番外編
仲間たちに「おやすみ」を言って、ベッドに潜り込んだはずだった。
まぶたを開いたとき、視界に飛び込んできたのは、赤レンガで作られた空間。扉は無く、目の前には長方形の通路が、ぽっかりと口を開けている。壁の燭台には火が灯され、辺りを明るく照らしていた。通路の手前には、石碑が1つ置かれている。
『幻を退け、前へ進め。秘宝はそこにある』
***
「ど、どうしよう……?」
胸の前で両の拳を握り、タタンはおろおろと周囲を見回した。コットン手製のふわふわパジャマを着ていたはずなのに、普段着を着ていること。自分の部屋ではなく、見知らぬ場所にいること。それらに混乱しながら、出口を探す。
「壁のどこかを押したら、帰れたりしないかなぁ……」
いつの間にか持っていた愛用の槍――穿山の感触に、落ち着きを取り戻しつつ、あちこちの壁をぺたぺたと触る。赤レンガのざらついた手触りが伝わるだけで、押し込むことはできない。スイッチで作動する隠し扉は無さそうだ。
秘宝よりも帰り道を探さなくては。でも壁を壊したら、この場所を作った人に申し訳ない。首を傾げながら悩んでいると、後ろから声が響いた。
「ママママ……。ようやく見つけたぜ、かわいいタタン♡」
タタンの肩が大きく跳ね上がる。弾かれたように振り向いた先には、大きな大きな人影がいた。見覚えのあるピンク色の髪が揺れる。
「今まで悪かったな。さァ、おれたちの家に帰ろう。甘いお菓子をたくさん用意して、仲直りのパーティーだ!」
柔らかく細められた目。砂糖をまぶしたケーキみたいに、甘やかな眼差し。蜂蜜のようにとろりとした、穏やかな声。差し伸べられる手に、かけられる言葉に、全身が粟立つ。
違う。違う違う違う。あの人はそんなこと言わない。そんなふうに優しく手を差し伸べない。そんな声で話しかけない。私のことを、そんな目で見ない。そもそも、あの人の目に、私が映ったことなんて無い!!
「いやあああああああああああ!」
あらん限りの悲鳴を上げて、タタンは唯一の通路へ飛び込んだ。
***
「ふんふふーん、ふふーん♪」
通路にのんきな鼻歌が響く。ときおりスキップを踏む足取りは、広い野原を歩き回るように軽快だ。探検気分のリーゼは、一旦立ち止まって、前方と後方を確認する。
「ここにいんの私だけかな? 他にも誰かいたら、もっと楽しめたかも。残念無念、また来年っと」
くるんと意味も無く一回転し、また前に進む。罠があるかもしれないけど、見聞色の覇気も無いのに疑心暗鬼になったら、その場から動けなくなる。切られるくらいなら自分が増えるだけで済むし、とりあえず行ってみよう。全速前進、行け行けどんどん。
「それにしても秘宝って何だろうねー。金の延べ棒とか宝石とかかな。"ひとつなぎの大秘宝"だったりして! なーんて、そんなわけないか! ここがラフテルかも分からんし。解散!」
話し相手がいないため、自分だけでしゃべり続ける。次は何を歌おうかと思い巡らせたとき、通路の奥に人影が見えた。声をかけようとするが、上げようとした片手が中途半端な位置で止まる。
片側だけボリュームがある青い髪。ゴーグルで隠れた目元。サンジと同じぐる眉なのに、ちっとも愛嬌が感じられない。最後に見た時よりも、背が伸びてたくましくなってるのは、当たり前か。
「……よくも逃げやがったな、リーゼ。おれのモノが、勝手におれから離れてんじゃねェ!」
コツ、コツ、と靴音が響く。心底不機嫌そうな表情と怒鳴り声が、リーゼに向けられた。
「昔みたいに、痛みで分からせてやろうか」
拳がリーゼに振り下ろされる。それよりも早く、彼の顔面に拳が叩き込まれた。渾身の武装色をまとった一撃に、"ニジ"の身体が吹き飛ぶ。
「……ギャーギャーギャーギャーやかましいんだよ。発情期ですかコノヤロー」
ゆらりとリーゼが体勢を整える。押さえつけたような声を出しながら、彼女は顔をゆっくりと上げた。いつもはハツラツときらめく青い目が、鋭く睨みつけられている。背後から赤黒いオーラが、陽炎のように揺らめいて見えた。
「だァ〜〜れがいつお前のもんになったって!? 思い上がるのも大概にしろよこのモラハラDV野郎!」
この場にコットン等の冷静なメンバーがいたら、「落ち着け。相手は血も涙も人の心も無い改造人間だ」と宥めてくれただろう。しかしこの場にいるのはリーゼのみ。小さい頃に散々植え付けられた負の感情が、爆発するのは仕方ないこと。
「外骨格なんざ知るかァ! お前絶対スクラップにして不法投棄してやるからな!!」
戦闘開始のゴングが、リーゼの中で高らかに打ち鳴らされる。目の前にいるのが、本物か偽物かなんてどうでもいい。ただ、この恨み晴らさでおくべきかという、真っ直ぐな怒りの感情があった。
***
一方その頃。霞のように消えゆく幻を眺めながら、セイラは淡々と言葉を紡いだ。その手には、『ギリシャ神話』で海神ポセイドンが使用する"三叉の槍"が握られている。
「オヤジ様はね、特定の家族を贔屓なんてしないし、私みたいな小娘に欲情しないし、やること全部がかっこよくて筋が通ってなきゃいけないの」
最愛の推しであり、敬愛する父親でもあるエドワード・ニューゲート。そんな彼と同じ顔で、我が子に向けるものとは違う愛をささやかれたセイラは、解釈違いでブチ切れていた。
「原作履修してから出直してきなさい、ニワカさん」
カンッと槍の柄で床を叩く。大切な推しの姿を真似られた挙句、侮辱されたような気分で、腹の底がムカムカしていた。気持ちを落ち着かせようと、セイラは深呼吸を繰り返す。そのとき、壁に文字が刻まれていることに気づいた。
「……あら?」
そこに文章があれば、ついつい目を通してしまうのは、本好きなセイラの癖だ。人差し指でなぞるようにしながら、文字を追っていく。そこに記されているのは、異国の伝承のようだった。
「そこにいるのは、セイラさんですか?」
ちょうど読み終えたタイミングで、声をかけられる。セイラが振り返ると、見慣れたメイド服の裾が優雅に揺れた。燭台の灯りに照らされて、編み込まれたプラチナブロンドの髪がきらめく。
「あらダイナ。あなたもここに来ていたのね」
「はい。ところで、あなたの推しはどなたでしょうか」
「オヤジ様こと、エドワード・ニューゲートさんよ。知っていると思うけれど」
「そうですね。先程まで偽物の相手をしておりまして、確認は必要だと考えました」
「私もよ。ダイナのところには誰がいたの?」
「ベン・ベックマンもどきでございます」
ダイナいわく、ベッドがある一室で遭遇したらしい。成熟した大人の色気と、プレイボーイらしい口説きに乗ったものの、ある違和感が拭えなかったという。
「彼の体格なら、もっと立派なモノになるはずです。あのサイズはあまりに不自然でした」
「しっかり脱がせてきたのね……」
「服で隠れているところまでは再現できないのでしょうか。残念です」
「しかも楽しむ気満々だったのね」
ダイナの強かさに、セイラは苦笑いを浮かべた。その背後にある文字に、ダイナも目を走らせる。
「これは、何かの物語でしょうか」
「そうみたい。子どもの頃に読んだものと似ているわ」
それは、とある国にまつわる物語。セイラの脳裏に浮かぶのは、最初の部屋にあった石碑。そこに刻まれていた、『幻を退け、前へ進め。秘宝はそこにある』という言葉。それが何を指すのか、まだ全貌を掴んだとは言えない。
「まずは誰かと合流しましょう。他の子たちも来ているかもしれないわ」
「はい」
見聞色の覇気で探りながら、2人は歩を進めた。
***
「ほんとにここ何なの〜!? エースに『おれにはお前だけだ、愛してる』って言われても全然嬉しくないんだけど! エースには偉大なお父さんも頼れるお兄ちゃんたちも可愛い弟も仲良し悪友同然の兄弟もいるじゃん! 『愛してくれてありがとう』はその人たちへの言葉でしょうがよコンニャロー!」
「8番出口みたいだな。異変があったら引き返すのではなく、排除していい違いはあるが」
別の通路を進んでいたのは、ちょうど合流したフレアとコットンだ。コットンが右手を壁につけて歩いているため、フレアは彼女の左腕に軽く掴まっている。解釈違いに文句を言いつつ、不安を隠せないフレアの気持ちを受け止めながら、コットンは前を見据えた。
「得体が知れないが、攻撃の意思は見えない……。変わった場所だ」
「私たち、船に乗ってたよね? 朝ごはんの仕込みも済ませて寝たはずなのに……」
困ったように周りの様子をうかがうフレア。そんな彼女を庇うように、コットンは立ち止まる。奥の方から、ぺたぺたと足音が聞こえた。
「……ねぇね」
ひょこひょこと、おぼつかない足取りで現れたのは、小さな子どもだった。ボロボロの服を着ていて、顔は長い前髪で隠れている。薄汚れているが、本来は綺麗な金髪なのだろう。
「いたいよ、くるしいよ。たすけて、ねぇね」
ぽろぽろと、痩せた頬を涙が伝う。思わずフレアは、コットンの左腕にしがみついた。そうでもしないと駆け寄ってしまいそうだった。あそこにいるのは、本物のロシナンテじゃないと分かっていても。
「ねぇね」
同情を引くような弱々しい声で呼ばれ、潤んだ赤い目で見上げられて、コットンは顔を強ばらせていた。鋭い銃声が響き、幼少期のロシナンテの姿がふわりと消える。ピストルをホルスターに仕舞いながら、コットンは吐き捨てるように呟いた。
「……悪趣味な」
「コットンさん、大丈夫……?」
「一応麻酔銃だ。だが、引き金を引くしかないのは、心苦しいな」
ほろ苦い笑みを微かに乗せて、コットンは答える。天竜人の血に苦しんでいるとき、たまに見せる顔だ。影が差したような表情に胸が詰まり、フレアはコットンにそっと抱きつく。
「あ! コットンさんとフレア!? 本物!?」
そのとき、バタバタと駆け込んできた人影がいた。2人が声の主を確認すると、肩で息をしているリーゼがいる。戦闘の形跡があるが、怪我も無く元気そうだ。
「そう聞くってことは……、リーゼも偽物と遭遇したのか?」
「そう! もー聞いてよー! 青髪グラサンのアンチキショウばっか出てくんの! ほんっと最悪! アイツのみぞおちに
「六式の究極奥義が火を吹いたか」
「ここまで怒ってるってことは、本物のリーゼっぽいね」
ガルガルと唸るリーゼを、2人がかりでよしよし撫でる。仲間たちの優しい手に落ち着いたのか、リーゼの顔はいつも通りの陽気さを取り戻していった。しっぽを振る子犬のように、リーゼの頬が緩む。
「今のところ3人か。集団誘拐の可能性もあるが、とりあえず進んでみるか?」
「そうだね。道は前にしか無いし」
「ゴーゴーレッツゴー!」
通路を歩いていくと、突然開けた場所に出た。コットンたちが出てきた場所の隣からも、足音が近づいてくる。現れたのはセイラたちだった。しくしく泣いているタタンの手を、セイラが優しく引き、その後ろからダイナが付き従っている。
「セイラさん!」
「あら、皆も来ていたのね。合流できてよかったわ」
「タタンはどうしたんだ?」
「怖いものを見ちゃったみたい。私たちが歩いてたとき、泣きながら飛び出してきたの」
「あの人……一応生物学上のお母さんに、優しく話しかけられましたぁ……」
「それは世にも恐ろしいものを見ちゃったねぇ。よーしよし」
リーゼにほっぺたをもちもち撫でられ、フレアにも頭を撫でられて、タタンは小さく鼻をすする。タタンが落ち着くのを待ってから、コットンは全員を見回した。この場にいるのは6人。フォレスト冒険団としては、あと1人足りない。
「スザクは来ていないのか?」
「私はここだよ」
前方に1つだけある、新たな通路。そこから顔を出したのは、さらりと艶やかな黒髪を揺らす人物。赤いマントを揺らしながら歩いてくる彼女に、タタンが後ずさりした。
「スザク。奥から来たの?」
「うん。私だけ、スタート地点が違ってたみたいだね。皆もいて安心したよ」
フレアが驚いたように声をかける。にこりと笑う顔も、手入れを怠らないきめ細かな肌も、花びらのような唇も、いつもと変わらない。それなのに、コットンの見聞色の覇気は、違和感を示していた。
「全員揃ってるしもう帰ろうよ。どっちの道から行けるかな〜」
「え、スザクはお宝見たの? 何だった? 金銀財宝? それとも別のもの?」
「秘宝って書いてあったけど、面白そうなものは何も無かったよ」
「面白そうかどうかは、私たちも見て判断してからでも、遅くないのでは」
「……それに、どちらの道も出口ではないわよ。私たち、ここの道から来たんだもの」
歌うように2つの道へと進む。そんな"スザク"の背中に、リーゼとダイナが声をかける。ボタンを掛け違えたような違和感に、セイラも眉をひそめた。コットンが厳しい目で、静かに問いかける。
「"マルコ"。この名前に聞き覚えは?」
「え……? あ、もしかして、不死鳥マルコのこと? それがどうかしたの?」
その瞬間、"スザク"の肩を銃弾が貫いた。セイラが能力を使い、緑の茨で縛り上げる。ダイナたちも武器を構え、リーゼも戦闘の意思を見せた。"スザク"の赤色の目が、うろたえたように泳ぐ。
「ど、どうしたの皆? 痛いよ、解いて……」
「お前は誰だ」
「誰って、私はスザク、」
「私たちがよく知るスザクはな。この名前を聞くだけで、小一時間は語り続けることができるんだ」
「その程度の浅い知識で、私たちの船長を
年長組の冷たい眼差しに、茨で縛られた人物はニタリと笑ってみせた。スザクと同じ顔でありながら、スザクらしくない笑顔。やがてその姿が歪み、霧のように透き通って消える。
「偽物……! じゃあ本当のスザクさんは? ここにはいないってことですか?」
「そうとは限らない。ここはゴールではなく、通過点だ」
「どの道、秘宝を見つけなきゃ、全部は分からないみたいだね……」
「……そのことなんだけど、気になってたことがあるの」
片手を上げたセイラに、全員の注目が集まる。
「ここに来る前、気になる文章を見つけたわ。壁に刻まれている内容は、見覚えのあるものだった。皆はスザクの故郷について、どれくらい知ってるかしら?」
「スザクが話してくれた通りかな。悪政のせいで国の人が苦しんでて、それで革命が起きたって」
リーゼが首を傾けながら、思い出すように答える。それに軽く頷いてから、セイラは話を続けた。
「刻まれていたのは、スザクの故郷――
「その昔、小さいけれど平和な王国があった。皆が食べていけるほど作物が取れて、工芸品も作られていて、貧しすぎず贅沢すぎない生活をしていたの」
「けれど、その国の豊かさを奪おうとする者が現れたわ。国王は民たちを守るために、とある悪魔と契約した。悪魔を国の神として祀る代わりに、力を貸して欲しいと」
「悪魔はそれを受け入れ、1つの果実へと姿を変えた。国王はそれを食べることで、赤い翼を持つ美しい鳥に変身し、あらゆる脅威から国民と土地を守り抜いた」
「やがてその王国には、新しい王が生まれる度に、魔の果実が実るようになった。王はそれを食べて悪魔を宿し、国を繁栄させた」
魔の果実とは、悪魔の実。赤い鳥に変身する
南方と夏を司る神獣。大きく強靭な翼で、降りかかる災いや悪霊を追い払い、邪気や悪運を焼き尽くす力を持つ。逆境に打ち勝つ力と幸運を与えてくれると信じられている、四神の1つ。
「古い話だから、スザクの代まで伝わっていたかは分からない。本当に存在するのかも、実際に見てみないと分からない。でも、もしかしたら、ここにその実があるのかもしれないわ」
「私たちは、呼ばれたのかもしれない……。トリトリの実 幻獣種、モデル "朱雀"に」
***
「でも悪魔の実に呼ばれたんなら、スザクだけでよくない? 何で私たちも?」
「さあ……。そこまでは、私も想像できていないの」
6人でひとかたまりになりながら、先へ進む。腕組みしながら首を傾げるリーゼに、セイラは片手を頬に当てて答えた。
「この通路、どこまで続くんでしょうか……?」
「……皆、静かに。誰か来る」
タタンが不安そうな声を上げたところで、先頭のコットンが制止するように片腕を上げた。離れた場所の壁に長方形の出入り口があり、そこから微かに足音が聞こえる。サンダルを履いたような、ペタペタとした足音は、近づくにつれて大きくなった。
「……うおっ? お前ら、こんなとこで何やってんだ?」
「マルコさん!?」
赤い眼鏡越しの目が、驚いたように丸くなる。パイナップルの葉を思わせる金髪に、大柄な身体。開いたシャツの胸元からは、白ひげ海賊団のマークを模した刺青がのぞいていた。
「ヴァーー!? 不死鳥マルコ!? 何でいんの本物!?」
「そう聞くってことは、お前らも偽物と出くわしたのか? 一応言っとくが、おれは幻じゃねェよい」
「スザクと飲んだお茶の種類を覚えていますか?」
「パイナップルのフレーバーティーだろ? 美味かったから覚えてるよい」
「本物のようですね」
リーゼとダイナの質問に答えてから、マルコは全員の顔を見回す。
「珍しいな。スザクはいねェのか?」
「まだ合流できていないんだ」
「実は……」
移動しながら、これまでのことを話す。眠りについたはずが、目が覚めたらこの場所にいたこと。ここがどこかは不明であること。どうやらスザクの故郷にある伝説に、関係があるらしいこと。悪魔の実があるかもしれないこと。マルコは何かを考えるように、顎に手を当てて、耳を傾けていた。
「おれも同じだよい。スフィンクスにある家で寝たはずなんだが、いつの間にかここにいてな。石碑に書かれてた通り、一本道を進んでたら、お前らを見つけたんだ」
謎が多く、深い霧の中に迷い込んだような感覚が、全員を包むようだった。しばらく歩いた末に、正面に大きな扉が現れる。観音開きのそれは鮮やかな朱色に塗られ、翼を広げた大きな鳥の姿が描かれていた。
「……開かない。鍵がかかってるのか?」
「で、でも、鍵穴が無いですよ」
「皆、少し下がってちょうだい」
コットンが手をかけても、数人がかりで引っ張っても、びくともしない。マルコが試しても結果は同じだった。セイラが扉の前に立ち、ぺたりと両手を扉につける。
「"開け、ゴマ"!」
それは、『アリババと40人の盗賊』に出てくる言葉。物語の中では、宝物を隠す洞穴の扉を開ける呪文として使われる。しかし、扉は軋む音を立てるばかりで、なかなか開こうとしない。侵入者を拒むように火花が散り、セイラも負けじと歯を食いしばる。
「開かねえ扉があってたまるか! 扉は開くのが仕事だろうが! 仕事しろオラァ!!」
「どこの金森氏だ君は」
そのとき痺れを切らしたリーゼが、武装色をまとった足で、勢いよく扉を蹴っ飛ばした。その衝撃が後押しになったのか、ガタンと扉がズレる。それを確認したマルコも、自身の足を不死鳥のものに変えた。
「"鳳凰印"!」
七色のきらめきをまといながら、炎を伴う蹴りが叩き込まれる。生で見る技の迫力に、フレアとタタンは両手を取り合って感動していた。つい状況を忘れかけるのも、仕方ないかっこよさだった。
衝撃波で扉が吹き飛び、7人はその先へと飛び込む。立ち込める土埃の向こうから、はっきりと声が響く。
「……ノックもせずに押し入るとは、無礼千万」
艶のある低い声は、男性のようだ。どこか聞き覚えのある声に、フォレスト冒険団のメンバーが立ち止まる。やがて舞い上がっていた土埃が静まり、1人の人物が姿を現した。
烏の濡れ羽色の、長い髪。女性ならではの曲線美を描く体つき。スカートと赤いマントの裾をはためかせる、堂々とした立ち姿。
「……あなたは、誰だ」
こめかみに冷や汗を一筋流しながら、コットンが問いかける。さっきの偽物とは違う。目の前にいるのはスザク本人のはずなのに、何かが違う。爽やかな水色に染めていた横髪は、燃えるような真紅に染まり、ルビーのようだった目は輝く黄金に変わっていた。
「おれの名は"朱雀"。南の海に存在する島、チューチュエの王だ」
2年前、まだ男性の身体だったスザクと、同じ声。いつもの朗らかなスザクらしくない、不遜な態度。それでいて威厳のある雰囲気は、畏怖の念を抱かせた。
「まあ、今のおれは気分がいい。先程の無作法は不問にしてやる」
朱雀と名乗った人物は、そう言いながら、するりと自分の身体を撫でた。警戒する7人を気にすることなく、満足げに口元を緩める。
「女の体は初めてだが、なかなか悪くない。鍛えられ、磨き上げられた体だ。王の器として申し分無い」
「器って、どういうこと」
「おれは人間に宿り、その肉体を器として、この世に現れる。必要なのは肉体のみで、人間の意思は必要無い」
フレアが緊張したような、固い声で問いかける。飄々とした口調で語られる内容に、全員が息を呑んだ。それはつまり、悪魔の実の意思が、能力者の身体を強制的に乗っ取っているということ。タタンが声にならないように、口を開閉させ、目を潤ませる。
「返して……! スザクさんを返してください!」
「案ずるな。お前たちを消せば、この人間の未練も消える。そうすれば、この体の持ち主はおれとなる」
「お前ら避けろ!」
マルコの鋭い声が響くのと、6人が飛び退くのはほぼ同時だった。真っ赤な炎が燃え広がり、空気を焦がす。体勢を整え、ホルスターから拳銃を取り出しながら、コットンが凛とした声で命じた。
「フォレスト冒険団総員、絶対に怪我をするな」
「そうね。スザクに、いらない重荷を背負わせるわけにはいかないもの」
『雪の女王』の力を使って、火を消しながら、セイラは微笑む。他のメンバーも、呼応するように戦闘態勢を取り、目の前の人物をしっかりと見据えた。
「手ェ貸すよい」
「頼もしいです」
「恩人の危機なんだ。見過ごせねェよい」
マルコの身体が青い炎に包まれ、形を変えていく。人間の足から、立派な鉤爪を持つ鳥の足へ。両腕は大きな鳥の翼へ。人と不死鳥の間を取ったような、幻想的な姿だ。
「……愚かな。おれと戦うつもりか」
朱雀が呟くと、その身体から赤い炎があふれる。やがて炎は細く揺らめき、緋色の羽衣のように彼の肩へと舞い降りた。背中からは、赤く大きな翼が、神々しく広がる。
「スザク、聞こえているんだろう」
見聞色の覇気で読み取れるのは、2人分の声。自分の肉体を取り戻そうと、懸命に抗う声。唯一無二の船長に向けて、コットンは言葉を放つ。
「あの海から救い上げられたとき、私がついていくと決めた相手は、神獣でも悪魔でもない。まっすぐな努力家で、自分の好きなものを大切にしている君だ!」
麻酔の弾丸が炎の壁に焼き払われる。それでも隙を見逃すまいと、狙いを定め続ける。
「負けないでください、スザクさん! これからも素敵な旅が待ってるかもしれないのに、スザクさんがいないのは嫌です!」
「私が自由に生きる道を選べたのは、スザクがいたからだよ! それなのに、こんなところでいなくなるなんて許さないんだからね!」
槍で斬撃を飛ばすタタンの目に、涙が光る。フレアの炎を硬化させた鎧で、身を守りつつ、リーゼも技を繰り出した。
「……ッ」
朱雀が頭を押さえ、くらりとよろめく。フレアがピンク色の炎をまとわせた刀で斬りかかる。2色の炎がぶつかり合い、金色の火の粉と、黄緑がかった水色の火の粉が飛び散った。
「スザク! 君が持ってる"好き"って気持ちは、こんな奴に奪われるほど弱くないはずだよ!」
「あなたがこのまま戻らなければ、あなたの先生は悲しみますよ。私たちも泣いてしまいますし、マルコさんは怪我をしてしまうかも。まさかそんな酷いこと、スザクはしませんよね」
フレアの隣で、ダイナはナイフやクナイを飛ばす。スカートの下にはいつでも出せるように、海楼石の手錠を隠していた。
「私たちが
"氷雪魔法"で炎を防ぎ、"三叉の槍"で海水を操りながら、セイラも叫ぶ。朱雀は頭を抱えたまま、苛立たしげに唇を噛んだ。何度かかぶりを振り、ぎらつく目で睨みつける。
「……うるさい、うるさいうるさい! 黙れッ!!」
咄嗟にセイラが張った氷壁を、一瞬で蒸発させるほどの炎。その前に割り込んだのは、目が覚めるような水色の炎だった。覚悟していた熱や痛みが無いことに、リーゼやフレアが目を開ける。
「"不死薊"!」
再生の炎が渦となり、大きな盾となって、全員を守っていた。頬や腕に負った火傷を瞬時に回復させながら、マルコは相手を包む。金色の目の奥にある、スザク本人を見つけようとするように。顔を近づけ、真剣な声で呼びかけた。
「スザク!」
朱雀の顔が苦しげに歪む。金色の目が、ゆっくりと赤に染まりかける。
マルコの脳裏に浮かんだのは、ここへ来るまでに見た幻。オヤジが、エースが、ボロボロになって死んでいく姿。現実では、スザクたちも手伝ってくれたおかげで、大切な家族は死なずに済んでいる。それでも、失うかもしれないという恐怖が、久しぶりにマルコの中に巣くいかけていた。
恩人であり、興味深い人間。見聞色を使わずとも、表情や雰囲気から伝わってくる、素直な好意がこそばゆくて。自由な姿が一番輝いて見える彼女を、籠の鳥にしたくなくて。彼女を縛らないように、彼女の想いに応えなかったのに。
「悪魔の実なんかに囚われるな! お前の身体も心も、お前自身のもんだよい!」
彼女に向けていたのは、心からの感謝と信頼。その中に、いつしか紛れていた別の気持ちに、気づけないほど青二才ではない。気づかない振りは、もうできない。
「目を覚ませ、スザク! お前は、こんな奴に好き勝手されていい奴じゃねェ!」
***
助けを求められて、力を貸した。それで皆が感謝してくれた。でも長い年月の中で、少しずつ信仰は薄れていった。我が子を生贄にしたくないと思う、王や王妃等が現れたからだった。
おれは新たな居場所を探すようになった。でもあの人間たち――チューチュエ島の王族のように、馴染む人間は見当たらない。
そんなとき、あの女を見つけた。歴代の王族の血脈を受け継ぎ、いろんな人間から愛されている。あいつの身体に宿れば、あいつみたいになれるんじゃないか。そう考えた。
「もしかして、寂しかったの?」
悪魔の実の、"朱雀"の意思が、少しずつ流れ込んでくる。気になって問いかけてみると、彼は虚をつかれたように目を見開いて、押し黙ってしまった。
「私の身体は私だけのものだから、あげられないけどさ。一緒に行こうよ。退屈はしないと思うよ」
まるで誰かに、必要とされたがっているような。そんな彼の手を取ると、柔らかな熱が伝わってくる。朱雀は幸福と家運繁栄をもたらし、未来を見通す象徴とも言われる。私の身体を勝手に乗っ取ったことは許さないけど、そんな彼がいてくれたら、この先の旅がもっと素敵になるかもしれない。
「朱雀のままだと、ややこしいな。今日から君、朱雀のザックね」
「……妙な名をつけるな」
「だって悪魔の実って、一度食べたら力の譲渡なんてできないじゃん。私と名前が被ったのが、運の尽きだと思って」
「……おかしな女だ。おれを許すというのか」
「うん」
にっこり笑いかけると、目の前の朱雀の気が緩む。その瞬間、私は彼のほっぺたに、思いっきり平手打ちを食らわせた。手首のスナップをきかせて、全力で腕を振り抜く。バチーーンッ! と盛大な音を立てて、彼の頬が朱に染まった。
「よくも私の身体で、散々大切な仲間たちと最愛の推しに危害を加えてくれたね。その件はこれでチャラにしてあげるけど、次やったら許さない。私ごと道連れにしてやるから、そのつもりでね」
「……分かっ、た」
「ほんとに? 命懸けて誓える?」
「誓う」
「よろしい」
腫れたほっぺたを押さえる彼の胸に、とんと拳を当てる。不本意な形で能力者になってしまったけど、彼の手綱を握る覚悟はできた。
「履き違えないでね。私はあなたの器じゃない。あなたが、私の武器になるんだよ」
こくりとザックが頷くのを確認して、目を閉じる。
温かい。陽だまりの中に寝転んでるときみたいな。ふわふわの毛布にくるまってるときみたいな、心地いい温かさ。心からリラックスできて、隅々まで癒されていくような温もりに、全身を包まれる。
ゆっくり目を開ける。視界に飛び込んできたのは水色の炎。目元に少しシワがある細い眼差しと、赤縁の眼鏡。鼻先がふれてしまいそうなほど近くに、マルコさんの顔があった。夢かな。
「マル、コ、さ……?」
「スザク……、だな」
途切れ途切れに名前を呼ぶ。すると、ぎゅうっとたくましい腕に抱きしめられた。少し汗ばんだ、男の人の匂いがする。前世で買った推しフレグランス(ガルバナムやカメリア等)の優しい香りは流石にしないけど、私にとってはどんな香水よりも、魅惑的に感じた。
待って。私、今、推しの腕の中にいる。すごい情熱的に抱きしめられてる。後頭部にマルコさんの手のひらの感触がある。何これ夢? 触覚に影響与えるタイプの幻覚? ほっぺたをつねりたいけど、抱きしめられてるせいで腕が動かせない。
「……正気に戻ったみてェだな。よかった……」
「あ、あの、あの、マルコさ、はなして、」
「悪ィ。もう少しだけ、このままでいさせてくれよい」
「○✕△□〜〜〜ッ」
身体中の空気を吐き出すように、マルコさんがため息をつく。マルコさんしか見えない。マルコさんの声が鼓膜を震わせる。マルコさんの匂いが鼻をくすぐる。マルコさんの手が、腕が、胸が、身体が、温かい。夢、じゃない。
「……ケテ……。タス、ケテ……」
「すまない、マルコさん。その辺で」
「これ以上はスザクが死んじゃうわ」
「おっと」
マルコさんが身体を離す。手の甲で目を擦ると、潤んだ視界がクリアになる。顔全体が炙られたみたいに熱い。手で顔を扇いでいると、コットンさんとセイラさんが見えた。皆が心配そうに、私を見つめている。
頭が冷静さを取り戻す。私は膝を着いて正座し、手のひらとおでこを地面につけた。お手本のようなジャパニーズ土下座である。
「誠に申し訳ございませんでした。船長の身でありながら仲間を攻撃し、あまつさえマルコさんにまで危害を加えたこと。万死に値する罪であります」
「大丈夫だ、スザク。私たちは誰も怪我をしていない。スザクが気に病むことは何も無い」
「おれの能力忘れたのか? あれくらいじゃ、傷1つ残せねェよい」
コットンさんとマルコさんが、気遣うように柔らかな声で言う。顔を上げると、リーゼとタタンに抱きつかれた。尻もちをつきながら2人を受け止めると、わんわん泣き声が聞こえてくる。
「うっ、えぐ、ひっく、すざ、スザクさあああああん」
「スザク〜〜〜! もーバカバカ心配したんだからね! 戻ってきてくれてよがったああああ!」
「……うん。うん。ごめんね皆。呼びかけてくれて、ありがとう」
両腕で2人を抱きしめ返す。自分の身体が、自分の思う通りに動くのが、改めて大切なことのように感じた。肩や胸元が、しっとりと温かく湿っていく。それすら愛おしい。
「スザク」
リーゼとタタンが離れた後、マルコさんが私の前で、片膝を着く。姿勢を正す私を優しく見つめて、彼は手を伸ばした。大きな手のひらが、私の頬をそっと撫でる。
「……奪われそうになって、気づいちまった。おれは、お前がお前らしく、自由に羽ばたいていく姿が、一番好きだよい」
「え」
「もし、おれだけのもんにしちまったら、お前が持つ輝きを損なわせる。そう思ってた。……けど、もうやめだ。他の奴に奪われるくらいなら、おれが、お前を守りたい」
視界の端で、フォレスト冒険団の皆が密かにはしゃぐような、甘酸っぱさを噛み締めるような雰囲気になる。私はと言うと、マルコさんから目をそらせずにいた。何一つ聴き逃したくない。何一つ見逃したくない。彼が何を言おうとしてるのか、ちゃんと受け取りたい。
「良識ある大人じゃなくて悪ィな。スザク、お前が好きだ」
そんなことないです。嬉しいです。そう言おうとしたのに、言葉にならなかった。ふさがれた唇から、少しでも想いは伝わっているだろうか。胸がドキドキして破裂しそうで。嬉しいのに泣きたくて。初めての、それも大好きな人とするキスの味なんて、全然分からなかった。
***
「私たちだって、けっこう必死に呼びかけたのにね〜」
「マルコさんの呼びかけで、やっと正気に戻るんですものね」
「やっぱり、最後に勝つのは真実の愛なのね〜」
「このこの〜」
「その節は本当にすみませんでした……。いじるのやめて……」
朝ごはんを食べた後。フレアとダイナさんに両側から頬をつつかれ、セイラさんに冗談混じりの声をかけられ、リーゼに軽く肘でつつかれる。コットンさんもタタンも、微笑ましそうな温かい目を向けてくる。
あの後、目が覚めた私は、ベッドの上で静かに絶望した。夢オチかい、と。でも他の皆と話して、全員が同じ夢を見ていたと分かった。試してみたら、自分の身体から赤い炎が出たし、大きい孔雀みたいな赤い鳥にも変身できた。その代わり、水に浸かると力が抜けるけど。
「それにしても今さらだけど、何で悪魔の実なんて食べちゃったの?」
「いやぁ……。マルコさんの姿と声で『あーん』されたら、雛鳥のごとく口を開けちゃったと言いますか……」
「偽物の推し相手に、無防備になっちゃったのね」
「スザクの前に現れた偽物だけ、クオリティが異常に高かったのかもしれないな」
夢だけど、夢じゃなかった。
部屋で日記を書き終えたとき、電伝虫がぷるぷる鳴き出す。受話器を取って耳に当てると、大好きな人の声が聞こえた。
「――スザク、今話せるか?」
「はい」
話したいことが、たくさんある。少し照れくさくて、でも伝えたいことがある。穏やかな時間の中で私たちは、昨日見た、不思議な夢の話を始めた。
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