旅は道連れ世は情け、歌いながら行きましょう。
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「ようこそ、皆さん。おいでなさい」
ステージに佇む私を、スポットライトが照らし出す。
「厳しい世間、辛いけど。ちょいと陽気にしてあげる」
下から上へ向かうように、スタンドマイクを指先でするりと撫で、ゆっくりと客席に視線を移す。艷めく唇は、魅惑的に映るように。相手の視線を釘付けにするように。
上品にデコルテを見せ、体のラインに沿った青いロングドレスを身にまとい、私は歌声を響かせた。
ここは、酒場兼娼館『スプリングガーデン』。
旅の音楽家である私が、なぜここで働いているかというと、少し前に遡る。
***
「アルバイトしようかなあ」
路上の弾き語りで得たお金を数えながら、私はふと思いついたことを呟いた。この手のチップは、聞いてくれた人たちのお気持ちが反映されるから、安定した収入とはあまり言えない。たくさん入れてもらえる日もあれば、今日みたいに少なめの日もある。
旅費がちょっと心もとないから、ここら辺で短期間でも働いて、お金を貯めようかな。そう考えながら、お金を大切にしまって立ち上がると、1人の女の子が近寄ってきた。
「あっ、あの、あのう……」
黒髪を耳の下で2つに結んだ、大人しそうな子だ。紺色のワンピースにシンプルなエプロンをつけていて、メイドさんみたいに見える。まだ幼さが残る顔立ちと、つるりとした肌から、13歳くらいに見えた。
「さ、さっき広場で歌ってた方ですよね?」
「はい。何かご用?」
「あのっ、私が働いてるお店で、歌ってくれませんか?」
女の子はスズランと名乗った。慎ましやかで可憐で、咲く前のつぼみを思わせる彼女のイメージに、よく似合う名前だった。
「歌う人が最近やめてしまって、代わりの人を見つけなくちゃいけなくて……。お姉さんの歌声、すごくキレイだったので、お客さんや店長も喜んでくれると思ったんです」
おどおどした様子だけれど、一生懸命に話す姿は好感が持てる。30歳になった今でもお姉さんと呼ばれるのは、何だかくすぐったい。真面目で丁寧な子みたいだ。
「ちょうど、働き口を探そうと思っていたところなの。旅費を稼ぐのが目的だから、働く期間は長くないと思う。それでもいいなら、お店に案内してくれる?」
「……! はいっ!」
安心と嬉しさのためか、スズランちゃんの表情が明るくなる。道中お互いの自己紹介をして、たどり着いたのは、綺麗な白塗りの建物だった。看板には花の模様と、『スプリングガーデン』の文字。
「あら、ここ娼館なんだね」
「い、言い出すのが遅れてごめんなさい……」
「私、歌しか自信無いけど大丈夫?」
「だ、大丈夫だと思います。店長も"歌えるなら誰でもいい"って言ってたので、歌以外の仕事は無いはずです」
裏口のドアを開けて入り、えんじ色の絨毯が敷かれた廊下を歩く。掃除が行き届いているらしく、どこも清潔だ。一つだけ彫刻が施されたドアの前で、スズランちゃんは立ち止まり、ノックをする。
「お入り」
「す、スズランです。失礼しますっ」
部屋の中から、威厳を感じさせるような、芯の強そうな声が聞こえた。バラの花が描かれたドアノブを回し、彼女が先に入る。
「あの、店長。お店で歌ってくれる人を連れてきました」
「そうかい。こちらへ呼びな」
「は、はいっ」
スズランちゃんに促されるままに、室内へ足を踏み入れる。花模様のカーペット。壁にかけられた美しい女性たちの絵画。どっしりしたプレジデントデスクの向こうには、1人の老婦人が立っていた。
「あたしはここの店長。ブロッサムさ」
「初めまして。バルカローラ・キャロルと言います」
夜会巻きにした白銀の髪と、そこで揺れる桜の花飾りがついたかんざし。これまで積んできた経験や強かさ、そして誇りが刻まれているような顔。すっきりした黒いドレスを身につけ、毛皮のストールを肩にかけている。赤く染められた唇で細いキセルを咥え、甘い匂いの煙を吐き出しながら、彼女は私を見つめた。頭のてっぺんからつま先まで、値踏みをするように。
「若くないが体を売るわけでもないし、その顔ならいけるだろう。あんた、試しに何か歌ってみな」
「分かりました。リクエストはありますか?」
「そんなもん無いよ。あんたが好きなのを歌いな」
「分かりました」
経歴にこだわらずに、純粋な実力を見極めようとするような態度だ。いいなと思う気持ちと、少しの緊張感を抱えて、私は歌った。不思議の国に迷い込んだ、少女の物語に出てくる歌。たくさんの花たちが出てくる、きらめく昼下がりの歌。軽やかで可愛らしいメロディを紡ぐ間、ブロッサムさんは目を閉じて静かに聞いていた。
「……あんた、どれくらいうちで働くつもりだい?」
「旅の途中なので、お金が貯まるまで働かせていただきたいです」
「そうかい。……スズラン、部屋を案内してやりな。寮に空きがあっただろう」
自分の庭で、見たことがない花を見つけたような。そんな興味深そうな目で、彼女はニヤリと笑う。強さと溌剌さが合わさったような笑顔だった。
「採用だよ。うちで存分に金を稼ぎな」
***
こうして私は、『スプリングガーデン』で働くことになった。決められた時間になったらステージに立って、何曲か歌う。たまにお客さんからのリクエストを聞くこともある。
接客は他の女の子たちが担当しているから、ステージから降りて男の人と言葉を交わすことはほとんど無いけど……。
「え、私を指名?」
呼びに来たスズランちゃんに対して、私は目を丸くした。人気ナンバーワンのカメリアちゃんだけでなく、若くて魅力的な子がたくさんいるのに、わざわざ私を選ぶとは。もの好きな人もいるものだ。
「お話だけでいいそうですけど、嫌でしたらお断りしておきます」
「話すだけなら大丈夫だよ。ありがとう。頑張ります」
思い出すのは、宴のときに、ロジャー船長を含む船員たちの話し相手になったこと。後は酒場のお姉さんたちとお話したことだ。あの時の経験、少しでも役に立つかな。
スズランちゃんの話によると、今夜は海軍の人たちが来てるらしい。指名してくれた人がいるテーブルに行くと、そこには若い青年がいた。
歳はシャンクスたちと同じくらいだろうか。ふわふわした金髪で、赤みがかった三白眼が少し近寄り難い印象を与える。でも大きな体を丸めるようにして、もじもじしている様子は、何だか可愛らしかった。こういう場所には慣れてないのかな。
「ご指名ありがとうございます。オルテンシアです」
お店の皆に合わせて、源氏名は花に関するものにした。ブロッサムさんには「移り気な花なんて、あんたにゃ似合わないね」と言われたけど、響きが綺麗だから気に入っている。
「ど、ドンキホーテ・ロシナンテです」
「初めまして」
よそ行きの微笑みを浮かべながら、私は「あれ?」と心の中で首を傾げた。何だかとても聞いたことのある声だ。明るく陽気なランプの魔人のような。かつてヒロインの家の守り神だった、銅鑼叩きの赤い竜のような。傲慢な性格ゆえに、野獣の姿に変えられた王子のような。
「こういう場所は初めて?」
「は、ハイっ」
「ふふ、そんなに固くならなくていいのよ」
いつもよりお姉さんらしい口調を心がける。お酒を飲みながら話をするうちに、彼のことが少しずつ分かってきた。歳は20歳であることや、今夜は職場の先輩に連れてこられたこと。私の歌を素敵だと思い、話してみたいと思ってくれたこと。歌を褒めてもらえるのは嬉しい。
「あなた、いい声ね。歌うのに興味は無いかしら?」
「ええっ!? おれが!?」
歌を仕事にしている私に、そう言われるとは思っていなかったのか、ロシナンテは慌てる。おたおたと動かした手がグラスに当たり、倒れそうになったそれを咄嗟に支えた。
「いい声って、そんなこと言われたの初めてです……」
「そうなの?」
七色の声で知られる大御所声優さんの声帯を授かってるのに、もったいない。つまり、彼が持つ強みという名の原石を、掘り出して磨き上げられるのは、この世界で私だけ……ってコト?!
「そういえば、私とお話してみたいと言ってくれたわね。今夜の出会いの記念に、物語でも1ついかが?」
本人にその気が無いのに、無理やり歌わせることは絶対にしたくない。まずは布教活動から始めよう。そう思って、私は彼に、本好きの美女と野獣に変えられた王子の話をした。
彼は感情表現がとても豊かだった。物語を聞いている間、ころころと素直に表情が変わるのが可愛らしい。
代わり映えしない静かな町で、夢や冒険を求めるヒロインに感心したり。ヒロインに強引に迫る狩人に対して、顔をしかめたり。ヒロインと野獣が少しずつ心を通わせていくのを、頬を染めて聞き入ったり。
「明日は、この物語に出てくる歌を歌う予定なの。よかったら来てちょうだいね」
微笑みながらそう伝えると、彼はこくこくと頷いてくれた。