優しいキスをあなたに
紐状のもので顔をくすぐられる感覚と、ふにふに頬や瞼や口に柔らかい何かが当たる感覚。それから、ちゅ、ちう、ちゅうと聞こえる小さな音。そんなもので目が覚めた。
視界に入るのは、ドキッとするくらい近くにある、隼飛の顔。涼やかな笑みを浮かべる彼の耳から、ピアスのタッセルが垂れ下がっている。くすぐったさの原因はこれのようだ。
「お、おはよう隼飛……」
「♪」
最近、隼飛がキス魔になっている気がする。愛情表現の一環として、隼飛のおでこや頭にたまにキスをしていたせいだろうか。プランツドールとのキスを数に入れると、私はもう5回ほど彼に唇を奪われていることになる。
「ごはんにしようか」
ベッドから起き上がって、天使の輪のように艶めく、サラッサラの髪を撫でる。すると、隼飛は両方の袖を口元に当てて、嬉しそうに笑った。
隼飛はいつも笑顔でいることが多い。しょんぼりしたような顔を見せたのは、初めて会ったお店の中だけで、私といるときは穏やかな微笑みをたたえている。
常に落ち着いているお利口さん。だからこそ、私はたまに心配になる。何か不満があっても、私に気をつかって我慢してるんじゃないか。言葉を発せないだけで、本当はわがままを言いたいんじゃないか。私はちゃんと、彼にとって、良き持ち主なんだろうか。
「……?」
ぽん、と膝の上に小さな手を置かれ、ハッとする。気づけば隼飛が、心配そうに私を見上げていた。
「ごめんね。ボーッとしてた」
大丈夫だと伝えるように笑いかけて、私は隼飛を抱き上げる。優しく包むように抱きしめてから、私は朝ごはんの準備をするために立ち上がった。
***
「ただいまぁ……」
疲れた。今日は徹底的に疲れた。か細くかすれた声を出しながらドアを開けると、図鑑を読んでいた隼飛が驚いたように顔を上げた。前に私が買ってきた、お茶の基礎知識や世界のお茶が載っている本だ。気に入ってくれてるみたいで嬉しい。
どうしたの? 何かあったの? と聞いてくるように、隼飛が駆け寄ってくる。
「実は……」
座り込んだまま、ぽつりぽつりと、私は話し出していた。職場に最近、やたら声をかけてくる先輩がいること。こっちが仕事中なのにも関わらず、空いている日や時間をしつこく聞いて、自分の予定に私を誘おうとしてくること。その癖、仕事を手伝おうという素振りは見せないこと。
距離は無駄に近いし、上から下までじろじろ見てくるし、手や肩に触ろうとしてくる。事情を知った同僚たちが、それとなく助けてくれるけど、私1人で対処しなきゃいけないときもある。
苦笑いでかわし続けるうちに、すっかり精神的に疲れていた。
「ごめんね、愚痴言っちゃって。社会人なのに情けないよね」
眉を下げて、つらい気持ちを誤魔化すように口角を上げる。まだ笑えるうちは大丈夫、なんて思っていると、小さな手がぽふりと私の頭に乗せられた。
なでなで、と柔らかい手に、頭を撫でられる。隼飛を見ると、心配そうに少し眉を下げながら、私をいたわるように微笑んでいた。
大変だったね、お疲れ様、と言ってくれているみたいで。優しい笑顔と手つきに、重く沈んでいた心が、ふわりと軽くなったように感じて。目の奥がじわじわと熱くなった。
「そんなにやさしくされたら、ないちゃうよ〜……!」
隼飛をぎゅっと抱きしめる。大人がドールに甘えるなんて、情けないかな。でも、大人だって苦しいときは苦しい。支えてくれるこの子がいれば、まだ踏ん張れる気がした。
何があっても、この子を大事にする。改めてそう決めた私は、私の肩に顔をうずめる隼飛がどんな表情をしているか、全く知らなかった。