【IF】その出会いは運命か
一升瓶を抱え直して息を吐くと、白い煙が空にふわりと溶けていく。
こんな寒い日は、白菜や鶏団子や幅広うどんをたっぷり煮込んだ鍋料理や、チャーシューとかメンマを乗せた味噌ラーメンが食べたくなる。ミニオンたちも、いつものオーバーオールじゃなくて、内側がふわふわ素材のダッフルコートを着ていた。
「船に戻ったら、温かいの食べようか。君たちめちゃくちゃ雪遊びしてたもんね」
雪がしんしんと降り積もるここは、
白い道にくっきりと足跡を残しながら歩いていると、1人行動をしていたダグラスが、私のコートの裾をくいくいと引っ張ってきた。
「ダグラス、どこ行ってたの?」
「ビード。ボス、カミン!」
向こうに何かあるのかな。ダグラスと手を繋いでついていくと、ミニオンたちもわらわらと周りを囲みながら追いかけてくる。
音が雪に吸い込まれたような静けさの中。そこに倒れていたのは、黒いもふもふのコートを着た男の人だった。頭や胸から流れている血が、周囲の白を赤に染めている。体には雪が積もり始めていた。
「どうしました!? もしもし!」
声が出なくなり、固まったのは数秒間だけ。私は傍に駆け寄って、彼の肩を叩く。反応が無いので、頬や耳に血が着くのも構わずに、彼の胸に耳を押し当てた。まだ心臓は動いてる。息は弱い。
止血できそうな布を探そうとして、抱えていた一升瓶が目に入る。それは人相が悪い輩に絡まれていた、行商人のおじいさんを助けた時にもらったお酒だった。
"これは世にも珍しい酒でな"
"とある島に流れる滝からしか汲めないと言われる、幻の酒じゃ"
"1口だけでも飲めば、自然治癒の力が高まり、病も傷も癒える"
私お酒飲めないので、そんな大切なお酒いただけません。おじいさんが持っててくださいと言うと、おじいさんはこう続けた。
"大丈夫じゃ。飲むのではなく、傷口にかけても効果は同じじゃよ"
急いで瓶の栓を抜き、銃弾の跡と思われる傷口に、水のように透き通ったお酒を満遍なくかける。それから頭にも。ツンとした冷気の中で、甘い匂いが漂う。微かに開いた唇にも数滴落として、舐めさせた。
ハンカチで血を拭うと、傷跡が消えていて驚く。このお酒すごいな。上級の回復ポーションじゃん。
彼の呼吸も、寝息のように穏やかになっていた。前屈搬送の手順を思い出しながら、背後から彼の体に腕を回して運ぼうとするけど……。
「でっっかい! 重い! 無理! 皆手伝って!」
この人背が高すぎる。3mくらいはあるんじゃないか。視界が塞がりそう。ミニオンたちが8人がかりで彼の足を持ち上げてくれた。左足に4人、右足に4人。「よーいしょ、よーいしょ」と掛け声を出しつつ、男の人を船に運んでいく。
うちの船は、ミニオンたちが昇り降りしやすいように、階段よりハシゴを使うことが多い。この巨体を運び上げるのは大変だったため、仕方なく荷物を積み込む時に使う道具で持ち上げた。
船長室まで運んでも、まだやることはある。
「ランス、温かいお湯とタオルを持ってきてくれる? バリーは予備の毛布を持ってきて」
汚れている状態でベッドに寝かせるわけにはいかない。とりあえず帽子やコートやシャツは剥いで、綺麗好きのランスが用意してくれたお湯でタオルを濡らし、顔や上半身を拭いていく。細身だけどしっかり鍛えられた体だ。荒くれ者というより、軍人さんとかを連想させる。
耳に届きそうなくらい引かれた口紅や、ギザギザのアイメイクを落とすと、意外と整った顔立ちをしていることが分かった。
さすがに身長推定3mの男性が着られる服は、うちの船には無い。風邪をひかないようにバリーが持ってきてくれた毛布で、彼を梱包作業かおくるみをするように包み、ベッドに寝かせて布団を被せた。
「それにしても熟睡してるなぁ」
口元に耳を近づけ、すやすやと寝息が聞こえるのを確認してから、私は夕飯のスープを作りに部屋を出た。
***
ふかふかのソファの上で目が覚める。ベッドには男の人を寝かせているため、私はソファと予備の毛布を使って寝ていた。彼を起こさないようにそっと部屋を出て、朝ごはんの支度をする。怪我してた彼も食べられるように、昨日のスープの残りを温めておこう。
スープをことこと火にかけている間、トーストとホットミルクとバナナで簡単な朝食を済ませる。すると、ケビンがやって来た。
「ボス、〇□△§╳*」
「え、あの人起きたの? 今行くね」
ケビンに鍋の様子を見てもらい、船長室に行く。そこにはミニオンたちが数人集まっていた。どうやら、皆も彼のことを心配していたらしい。笑顔のミニオンたちに囲まれて、金髪の彼は困惑したように私を見た。
「おはようございます。気分悪くないですか?」
「あ、ああ。平気だ。えーと、ここは……?」
「私の船です。あなたが怪我してたので、手当してここに運びました。あの島に家があるなら、送りますよ」
「いや、おれはあそこに住んではいない。助けてくれてありがとう」
赤っぽい茶色の目が、柔らかく細められる。乱暴する人や失礼な人だったら、どうしてやろうかと思ったけど、穏やかそうな人でよかった。
「名前を聞いてもいいですか?」
「…………ロシーと呼んでくれ」
名乗るまでに目が泳いだから、偽名かもしれない。まあ私も人のことは言えないから、気にしないことにしよう。片手を差し出しながら、私も名乗る。
「私はナナです。よろしく、ロシーさん」
***
「玉ねぎ、人参、じゃがいも、あとベーコンが入ったトマトスープがあるんですけど。食べられないものってあります?」
「その中には無いぞ」
「分かりました。持ってきますね」
ほかほかと湯気がたつスープをよそって、スプーンと一緒に持っていく。サイドテーブルに器を乗せたお盆を置くと、ロシーさんは毛布を体に巻き付けたままベッドに腰掛けた。
「熱いので気をつけてくださいね」
「ああ、ありがとう。いただきます……ぶっ!?」
「わーーっ!」
注意したけど、熱かったらしく吹き出してしまった。側に置いてたタオルでスープを拭く。ぽつぽつと赤い染みがつくのを、申し訳なさそうにロシーさんは見ていた。
「すまねぇ、おれはドジっ子なんだ……」
「ちゃんと冷まして飲んでくださいね」
ふうふう息をふきかけながら、ちびちびとスープを口に運ぶロシーさん。スープが飲みやすい温度になるまで、時間が少しかかるため、お互いに話をした。
「あの黄色い生き物たちは何なんだ? 初めて見たが……」
「ミニオンたちですね。私の仲間です。大好きなのはバナナですけど、林檎やアイスクリーム、ポップコーンやチョコレートも食べますよ」
「もしかして、ミニオン島で生まれたからミニオンか!?」
「世紀の大発見みたいな顔で言ってるところ申し訳ないんですが、全然関係ないですよ」
「ロシーさん、失礼ですがおいくつですか?」
「おれは26歳だ」
「私の6つ上なんですね」
彼がスープを飲み終わる頃には、彼が訳ありらしいことが分かった。そもそもそうじゃなかったら、雪が降る中に血だらけで倒れてないだろう。
「ロシーさん。行くとこないなら、このままうちの船に乗っていきますか?」
「え……、いいのか?」
「正直、どこかの島にあなたを置いていくと、怪我してないか心配で眠れなくなりそうなので。拾った責任は取ります」
胸を拳でとんと叩くと、ロシーさんは目を丸くしてから真面目な顔で深々と頭を下げた。
「本当にありがとう。おれもボスって呼んだ方がいいか?」
「あれはあの子たちの習性みたいなものなので、普通に名前で呼んでください」
そう言うと、ロシーさんはニコッと子どもみたいに笑った。
フェロニアス号のメンバーに、ロシーさんが増えて数日。彼の服や部屋を用意して、彼もこの船での生活に慣れてきた頃。
ロシーさんはドジっ子を自称するだけあって、奇跡のドジを連発していた。タバコを吸えば肩を燃やすし、甲板磨きをすればバケツをひっくり返す。物を運べば転んで中身を散乱させる。もはやミニオンたちも面白がって眺めてるレベル。
特にタバコが危ないので、消火活動しやすいように甲板でのみ吸わせることにした。最初はタバコ禁止令を出して、火に触らせないようにし、代わりの飴ちゃんを渡していた。でも彼も一応成人済みの大人なので、危険なことから遠ざけ続けるのは本人のためにならないかなと思い、今のやり方に至っている。
「ビードゥービードゥービードゥー」
今日も火が上がっており、ミニオンたちが数人サイレンの音を真似しながら、水が入ったバケツを持って駆けていった。
***
「すまんドジった!」
「今度は何が……おやまあ可愛いちびちゃん」
街で買い物をしている途中、別行動をしていたロシーさんを探していたところ、ぶっかぶかのシャツやズボンを引きずりながら歩く小さい子を見つけた。服に絡まって転んでしまったので、急いで駆け寄る。
「立てますか?」
「ああ……。いてて」
「何があったんですか? アポトキシン4869でも飲まされました?」
「? 何も飲まされてないぞ。ただ、賊に絡まれてた人を助けた時に、相手の攻撃をうっかり受けちまった」
「能力者だったんですかね……」
賊はもう捕まえられたらしい。触った人や物の時間を、12年分ずつ戻すことができるモドモドの実があるらしいけど、それと似たようなものだろうか。今のロシーさんは7歳くらいに見える。
「小さい頃は目隠れだったんですね。前髪、ふれてもいいですか?」
OKを貰えたので、目元を覆うくらいに長い前髪を指先でめくる。赤みがかった丸っこい目に、私の顔が映っていた。
「まずは子ども服を買いましょうか。今のままだと、また転んで危ないですし」
買い物袋とロシーさんの服や靴は、一緒に来ていたケビンたちに持ってもらうことにした。私はロシーさんを腕に抱える。
服屋さんでいろいろ試した結果。せっかくなので、今のうちに着せたいものを着せようと思い、実行した。
「かーーーーわい」
ふわふわの金髪ちびっ子に、黄色いトレーナーと青いデニムのオーバーオール。私のチョイスに狂いは無かった。めちゃくちゃ可愛い。ミニオンたちとお揃いのコーデが似合う。
「ナカマー?」
「ナカーマ」
「ナカマー!」
新しいミニオンが増えたみたいで面白いのか、ケビンとスチュアートとボブが、楽しそうにロシーさんに抱きつく。兄弟みたい。可愛い。
「ロシーさん、船に戻ったらカメラタイプの子電伝虫で撮影会させてください」
「そ、それはいいけど。こんな姿でも、中身は26歳だぞ?」
「可愛いので問題なしです」
「可愛いって言われるのは複雑だが……。ナナやケビンたちとおそろいみたいで、いいな。これ」
長い前髪はピンで留めたから、はにかみながらも嬉しそうに笑うロシーさんの顔がよく見えた。とっても可愛い。連れて帰りたい。あ、うちの船員だった。
この後ミニオンたちと一緒にいっぱい写真撮った。
***
「ロシーさんって、船の中だとすっぴんですけど、街に出る時はピエロメイクしますよね」
それは何故なのか、気になって聞いてみたことがある。手鏡に向かって真剣な顔で口紅を引いていたロシーさんは、こちらに顔を向けて言った。
「会いたいやつがいるんだ」
過ぎ去った日々を振り返るような目をして、彼はその子のことを少し教えてくれた。私に拾われるまで、一緒に行動していたそうだ。訳あって離れ離れになってしまったけれど、ロシーさんはまた会えることを願い、信じてもいた。
「でもその子が知ってる顔のままだと、大怪我の原因の人にも気づかれちゃうんじゃ……?」
そもそもピエロメイクって目立つし。そんな素朴な疑問を口にすると、ロシーさんは「ドジった!」と言うように顔をしわしわにした。そこまで考えていなかったらしい。
「メイクのデザイン変えてみるのはどうですか?」
メイクセットを借りて、試してみる。にっこり口角が上がった口紅はそのままにして、アイメイクはギザギザじゃないものにしてみよう。
例えばそうだな。初めて会ったとき、ロシーさんはハート柄のシャツを着てたから、ハートマークとか。私から見て右の目尻に、赤色を使って、大きなハートのメイクをしてみる。
「……」
某アプリゲームの、ハートの女王の寮生みたいになってしまった。これじゃあポートガスじゃない方のエースだ。
「すいませんちょっとやり直します」
こしこしとスートを拭き取り、右目の下に小さくハートを2つ描く。
「こんな感じはどうですか?」
「おお、何か可愛いな! ハートが2つなのは何でだ?」
「ロシーさんとその子が会えるように、おまじないです」
そう言うと、ロシーさんは目を見張った。そして、手鏡に映っている、ちょこんと並んだハートマークをじっと見て、ふわりと微笑む。
「なあ、もう1つ横に描いてくれ」
「? いいですよ」
そんなにハートが好きなのかな。そう思いながら、3つめのハートを描き込む。仲良く並んでいるように見える、目の下のハートたちを、ロシーさんは嬉しそうに眺めていた。
***
ロシーさんと会ってから9年後。カモメのニュース・クーが配達してくれる新聞から、ハートの海賊団の船長であるトラファルガー・ローを知る。そして、彼こそが、ロシーさんが会いたがっていた子であることが発覚した。
ただ、いかんせん海が広過ぎて、なかなか出会えない。ハートの海賊団が現れたという場所へ急いで行っても、もうその場を離れた後ということが度々あった。
その日は、買い物のために島を訪れていた。
必要なものを揃えた後、大きい本屋さんを見つけて、いそいそと入る。高い位置にある本は、ロシーさんに頼んで取ってもらった。
「あ、ロシーさん。そこの小説もお願いします」
「よく読むなあ。ん? 硬くてなかなか出せねえ……、おっと!?」
「ウッ」
「すまんドジった! 大丈夫か!?」
手が滑ったらしく、引き抜かれた本の面が、顔面に落っこちてきた。じんじんと痛む顔を、両手で押さえて唸っていると、ロシーさんがオロオロしながら私の顔を覗き込んできた。
「いだいです……。鼻血出てませんか?」
「鼻血は出てないぞ。おでこと鼻が赤くなってるくらいだ。ごめんなぁ……」
「…………コラさん?」
その時、男の人の声が聞こえた。掠れていて、聞き逃してしまいそうな小さい声。振り返ると、ぶ厚い医学書を抱えた若い青年が立っていた。
黒っぽい斑点がついた、ふわふわの白い帽子の下から覗く三白眼は、呆然としたように見開かれている。細身の体は、特徴的なドクロマークが描かれたパーカーやジーンズに包まれていた。肩には、背丈くらいありそうな大太刀を担いでいる。
「「ああーっ!?」」
ロシーさんと私の声が重なった。
そこにいたのは、"死の外科医"の異名を持つ人物。ハートの海賊団の船長。トラファルガー・ローその人だった。
「ロ゛ォーーー! 会いだがっだああああ!」
流石に本屋さんで騒がしくする訳にいかず、急いでお金を払ってお店の外に出る。そしたら、気持ち的に限界だったようで、ロシーさんがおんおん泣きながらトラくんを抱きしめた。鼻水垂れてるけど大丈夫かな。
9年振りの再会で、積もる話もあるだろうし、部外者が混ざってるのはよくないな。向こうのベンチで読書しながら待とう。そう思って離れようとしたら、ロシーさんに手首を捕まえられた。
「あの後、彼女がおれを助けてくれたんだ」
会話に参加しないといけなくなってしまった。何でや。結構気まずいんだが。
「は、初めまして。ナナです」
「……"黄色の悪魔"の異名を持つ賞金稼ぎ。フェロニアス号の船長だったか」
隈がある鋭そうな目で、上から見下ろされるのは、なかなか怖い。虎に見つめられた兎の気分で見上げていると、きっちり90度くらいの角度で、深々と頭を下げられた。
「コラさんを助けてくれたこと、礼を言う。本当にありがとう。……バナナ屋」
「うちは果物屋さんでも貨物船でもないんですけど」
思わずツッコミを入れてしまった。