世界でいちばん安らぐ場所
まるで獣だ。
守るべき芸術品とは似ても似つかない。
それが、オレに貼り付けられた評価だった。
訳の分からない不快感に、無理やり起こされる。火花が散った次の瞬間、目の前に雷が落ちたみたいに真っ白になる。気が付けば、周りに人が、たくさん倒れてる。
いつも、その繰り返しだった。
相性の悪い人間にしか、出会わない。それに加えて、感情を――怒りをコントロールできない自分が嫌で、仕方なかった。生まれついた性質に、抗えない自分が、吐き気がするほど嫌いだった。
誰にも会いたくない。部屋の隅にうずくまって、ずっと眠っていたい。誰と出会ったって、みんな離れていくに決まってる。オレを作ったヤツだって、オレを見放した。
そう思っていたのに、また目が覚めた。
いつもみたいに乱暴な目覚めとは違う。深い眠りから、ゆっくりと浮き上がるような感覚を、ぼーっとしながら受け入れていたとき。目の前に誰かがいることに気がついた。
「!」
「わ、動いた」
腰をかがめてオレを見ていたのは、1人の女だった。感心するような呟きと共に、オレを興味深そうに眺めている。初めてのことに、胸の辺りが、波打つようにざわめいた。
感情が、高ぶらない。それどころか、穏やかに凪いでいる。自分と相性がいい人間なのだと、すぐに分かった。
でも、この女が、オレを受け入れるとは限らない。昔の経験が、背中に冷水を浴びせるように、抱きかけた希望を消そうとしてくる。店員の説明を聞いて、女が驚いたように声を上げるのを、居心地悪く思いながら目をそらした。
不安と諦めに耐えるように、唇を噛む。そのとき、店の中にはっきりとした声が響いた。
「私が、この子の持ち主になります」
恐る恐る顔を上げる。手続きをして、荷物をまとめてから、女は床に膝をついた。汚れる心配なんてしていないような、自然な動作だった。
「ふつつか者ですが、今日からよろしくね。蓮」
オレと正面から視線を合わせて、女は片手を差し出してくる。オレを認めて、受け入れてくれた人間なんて初めてで、どうしたらいいか分からない。でも、心が温かくなるような笑みで、オレを待っている。
それに応えなければと思って、オレは手を伸ばした。傷つけないように注意を払って、女の指先をそっと握る。ほっそりした指は簡単に折れそうで、オレは知らないうちに息を殺していた。
***
こいつの家に来てからも、オレはしばらく部屋の隅にいた。膝を抱えて座っているオレに、こいつはこまめに声をかけてくる。
「このアーティストさん、私のお気に入りなんだ。蓮も気に入ってくれた?」
CDコンポから流れてくる、J-POPやロックやラップ。最初は曲名が分からなかったが、こいつがほのかに熱を込めて、曲名や好きな歌詞を教えてくれた。
「すみっこ好きと音楽好き同士、気が合いそうだよね。あと可愛い」
そっと隣に置かれた、薄い緑色のぬいぐるみ。丸い鳥の形で、白い腹をしたそいつは、ふかふかと柔らかい。小さな目のシンプルな顔を見ていると、不思議な気持ちになる。
「蓮、ごはんだよ」
ちょうどいい温度に温められたミルクと、オレの好きな桃の香り玉。マグカップに注がれたミルクを飲むとき、こいつは楽しそうに眺めてくることが多い。オレが飲むところなんて何も面白くないと思うが、こいつが嬉しそうなのは、悪い気はしない。
「蓮はほんとにいい匂いだねー……」
しおれたような顔つきで帰ってきて、オレを抱きしめ、大きく息を吸い込む。ポプリドールであるオレは、体から桃の香りを放つ特徴がある。その香りを嗅がれている間、オレはされるがままになっていた。くすぐったいが、疲れたときのこいつには癒しになるらしいから、仕方ない。
こいつは、暖かな心の交流の仕方を探るみたいに、オレに接する。そうされると、自分が獣ではなく、普通のプランツドールらしくなれた気がした。実際に、こいつと会ってから、あの火花を一度も見ていない。
こいつといると、落ち着く。
料理をしたり洗濯物を干したりする後ろ姿に、ついて歩きながら、そう思う。いつしかオレは、部屋の隅じゃなくて、こいつの側にいたいと思うようになっていた。
香り玉を口の中で転がしながら、食器を洗っているこいつに近づく。手を伸ばしたのは、香り玉が詰まっている瓶。蓋を開けて、透きとおった桃色のそれを1粒取り出す。
自分の好きなものを、オレに教えてくれるこいつに、オレの好きなものを返したいと思った。
「くれるの? ありがとう。優しいね」
袖を軽く引っ張ってから、こいつの手のひらに香り玉を転がすと、ふわりと微笑まれた。愛おしいものでも見るような目で見つめられて、頬が少し熱くなる。目を逸らしたとき、ふわりと甘い桃の香りが漂った。
こいつがさっそく、香り玉を口にしたらしい。香り玉はドールだけでなく、香り玉を食べた人間も香りを放つようにできる。こいつから、オレと同じ香りがするのは、なぜだか心が満たされる気がした。
ただ、オレと同じ香りのはずなのに。こいつから漂う香りは、とびきり優しく、とびきり甘く、オレをさりげなく包んでくれた。