炎と蛇の執着
「ふー……」
ネオンサインが灯る夜の街。仕事で疲れた体を、引きずるように歩く。明日は休みだし、自宅でのんびりしようかな。夕飯作るのめんどうだから、どこかで買って帰ろうか。ぼんやり考えながら足を進めていたとき、店のショーウィンドウが目に入った。
「わ……」
王様が座るような、
目に焼き付くような、鮮やかな真紅の髪。肩の下まで流れる毛先は、黄色に染まっていて、火の色そっくりだ。大仏様とかキリスト像みたいな、神聖さを感じる美しさ。そして
大理石のような白い店は、重厚そうな造りだ。私みたいな、しがないOLが入っていい場所じゃないんだろうな。綺麗なものを一目見られたことに満足して、立ち去ろうとしたとき。ぺたりと小さな手が、ガラスに押し付けられた。
「え」
人形が目を開けて、椅子から立ち上がってる。何を考えているか分からない目で、私をじいっと見つめていた。射抜くような視線に体が震え、心臓を掴まれたように胸が苦しくなる。
見なかったことにしよう。目を逸らして後ずさり、早足で通り過ぎようとする。でもそれは叶わなかった。パリィンと耳を裂くような、鋭く高い音が響く。振り返ると、透明な欠片がきらめく中で、炎が揺れた。駆け寄ってきた少年の人形が、私の服の裾を掴む。
「……」
「あ、の……?」
今、この子、ガラス割って出てきた……?
衝撃で何も言えずに、ただ彼と見つめ合う。泥棒と疑われても困るので、私は降参するように両手を上げた。私はこの子に触れてません。盗もうなんて思ってませんと示すように。
「お客様」
そのとき、ドアが開いた。穏やかな声で私を呼んだのは、丸い眼鏡をかけた老紳士。高級そうなスーツをぴしっと着こなした彼は、穴のあいたショーウィンドウと散らばるガラス片、そして私と、少年の人形を見る。そして合点がいったかのように、軽く頷いた。
「中へどうぞ。少々お待ちください」
金の装飾が施された黒いドアを開いて、老紳士が招く。断るわけにもいかず、私は諦めて中に入った。少年の人形は、ずっと私の服を掴んでいる。シワになりそうだから離してもらえないだろうか。傷ひとつ無い手を軽く撫でてみると、今度は私の左手を握ってきた。
「プランツドールという名前を、聞いたことはおありですか?」
「プランツドール……? いえ、無いです」
「貴族の楽しみと言われた代物でございます」
表のガラスを片付けた老紳士が、店に戻ってくる。勧められたのは、ロココ調の優雅なソファだ。えんじ色のそれに恐る恐る座ると、あまりにもふかふかで、思わず背筋が伸びる。少年の人形も、私のすぐ隣にちょこんと腰を下ろした。
目の前の丸テーブルに、薄く湯気を立てるティーカップが置かれる。
「1日3回のミルク。週に1回程度の砂糖菓子。そして何より大切な栄養は、持ち主から与えられる愛情。そういったもので育つ、生きる人形です」
語られる内容は、おとぎ話のようだった。
「彼の名前はチカ。ご覧の通り、色もツヤも極上の逸品でございます。これほどのものは、なかなかお目にかかれません」
「チカ……」
名前を口で転がすと、呼んだか? と聞くように、チカが私を見る。猫のようなツリ目で、吸い込まれそうな金色だ。
「プランツドールって、皆こんなに人懐こいんですか?」
「いいえ。普段は眠っておりますが、お客様が"特別"なのです」
「特別?」
「プランツドールは、持ち主を選ぶのです。特に彼は気難しく、他者に興味を持ったことは一切ございません。彼にもプランツドールらしい面があったのかと、私の方が驚いております」
「とてもそうは見えませんが」
そろそろ紅茶をいただこうかな。そう思って繊細そうなカップを手に取ると、少し重い。両手で支えた方がいいかも。彼に繋がれた片手を、そっと解こうとするけど、強く握られてしまった。
「あの、少し手を離してもらっても」
「……」
「あ、だめですか。すみません」
目線だけで圧力をかけられた。オレが握ってるのに離すのかと、言わんばかりの目つきだ。怖い。仕方がないので、紅茶をこぼさないように気をつけながら、カップに口をつける。紅茶らしい渋みが、じんわり体を温めていく。
そのとき、カタンと音がした。聞こえた方向に目を向けると、そこから1人のドールが顔を出す。チカが着ているのと似ているけど、右肩を出したデザインの服で、色は光沢がある黒だ。
肌を覆うように描かれたタトゥーも、うねる癖っ毛も、夜を連想する漆黒。灰色がかった緑青色の目を、細めて笑う様子は、爬虫類を思わせる。少年のドールはとたとたと近寄ってきて、私の隣に座った。まるでそうすることが、当然みたいに。
「おや、貴方も来るとは……。お客様は本当に、特別な縁をお持ちのようだ」
「ええと……。あの、この子もプランツドール? ですか?」
「はい。そちらの彼は、ヤマトといいます。上級品のプランツドールでありながら、どなたを前にしても目覚めることがなく。唯一、彼が目を覚まして崇拝に似た感情を向けたのが、そこにいるチカなのです」
カップを置きながら問いかけると、そんな言葉が返ってくる。両隣にいる2人のドールを見比べると、ヤマトと呼ばれた彼は、嬉しそうにニコニコ笑っていた。
「あの、プランツドールって、持ち主を選ぶんですよね?」
「はい」
「この子たち、私を持ち主に選んじゃったってことですか?」
「はい。2人ともこの上なく、お客様を気に入っておられます」
「プランツドールって貴族の楽しみなんですよね。しかも生きてるってことは、費用もかかりますよね。私そんな高価な人形を、2人も迎えられるほど、裕福じゃないです。無理です」
前のめりになりながら必死で訴える。確かに2人は綺麗だけど、だからといって「ハイ買います」とは言えない。ペットを飼ったこともないのに、生きてる存在を2人も抱え込むなんて無謀だ。
老紳士は私とドールたちを見比べて、困ったように眉を下げる。顎ヒゲを柔らかく撫でながら、彼は口を開いた。
「お客様。プランツドールは一度目覚めると、そのままでは売り物にならなくなるのでございます」
「え」
「波長の合う方に出会うと、他のお客様には目もくれなくなってしまう。その2人は、お客様がお求めにならない限り、誰にも売れない品物になってしまったんです」
あまりのことに、開いた口が塞がらない。何でこんなことになったんだ。崖っぷちに追い詰められた気持ちを味わっていると、ぎち、と左手に締め付けるような痛みが走る。
「いっ……!」
目を向けると、チカが私の手を、きつく握りしめていた。意外と力が強い。そして眼力も強い。連れて帰らないと言った瞬間、視線で射殺されそうだ。
逃げるように反対側を見ると、ヤマトが私を上目遣いで見ていた。私の右腕に自分の腕を絡め、甘えるように、縋るように見上げてくる。「オレはこんなに好きなのに、連れて帰ってくんねぇの? そんなひでぇこと、しねぇよな?」と、言われているようだ。底知れない闇がちらりと見えた気がして、背筋がゾクッとする。
「2人は、お客様について行きたがっている様子。どうか、お買い上げ願います」
ローンが組めること。そして、老紳士が特別価格にしてくれたこと。それらが無かったら、私は命を縮める思いをしてでも、あの店から脱走していただろう。
「ようやく、ようやくこの2人に、持ち主ができたお祝いでございます」
車を運転しながら、老紳士が落ち着いた声で言う。ルームミラーには、穏やかな微笑みを浮かべる彼の顔が映っていた。
2人分の着替えやミルクに砂糖菓子。シャンプーや入浴剤。香水にアクセサリーとなると、かなりの大荷物になる。老紳士が車を出してくれることになり、お言葉に甘えたのだ。両手は2人のプランツドールに取られていたから、かなりありがたい。
「何かあれば、店にご連絡を。一点物ですので、どうぞ大切に慈しんでください」
「は、はい……」
夕飯を買うためにコンビニに寄ってもらってから、自宅にたどり着く。プランツドールは、持ち主からの愛情を得られないと、枯れてしまうらしい。この2人、そんなに脆く繊細には見えないけど、気をつけよう。
「……」
「ん? あ、お風呂入りたいの?」
チカが私の袖を引いて、お風呂場を指さす。確認してみると、こくりと頷いたので、私はバスタブにお湯を入れた。シャンプーや入浴剤等、必要なものを持っていくチカを見送り、2人分のミルクを温める。その間に、私の夕飯も電子レンジに入れた。
雑にならないように、ゆっくり。人肌くらいになるまで。沸騰しないように、温め過ぎないように。火加減に気をつけて、測ったミルクに熱を通していく。
「♪」
「もうちょい待っててね」
隣でヤマトが、待ち遠しそうにつま先立ちをする。それを見ながら声をかけると、何だか胸の辺りがくすぐったい。まるで、小さな弟ができた気分だ。
チカの分は、彼がお風呂から出たら温め直そう。先に出来上がったミルクをカップに注いで、ヤマトに渡す。彼は両手で受け取ると、待ちきれなかったように1口飲んだ。
「……!」
その笑顔は、何とも幸せそうだった。どうやら彼の口に合ったらしい。赤く色づいた頬が緩んで、こくこくこくと喉が鳴る。ミルクを一気に飲み干した彼から、カップを受け取って、流しに置いた。
「美味しかった?」
「!」
「そっか。よかった」
聞いてみると、こっくんと大きく、首が縦に振られる。電子レンジからグラタンを取り出し、私も夕飯を済ませる。チカと入れ替わるようにヤマトがお風呂に行き、私はチカの分のミルクを温め直した。彼の表情はあんまり変わらないけど、飲むスピードは早い気がする。飲み終わる頃には、彼の頬がほんのりピンク色に染まっていた。
「美味しかった、かな?」
「……」
「あ、よかった。頷いてくれた」
食器を洗い、お風呂を済ませて、あとは寝るだけ。ドール用のシーツもあるけど、2人は私のベッドに寝そべっていた。
「床よりベッド派なのかな。私は床で寝るから、そこで寝ていいよ」
そう声をかけると、2人が起き上がる。そして私の手を片方ずつ引いて、ベッドに誘導した。一緒に寝たいのだろうか。意外と甘えん坊なのかな。ベッドに横になると、左にチカが、右にヤマトが潜り込んでくる。
「おやすみ。チカ。ヤマト」
布団で全員を包み込み、それぞれの名前を呼びながら、2人の頭を撫でてみる。チカは私にぴったりくっつきながら、大人しく目を閉じた。ヤマトは満足そうに頬を擦り寄せてから、楽しげにくすくす笑う。
愛情なんて抽象的なもの、どうやってあげればいいんだろう。そう思っていたけど、どうすればいいか、何となく分かってきた気がする。ほんのり温かな2人を、両腕にそっと抱きしめながら、私もまぶたを閉じた。
***
こうして、プランツドールを育てる生活が始まった。
頬をぺちぺちぺちと叩かれて、目が覚める。金色の目と緑青色の目が、私をじっと見下ろしていた。寝るなと言うように、チカの手が私の頬を、むにぃと伸ばす。
「おはよう、チカ、ヤマト。あのね、チカ。起こしてくれるのはありがたいんだけど、もう少し優しくしてほしいな」
チカは基本的に大人しい。でも自分の要望がすぐに叶えられないと、叩いたり引っ張ったり、ときには拳で訴えてきたりする。力加減をしてくれてるから、痛くは無いんだけど、暴力で自分の意見を通す子にはなってほしくない。
彼の目を見ながら伝えると、ふいと逸らされる。チカは私を持ち主に選んだけど、あんまり言うことを聞き入れてくれない。私は諦めないよ。私の家に来たからには、暴力で相手をコントロールするなんて許しませんからね。
根気強さが必要だな。そう思いながら、私はベッドから降りる。キッチンに行ってプランツドール用のミルクを測り、小鍋に注ぐ。その間、2人は後ろで待っていた。
ミルクは人肌くらいが目安だけど、その中でも好みはあるらしい。2人とも少し熱めが好きなようで、温度に気をつけながら火にかける。ほかほかのミルクをカップに注いで、チカとヤマトに渡す。
「はい。召し上がれ」
2人とも、まずはその場で1口飲むのがいつもの流れだ。分かりやすく満面の笑顔になるヤマトと、よーく見たらほっぺたがスモモ色に染まっているチカ。ミルクを飲んでいるときは、どちらもまとう雰囲気がほんわりとしていて、可愛らしい。
残りを座って飲むために、カップをリビングに持っていく2人を見送ってから、私の分の朝食を用意する。手の込んだものは作れないから、簡単なもので。朝食と後片付けを済ませたら、支度をして仕事に行く。
「あのね、君たちを養うために働かなきゃいけないの。ちゃんと帰ってくるから、ね?」
オレを置いてどこに行く気だ、と言うように、据わった目で右手を掴むチカ。便乗するように、左手を掴んで軽く引っ張るヤマトは、イタズラするみたいに楽しげだ。そんな2人を何とか、なだめすかして出勤する。
仕事は大変だけど、自分だけじゃなくて扶養する存在も増えたから、頑張らないといけない。
帰ったら、出迎えてくれる2人の頭を撫でて(チカの頭から撫でないとヤマトが張り倒される)、ミルクの準備。化粧を落としてお風呂を済ませたら、チカのシールエクステを外したり、2人の髪をとかしたりする。なるべく手間暇をかけているからか、2人の状態はいつも良好に見えた。
「そろそろ寝ようか」
3人揃ってベッドに潜り込む。ドール用の絹のシーツは、洗濯が大変だけど、すべすべで吸いつくような感触がたまらない。プランツドールと出会わなかったら、一生知らないままだっただろう。寄り添ってくる2人をそっと包んで、小さな頭を撫でながら、私は唇を緩めた。
「おやすみ」
***
「じゃーん。チカとヤマトにお土産でーす」
カバンに入れていたものを、引っ張り出して掲げると、2人はぱちりと瞬きした。
彼らと出会ってから初めての夏。昇給したおかげで生活に余裕が出てきて、今日はこんなものを買ってみた。やるにはちょうどいい季節だし、2人に色んなことを経験させてみたい。
「花火セットだよ。今夜やってみよう」
手持ち花火と噴き出し花火が入った袋を手渡すと、チカはしげしげと見つめていた。隣でヤマトも、ひょこひょこと覗き込んでいる。
私たちが住んでいるアパートには、小さいけれど中庭がある。水を入れたバケツとロウソクを出して、マッチを擦って火をつけた。揺らめく炎に手持ち花火を近づけると、白やオレンジ、緑の光が吹き出す。
「……!」
「チカ、まずは1本ずつだよ」
それを見たチカが、目をきらめかせた。ごそごそと手持ち花火を数本引っ張り出すので、1本だけ握らせる。彼の後ろから手を添えて、花火に火をつければ、パッと色鮮やかな光が生まれた。
「花火は下向きね。危ないから、人に向けちゃだめ」
そう言うと、チカはこくりと頷く。最近は私の言うことを、素直に聞いてくれるようになった。やがて火の勢いが弱まり、フッと消えてしまう。ムスッとしたチカの手から、燃え尽きた花火を受け取り、新しい花火を渡した。
「終わったら、このバケツの中に入れるんだよ」
ヤマトの方を見ると、2本の花火に火をつけて、両手に持って遊んでいた。ちゃんと使い終わったものは、バケツの水の中に入れている。相変わらず物覚えがいい。
火薬と煙の匂い。熱っぽい空気と、肌を撫でる少し涼しい風。シュウシュウ、パチパチと燃える微かな音。暗闇に灯る、色とりどりの光。その中で笑うヤマトと、無邪気に頬を綻ばせるチカ。チカの表情は滅多に動かないから、少し驚いた。君そんな顔できたのか。
はしゃぐヤマトと近寄ろうとするチカを押さえながら、きらびやかな光を爆ぜる噴き出し花火を眺めて。締めに線香花火をすることにした。小さなオレンジ色の玉を囲むように、金色の火花がぱちぱちと現れる。
「花火、楽しかった?」
そう尋ねると、2人の頭が上下に動いた。眩しく、鮮やかに、最後は儚くぽとりと落ちる花火。どこか残念そうにする2人の頭を撫でて、私はそっと口を開いた。
「今度、花火大会に行ってみようか。これよりもっと大きな、打ち上げ花火がたくさん見られるよ」
チカとヤマトの目が、嬉しそうに、期待するように輝く。手を握ったり、抱きついてきたりする2人の相手をしながら、私はバケツを持ち上げた。
2人が好きな物、もっと見つけていきたいな。夏はまだ、始まったばかりだ。