決意のフェイストゥーフェイス!
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小学6年生の夏休み、アオがいなくなった。
「真琴! そっちに蒼が来てないか!?」
それが分かったのは、透青くんが家に電話をかけてきたときだった。
夏休みと冬休みには、遠い東京の高校に行っている透青くんが帰ってくる。透青くんはアオのお兄さんで、泳ぐのが速くて上手な、自慢の幼なじみ。いつもは明るくて頼もしいその声に、焦りと心配が混ざっているように聞こえた。
「来てないけど……。何かあったの?」
「もうすぐ夕飯なのに、蒼が家にいないんだ。いつもなら、どこに行くか言ってから家を出るし、夕飯までに帰る約束なのに……」
「ハルの家は? もう電話した?」
「電話した。そっちにも来てないって」
何だかイヤな予感がした。電話を切ってから、透青くんたちの家に向かう。石段を駆け下りると、庭に透青くんとハルがいるのが見えた。
「おれも探しに行く」
「駄目だ。小学生をこんな時間に歩かせられねーよ。おばさんたちも心配するだろ」
「子供扱いするな。おれも行く」
「遙……」
「透青くん、ぼくも行くよ!」
「真琴まで!?」
「ぼくもハルも、アオが心配なんだよ。透青くんだってそうでしょ?」
ハルと並んで、真剣な気持ちを込めて透青くんの目を見つめる。透青くんは困ったような顔をして、少し考え込んでから、思い切ったように口を開いた。
「……分かった。ただ日が落ちる前には家に戻れよ。それまで手伝ってくれ」
「ああ」
「もちろん!」
そのとき、パタンとドアが開いて、透青くんたちの弟の紺も転がるように出てきた。
「透兄、ぼくも行く! 連れてって!」
「紺には大事な仕事がある。俺たちより蒼が先に帰ってきたら、蒼に『おかえり』を言う仕事だ。できるか?」
「う……、できる!」
「よし、いい子だ」
6年生のぼくたちはともかく、まだ4年生の紺はダメだったみたいだ。ちょっとだけ迷ったみたいだけど、紺は大きく頷く。その小さな頭を、透青くんはしゃがみ込んで、わしゃわしゃ撫でた。
それから3人で、ハルのおばさんとぼくのお母さんに用事を言ってから、ぼくたちはアオを探した。
家の周りや近くの公園、スイミングクラブの辺り。どこにもアオの姿は無い。まだ熱っぽい夕方の空気がまとわりつく。ヒグラシの声が聞こえる中を走っていると、頬を汗が流れた。
「どこにいるの? アオ……」
太陽がゆっくり落ちていく。そのとき、頭の中にじわじわと浮かんだのは、窓から見えた光景。アオが1人きりで、ふらりと家を出ていく後ろ姿。
あのときは、散歩に行くのかな、とだけ思っていたけど……。
あのとき、アオはどっちに向かっていたっけ。ふわふわと、夢を見ているみたいな足取りで、どこを目指していたの?
その方向を思い浮かべて、思わず青ざめる。
弾かれたように、ぼくは駆け出していた。足がもつれそうになるのが、もどかしい。もっと早く走らなきゃ。早くアオを見つけなきゃ。その一心で、直感を信じて、1つの場所を目指す。
近づくにつれて、鼻に流れ込んでくる潮の香りや、耳に届く波の音に、足がすくみそうになる。でも立ち止まったら動けなくなりそうで。何も考えないようにして、足を動かすことだけに集中した。
砂浜に足を取られて転びそうになる。体勢を何とか立て直して、辺りをキョロキョロ見回す。
「アオ! どこにいるの!? アオ!」
目の前にある海は、女の子1人くらい簡単に隠してしまえそうな広さだ。得体の知れない何かが腕を伸ばして、アオを真っ暗な世界に引きずり込んでしまうところを、うっかり想像する。身体が小刻みに震えて、目にじわりと涙が浮かぶ。
手の甲で涙をこすり、また走る。灯台が近くなってきたところに、小さな人影がぽつんと見えた。
波に足を浸して、遠くを眺めている。見覚えのある、うなじの辺りで1つに結んだ髪が、潮風になびいた。
名前を呼ぼうとして咳き込む。そうしている間にも、人影は海の方へ足を進めていく。靴を脱ぐことも忘れて、ぼくはバシャバシャと勢いよく波を踏んだ。顔に水が跳ねるけど、拭う余裕は無い。
「アオちゃんっ!!」
行かないで。連れていかないで。
強く祈りながら、細い腕をつかまえて、華奢な体を思い切り抱きしめる。離したら、波にさらわれてしまいそうで、それがすごく怖かった。
「……ま、こと?」
ささやくような小さな声で、アオがぼくの名前を呼んだ。戸惑っているような息づかいが聞こえて、アオの体がもぞもぞ動く。
「……行かないで……アオちゃん……」
震える体で、ぎゅうと腕に力を込める。ぼくの声が今にも泣きそうだったからか、アオはそっとぼくの背中に腕を回した。
「……どこにも行かないよ、真琴」
男の子みたいな話し方だったアオが、柔らかな言葉でこぼれるように言う。2人とも膝まで海に浸かっていたけど、ぼくたちはしばらく動けなかった。
「……何で、海に来てたの?」
手を繋いで砂浜を歩きながら聞くと、アオは少しうつむいてから答える。
「……透兄が、」
「うん」
「……透兄がいないところで、泳いでみたかった。……少しの間だけでいいから」
アオの様子がおかしくなったのは、4年生くらいからだった。後ろの髪を少しだけ残して短く切ったり、男の子みたいな話し方をしたり、泳ぎ方を変えたり。ハルもぼくも、無理してるみたいなアオが心配だった。
――蒼は、蒼らしく泳げてるのか?
ハルがそう問いかけた後の大会で、アオが誰かに叫ぶ声を聞いた。
――……私はっ、"向日 透青の妹"じゃない! "向日 蒼"だ!
それから5年生のあの日。アオは自分の泳ぎ方を忘れてしまったみたいに、泳げなくなった。笹部コーチに助けられて、苦しそうに咳き込んでいたアオを思い出すと、自分も苦しくなってくる。
「……透青くんのこと、キライになっちゃった?」
「……ううん。……でも、好きだから、つらい」
透青くんのすごさを、ぼくもアオも誇らしく思っていた。でもアオには、いつの間にかそれが重石になっちゃってたのかな。
「私が私のままで、泳げる場所がほしかった」
スイミングクラブに入ったばかりの頃は、自由だったアオの心。今はそこに、頑丈な枷がはめられているみたいだ。どうしたら、それを外せるんだろう。
「アオちゃんはアオちゃんだよ」
誰がどんなことを言っても、そのことは変わらない。それを伝えたくて、柔らかな手を握り返す。顔を上げてぼくを見たアオの目が、だんだん潤んでいった。
「うん」
ずっと、待っていたものをもらえたような。そんなときに、こぼれるような涙だった。
***
透兄と顔を合わせづらくて。誰も私のことを、"向日 透青の妹"って呼ばない場所で泳ぎたくて。誰にも言わずに海まで来た。
ここでも泳げなかったらどうしよう。
それが怖くて、それでも試したくて、水の中に入った。本当は、そのままどこかに消えてしまいたかったのかもしれない。
そんなときに、真琴が来てくれた。
海が怖いはずなのに、探しに来てくれた。
真琴と手を繋いで家に帰ると、透兄とハルがいた。2人も心配していたみたいで、特に透兄は安心したように、へなへなと座り込んでいた。
「……心配させて、ごめんなさい……」
「無事に帰ってきてくれたから許す。でも次は、ちゃんとどこに行くか、いつ帰るか言うんだぞ」
くしゃりと私の髪を撫でて、膝から下を濡らして帰ってきた私と真琴を気遣う透兄。明るくて優しくて、小さい頃から私や紺を大事にしてくれたその姿に、心のモヤモヤがほどけていった。
***
シャワーを浴びて、夕飯を食べた後。透兄から「話がある」と言われた。
「……俺がいるからか?」
「え?」
「最近、部屋から出てこなかったり、今日誰にも言わずに家を出たりしたの」
「……ごめんなさい。……透兄といると、辛くて、顔を合わせづらかった」
「ずっと、"透兄の妹"だから、"速くて当たり前"って言われてきた。誰も練習してる私自身を見ない。私を通して透兄を見てる」
「それに応えようとして、自分の心に蓋をして、無理した。だから、自分の泳ぎが分からなくなった」
「私は透兄じゃない、透兄の真似は私にはできないって、ちゃんと分かりたい。透兄のことも、透兄の泳ぎも好きだから、透兄が本気で泳ぐところが見たい」
「……お前が泳げなくなったって聞いて、俺の泳ぎがお前の可能性を奪ったんじゃないかって、ずっと怖かった。嫌われても仕方ないって、思ってた」
「……でも、お前がそう言ってくれるなら、泳ぐよ」
「大事な妹の頼みなら、全力で答えるのが兄ちゃんだからな」