渾身のディベルティメント!
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
街路樹のイチョウが、緑から黄色に衣替えをした頃。私はいつもの噴水の前で、ギターを弾きながら好きなバンドの曲を歌っていた。
歌うのは好きだ。歌っている間は、悲しいことも辛いことも、寂しいことも全部忘れられる。灰色の雲の切れ間から、光が差し込むように気分が上がる。空が晴れていくみたいに、楽しくなる。
あなたに逢いたい。
そんな想いを強く込めて、でも感情任せにならないように。ただ1人を思い浮かべながら、声を丁寧にメロディに乗せていく。
聞いてくれる人や、体を揺らしてリズムに乗ってくれる人がいる。そのことが嬉しくて、もっともっと上手く歌いたくなる。周りの反応を見つつ、ギターを爪弾いていると、スポーツ用のジャージを着た男の子が目に入った。
短い黒髪。リゾート地の海みたいな目。他の人より頭一つ分くらい飛び出た、高い背丈。
一瞬、歌と手が止まりそうになった。
――やっと、会えた。
「『あなたに』、聞いてくださってありがとうございました!」
拍手をしてくれた人たちに、ぺこりと深く頭を下げる。顔を上げると、大きな背中が人混みの方へ歩き出していた。ギターをケースに入れることさえ頭からすっぽ抜けて、私は駆け出していた。
「まっ、待って!」
無我夢中で両手を伸ばし、彼の腕を捕まえる。見上げれば、驚いたように目を見開いて、私をまじまじと見下ろす彼がいた。初めて見るその表情が珍しく、そのまま数秒間見つめ合う形になる。
「…………何か用か?」
「えっ? あ、その。……あっ! 聞きたいことがありました!」
「……聞きたいこと?」
山崎くんが顔を曇らせる。まるで質問をされたくないような、できれば拒絶したいような表情だった。引き下がりそうになる気持ちを押さえ、私は彼の目をしっかり見つめ返す。
「リンって子のこと」
「……凛?」
「山崎くん、前に、私とその子が似てるって言ってたでしょ」
「……ああ」
そう言えば話したな、と思い出すような声で、山崎くんが呟く。忘れかけてたんかい、とツッコミたくなる気持ちに蓋をした。今はそんなことしてる場合じゃない。
「私、寂しかった」
「……?」
「それって、私自身のことは、あんまり見てないってことじゃないの?」
「……何が言いてえんだ?」
「や、山崎くんは分からないかもしれないけど。他の女の子と比べられて、良い気分にはならないよ」
「………………ん?」
その時、山崎くんの頭の上に、クエスチョンマークが3つくらい浮かんだように見えた。真剣な話をしてるのに、とぼけられたように見えて、私は頬をふくらませる。
「……他の女??」
「リンって名前の女の子! 山崎くんが話してたんじゃん!」
3秒くらい山崎くんは固まり、ふいと顔を背けた。よく見ると両肩がふるふる震えていて、私は首を傾げる。やがて耐えきれないように、「ぶふっ」と小さく吹き出す音が聞こえた。
「何で笑ってるの! 真剣な話なのに! 女の子と、他の女の子を比べるのは失礼なことなんだよ! 女の子に限らないけど!」
「わ、悪い……くくっ」
ぽかすかと彼の厚い胸板を叩くと、彼は口元を手で押さえながら、笑いを噛み殺す。よく見ると目の縁に涙がにじみ始めていた。ここまで笑うのを見るのも初めてだ。
「……ふ、くっ、言われてみればそうか。すっかり忘れてた」
「?」
「言っとくが、凛は男だ」
「…………ウソだぁ!?」
「何で嘘つく必要があるんだよ」
「リンって名前の男の子なんて会ったことない!」
「俺は会ってるんだが。……場所移すか。ちゃんと話す」
気がつけば、好奇心を隠せない他所の人たちの視線にさらされていた。慌ててギターをケースにしまい、2人でその場から退散する。途中にあった自販機で、山崎くんは飲み物をおごってくれた。
「あ、ありがとう。お金返すよ」
「いや、いい。……何か勘違いさせちまったからな」
「笑わないでよ〜……」
フルーツティーを私に差し出しながら、山崎くんはコーラを買う。聞いてみると、コーラが好きなのだと言う。
「凛は地元のダチだ。同じスイミングクラブに通ってて、よく勝負してた」
静かな公園の東屋で、山崎くんが語る。親友であり、ライバルである凛くんのことを。
「凛は世界を目指してる。だから俺も、あいつと世界で戦いたいと思ってた」
「水泳大会にお前を誘ったのは、夢を追う者同士のお前に、改めて世界を目指す意思表示をしたかったからだ」
「自分らしくねぇのは分かってるけどな」と付け加えながら、山崎くんは笑う。さっきまでの堪えるような笑い方じゃなくて、大切なものを置いていくようなほろ苦い笑み。その表情と彼の言葉が、なぜか引っかかる。
「……思ってた、って……?」
「混乱させて悪かったな。じゃあな」
話を切り上げるように立ち上がる。その姿が、元気が無いように見えて。ここで別れたら、もう会えないようで。私は思わず彼の袖を掴んでいた。
「……どうした?」
「き、気分転換しに行かない?!」
***
大きな木が中央にある通路は、水槽に囲まれているため、川の中にいるような気分になれる。初めて会った時みたいに、私のギターケースの肩紐を掴みながら、山崎くんはきょろきょろと辺りを見回していた。
「……水族館?」
「私のお気に入りスポットの1つだよ」
東京はいろんな水族館があるから、お休みの日はよく行っている。いつか全国の水族館を巡ってみたいな。神奈川とか大阪とか、青森とか沖縄とか。
「見てごらん山崎くん、マイワシの群れだよ」
「美味そうだな」
「捕食者の目で見るのやめて〜」
「ツミレや梅煮にすると美味い」
「ホントやめてよお腹すいちゃう」
いつもの真面目な顔で、山崎くんが調理方法を話してくるものだから、私は笑いながらツッコミを入れる。意外と料理できるのかな。健康管理も自分でしてそう。
「……すげぇな」
アザラシやたくさんの魚たちが泳いでいるトンネル水槽は、海の中を散歩しているようで、気持ちが安らぐ。私が憧れる海の世界。そっと隣を見ると、山崎くんも夢中になっているように、魚を見上げていた。
「そういや、お前、歌い方少し変えたか?」
「え?」
「真に迫ってる感じがした」
「そ、そうかなぁ。そう言ってもらえると嬉しいな」
山崎くんって洞察力が高いなぁ。まさか、君のことを考えながら歌ってました、なんて言えない。照れ笑いでごまかしながら、私はパンフレットを指さした。
「あ、『海の宝石箱』のコーナーもおすすめだよ」
「……イクラや刺身でもあるのか?」
「海鮮丼じゃなくて、キレイなサンゴ礁の世界が見られるんだ。山崎くんは、気になるコーナーある?」
「……この『シャークホール』ってやつ」
「いいね。ゆっくり見よっか」
薄い影に包まれた青い世界を、2人で回る。山崎くんの表情が、さっきより少し明るくなっていることに、私はホッとした。
「山崎くんは、よく行く場所とかある?」
「……プールとジム。あとスポーツショップ」
「お休みの日に遊んだりしないの?」
「ああ。……ずっと水泳一色だったからな。こういうのは久しぶりだ」
めちゃくちゃストイックだ。彼のことをもっと知りたいな。そう思いながら、私は口を開く。
「山崎くんの趣味は何?」
「……トレーニングだな。あと、寝ること」
「ストイックとマイペースの共存だねぇ」
「お前は?」
「私? カラオケと、水族館巡り。海の生き物の図鑑読むのも好きだよ。最近ハマってるのは読書」
周りのお客さんの迷惑にならないように、小声で会話をする。いつもより、距離が縮まっていること。それと、大好きな場所に山崎くんと来られていることが、嬉しい。私の肩辺りにある、山崎くんの大きな手が、ふと視界に入る。
――手、繋いでみたいなぁ。
ちょくちょく見かける、カップルらしい男女のペアに視線を移しながら、ぼんやり考えた。山崎くんの手って大きくて、何だか温かそうなイメージがある。私たちも周りから見たら、恋人同士に見えたりしちゃうのかな。なんちゃって。えへへ。
「ニコニコしてどうした?」
「なっ、何でもないよ! あ、『シャークホール』もうすぐだって!」