旅は道連れ世は情け、歌いながら行きましょう。
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ロシナンテがローの珀鉛病を治すために、あちこちの病院を回り始めた頃。
街を歩く中で、何かに気を取られたように、ローが立ち止まる。ロシナンテが彼の視線の先を辿ると、噴水の前に人だかりができていて、そこから朗らかな音楽が流れていた。
2人で引き寄せられるように近づく。ロシナンテが後方から覗き込むと、そこには1人の女の人がいた。弦楽器を弾きながら、明るい声で楽しそうに歌っている。
ローの頭の中に、のどかな農場の風景が形作られる。昔、妹のラミに読み聞かせた絵本に出てくるような、緑があふれる光景。牛や豚やニワトリが仲良く暮らしていて、畑には野菜が、木には赤いリンゴが豊かに実る。青いルピナスが咲き誇り、その上をミツバチが飛び回る。
そこに行けば、誰でも迎え入れてくれるような、素朴で温かな想いを感じる歌だった。長く聞いていなかったその言葉に胸がつまって、ローは俯いて帽子を深く被り、唇をグッと噛む。
「『リトル・パッチ・オブ・ヘブン』、聞いてくださってありがとうございました!」
歌が終わり、パチパチと大きな拍手が響いた。女性はにっこり笑って、ぺこりと頭を下げる。その姿を見て、ロシナンテはようやく口を開き、ぽつりと呟いた。
「……オルテンシア、さん……?」
6年前にステージで歌っていた彼女は、泉の中央に咲く白い蓮の花のように、高潔で清廉な雰囲気を漂わせていた。娼館にいながら、人間の男が気安く触れてはならないような、そんな存在だった。
しかし、今目の前にいる彼女からは、あの時の近寄り難さが無くなっていた。親しみやすくて、穏やかな雰囲気が彼女を包んでいる。ただ、絹のような肌や、ふわりと波打つ淡い褐色の髪は変わっていない。
箱の中に小銭や紙幣が投げ込まれていく。中には子どもが入れたらしい、花やガラス玉もあった。
「……オルテンシアさん、ですよね?」
財布から1枚取り出した紙幣を、箱に滑り込ませてから、ロシナンテが問いかける。彼女はきょとんと目を丸くしてから、ふわりと花がほころぶように笑った。
「ロシナンテ? 久しぶり。雰囲気変わったね」
「……コラソン、知り合いなのか?」
「ああ。昔に会ったんだ」
「改めてこんにちは。私、音楽家のキャロル。オルテンシアはお店にいる間だけ使ってた名前。こっちは相棒のオリバー」
オリバーと呼ばれたのは、オレンジ色の毛並みの子猫だった。みゃあと一声鳴きながら、ローの方へと人懐こく寄っていく。少したじろいだ様子のローを気にせず、彼の足に前足を置いて見上げていた。
「抱っこしてみる?」
「……」
無言でこくりと頷き、ローは恐る恐るオリバーを抱き上げる。オリバーは帽子の下にあるローの顔に鼻を寄せ、ふんふんと匂いをかいでから、頬をペロリとなめた。
「わっ、……う、こら。やめろ。くすぐったいって。……へへっ」
キャロルやロシナンテからは、深く被った帽子のせいで、顔が見えない。でも、ローが小さく、子どもらしい無邪気な笑い声をあげたのが聞こえて、2人は顔を見合せて頬を緩めた。
「動物好きなんだね」
「! ……べ、別に」
ふいとそっぽを向くローを、キャロルはほのぼのとした表情で眺める。
オリバーはとある町の道端にて、タダ同然の値段で売れ残っていたオスの子猫だった。彼の独りぼっちで寂しそうな目が気になってしまい、ちょうど1人きりの生活に退屈していたこともあって、最後まで世話をする覚悟を決めたのがきっかけだ。
「2人はどうしてここに? 知り合い同士で旅行……ではなさそうだけど」
「……おれたちは……」
「えーと、そ、そういうオル……じゃなかった。キャロルさんは何でここに?」
「私は音楽活動の旅だよ」
暗い声で言い淀むローと、どこか慌てたように目を泳がせるロシナンテ。これは訳ありのようだとキャロルは察した。
「ところでロシナンテ、今話をはぐらかさなかった?」
「エッ、いやそんなことは」
「私の目を見て言ってごらん」
「う……」
迷ってますと言わんばかりに汗をかきながら、眉間に皺を寄せて目を閉じるロシナンテ。あまりにも正直な表情を見上げながら、何でこいつ今まで海賊団に潜入できてたんだとローは思う。
結局、押しに負けてロシナンテは白状した。
自分たちがドンキホーテ海賊団にいたこと。
ローがとある病気にかかっており、治せる医者を探していること。
そのために、今は海賊団から離れていること。
「おれが海軍の人間だってことは、ローには言わないでください」
耳元でひそりと、真剣な声で囁かれた言葉に、キャロルは小さく頷いて見せた。
「よかったら、私も同行していい? ここで会えたのも何かの縁だし。看病の経験はあるから、足でまといにはならないよ」
「えっ、本当ですか!?」
「なっ……!?」
今後の展開を知っているからではなく、純粋に2人を放っておけなくなったキャロルがそう提案する。ロシナンテは驚きつつもどこか嬉しそうな感情を見せ、ローはオリバーを抱えたまま帽子の下で目を見開いた。
彼女が自分たちと来るということは、オリバーも一緒だということだ。腕の中にある、小さくて温かくてふわふわの命に気持ちが揺れる。しかし、それと同じくらいに、ローの中には疑惑の感情が生まれていた。
今は優しい顔をしていても、自分が何の病気か知れば、顔をゆがめて「化け物」と罵ってくるんじゃないか。
後で手のひらを返されるくらいなら、今追い払ってしまった方が、お互いのためなんじゃないか。
そう思ったローは、鋭い目つきになり、自分の帽子に手をかけていた。
***
「おれはあの"珀鉛病"なんだぞ!? それでも一緒に行動するなんて言えるのか!?」
帽子をむしるように取り、白いまだら模様がある顔を晒したローに対して、私は表情を変えなかった。たじろがず、冷静な態度で、彼の目を真っ直ぐ見つめ返す。
「ちょっと失礼」
目線を合わせるようにかがみ込み、私は温かな手のひらで、ふわりとローの白い頬に触れた。ぎょっとした反応を見せるローを気にせず、軽く撫でた後に手を離す。
「怖くないよ。そもそも珀鉛病が伝染病だって言うなら、ロシナンテにもうつっていないとおかしいでしょう?」
私の言葉に、ロシナンテがハッと目を見開く。彼がこれまで訪ねてきた医者たちが、しなかった反応だからだろう。
私は知っている。珀鉛病は伝染病じゃなく、中毒症状であり公害であること。世間に知られていないフレバンスの真実。
「"白い町"、フレバンス王国。昔行ったことがあるの。幻想的で美しい場所だった」
あれは26歳の頃だったか。ギリシャの白い町を北欧版にしたような、"童話の雪国"の例えにふさわしい国。白一色だと物足りないかと思ったけれど、植えられた植物の緑と空の青さが映えていて、感動した記憶がある。
「フレバンスは、地層から珀鉛が採取されるのよね。それを使って食器や塗料、甘味料に武器、色々なものが作られていた。化粧品も、その中の1つ」
たとえ政府に情報が隠されていたとしても、ちゃんと知識を踏まえて考えれば、見えてくるものがある。無知は罪だ。数ある例を照らし合わせて、分析して、整理すれば、未知に対する不安はかき消せる。
「……でもね、鉛から作られる顔料のおしろいで、女性や乳児が亡くなった例があるのよ」
思い出すのは、前世で読んだ物語に書かれていた内容。中華風帝国が舞台で、薬師として働いていた少女が、後宮で謎を解く物語。原作は小説で、私が主に読んだのは漫画版だった。
「君は悪くない。すぐには信じられないだろうけど、私が君を拒絶しないことは覚えてほしい」
***
「それで、君たちこの後どうするつもりだったの?」
「え? この辺の宿は取れないから、野宿するつもりでしたが……」
「は? 子どもを野に寝かせるなんて、私が許しませんが?」
ロシナンテが爆破した病院から離れた町に移動し、まずは宿を取った。ローの顔は肌に優しいファンデーションを使って、血色がよく見えるように仕上げたので、初見で警戒されることは無い。
身体に残った毒を排出するなら、食生活の改善が大事だ。でも、微量な毒が人体に溜まり続けた結果、ローのように、大人になる前に亡くなる世代が生まれている。
そんな状態で食生活を見直しても、今さらだろう。排出が間に合わずに、彼の寿命が尽きる可能性が高い。できれば今すぐ、珀鉛がどこに溜まっているか探って、手術等で一気に除去したいところだ。
それができないから、ロシナンテもローを連れて、病院を転々としているんだろうけど……。
「ひとまず、今やれるだけのことはやろう」
宿のおかみさんに頼んで台所を借り、もち麦やアワ、ヒエ等の雑穀を柔らかく煮る。それから紅茶をいれて、買ってきた林檎を食べやすい大きさに切った。
ちなみにロシナンテが手伝おうとしてくれたけど、林檎を切ろうとして盛大に指を切ったので、退場してもらった。怪我人が増えるのは避けたい。
繊維質が多いおかゆに、利尿作用があるカフェインを含んだお茶。消化にいい果物。薬師の少女の物語から、得た知識を参考にした。
「……何で、ここまでしてくれるんだよ。おれと関わったって、お前に何も得が無いだろ」
「君は知らないかもしれないけど、大人には子どもを守る権利があるんだよ」
お盆に乗せた食事をテーブルに置くと、ローが小さな声で呟くように問いかける。膝の上にはオリバーがちょこんと丸まっていた。アニマルセラピーが中毒に効くかは分からないけど、少しでも彼の心が癒されればいいな。
「まあ、おせっかいな人に目をつけられたのが、運の尽きということで。召し上がれ」
「……いただきます」
私とロシナンテは、宿で用意してもらった夕飯を頂く。今夜のメニューはミートソースパスタとレタスのサラダ。それとコンソメスープだった。温かいご飯に、ほっと気持ちが落ち着く。
***
「"サイレント"!」
ロシナンテのナギナギの実の能力で、防音壁を作ってもらう。これで外の音は聞こえないし、外からも私たちの声は聞こえなくなった。つまり何をやっても、騒音で怒られることは無い。
ニッケルハルパを弾きながら私は歌う。おもちゃ職人のおじいさんに作られ、妖精によって生命を授けられたあやつり人形の物語に出てくる歌。ひとりで哀しく過ごす夜を、ほのかに照らしてくれる星の歌。
ロシナンテは目を閉じて、しみじみとした表情で聞いてくれる。ローはというと、曇った表情で窓の外を眺めていた。
「……星なんかに祈ったって、何も変わらねえよ」
「……そうだね。祈るだけじゃ、何も変わらない」
彼の過去を思い出し、しんみりした気持ちで同意する。それでも、彼の傷ついた心を少しでも照らせる星になればと、私は言葉を紡いだ。
「でも星に、願いを叶えるための決意表明をすれば。前に進むきっかけになるんじゃないかな」
彼は何も答えなかった。でも、オリバーを撫でながら耳を塞がずに、最後まで歌を聞いてくれた。