出会いのオーバーチュア!
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広い空を塞いで、立ち並ぶビル。
魚の大群みたいに行き交う人々。
1人きりで飛び込んだ東京で、俺は顔をしかめて、たたずんでいた。スポーツショップのロゴが入った、袋の持ち手をぎゅっと握る。
「……ここは……どこだ……」
東京は道が多いし、人もごちゃごちゃいて分かりにくい。ただでさえ道を覚えるのは苦手なのに。でも自分が買いたい物のために、人を使うのは気が引けた。
ため息をついて歩き出す。立ち止まったままでいるよりは、少しでも前に進んだ方がいい。そう考えていたとき、1つの音が耳に届いた。
柔らかで軽快なギターの音色につられ、引き寄せられるようにつま先を向ける。既に数人集まっていたその場所には、さわさわと涼し気な音を立てる噴水がある。
その前に立って、アコースティックギターを弾いている女がいた。
歳は俺と同じくらいだろうか。路上ライブなんて初めて見た。地元の佐野町と東京の違いを改めて実感していると、女が歌い出す。
朗らかでよく通る、すっと吹き抜ける風みたいな声。それでいて、不思議と足を止めたくなる声。
俺の記憶が確かなら、そいつが歌っていたのは、最近流行りのシンガーソングライターの歌だ。テレビで流れていたのを、ちらっと聞いたことがある。でも歌詞までは知らなかったから、耳をすませて言葉を追う。
連想したのは、夢を叶えるために、オーストラリアに行った凛の姿だった。
凛のことだから、心配はしていない。あいつがいつか世界の舞台に立つことを、俺は信じてる。そんな感情が、歌詞を通して繋がっていく。
歌が終わり、ギターの音が止まった。代わりにぱちぱちとさざ波みたいな拍手が聞こえ、白昼夢から覚めたようにハッとする。
「聞いてくださってありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げた女が、顔を上げて、にこっと明るく笑う。人が離れ、そいつが片付けを始めた辺りで、俺は近づいていた。
「なあ」
「?」
きょとんと見上げてくる目が、俺を見つけてキラリと光る。そわそわと言葉を待っているようなそいつに、俺は問いかけた。
「……さっきの歌、何て題名なんだ?」
「『フローライト』だよ! 聞いたことある?」
「テレビで少し」
「そっかぁ。よかったら本家さんの方も聞いてみてね。ミュージックビデオもぜひ見てほしいな」
「……考えとく」
ギターケースを背負って立ち上がりながら、そいつは笑う。よっぽどその曲が好きなのだろう。
「あと、もう1ついいか」
「うん。なになに?」
「鯨津高校って、どっちに行けばいいんだ」
「……その高校って、ここと反対側だよ? 案内するよ」
「人が多いから、ここ掴んでて」と言われるままに、ギターケースの肩紐を掴む。慣れたように人混みの隙間をすり抜けて、進んでいく細い背中についていく。
「東京は初めて?」
「今年の3月に来たばっかだ」
「鯨津高校って、水泳強豪校だよね。君は水泳やる人?」
「ああ」
「水泳強豪校に入るために上京するって、すごい決断だね」
「オリンピック目指すなら、これくらい普通だ」
「オリンピック!? かっこいい!」
こっちを振り返る目が、驚きと尊敬に満ちているような光を持つ。真っ直ぐな感情に皮膚がむずむずしてきて、俺はふいと目を逸らした。
「……お前は?」
「?」
「俺ばっかり話すのはフェアじゃねえだろ」
「え〜。君の大きい目標を聞いた後だと、ちょっと恥ずかしいなぁ……」
「言え」
「わぁ意外と強引。……海がある所に住みたいな」
「海?」
「うん。小さい頃から憧れなんだ」
「小せえ夢だな」
「なにおぅ」
ガキっぽく、むくれたのは数秒くらいで、すぐにそいつは明るい表情に戻る。隣に並んでその横顔を見ていると、そいつはまた口を開いた。
「私、生まれも育ちも東京だし、海って行ったことなくて。小さい頃、お父さんたちが連れてってくれた水族館が、初めて見た海の世界だったんだ」
頬がほんのり桃色に染まり、綺麗な夢を見るように、目が細められる。さっきまでとはまた違う、憧れや淡い想いを含んだような光が、その目の中に灯った気がした。まるで恋でもしているような表情に、心臓が妙な動きを始める。
「シンガーソングライターになって有名になって、海がある町に家を建てて、そこでのんびり暮らしたい! それが私の夢!」
「シンガーソングライターはおまけか」
「私、歌も好きだから」
歌っているとき、夢を語るとき。そいつの目は星みたいに輝いている。水泳でオリンピックの選手になるという夢を、追いかけている凛の目に、よく似ていた。それから、「一緒にリレーをやりたいヤツを見つけた」と俺に言ったときの目にも。
「そうだ、君の地元ってどんなとこ?」
「田舎の港町」
「ええ! いいなあ! 行ってみたい!」
「新幹線とか使って5時間半くらいだな」
初対面のヤツと、ここまで話が続くとは思わなかった。話しながら歩いているうちに、ようやく見慣れた道にたどり着く。少し離れた場所には寮の建物が見えた。ここからなら、迷わずに行けそうだ。
「ここまででいい。助かった」
「どういたしまして!」
ギターケースから手を離す。ほんの少しだけ、胸の辺りを何かがかすめた気がした。ギターケースに、もう一度手を伸ばしたくなるような。もう少し、話をしてもよかったような。
いや、そんな暇は無い。戻ったらまた自主練をしなければ。一分一秒を惜しんで練習しなければ、世界には到底届かない。それに、こいつにだって、他人にいつまでも付き合う義理はない。
そう思ったのに。
「私、星海 詩。君は?」
「……山崎 宗介」
「山崎くん。よかったら、また聞きに来てね!」
「……気が向いたらな」
笑顔で手を振る星海を、立ち止まって見送る自分がいた。
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