受容と献身、あなたと生きるために必要なもの
水族館。植物園。商店街。お休みかつ余裕がある日は、蓮とお出かけすることが増えた。
訪れた場所で手に入れた物は、お菓子の缶に大事にしまっている。海の生き物や花が描かれたチケット。駄菓子屋さんのおもちゃコーナーで買ったビー玉。ガチャガチャで当てた飴のマスコット。蓮は缶のふたを開けては、細々したものをじーっと眺めていた。クールな表情だけど、頬が淡く色づいている。
「蓮、今日はどこに行こうか」
出かける支度をして、パーカーを被った蓮を抱える。私に任せるように、体を預けてくる蓮からは、私への信頼が伝わってきた。それが嬉しくて愛しくて、彼を柔らかい力加減でぎゅっと抱きしめる。
履きなれたスニーカーを履いて、私はとんっと外へ踏み出した。
***
それがどうしてこうなった。
目の前にはガラの悪そうな男の人が3人。帰り道で声をかけられ、そのまま道を塞がれてしまった。
「よう姉ちゃん。いいもん持ってんな」
「抱えてるそれ、プランツドールだろ」
「だ、だったら何ですか」
「それ寄越せよ。プランツドールってのは金持ちが持つもんだろ? 売っぱらえば、いい小遣いになりそうだ」
「オレたち金無くて困ってんだよー。人助けだと思ってさ。な?」
ニヤニヤと悪巧みをするような、嫌な笑い方で、男の人たちがにじり寄ってくる。私は蓮をしっかり抱え、Uターンして駆け出した。
「待ちやがれ!」
後ろから響く怒鳴り声を振り切るように、足を前に動かす。最初はよかったけど、だんだんふくらはぎが重くなって、息が切れてきた。それでも、蓮を抱く腕の力は緩めず、走った。
蓮は絶対、私が守る。
家がバレないように、遠回りの道を選ぶ。路地に飛び込んだとき、ドンッと強く背中を押された。足がもつれ、地面に倒れ込む。うめく間もなく、髪を掴まれた。
「このアマ、手間かけさせやがって!」
「ッ、」
バシッと衝撃が走る。頬が熱く痛み、暴力を振るわれたことに体が震えた。体が芯から冷えていくような恐怖。目に涙が滲むのを、歯を食いしばって堪える。
「さっさと渡してれば、痛い目を見ずに済んだんだぜ?」
囲まれて、逃げ場が無い。声が出ない。
「あと数発殴るか。そうすりゃ大人しくなるだろ」
蓮を守るように抱きしめ、来るであろう痛みに耐えるために目を閉じる。
そのとき、強い力で腕を振りほどかれた。腕の中が空っぽになり、桃の香りが遠ざかる。ハッと目を開けると、蓮が男たちに向かっていくのが見えた。
「蓮!」
手を伸ばした先で、バチンと火花が散る。次の瞬間、蓮が男を殴り飛ばした。
「ガハッ!」
あんな細くて軽い体のどこに、そんな力が。小さな獣のように素早く、蓮が蹴りや拳を繰り出す。あっという間に男たちがのされてしまった。
私を殴った男に、蓮が馬乗りになる。ドカッ、ボコッと鈍い音を立てて、蓮が拳を振るう。何度も、何度も。男はもう、血を流して気絶してるのに。
「……れ、蓮……」
だめだ。あれ以上はだめだ。彼に一線を越えさせるな。動け、動け!
震える体にムチ打つように、よろよろと立ち上がる。足を無理やり動かして、彼に駆け寄り、私は腕を伸ばした。後ろから彼を抱きしめ、男から引きはがす。
「蓮、蓮! もうだめ! オーバーキルはだめ!」
暴れる蓮を押さえようと力を込める。すると腕に鋭い痛みが走った。
「い゛っ、〜〜〜〜ッ!!」
蓮が私の腕に、がぶっと噛み付いたのだ。彼の歯は丸くて小さいけど、けっこうきつく歯を食い込ませてくる。痛い。めっちゃ痛い。泣きそう。もう涙目。
「れ、蓮……!」
初めて彼に会ったときに、聞いたことを思い出す。相性が悪い人たちを叩きのめして、自己嫌悪で枯れかけてしまった過去。それくらい嫌な面を、私を守るために、出させてしまった。
私が、連れ出したから。彼をこんな状態にしてしまった。
「蓮、ごめん、ごめんね」
「もう大丈夫。もう怖くないよ」
「私たちを傷つけようとする人は、もういないよ。大丈夫だから」
「大丈夫」
「怖くない。怖くないよ」
痛みごと、彼を抱きしめる。落ち着かせるように、さらさらの髪を何度も撫でて、小さな耳にささやきかける。
どれくらいの時間が経ったかは、分からない。そうしているうちに、気づけば歯の力が緩んでいった。腕の中の蓮がすっかり大人しくなり、私は彼を抱きしめたまま、数秒くらいぼうっとしていた。
「蓮、落ち着いた……?」
彼の体をこっちに向けさせる。蓮の顔を見たとき、私は息を呑んだ。蓮は真っ青な顔で目を見開いて、私を見つめていた。取り返しのつかない過ちを犯したように。
「……ッ、……ッ」
「……蓮」
口をパクパクと動かし、蓮がうつむいてうずくまろうとする。その両肩に手を添えて、私は彼の名前を呼んだ。
「蓮、こっち見て」
「……」
パーカーのフードを深く被り、フードを両手で押さえる蓮。その様子が痛々しくて、私は胸が潰れそうになる。
「ごめん。私が不用意に連れ出したから、蓮に嫌な思いをさせた」
蓮がぶんぶんと首を横に振る。そんな彼に甘えないように、私は彼を真正面から見つめた。伝えなきゃいけないことは、もう1つある。
「本当にごめんなさい。それから、守ってくれて、ありがとう」
蓮が顔を上げ、呆然としたように私の目を見る。それから、辛そうに眉を寄せて、私の頬と腕を指先で撫でた。ふれるかふれないか、ギリギリの力で、そうっと。私が殴られた場所と、噛まれた場所だ。
――……オレのこと、まだ側に置いてくれんのか。
「……え」
今の、もしかして蓮の声? ふれた場所から熱が伝わるように、頭の中で声が響いた。怯えているような、それを必死に隠しているような、硬い声。
「当たり前だよ」
彼の不安を取り払いたい。その想いが、はっきりした声になった。
「私はあなたの持ち主で、家族なんだから。病める時も健やかなる時も、側にいるよ」
グレーの目が揺れて、きらきらした雫が溜まる。ぽすりと頭を押し付けてくる彼を、私はぎゅっと抱きしめた。ここが世界で一番安心できると、彼が思えるように。
優しい桃の香りが、私たちをやわらかく包み込んでいた。