優しいキスをあなたに
淡黄色の花のカーテンが、ふわりとふくらんだとき。隠れていたショーウィンドウ越しに、小さな人影を見つけた。
透かし彫りの椅子に、背筋をしゃんと伸ばして腰かけている、少年の人形。長いまつ毛が震え、蘇芳色のスピネルのような目が私を映す。
飴玉がとろけるように、透きとおった目が細められるのを、私は呼吸さえ忘れかけながら見つめていた。
***
きっかけは、まだ行ったことないカフェを開拓しようと散策していたこと。こんな古き良き店構えのお店が、この街にあったなんて。
外国のファンタジー映画に出てきそうなお店を見つけて、テンションが上がっていたとき。ショーウィンドウにいた少年の人形と目が合った。
引き寄せられるように、おしゃれなステンドグラス付きのドアを開ける。お店の中も素敵で、みずみずしい観葉植物があちこちに置かれていた。更に素敵なのは、それ以上に配置された人形たち。眠るように目を閉じている彼らは、どれも不思議な魅力を放っている。
「いらっしゃい」
さっきの子はどこだろう。きょろきょろと店内を見ていたら、女の子の声が聞こえた。ストレートヘアがよく似合う、大人っぽい女の子が、カウンターから顔を出す。
「うちは、ちょっと訳ありのプランツドールを扱う店よ。ゆっくり見ていってね」
「あ。お聞きしたいんですけど、ショーウィンドウに飾ってある子ってどこですか?」
店員さんらしき女の子に尋ねると、女の子は少しだけ目を丸くしてから、おかしそうに口元に手を当てる。そして、私の足元辺りを指さした。
「そこにいるわね」
「へ? ……って、うわあ!?」
視線を移すと、私のすぐ側に、いつの間にか小さな子が立っていた。思わず大きめの声を出して飛び上がった私を見て、彼はにこにこ笑っている。
丈が長い詰襟の中華服は、真紅色の地に金糸の刺繍が入ったもの。それにゆったりしたパンツを合わせ、天女の羽衣のような薄絹を身につけている。
豪華でありながら上品な衣装。それをまとう彼も、負けないくらい整った顔立ちをしていた。ぱっちりした目にすっと通る鼻筋。紫がかった濃い茶色の髪は、絹糸みたいにさらさら。ほんのりピンク色を帯びた白い肌は陶器のよう。
そしてミステリアスな魅力を付け加えているのは、彼の右目を覆う黒い眼帯だった。
「この子、怪我してるんですか?」
「そうよ。経緯は分からないんだけど、その傷のせいで返品されちゃったの」
こんなに綺麗なのに。そう思いながら彼と目線を合わせると、どうしたの? と問いかけるように小首を傾げられる。彼の耳についた長いタッセルのピアスが、しゃらっと揺れた。
「その子は隼飛。あなたを持ち主として気に入ったみたいね」
「私ですか!? こんなに引く手あまたになりそうな子なのに!?」
君も私でいいの? もっとお金持ちとか美人とか、私よりいい人がいるんじゃないの?
そう思いながら、隼飛と呼ばれたプランツドールをまじまじと見る。すると彼は、小さな両手で私の片手をきゅっと包み、甘えるように頬をくっつけてきた。
あざとさを感じるくらいの愛らしさに、軽率に買いそうになるのを、ぐっとこらえる。
「ちなみにプランツドールは、一度気に入った人に出会うと、もうその人しか目に入らなくなるの」
「ということは、私が買わなかったらこの子は……」
「愛情を得られず、いずれ枯れるわね。また眠らせることもできるけど、メンテナンスが必要になるわ」
「まじか〜……」
もう一度、隼飛の方を見る。彼は話の内容を聞いて理解したのか、しょんぼりしたように眉を下げて私を見上げていた。スピネルの目が、うるうるキラキラと瞬く。連れて帰ってくれないのかな? と言いたげな眼差しに、罪悪感と庇護欲がドスドス襲いかかる。
「でも……お高いんでしょう……?」
「元の値段はこれ。今の値段は、必要なもの含めてこれね」
「前者のゼロが多すぎて、後者がお買い得に思える」
詐欺に引っかかりそうな感想を抱きながら、私はしばし悩んだ。
「……クレジットで、お願いできますか」
「もちろん」
こうして、我が家にプランツドールをお迎えすることになった。
***
アンティークショップで買ったはいいけど、もったいなくて飾っていたティーカップとソーサー。小さなバラの絵が描かれたデザインのそれを、隼飛用に使うことにした。
温めたミルクをティーカップ半分くらいまで注ぐ。隼飛の前にそっと置くと、彼はソーサーを持ち、もう片方の手でカップの取っ手をつまんで、美味しそうにミルクを飲んだ。
出会ったときから思ってたけど、この子ホントに所作が優雅だな。
今はおやつの時間。ミルクティーとスコーンをいただきながら感心していると、飲み終えた隼飛が私の方をじーっと見てきた。正確には私の手元にあるスコーンを。
「これ、気になるの?」
そう聞くと、こくんと彼は頷く。休日におやつを食べていると、隼飛はよく私が飲んでいるお茶やお茶菓子に興味を示した。あんまり多く飲んだり食べたりしないけど、食そのものに興味が無いわけでは無いらしい。
プランツドールにミルクと砂糖菓子以外はNGだから、本屋さんでお茶やお菓子の図鑑でも探してみようかな。
そう思いながら、ドール用のボンボンが入った小箱を開ける。それを見ると、隼飛は雛鳥のように口を開けた。雰囲気や佇まいが洗練されているのに、甘え方がとても素直で、そのギャップに胸を押さえた。
1粒ころりと口の中に入れてあげると、隼飛は満足そうにニコッと笑う。それから華奢な指先で、ボンボンをそっとつまむと、私の方に差し出してきた。
「くれるの? ありがとう」
両手で受け取ろうとすると、笑顔で首を横に振られる。もしかして、と思いながら、気恥ずかしさを押しやって口を開けると、ボンボンが唇の間に差し入れられた。
繊細な砂糖でできた膜に、そっと歯を立てると、シャリッと破れる。中から果汁の入ったシロップがとろりとこぼれ、私は頬を緩ませた。
それは、とても甘く、和やかなティータイムだった。