強さの理由とオルゴール
純潔。初恋。あなたにふさわしい人。
そんな花言葉を持つモッコウバラが、壁を彩るお店で、私は彼と出会った。
中華服を着たもの。ヨーロッパの貴族のような衣装を着たもの。様々な少年の人形が並ぶ中で、一際私の目を引くドールが1人。
大きさは他のものより、ひと回り大きい。白い着物に黒の袴。ちりめんの鼻緒がついた下駄を履いた、和装のドール。まとう常磐色の羽織は、鶴と亀が描かれた豪華なもの。
後ろを刈り上げている、ふわふわとした黒髪は、夜よりも濃い色をしていた。何よりも惹きつけられたのは、その目だ。穏やかそうに目尻が垂れた目は、わずかに青みがかった、鮮やかな緑。深みのある色合いは、繊細な輝きを持つエメラルドを思わせた。
「いらっしゃい。気になるドールでも見つかった?」
「あ、はい。この子、綺麗な目の色ですね」
「え?」
深く考えずに、思った通りのことを口にする。すると話しかけてきた店員の少女が、驚いたように目を丸くした。彼女の耳についたボタン型のピアスが、光を弾く。私とドールを交互に見て、少女は何かを察したように微笑んだ。
「その子、あなたのことを、持ち主に選んだみたい」
「私を……?」
「聞いたことない? プランツドールは眠りながら、持ち主に会えるのを待ってるって」
そう言えば、調べたときにそんな文章を見た気がする。改めてドールを見つめると、垂れた目がふわんと細められた。
「その子は条。最近うちの店に来たばかりなの」
条と呼ばれたドールが椅子から降り、私の服の袖をきゅっと掴んで見上げてくる。ほわほわと相手を癒すような笑顔に、胸の奥をぎゅっと掴まれた気がした。
プランツドール。
1日3回のミルクと、週に1回の砂糖菓子。そして持ち主から得られる愛情で、生きる人形。
途方もなく高価で、この世のものとは思われぬほど美しい。その極上の笑顔に魅せられ、身上をつぶした人も少なくないという。
怖いけど、それほど美しいって、どんな人形なんだろう。気になって見に来た結果、まさか私が持ち主に選ばれるなんて思わなかった。
「え、ええと……」
どうしよう、と迷いながら彼を見下ろす。私がおろおろしているのを察したのか、だんだん彼の眉が下がっていった。さみしそうに小さく笑う彼を見てると、罪悪感でいたたまれなくなる。そんな、雨に打たれた子犬みたいな目で見ないでぇ……。
オレは君に買ってもらいたいけど、君がダメなら、仕方ないよねぇ……。そんな声が聞こえてきそうな顔だった。
「……か、買います……」
断る理由が見つからず、覚悟を決める。分割払いの手続きをし、ミルクや服など、ドールに必要なものをそろえた。砂糖菓子は思っていた以上に種類が豊富で、棚に整然と並ぶそれらを、迷いながら眺める。
「君はどれがいい?」
隣にいる条に声をかけると、彼は迷いなく指をさした。それはラムネ味の砂糖菓子で、透明な水色のガラス瓶に詰められている。よっぽど好きなんだろうな、と思いながら、涼しげな見た目のそれを手に取った。
会計を済ませ、からんころんと下駄を鳴らしながらゆっくり歩く彼を、腕に抱える。リラックスしたように大人しくしている彼を見ていると、自分が面倒を見るという責任感が湧いてきた。
***
大きめのマグカップに、人肌くらいに温めたミルクを、なみなみと注ぐ。こぼさないように気をつけて条の前に置くと、条が嬉しそうに顔を綻ばせた。
「はい、召し上がれ」
小皿に乗せた砂糖菓子も、一緒に置く。条はカップを両手で持って、こきゅこきゅと小さく喉を鳴らしながら飲んでいた。飲み終えた後は、頬をうっすら上気させて、満足そうに息をつく。幸せそうな、とろりとした笑顔。
お風呂上がりに、フルーツ牛乳を飲み干した子みたいだ。彼のこの表情を見るのは、癒しの1つになりつつある。
「条はよく飲むね。いっぱいお食べ」
かりかりと砂糖菓子を食べ始めた、彼の頭をぽんぽんと撫でる。もふもふ、ふわふわの髪の感触が心地いい。
条はけっこう飲み食いする量が多く、ミルクや砂糖菓子の消費量はお察しの通り。自分が勤勉かつ、良い結果を出せているタイプでよかったと、心から思う。
自分も食事を終えて、食器を片づける。キッチンからリビング兼寝室に戻ると、条が棚の方を、興味を持ったように眺めていた。
棚に並んでいるのは、透明な球体や半円形の入れ物に閉じ込められた、金色の機械。可愛らしい花が描かれた小箱。クリスタルストーンがついた卵形のもの。縦長の時計を模したもの。糸車の形をした、木製のアンティーク風のもの。
私の大切な、オルゴールコレクションだ。
「これはオルゴールっていう、音が出る機械なんだよ。聞いてみる?」
そう話しかけながら、透明な球体のものを手に取った。ネジをそっと回すと、シリンダーが回り始める。シリンダーについたピンが櫛歯を弾き、澄んだ音色が流れ出した。
「……!」
ぱぁ、と条の表情が明るくなる。目がきらきらと、クリスタルガラスのように輝いて。私の手のひらにあるオルゴールを、穴があきそうなほど熱心に見つめていた。そっと彼の手に置いてあげると、条は少しうろたえてから、両手で包むようにオルゴールを持つ。
「気に入った?」
壊れやすいものや、小さな命を扱うような彼の手つきに、微笑みながら問いかける。すると彼はこくんと頷いた。機械が動くのが面白いのか。音色が気に入ったのか。それとも両方か。楽しそうに見入っている。
音が止まり、条が残念そうに眉を下げる。「ここを回すんだよ」とネジを指さすと、素直に小さな手でネジをつまみ、そろそろと回した。
ぽろん。ぽろろん。再び可憐な音色が流れ出し、条が私を見上げてにこっと笑う。私もつられて嬉しくなりながら、2人でオルゴールが奏でるメロディに、耳を傾けていた。