度二宮さんに訊ねることは多い。二宮さんは目を伏せた後、私の瞳を覗き込んだ。なにか意味があると感じ、緊張する。二宮さんが小さくため息を吐いた。なにか気に障っただろうか。
「忘れたくないものから忘れていくもの、だと思う」
困ったように微笑みながら、そう言われた。忘れたくないものから。なにか辛かったことの話をしていると感じた。そう思うと、微笑みが助けを求めるように見えた。
「忘れたいことほど、忘れられない」
「ご注文の品、お待たせしました」
厳かにコーヒーと紅茶がテーブルに置かれる。遮られた会話を、再開していいものか戸惑う。もう突っ込まない方がいいだろうか。二宮さんは、黙ってコーヒーに口をつける。釣られるように、私も紅茶を飲む。二宮さんは私から視線を外している。もうなにも言わない方がいいだろうか。
「大事なことは」
私が言いたい気持ちを優先した。二宮さんが顔を上げる。私の返答を、求めているように見えた。
「忘れたとしても、大事なままだと思います。だから、きっと忘れても大丈夫です」
「…………そうか」
「忘れたいことって、嫌なことですよね。嫌なことは、忘れられないように出来てると思います。きっとそれは、防衛本能です」
「本能?」
「二度と繰り返さないために、忘れないように出来てます。きっと太古の昔から、人間は危険を回避する為に嫌なことは忘れないように出来ているんだと。だから、忘れられないことや忘れることに、くよくよしても仕方ありません。難しいことですが」
二宮さんは、静かだった。黙って私の話に耳を傾けていた。
「私は、そう思います」
「…………そうか、そうだな」
二宮さんはコーヒーを飲んで、また私を安心させるように微笑んでみせた。
「小林はしっかりしてるな」
「いや、そんなことないです。ふわふわです」
「小林と話す時間は好きなんだ。発見が多くて」
二宮さんに褒められると、照れ臭い。私は思わず、顔を伏せる。
「ありがとう」
そう言葉が降ってきて、言ってよかったんだと安心した。貴方をなにかしら助けられていたら幸いだ。私なんかでよければ、いくらでも話を続けよう。顔を恐る恐るあげれば、やっぱり貴方は微笑んでいた。
休みの日だが、そこそこに起きて支度をする。今日は小林と太刀川とカラオケに行く。太刀川がいるのが大変不本意だ。しかし、あいつがいないと小林をカラオケに誘えない。自分の好意がバレると困るので。バカは交換条件を毎度出してくる。ものすごく嫌だが泣く泣く飲んでいる。それでも、小林の日常とか生活を俺は知りたいから。洗面所の鏡の前に立つ。寝癖を直し、頬を叩く。口角を上げるストレッチをしておく。自分が仏頂面なのは自覚があるので。小林に少しでも良い印象を持ってもらえるように。携帯に通知が入って光る。小林のラジオ配信の知らせだったので、慌てて開く。
『〜、いつもなら配信しない時間ですが、出かける前にちょっとだけ。今日このあとカラオケなんですけど、ちょっとカッコつけたいというか、聴いてもらいたい人がいるので、声出しに』
自分の話題が出て、体温が上がる。「推し」が自分のために本気を出すと言ってくれて、しかもその準備運動まで聴ける。なんて贅沢なことだろうか。
『おはようございます。声枯らさないようにしてください』
コメントを打つ。俺ではなく、クラウンとして。クラウンは、ネット上で小林と交流する時の名義だ。小林は、俺だと知らない。知られてはならない。俺は良い先輩のポジションも、1番のファンのポジションも、どちらも欲しい。
『あ〜クラウンさんおはようございます、今日もありがとうございます。なに歌おっかな。声出しやすいやつ……』
小林は曲選をしているようだ。今は小林からコメントは見えない。なので、コメントは控える。朝イチの一曲目、恐らく女性ボーカルの曲は選ばないだろう。小林は低音が得意だから。よく聴く、古いアニソンのイントロが流れる。小林は一曲目はこの曲のことが多い。人が居ないうちにと思っているらしい。
『〜〜〜♪』
心地よい低音を聴きながら、スパチャのアイテムを眺める。今月、いくら投げたっけ。投げすぎると気にするだろうから、想いのままに投げたりはしない。金がかからないのであれば、いつまでも投げていたいのだが。300コインのアイテムを投げる。歌は止まることなく続く。
『ありがとうございました。クラウンさん、アイテムありがとうございます〜なにかリクエストあればお聞きします』
拍手のコメントを送りながら、リクエストを考える。聴きたい曲で、このあとの小林の負担にならなくて、盛り上がるやつ。早く決めないと場がダレる。
『砂の惑星で』
『了解です〜砂の惑星……』
曲がかかると、小林は一言も喋らない。歌に集中したいのだそうだ。そんな姿勢に痺れる。小林が歌い出すと、胸が騒ついて呼吸を忘れるかと思う。リズム感、発声、発音の全て。全て小林の技術の上で素晴らしい音になる。歌は魂じゃなくて技術だと、よく小林は憤っている。そう語る本人の歌は、とてもソウルフルだ。ちゃんと魂に響く。それを全て技術だと言う小林に、とても共感するし憧れる。才能で人を魅せる気概を感じるから、俺は魅せられる。
『ありがとうございました〜。次なに歌おっかな。あと30分くらい?』
小林が時間を口にしたところで、はっと我に帰る。出かける支度をしなくてはならない。まだ着替えていないし、食事も摂っていない。
『ちょっと潜ります』
コメントを残して、支度をしながら小林の歌を聴く。これから生で聴けると思えば、太刀川のバカのことはどうでもよかった。なにを歌ってくれるんだろう。恐らく、二宮匡貴には気を遣ってくるんだろうな。それだけが少し口惜しい。いつか、有り余る想いの全てを、打ち明ける日は来るだろうか。
『喉の調子、悪くないな。あ、次で最後にしたいと思いまーす』
俺は小林莉子を理解したいし、全てを知りたいし、応援したい。才能のある奴が、幸せになるところが見たい。小林莉子の才能を、もっと輝かせたい。でも、きっとこの想いは大きすぎるから、小林には内緒にしておく。本当はなんでも与えてやりたいが抑えて、小林が自由でいられるようにする。クラウンとして配信のサポートを、二宮匡貴として日常の助けを。少しでも彼女の歩む道が楽しいように願っている。
「あら、莉子。訓練は順調かしら?」
望ちゃんに声をかけられた。望ちゃんは中学の頃からの知り合いで、母親同士の職場が同じ。ひとつ歳上の望ちゃんは、気まぐれに私の世話を焼く。
「難しいけど、なんとか頑張ってるよ」
「貴方も射手よね?いいわ、私が教えてあげる」
望ちゃんは、私より一足先に正隊員になっている。入隊もちょっとだけ早い。先輩の胸を借りることにした。
「だから、ちょちょいって割って、バーって撃てばいいのよ」
「??」
望ちゃんの説明は、まったく分からなかった。口を挟むことも出来ないくらい。こんな感じ?と質問するのも難しい。私が困っているのを見て、望ちゃんも悩み顔になる。ふと、望ちゃんは視線を外したと思ったら、私の手を引いて歩き出した。背の高い男性に向かっていくと、彼の前に私を立たせた。
「二宮くんに聞けばいいわ。ね、二宮くん?」
「あ?」
「えっ」
二宮、さんはめちゃくちゃ怪訝な顔をしているが、望ちゃんはお構いなしにニコニコだ。
「じゃ、私用事あるから行くわね!」
「え、ちょっと!」
私を教えるの、飽きたんだな。制止の声も虚しく、望ちゃんは颯爽と去って行った。二宮?さんと取り残される。
「望ちゃんがご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「あ、あぁ。別にお前のせいじゃないだろ」
望ちゃんが去った方向を睨んでいたが、私が謝ると表情を柔らかくした。少しホッとする。怖い人ではなさそうだ。
「お前、名前は?」
「小林莉子です。まだC級です」
「加古とは、どういう関係なんだ」
「親の友達の、子供同士です」
「なるほどな……」
この人、背が高くてスタイルいいけど、顔もめちゃくちゃ整ってるな。こんなモデルみたいな人、初めて会ったかも。目の前に立ってるだけなのに、プレッシャーみたいのがすごいな。別に、気にしないし物怖じしないけども。失礼じゃん、それ。
「苦労するだろ、あんなのといたら」
「いやまぁ、気まぐれでマイペースですけど、悪い子じゃないですよ。引っ張ってもらえるので、助かる時もあるし」
「……そうか」
「あの、お名前ちゃんと伺ってもいいですか?」
「……二宮だ。好きに呼べ」
「じゃあ、二宮さんで」
なんとなく横に並んで、立ち話をする形を取るが、お互い黙ってしまった。でも、このまま立ち去るのは勿体ない気がして、あれこれ話題を探す。
「おい」
「あっはい!」
そうこうしてるうちに、話しかけられる。見上げるのは首が痛い。
「俺に聞きたいことがあるのか?なんだ」
「あっえっと。自分射手で……望ちゃんが教えてあげるって教えてくれてたんですけど、分からなくて。望ちゃん、二宮さん見つけたら私のこと引っ張ってっちゃって……」
「はぁ……そういうことか」
「はい。もしかして、二宮さんも射手ですか?」
そう尋ねたら、二宮さんは目を丸くした。私はなんだろう、と首を傾げる。二宮さんは、何か言おうとしてやめる。
「えっと、違います?」
「いや、合ってる。俺も射手だ」
「あ、よかったです」
言ってから、なにがよかったのだろうかと自分に突っ込んだ。これでは、教えてくれとせがんで期待しているようだ。けれど、違うと否定して教わらないのも、損だし変だ。どうしよう、という気持ちが、定まらない視線や慌ただしい手に出てしまう。
「……早足でよければ、少し教えてやる。あいつよりマシなはずだ」
「え、いいんですか」
「あぁ。俺の気が変わらないうちに、早くしろ」
「はい!ありがとうございます!」
頭を下げて、顔を上げたら、うっすら微笑んでいたので、目が止まった。この人、こんな風に笑うんだ。めちゃくちゃ優しい人じゃん。二宮さんはトリガーも見てくれるつもりなのか、ブースに向かって歩き出した。私は後ろをついていく。背の高い人には慣れているけど、緊張感があって頼れる人と知り合えて、ラッキーだと思った。
第一印象は礼儀正しくて良い奴で、思わずあれこれと教えていた。射手のくせに俺のことを知らなかったのも、本人のブレなさが垣間見えて好印象に変わった。見かけたら近況を尋ねるようになり、知り合いくらいの仲になった。
「来週にはBに上がれそうなんです」
「そうか、おめでとう」
「あの、いろいろありがとうございました」
頭を深々と下げるので、律儀な奴と思う。不器用なりに、丁寧に人に接するから付き合っていて心地が良い。
「礼はいらない。大変なのはこれからだぞ」
「……はい!頑張ります」
控えめに笑うのが、押し付けがましくなくて好ましく感じた。それからも、会えば立ち話をする仲に落ち着いた。迅に指導を頼んだと聞いた時は驚いたし、太刀川隊に入ると聞いた時は気の毒に思った。小林は度胸のある奴で、でも押しは強くなくお人好しだから、どこか世話を焼きたくなる人物だった。独特の愛嬌で、ボーダーを渡り歩いていた。
小林が、広報活動にも参加すると聞いた。佐鳥と同期入隊で仲が良かったらしく、小林も興味があったらしく、佐鳥が上層部に掛け合ったらしく。あまり詳しいことは知らない。ただ、小林が「今度テレビに出るんですよねー」と何気なしに言ったから、放送日を訊いて覚えておいた。だから、なんとなく家で見ていたテレビの、チャンネルを合わせただけ。それだけだった。
『次は最近噂のボーダーで活動されているという、謎のシンガー!ふくろうさんです』
確か、ふくろうってハンドルネームで出ると言っていた。シンガーってことは、歌うのか?小林が歌ってるところは見たことがないが、確かにいつもイヤフォンで音楽を聴いていたなと思い出す。小林が画面に映る。気怠そうに立っていて、緊張がまったく感じられない。
『えーどうも。はじめまして。ふくろうと言います。皆さんよろしくお願いします』
喋り出しても、あまりにもいつも通りで。むしろ、俺といる時の方が緊張しているように見える。思っていた以上に、こいつはすごいタマなのかもしれない。タイトルコールがあり、曲がかかる。息を呑んで歌を聴いた。
『〜〜〜〜♪』
上手い。びっくりして、口が空いた。歌が上手いことにも驚いたが、なによりテレビという大舞台であまりにも堂々とパフォーマンスをするもんだから、度肝を抜かれた。なにより、歌が好きなんだという気持ちが伝わってきて、楽しそうに見えた。本当は、こんなに楽しそうにする奴なのか。
『ありがとうございました〜』
歌い終わって、小林がお辞儀をする。テレビは次の進行に流れていくが、しばらく放心していた。なんなんだ、何者なんだ。小林莉子という人物を、これっぽっちも知らなかったのだと痛感した。当然だ、所詮は通りがかれば挨拶する程度の仲なのだから。もっと知りたい、いろんな顔が見たい。もっと上のステージに連れて行ってやりたい。交換していた連絡先にメッセージを送る。
『ステージ、見た。すごくよかったぞ』
自分の語彙力のなさに絶望した。この胸の揺らぎを、どう説明したらいい。もっと明確に具体的に、説明出来るようにならなくては。そのためには、もっと小林のステージを見る必要がある。
『今後のスケジュール、あれば教えてくれ』
そう送って、返信を待つ。待っている間も落ち着かなくて、さっきの放送がどっかで見直せないか調べた。自分の中で、なにかが走り出したのを感じる。けれど、止まるつもりはなかった。止まれるとも思えなかった。純粋にワクワクした。これから、彼女は何を見せてくれるだろう?
今日は、二宮さんとお茶をする日だ。今日の予定がなくて不安だと溢したら、お茶に誘ってくれた。二宮さんはとても面倒見がよくて優しい。さぞかしモテるのだろうなと思う。別に恋人になりたいとは思わないが。恐れ多くて。二宮さんが高嶺の花だという認識はあるので、実は会う時は未だに緊張する。服装も普段は構わないけれど、ちょっぴり気にする。ま、大していつもと変わらないんだけどさ。身だしなみを整えて、家を出る。今日は特に冒険せずにラメールに行こうと思う。
「すみません、待ちました?」
5分前には着くようにいつも動いているのだが、二宮さんが私の後に来ることはない。いつも先に到着している。
「いや、今来たところだ」
そんなわけないだろうに。こういうところがモテるんだろうなぁと感じる。理想の男性を訊かれたら、とりあえず二宮さんを挙げる。誰に訊かれても二宮さんを薦める。二宮さんは今日も素敵だ。隣に並んで、カフェに入る。ゆったりしたソファー席に案内されて、向かい合って座る。二宮さんはアメリカンコーヒーを、私はアッサムティーを頼む。二宮さんは足を組んで、片膝に両手を乗せる。
「最近は、どうしてた」
「んーここ数日はわりと安定してます。ぼちぼちです」
二宮さんの話し方は、ゆったりとしていて話しやすい。話もよく聞いてくれるので、なんでも話してしまう。
「昨日は王子と話してました。昨日の議題は過去についてでしたねぇ」
「過去」
「二宮さんは、過去ってどんなものだと思いますか?」
王子と話したことを、再度二宮さんに訊ねることは多い。二宮さんは目を伏せた後、私の瞳を覗き込んだ。なにか意味があると感じ、緊張する。二宮さんが小さくため息を吐いた。なにか気に障っただろうか。
「忘れたくないものから忘れていくもの、だと思う」
困ったように微笑みながら、そう言われた。忘れたくないものから。なにか辛かったことの話をしていると感じた。そう思うと、微笑みが助けを求めるように見えた。
「忘れたいことほど、忘れられない」
「ご注文の品、お待たせしました」
厳かにコーヒーと紅茶がテーブルに置かれる。遮られた会話を、再開していいものか戸惑う。もう突っ込まない方がいいだろうか。二宮さんは、黙ってコーヒーに口をつける。釣られるように、私も紅茶を飲む。二宮さんは私から視線を外している。もうなにも言わない方がいいだろうか。
「大事なことは」
私が言いたい気持ちを優先した。二宮さんが顔を上げる。私の返答を、求めているように見えた。
「忘れたとしても、大事なままだと思います。だから、きっと忘れても大丈夫です」
「…………そうか」
「忘れたいことって、嫌なことですよね。嫌なことは、忘れられないように出来てると思います。きっとそれは、防衛本能です」
「本能?」
「二度と繰り返さないために、忘れないように出来てます。きっと太古の昔から、人間は危険を回避する為に嫌なことは忘れないように出来ているんだと。だから、忘れられないことや忘れることに、くよくよしても仕方ありません。難しいことですが」
二宮さんは、静かだった。黙って私の話に耳を傾けていた。
「私は、そう思います」
「…………そうか、そうだな」
二宮さんはコーヒーを飲んで、また私を安心させるように微笑んでみせた。
「小林はしっかりしてるな」
「いや、そんなことないです。ふわふわです」
「小林と話す時間は好きなんだ。発見が多くて」
二宮さんに褒められると、照れ臭い。私は思わず、顔を伏せる。
「ありがとう」
そう言葉が降ってきて、言ってよかったんだと安心した。貴方をなにかしら助けられていたら幸いだ。私なんかでよければ、いくらでも話を続けよう。顔を恐る恐るあげれば、やっぱり貴方は微笑んでいた。
休みの日だが、そこそこに起きて支度をする。今日は小林と太刀川とカラオケに行く。太刀川がいるのが大変不本意だ。しかし、あいつがいないと小林をカラオケに誘えない。自分の好意がバレると困るので。バカは交換条件を毎度出してくる。ものすごく嫌だが泣く泣く飲んでいる。それでも、小林の日常とか生活を俺は知りたいから。洗面所の鏡の前に立つ。寝癖を直し、頬を叩く。口角を上げるストレッチをしておく。自分が仏頂面なのは自覚があるので。小林に少しでも良い印象を持ってもらえるように。携帯に通知が入って光る。小林のラジオ配信の知らせだったので、慌てて開く。
『〜、いつもなら配信しない時間ですが、出かける前にちょっとだけ。今日このあとカラオケなんですけど、ちょっとカッコつけたいというか、聴いてもらいたい人がいるので、声出しに』
自分の話題が出て、体温が上がる。「推し」が自分のために本気を出すと言ってくれて、しかもその準備運動まで聴ける。なんて贅沢なことだろうか。
『おはようございます。声枯らさないようにしてください』
コメントを打つ。俺ではなく、クラウンとして。クラウンは、ネット上で小林と交流する時の名義だ。小林は、俺だと知らない。知られてはならない。俺は良い先輩のポジションも、1番のファンのポジションも、どちらも欲しい。
『あ〜クラウンさんおはようございます、今日もありがとうございます。なに歌おっかな。声出しやすいやつ……』
小林は曲選をしているようだ。今は小林からコメントは見えない。なので、コメントは控える。朝イチの一曲目、恐らく女性ボーカルの曲は選ばないだろう。小林は低音が得意だから。よく聴く、古いアニソンのイントロが流れる。小林は一曲目はこの曲のことが多い。人が居ないうちにと思っているらしい。
『〜〜〜♪』
心地よい低音を聴きながら、スパチャのアイテムを眺める。今月、いくら投げたっけ。投げすぎると気にするだろうから、想いのままに投げたりはしない。金がかからないのであれば、いつまでも投げていたいのだが。300コインのアイテムを投げる。歌は止まることなく続く。
『ありがとうございました。クラウンさん、アイテムありがとうございます〜なにかリクエストあればお聞きします』
拍手のコメントを送りながら、リクエストを考える。聴きたい曲で、このあとの小林の負担にならなくて、盛り上がるやつ。早く決めないと場がダレる。
『砂の惑星で』
『了解です〜砂の惑星……』
曲がかかると、小林は一言も喋らない。歌に集中したいのだそうだ。そんな姿勢に痺れる。小林が歌い出すと、胸が騒ついて呼吸を忘れるかと思う。リズム感、発声、発音の全て。全て小林の技術の上で素晴らしい音になる。歌は魂じゃなくて技術だと、よく小林は憤っている。そう語る本人の歌は、とてもソウルフルだ。ちゃんと魂に響く。それを全て技術だと言う小林に、とても共感するし憧れる。才能で人を魅せる気概を感じるから、俺は魅せられる。
『ありがとうございました〜。次なに歌おっかな。あと30分くらい?』
小林が時間を口にしたところで、はっと我に帰る。出かける支度をしなくてはならない。まだ着替えていないし、食事も摂っていない。
『ちょっと潜ります』
コメントを残して、支度をしながら小林の歌を聴く。これから生で聴けると思えば、太刀川のバカのことはどうでもよかった。なにを歌ってくれるんだろう。恐らく、二宮匡貴には気を遣ってくるんだろうな。それだけが少し口惜しい。いつか、有り余る想いの全てを、打ち明ける日は来るだろうか。
『喉の調子、悪くないな。あ、次で最後にしたいと思いまーす』
俺は小林莉子を理解したいし、全てを知りたいし、応援したい。才能のある奴が、幸せになるところが見たい。小林莉子の才能を、もっと輝かせたい。でも、きっとこの想いは大きすぎるから、小林には内緒にしておく。本当はなんでも与えてやりたいが抑えて、小林が自由でいられるようにする。クラウンとして配信のサポートを、二宮匡貴として日常の助けを。少しでも彼女の歩む道が楽しいように願っている。