ハグをするとリラックス効果があるらしい


カバンから、掃除用のコロコロに似た道具を取り出す。形はそっくりだけど、ローラーにあたる部分は透明な素材で、中に緑色のスライム状のものが入っている。持ち手のボタンを押すと、緑スライムがびょーーーんと伸び、前を走る彼の背中にくっついた。

「捕まえたっ!」

そのままスライムがぐるりと彼を拘束し、私のところへ引き戻す。逃げられないように後ろから抱きつき、私は言った。

「白ひげさんちのエースくん。今日の君のランチは何でしょうか」
「ブートジョロキアペペロンチーノ、10皿食イマシタ」
「五感に対して刺激的なメニューだねぇ。お金はちゃんと払ったのかな?」
「……払ッテネエデス」
「そっかー。"ご馳走様でした"を言うのはすごく良いことだけど、その前に言うことあるよねー? 何て言うんだっけ?」
「スミマセンデシタ」
「うん、お店の人にも言いに行こうね。お金は?」
「持ッテネエデス」
「出かける時はお金持とうね。このアホタレめ」

しっかり腕を絡めて歩いていく。捕まえられたのは、今回で5回中3回目だ。食い逃げの現行犯を見かける度に、"仲良くケンカしな"がキャッチコピーの、猫とネズミ並の追いかけっこをしている気がする。


「そうだ、次の島まで乗せてってくれねえか?」
「もしかして遠慮って言葉をご存知ない? いいけども」

立て替えた分がある程度溜まったら、白ひげさんたちにまた支払いを請求するか。そんなことを考えながら、エースに付き添ってお店を出た後、彼からお願いをされた。

断る理由が無いのでOKを出すと、エースは嬉しそうにくしゃっと笑う。邪気が無い表情に、ついつい仕方ないなぁと感じてしまった。こういうところは、お兄ちゃんというより、白ひげさんちの末っ子という呼び名が似合う。

今日の夕飯は多めに作らないと。この前手に入れた牛肉でビーフシチューでも作ろうかな。



エースの食べっぷりが面白くて、大盛りご飯で5皿くらいおかわりを許した。でもこれ以上は明日の朝に食べる分が無くなるので、あとはデザートにバナナを食べさせておいた。

白ひげ海賊団のエンゲル係数はどうなっているんだろう。ミニオンたちと並んで、バナナをもきゅもきゅ食べてるエースはちょっと可愛かった。

でも途中で、何の前触れもなく寝落ちたのはびっくりした。うとうと船を漕いだりしていれば分かりやすいんだけど、電源が切れたみたいにテーブルに突っ伏したもんだから、両隣にいたトムとドニーがめちゃくちゃ慌てていた。

すごい音を立てておでこをぶつけてたけど、よく眠ったままでいられたな。

***

エースを乗せて2日目の朝。顔を洗っていたエースが、タオルと間違えたのか、私が着ているパーカーで顔を拭いていた。さすがに彼の頭を引っぱたいたけど、私は悪くないと思う。



「これやるよ」

甲板で日光浴をしていたら、エースにブレスレットを渡された。エースがつけているネックレスと似たようなデザインで、丸い石が連なっている。光の加減で黒っぽく見えるけど、太陽に透かせば赤くきらめいた。ガーネットかな。

「このブレスレット、どうしたの?」
「前に手に入れたんだけどよ、お前にやりてえと思った。船に乗せてくれた礼も兼ねて」

食い逃げとかの件のお詫びかと思ったら、違うらしい。売ったら、立て替えた分の返済の足しになるかなと一瞬考えたけど、やめておいた。エースがプレゼントをくれるなんて珍しいし、ここでエースの気持ちを手放したらもったいない。

「どうかな?」
「ん、似合ってるぜ」

さっそく手首につけて、腕を掲げてみる。つるりとした冷たい石の感触が、肌にふれて心地よかった。

「エースとおそろいみたいだね。ありがとう。大事にするね」
「……おう」

笑顔でそう言うと、エースは照れくさそうにそっぽを向いて、テンガロンハットで顔を隠した。

***

いつもは、ベッドに入れば朝まで起きない。でもその夜は、いつもと違う船で寝ていたからか、ふと目が覚めた。同じ部屋にいるミニオンたちはぐっすり眠っていて、起きる様子は無い。外の空気を吸いたくなり、おれはベッドから抜け出して部屋を出た。

「……?」

甲板に出るドアの前で立ち止まる。向こうから微かに歌声が聞こえた。寝ずの番をしている奴でもいるのか? そろりと細くドアを開けてみると、寝巻きの上にカーディガンを羽織っている細い背中が見えた。

「♪〜」

初めて聞く歌だった。「ぬかるみ」とか「ヒスイ」とか「狼」とか、そんな単語がポツポツと聞こえてくる。メロディは軽やかなのに、心を許せる誰かを探して、さまよっているような歌声だった。

月明かりに照らされて、夜風に髪を揺らしている、1人きりの背中がやけに小さく見えた。そのままふわりと、どこかに行ってしまいそうで、おれはドアを開けて声をかけた。

「ナナ」
「うわああっ!?」

びくりと飛び上がり、ナナが勢いよく振り返る。大股歩きで近づくと、月明かりの下でも彼女の頬が赤くなっているのが見えた。

「えっ、な、エース、何でここに」
「何か目ぇ覚めちまって、外の空気吸いに来た」
「そ、ソウナンダー。じゃあ私は部屋に戻るから、ごゆっくりどうぞー」
「さっき歌ってたの、何の歌だ?」
「聞かないでよ恥ずかしい……」
「何でだよ。教えてくれよ」

逃げようとしていたので、手首を捕まえる。そんなに力を込めてないのに、ナナは全然振り解けないようで、やがて観念したように俺を見上げた。

「……『翡翠の狼』」
「初めて聞く歌だな。おれ、あんまり歌には詳しくねえけど」
「そりゃそうだろうね。私の故郷にしか無いもん」
「続き、どんな歌なんだよ」
「ここで歌えと……?」
「さっきまで歌ってただろ」
「あれは1人だからできたんだよ!」
「お前の故郷にしか無いなら、お前が歌うの聞くしかないだろ。頼む。聞かせてくれ」
「……あーもう、下手とか笑わないでよ!?」

こいつは押しに弱いことが分かった。腹を決めたような顔をして深呼吸をし、目を閉じて続きを歌い出す。

緊張しているのか、最初は声が震えた。でもだんだんと、声が柔らかく伸びていく。星空の下で流れる歌声を、心にそっと染み込んでいくような歌詞を、おれは黙って聞いていた。

「上手いじゃねえか」
「あ、ありがとう」

照れるナナと並んで、手すりにもたれて海を眺める。月の光が海面を照らして、一筋の銀色の道を作っていた。

「お前、寂しいのか?」
「いきなりどうしたの。そんなわけないよ。あんなに元気なミニオンたちがいるのに」

最初に見た背中と、歌声が気になって言うと、ナナは驚いたように否定する。でも少しの間黙り込んでから、ぽつりと口を開いた。

「……ごめん。嘘ついた。本当は、寂しいのかもしれない」

しっかりしてて、真面目で、いつも背中を伸ばして前を向いている。そんなこいつが弱音みたいなものを吐くのを、おれはその時初めて見た。

「私はこの世界にとって、バグみたいなものだから」
「バグ?」
「不具合みたいな……無い方がいいもののこと」
「何だよそれ。お前はちゃんとここにいるだろ」

何も言わずに、ナナは遠くを見つめて小さく笑う。瞳に揺れる波が映っているだけなのか、涙が溜まっているのか、判別がつかない。ただ、知らないところに1人で来てしまったガキみたいに、心細そうな目をしていた。

おれは思わず、片手をナナの後頭部に添えて、自分の胸に抱き寄せていた。

***

エースと話していて気づいた。
自分が、寂しかったことに。

ミニオンたちは大事な仲間だ。でも彼らは、私と違う生き物だ。本来なら、この世界には存在していない私たち。だけど、存在していない"人間"は、私しかいない。
この世界の人と関わって、この世界で生きてていいんだって、安心したかった。

ことんとおでこが、エースの胸あたりにぶつかる。上半身裸で、肌寒い夜の潮風に吹かれているとは思えないほど、エースは温かい。メラメラの実のせいかな。

筋肉って硬そうだと思ってたけど、意外と柔らかいんだな。適度な弾力だな。どうして抱き寄せられたのかは分からないけど、私も抱きしめ返した方がいいんだろうか。

エースだから、いいか。

そう思ってエースの背中に腕を回すと、エースの体がびくっと跳ねた。

「何で抱きしめ返してくんだよ!?」
「? エースが抱き寄せてきたから……」
「だからって抱きしめ返すか?! 誰にでもこういうことしてんのか!?」
「エースにしかしたことないよ。そもそも抱きついてくるのがミニオンたちだけだし」

動揺したように、うわずった声が降ってくる。見上げると、恥ずかしそうに顔を赤くして、おたおたしているエースが見えた。歌を聞かれたり、続きを歌わせられたりしたときを思い出して、溜飲が下がる。

「おれはあいつらと同レベルかよ……」

くすくす笑いながら、ミニオンたちにするみたいに抱きつくと、拗ねたような声が聞こえる。すると固い腕が私の背中にぎゅっと回され、ますますお互いの体が密着した。

「おらおら、あいつらにはこんな力出せねーだろ」
「ぎっ、ギブギブ苦しいって、あはっ、あははっ」

わざと腕に力を込められたから、ばしばしと背中を叩く。私を抱きしめながら、エースがぐるぐる回るものだから、足が宙に浮いた。景色が回る。星空が回る。エースと私の笑い声が、海の上に響いていく。

「寂しいなら、おれが一緒にいてやる。そんな独りでいるような目はさせねえ」

その言葉に、私がどれだけ救われたか。
多分あなたは知らないんだろうな。

***




"何かあったらお手伝いしますので、必要なときは呼んでください"

「確かにそう言ったし、本気で言ったけどさ」

武器を抱え、ミニオンたちを引き連れながら、私は独り言を言う。

「まさかマリンフォードに呼ばれるとは思ってなかったよ」


頂上戦争、開幕。
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