【IF】泡沫の夢で会いましょう
初めてその歌声を聞いた時、不思議な懐かしさがあった。ちょっとハスキーで、力強い女の子の声。明るい歌も切ない歌も、激しい歌も歌いこなす多彩な表現力。
ここではないどこかで――それこそ元いた世界でも聞いたことがあるような歌声を、私は繰り返し聞き入っていた。
***
広い船室で、配信用の映像電伝虫を設置し、ドキドキしながら始まりを待つ。
今日は、あの"世界の歌姫"ウタが、初めて公の前に姿を現すライブの日。彼女が発信する歌を、偶然聞いたミニオンたちがよく船内で歌っていて、それで私も布教された感じだ。特にカラオケ大好きなマークがノリノリで歌っていた。
まあミニオンたちの歌だと本来の歌詞が分からないから、改めてちゃんと聞き直したけど。
傍らにはソーダやジュース。それとポップコーン。応援上映の準備はバッチリ。ミニオンたちも楽しみなようで、ざわざわとおしゃべりをしている。
「……! 始まった!」
静寂の後、高らかな歌い出しに続くドラムとエレキギター。聞いている人たちを包み込むような歌声が鼓膜を刺激し、頬から脇腹、背中へと、ゾクゾクした感覚が駆け抜ける。
「みんな、やっと会えたね! ウタだよ!」
人を惹きつけるような無邪気な笑顔。あんなに華奢なのに、会場を夢心地にさせ、熱狂の渦に巻き込む圧倒的な力。その姿は、まさしく
そんな風に、ミニオンたちとライブ配信を楽しんでいたはずだった。
気づけば私は、1人きりでどこかの島に立っていた。海の色も空の色も、植物の色も鮮やかで、夢みたいに美しい。離れたところでは、ライブ会場と思わしき七色のプレートが重なる場所が見える。配信で見たものとよく似ている。
「……もしかして、エレジア?」
頬をつねると痛みを感じない。首を傾げながら辺りを見回すけど、ミニオンたちはどこにもいない。私、いつの間に音楽の島に来てたの? でもあんなに短時間で、エターナルポースも無しに特定の島にたどり着くなんて、有り得ない。
「何で……?」
風に吹かれながら呟く。誰か知り合いがいないかな。そんな期待を胸に抱いて歩いていると、向こうから誰かが駆けてきた。
右側がポピーレッド、左側が淡いピンクホワイトの、縁起が良さそうなツートンカラーの髪。うさ耳みたいな輪っかにしたツインテールが、ぴょこぴょこと弾むように揺れている。
胸元に黒いリボンがついた、真っ白なミニワンピースから伸びる足は、細くてすらりとしている。ちょっとゴツめのハイカットスニーカーが音符みたいな形で、いいアクセントになっていた。
「あなた、ナナだよねっ?」
きらきら輝くスミレ色の瞳を、私は信じられない思いで見つめ返す。
「私、ウタ! 会えて嬉しい!」
私の両手を包むように握っているのは、"今世界で1番愛されている人"と言われる存在。さっきまで画面越しに眺めていた人。プリンセス・ウタ本人だった。
「な、何で私の名前知ってるの?」
「ファンの子たちが教えてくれたんだよ。悪い海賊をやっつけてくれる、ヒーローみたいな人がいるって!」
「ヒーローは大げさな気が……」
生活費やバナナを含む食費稼ぐためにやってるだけだし、悪人相手にした方が、思いっきりやっても罪悪感無くて済むだけなんだけど……。
すごい! 尊敬! みたいな、純粋な眼差しで見つめられて、何も言えなくなる。
「私の配信見てくれたんでしょ? ありがとう! いっぱい楽しもうね! あ、そうだ。お腹空いてない?」
ウタちゃんが指をパチンと鳴らすと、ピンク色のリボンをつけて可愛くラッピングされたマフィンが出てくる。
「ここには、食べ物も飲み物もたくさんあるんだよ。好きなだけ食べて、飲んで、遊んで、自由に過ごしてね!」
「あ、ありがとう」
ふわりと鼻をくすぐるフルーティーな香りにつられて、包みを開く。それは偶然にも、私の大好物のバナナマフィンだった。1口かじると、しっとりした食感と絶妙なバナナの甘みが口の中に広がる。
「美味しい……!」
そう伝えると、彼女はニコッと嬉しそうに笑った。
「カワイイ。リスみたい」
輪切りにしたバナナを乗せたマフィンを両手で持って、もきゅもきゅ食べていると、そんなことを言われた。彼女の方を見ると、すごく微笑ましそうな視線を向けられている。
「そうだ、ライブはいいの? 主役がステージを放置してたらダメだよ」
「いいの。今日のライブはエンドレスだから、どんなタイミングで歌を披露してもみんなが聞けるよ」
マフィンを食べ終えると、透明な包みやリボンが忽然と消える。どういう仕組みなんだろうと思っていると、ウタちゃんが私の手を軽く引っ張った。
「ねぇ、ナナ。私の友達になってよ!」
「えっ」
「私、ナナのことを知ってから、ずっとナナと話してみたかったの。私と同年代で、海賊に立ち向かってるなんて、尊敬する! 私と一緒に、みんなが幸せになれる世界を創ろうよ!」
天使のように眩しい笑顔を向けられて、思わずくらりとする。歌姫に、こんなに認知されているとは思わなかった。これは夢か?
「わ、私でよければ」
「本当!? やったぁ!」
ウタちゃんがぴょんぴょんと軽くジャンプして、細い腕を私の背中にぎゅっと回す。ひええ、世界のアイドルにハグされてる。やわらか。いい匂いする。ファンの人たちに見られたら、全方位から石を投げられた後にメッタ刺しにされそう。
***
「そうだ。ウタちゃん、この島のエターナルポースって持ってる?」
「エターナルポース? 何で?」
「私、いつの間にかこの島に来ちゃったみたいで、どうやって来たかも分からないんだ。だからちゃんと、自分の船でこの島に来て、君に会いたい。私の仲間たちにも紹介したいんだ」
「何だ、そんなこと! 必要ないよ。今こうして私と会えてるでしょ?」
「そうだけど、」
「私の配信を見てくれたなら、君の仲間たちも絶対ここにいるよ! 大丈夫!」
ウタちゃんが、私の手を引っ張って歩き出す。根拠があるのか、随分とはっきりした答えだった。朗らかに提案を否定されて、ちょっと気分が落ち込む。
「大海賊時代はもうおしまい。もうすぐ平和で自由な新時代が来るよ」
「"新時代"?」
「そう! 酷いことをする人も、病気も苦しみもない。食べ物や遊びはたくさんある。ずーっとみんなで楽しく暮らせるの!」
「まるで天国だね」
「そうでしょ!?」
笑顔で振り返った彼女が語るのは、美しいユートピアだった。ジブリアニメーションに出てくる猫の国みたい。あの作品の中では、"自分の時間を生きられない奴の行く所"と言われていたけど……。
「どうして、そんなにすごい時代が来るって分かるの?」
「私が創るからだよ。私のウタウタの実の能力なら、それができるの」
しなやかな指が私の指に絡みつく。柔らかな手のひらの感触。私の瞳を真っ直ぐに見つめて、ウタちゃんが口を開く。
「ナナが海賊に立ち向かってるのは、すごく尊敬してる。だけど、今までずっと辛かったよね。戦ったり、みんなの期待に応えたりしないといけないから」
爽やかな陽光が、彼女を照らす。まるでメシアのような慈悲深い眼差しで、ウタちゃんは私の手を優しく撫でた。
「もう、そんなことしなくていいんだよ。私と一緒に、"新時代"に行こう」
「……あの、そう言ってくれるのはありがたいんだけど。私そこまで思い詰めてないよ」
「え」
「賞金稼ぎは成り行きで、まとまったお金が必要だからやってるだけ。人の期待に応えるっていうのもあんまり意識してなかった。お礼を言ってもらえるのは嬉しいけど」
言い方は悪いけど、恨みを買うよりかは恩を売った方がずっとマシだと思う派。情けは人の為ならず。
「それに、君にはきっと、私が望む世界を創れないよ」
「そんなことない! 創れるもん!」
「無理だよ。君だけじゃない。この世界の誰にも、私が欲しい世界は作れない。絶対に」
「何で、何でそんなイジワル言うの……?」
スミレ色の瞳が悲しそうに潤む。胸がチクチク痛むけれど、こればっかりはちゃんと言わないと分かってもらえない。
「だって君は、"日本"って島国を知らないでしょ?」
「ニッポン……?」
「この世界には無い、私の故郷。私はいつか、そこに帰りたい。それが私の夢で目標だよ」
ウタちゃんがうつむいてしまい、ツートンカラーのつむじが見える。
「だから、私は"新時代"には行けない。でも君と、」
「ダメ」
「いっ!?」
ぎゅっと指を握る力が強くなる。小さく悲鳴を上げると、ウタちゃんが顔を上げた。さっきまで見せていた、快活で素直な表情が消え去り、瞳には仄暗い影が落ちている。
「どこにも行かせない。ずっとここにいて」
「な、んで」
「君なら、分かってくれると思ってた」
縛り上げられたかのように、体が動かない。目の前がぐらぐら揺れて、頭が回らなくなる。
「おやすみ、ナナ。"新時代"で、また会おうね」
彼女の声がスイッチになったように、意識が完全に途切れた。
***
麦わらの一味を筆頭とする海賊たちが、歌の魔王"トットムジカ"と戦っていた頃。
ウタワールドにある、忘れ去られたような古い城。その一室で、天蓋付きのベッドに横たわるナナを、ミニオンたちはようやく見つけた。
「ボス? ボス!」
声をかけても体を揺すっても、頬をぺちぺちと叩いてみても、目を覚まさない。ナナの体を拘束するように、音符が並んだ五線譜が巻きついている。読んでみると、どうやら三重奏のメロディのようだ。
ミニオンたちはベッドを囲み、息を吸う。
「♪バーバーバー、バーバーナナー」
「♪バーバーバー、バーバーナナー」
「♪バーナーナーァーァー、ポーテートーナーァーァー、バーナーナーァーァー」
「♪トガリノポテトニーガニーバロバニガノジガーバーバー、バーバーナナ」
メロディが1つずつ重なり、深みを増していく。五線譜通りに音をなぞると、音符が軽やかに弾け、拘束がどんどん緩んでいく。やがて歌い終わる頃には、五線譜は解けた帯のようにシーツに落ちた。ナナの瞼がぱちりと開く。
「……ここどこ!?」
「「「ボスー!」」」
「皆!? いつの間に来てたの!?」
どれくらい寝てたんだろう。ウタちゃんは何をしようとしてるの? "新時代"は何を意味してるの? あの仄暗い表情の理由は?
ナナにとっては、分からないことだらけだ。自分はウタのことを、何も知らないのだと思い知る。ベッドから降りたとき、ミニオンたちがぱたぱたと倒れていった。
「今度は何事!? みん、な……」
駆け寄ろうとすると、また目の前がぐらりと揺れる。うわぁ、今日は眠くなることが多い。何でだ。そう思いつつ、ミニオンたちに手が届かないまま、ナナはなすすべなく意識を手放した。
「ごめんね。ナナ」
最後に、ウタの声を聞いたような気がした。
***
目が覚めたら、私たちはフェロニアス号の船室に倒れていた。配信が終わったのか、映像電伝虫は何も映していない。
あまりにも呆気ない終わり方で、夢でも見ていたんじゃないか、と思った。だけど、口の中にはまだ、バナナマフィンの甘さが残っていた。
その後、真実を知るためにエレジアに行って、元国王のゴードンさんという人から話を聞いた。あの日のライブのこと。ウタちゃん自身のこと。ウタちゃんが立てた計画のこと。四皇の1人である、赤髪のシャンクスさんのこと。
海を眺めながら、彼女が残した歌に浸るように、耳を傾ける。頬を撫でて通り抜けていく、温かな風のような歌声が、そっと響いていた。彼女がいなくなった世界で、彼女の歌声が生き続けている。
「君が創る"新時代"には行けないけど、君と友達になりたい気持ちは本当だったよ」
あの時、彼女に遮られて言えなかった言葉を、私はそっと呟いた。