さみしさの音色
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昨日遅くに帰った上にびしょぬれで、心配した透兄にちょっと怒られた。
おかげで少し眠い。
放課後のチャイムが鳴る。
それと同時に。
「みんな!部活に行こう!」
めずらしく、真琴が教室まで来た。
両手をぐーにして意気込んだ表情で。
「真琴?」
「どうしたー?お前が来るなんてめずらしいなー」
「張り切ってるな」
思わず目を丸くする。
旭やハルも同じことを思ったのか、怪訝そうにしていた。
「あ〜、ちょっとね」
「ふーん、まあいいや。おーい郁弥、部活行くぞー」
照れくさそうに頭に手をやる真琴に答えた後、旭が前の席に座ったままの郁弥を呼んだ。
だけど。
「……行かない」
振り返らずに返ってきた声に息をのんだ。
「バカいうなよ!リレーの練習しようぜ、リベンジすんだよ!佐野中に!」
拳を握って反論する旭に、背中を向けたまま郁弥は淡々と続けた。
「……勝手にすれば。僕はもう水泳部やめる」
「なん……」
「何言ってんだよお前!ふざけてんじゃねえぞ!」
私の声が消えるくらい。
声を荒らげた旭が郁弥のシャツの胸ぐらを掴んだ。
「そんな冗談笑えねえよ!おい!」
「うるさい!!」
その手を思い切り振り払い、郁弥が今まで聞いたことがないほど大きい声を出した。
「もうやめる!!」
「おい!待て郁弥!」
「ちょっと2人とも!ってアオ!?」
教室を飛び出す郁弥を追いかける旭。
真琴の声を背中に聞きながら、私も教室を駆け出していた。
***
少し青色があせてきた空の下。
学校を飛び出してからどれくらい走っただろう。
限界が来たのか、橋のところで郁弥が止まる。
(……や、やっと止まってくれた……!)
息切れと少し痛んできた足のせいもあり、安心で気が緩む。
そのとき、私の前を走っていた旭がさらに加速した。
「待てええっ!早まるなああああ!!」
そう叫び、郁弥に飛びつく。
ゴロゴロと派手に転がっていった2人を見て、あわてて足を早めた。
「バカやろう!1回負けたぐらいで、1回負けたぐらいで死のうとすんな!」
そんな切羽詰まった旭の声が聞こえ、私はさっきの旭の行動の意味を知った。
でもその後の郁弥の言葉から、それは誤解だったらしい。
膝に手をついて息を切らす私の後ろから、2つの足音が追いついてきた。
「……なんで、みんな来てるんだよ……」
「当たり前だろ、心配するだろが!」
こちらに背中を向けてつぶやくように言う郁弥に旭がすぐさま言い返す。
「だって、チームだから」
真琴も優しい調子で続け、郁弥の肩が震える。
ふと辺りを見たとき、私は1つの建物に気がついた。
「あそこって……」
"板東スイミングクラブ"と書かれた、青い看板の白い建物。
郁弥が腕で顔をこすり、話してくれた。
「……僕と兄貴が通ってたSC。2人で一緒に世界出たいねって、頑張ってたんだ」
顔をスイミングクラブに向け、ぽつぽつと語る。
「……なのに兄貴、中学になったとたん僕を突き放して……。理由を聞いても、『世界を広げろ』『仲間を作れ』としか言われなくて……」
背中を向けているから、郁弥がどんな顔をしているのか分からない。
でも声が少し震えていて、さみしそうだった。
「……兄貴は僕が邪魔になったんだ。そんな兄貴がどうしても許せなかった……」
郁弥の言葉に、真琴が気遣うような声で話しかけた。
少し笑ってるような響きを持って。
「……それはきっと違うよ。自分でちゃんとできるようになってほしいって思ってるだけなんじゃないのかな。
同じお兄ちゃんの立場としては、ちょっと寂しいけどね……」
前に夏也先輩から聞いた話が脳裏に浮かび、私も口を開いた。
2人の間にある誤解が、少しでも解けるように。
「……夏也先輩、郁弥のこと気にかけてた。"嫌われてもしょうがない"って、寂しそうだった」
「やっぱり、弟のことが嫌いなお兄ちゃんなんていないよ。郁弥、君は1人じゃないよ」
私と真琴がかけた言葉。
郁弥の肩が、背中が震える。
泣くのをこらえるような声。
「……ずっと、兄ちゃんがいればいいなって。兄ちゃんさえいれば、仲間とか、友達なんていらないって……」
"兄貴"から"兄ちゃん"に変わった呼び名。
涙混じりの声。
うつむいて、絞り出すように郁弥が言う。
「だから……っ、兄ちゃんがいなくなって、ずっと1人で泳いでたんだ……。本当は、ずっと……」
"寂しかった"。
それが、初めて見せてくれた、郁弥の本音だった。
「……ハルみたいになれば、兄ちゃんがもう1度振り向いてくれるんじゃないかって……」
「それでハルのまねを……」
真琴と同時に納得する。
そんなとき、からりとした調子で旭が言った。
「ばかだなぁ郁弥。そんなことしなくても、お前全然速いじゃねーか。そんくらい、夏也先輩も分かってるよ」
「な、ハル」と同意を求める旭に、ハルが何かをつぶやく。
そして、はっきりした声で告げた。
「郁弥。お前は俺じゃない。俺や夏也先輩の後ろじゃなくて、みんなの横に並べ」
……ハルの命令口調は、こういうときにはぴったりだな。
そう思いつつ小さく笑みをこぼす。
ハルの言葉が引き金になったのか、限界だったのか。
郁弥が声を上げて泣き出した。
今まで寂しかった分を、全部吐き出すような泣き方だった。
いきなり大声で泣かれて戸惑ったのか、旭があちこちまさぐってタオルを探す。
それでも無かったようで、着ていたTシャツの裾を郁弥の方に出した。
「よ、よし!これでふけ!」
焦りが入った声に驚いたのか、郁弥が泣き止む。
一瞬だけ無防備な表情をした後、ふいとうつむいて言った。
「……いらない。そんなきたないの」
「きっ、きたないって何だよ!毎日洗濯だってちゃんとやって……」
そのとき聞こえた、小さく吹き出す声。
小刻みに体を震わせ、郁弥がはじけるように笑い出した。
それを見た旭が元気のいい声を出す。
「おーし!部活に戻ろうぜー!」
「うん、戻ろ!」
真琴の笑顔にこくりとうなずく。
「部活、部活♪」と楽しそうな旭。
郁弥も立ち上がり、やっとこっちに体を向けて。
「うん」
やっと、笑ってくれた。
5人で戻る途中、郁弥がそっとみんなと並ぶ。
その様子を見て、私はそっと自分のハンカチを出した。
四つ葉の刺繍がついた、クリーム色の。
「……これ、今日使ってないから」
「……ありがと」
恥ずかしそうに頬を染めた後。
「洗って返すね」と小さく言って、郁弥はそっと涙をふいた。
前を向いた瞳は、とてもすっきりしていた。