番外編



「フレアを、おれのクルーに紹介したい」

トロイメライ号に滞在していたローが、そう切り出したのがきっかけだった。スザクとローの話し合い――抜刀寸前なのを私が止めた――の末、3週間ローの船にお邪魔することが決まる。

「はい。何かあったときのために、一応持っていて」
「指輪と、銀の靴?」
「ボーモン夫人の『美女と野獣』に出てくる指輪。テーブルに置いて眠れば、翌朝ここに帰れるの。『オズの魔法使い』の銀の靴は、履いて、かかとを3回鳴らせば帰ってこられるわ」

セイラさんに渡された箱を、リュックの底に隠すように仕舞う。穏やかに微笑むセイラさんの側で、リーゼが心配そうにうろうろしていた。

「大丈夫かなあ? ローにそのまま船員にされない?」
「大丈夫だよ。ローのことは好きだけど、ちゃんとこっちに帰ってくるから」
「白昼堂々、目の前でフレアが攫われたから、心配が勝つ」

後ろからリーゼが抱きついてくる。落ち着かせるようにその手を撫でると、後頭部に頬を擦り寄せられるような感覚がした。可愛い妹分が甘えてくる仕草に、ちょっときゅんとする。

「心配いらないわ。約束の期間が過ぎてもフレアを帰さなかった場合、取り戻す方法はまだあるもの」
「頼もしすぎる」
「セイラさんの笑顔が心なしか怖い」

ドレスローザ後の拉致未遂事件のせいか。フォレスト冒険団メンバーにとって、ローは見守り対象かつ警戒対象になっている気がする。セイラさんのにっこり笑顔に隠れた、黒い一面を察しながら、私は荷造りを進めた。

***

ポーラータング号と合流するその日。リュックを背負い、手土産のクッキー(21人分)が入ったバッグを抱えて、私は深呼吸を繰り返していた。私の顔が強ばっているのを見て、隣にいるローが声をかけてくる。

「緊張してんのか?」
「他所の海賊船にお世話になる機会なんて、ほぼ無いからね……」
「気はいい奴らだ。心配いらねェよ」

ローはそう言ってくれるけど、それでも心配は募る。ハートの海賊団は誰よりもローを信頼し、愛している人たちの集まりだ。漫画を見る限り、あの世界の海賊にしては、穏やかで陽気な人たちだと思う。

でも長い年月を一緒に過ごしてきた中に、ぽっと出の女が"キャプテンの恋人です"なんて現れたら、いい気はしないだろう。「うちのキャプテンをたぶらかしてんじゃないわよ、このハート泥棒」と言われてもおかしくないのだ。

「キャプテンが女の子連れてきたぞおおお!」
「宴だああああああああ!」
「パーッと派手にやろうじゃねェか!」

全然そんなこと無かった。むしろ大歓迎の雰囲気だった。ローが目の前にいるからとか、そんな理由じゃなく、心から喜んでくれているみたいな歓声が上がった。

「……な? 心配要らなかっただろ」
「うん……。それにしても、なぜこんなに歓待ムード?」
「お前をいずれ船に乗せることは、クルー全員に話してたからな」
「既に外堀埋めてたんかい」
「当然」

大盛り上がりの白い集団をぽかんと眺めていると、ローが腰をかがめた。私の耳近くに顔を寄せながら、彼はささやくように言う。私はフォレスト冒険団のコックで薬師で、まだハートの海賊団のクルーになるつもりは無い。突っ込みを入れると、ローはニヤリと笑みを浮かべた。

「よかったね、キャプテン。大切な子に会えたんだね」

オレンジ色のつなぎを着た白クマ――ベポが、にこにこと嬉しそうな笑顔で話しかけてくる。改めて近くで見ると大きいな。リアルのクマは怖いけど、彼は見慣れてるせいか可愛いかも。

「あァ」
「キャプテンね、君のことたくさん話してたんだよ。おれはベポ。よろしくな!」
「初めまして。私はフレア。よろしくね」

肉球のついた手と握手する。鋭い爪を気にしているのか、彼はそっと手を合わせてくれた。それから軽々と私を抱き上げて、頬を擦りつけてくる。

「ガルチュー!」
「が、ガルチュー」

おおう。見た目の割に、ゴワゴワ感が強めのモフモフだ。ローの枕としては、最適な硬さなのかな。干したお布団みたいな匂いがほのかにする。帰ったら、コットンさんに伝えよう。

ハートの海賊団独特の、笑顔を浮かべたドクロマークがはためく黒い帆。明るい黄色で塗られた、ポップな印象の巨大な潜水艦。乗り込んだときはけっこう揺れたけど、潜れば収まった。

「波の影響を受けなくなるから、潜水中は揺れないんだぜ」
「そうそう。船酔いする奴でも、安心して乗れるってわけ」

シャチさんとペンギンさんが、前を歩きながら説明してくれる。食堂に集まったところで、持ってきたクッキーを渡すと、皆は美味しそうに食べてくれた。ひとまず安心だ。

***

「年に1回、キャプテン直々に健康診断が行われるから、健康面は心配要らないぞ」
「食事当番は交代制だけど、ペンギンとハクガンの作るメシが特に美味いよ!」
「はい、よかったらこれ着て。おそろいのつなぎ。サイズどれが合うかな」
「船員たちも仲が良く、居心地がいい船だ。すぐに馴染めるだろう。おれもそうだった」

久しぶりの、誰かに作ってもらう美味しいご飯。潜水艦の窓から見えるのは、滅多に見られない、幻想的な海中の景色。クルーの皆から気さくに声をかけられ、顔を合わせる度に程よく親切にしてもらいながら、最初の1週間が過ぎる。

ローの部屋で寝泊まり(強制的に連れ込まれた)していた私は、1人になったタイミングを見計らって、スザクたちに電話をかけた。

「助けてーッ! ハートの海賊団総員、全力で囲い込もうとしてくるよーッ!」

事情を説明する。あの手この手で、ハートの海賊団のいいとこアピールをされること。かごめかごめのごとく、勧誘されている気分になることを詳しく話すと、受話器の向こうがざわついた。

「な、何だってーー!?」
「ジャンバールも参戦してくるとは……! 思ってた以上に勧誘がガチだ!」
「ベポと一緒にお昼寝&ガルチュー1日3回、だと……!? 何て恐ろしい誘惑を……!」
「コットンさんが間接的にダメージ受けちゃってます!」
「落ち着いて、フレア。残りの2週間、何とか耐え抜くのよ」
「かごめかごめならぬ、囲め囲めですね」
「ダイナさん今そういうのいいから!」

「あ、そうだ。ペンギンさんたちに、新しい味付け教えてもらったから、楽しみにしててね」
「フレアもフレアで馴染んどる〜〜!」

打楽器を軽快に鳴らすみたいに、打てば響く仲間たちの声を聞いていると、だんだん落ち着いてくる。苦楽を共にしてきた彼女たちと、そう簡単に離れるわけないのにな。口元を緩めて、私は話を続けた。

「こっちに来てから、ハートのクルーって、ほんとにローのこと大好きなんだなって実感したよ。ローのかっこいいとことか推しポイントとか、よく話してくれるから」
「布教活動かしら?」
「『その沼(に)沈めたらァ!』を地で行くとは」
「このキャプテン大好き除湿温風ドライ海賊団がよォ」

「ポーラータング号も掃除や手入れがしっかりされてて、大事に使われてるんだなって思った。1人の発明家が作った潜水艦が、たくさんの人を乗せてこの海を進んでるんだって考えると、何だかジンとくる」
「ノベロを読破しているのですね。意外です」
「前世でコットンさんが貸してくれた」
「旧"花マル無敵号"だな」
「わぁ、可愛い名前ですね」

気づけば、いつも通りの和やかな空気が戻ってくる。受話器越しに聞こえてくる、他の6人の声に耳を傾けながら、私はくすくすと笑みをこぼした。

***

船とは、1種の宝箱だと思う。
大切な人と大切な物を、敵や嵐から守る宝箱。自分たちの思うままに、デザインして作り上げる。世界で1つだけの、大きな宝箱。

「おお〜……! 綺麗だね」
「時々、乾いた布で拭いて手入れしてるからな」

そんなポーラータング号にある、ローの船室。そこで彼が、自分の宝物を見せてくれた。アルバムや、防水のためのニスが塗られた木箱に、たくさんの記念コインがきらめいている。

「これは北の海ノースブルーにある国の、戦争勝利記念。これは西の海ウエストブルーにあった国の、王の肖像。こっちは偉大なる航路グランドラインにある国の、建国100周年記念だ」

1つ1つを指さして、ローが教えてくれる。彼の穏やかな低い声で、語られる説明は、不思議と飽きることが無かった。金や銀、銅で作られたコインに、歴史と物語が吹き込まれていく。

「こんなに集めるなんて、すごいなぁ。時間をかけて、いろんな場所に行って、見つけてきたんだね」
「……まァ、少なくとも7、8年はかけてるな」

人の姿や横顔、建物や動物が刻まれたコインを眺めながら言う。ローはしばらく黙り込んでから、コインを指先でそっと撫でた。

「……聞かねェのか?」
「何を?」
「……13年前。おれがお前と別れてから、何があったか」

どこか、影を落としたような声だった。ローが誰と別れて、誰と出会って、何を見てきたか。誰と戦って、何を感じて、何を目指して生きてきたか。その詳しい事情についてのこと。

「それ、話したいの?」
「……時間はかかる」
「そっか。話したくなったら話してよ。それが私の聞きたい話だ」

本当は、原作や小説を読んでいるから、大体の事情は知っているつもりだ。でもそうじゃなくて、ローの口から聞いてみたいと思った。彼の声で、彼自身の言葉で。彼が見てきたものや感じたもの、出会った人や物たちのことを、聞いてみたい。

「なんて、私の好きな物語の受け売りだけどね」

引用したのは、前世でオタ活をしていたときに出会った、推しの1人のセリフだ。街を守り、そこに住む人々と物と想いを守る、少年たちの物語。それに登場する、最強の総代。実は主人公も好きだ。彼に美味しいものを食べさせて、彼の幸せを願いたくなるから。

頬をかいて照れ笑いしながら言うと、ローの瞳が少し揺れた。口をつぐんで、私の手の上に大きな手を重ねる。少し低い彼の体温が、手のひらから伝わってくる。

「……初めて会ったときも、そうだったな。ボロボロだった理由も、旅をしてた詳しい理由も、根掘り葉掘り尋ねてこなかった」

ことん、と彼のおでこが、私の肩に乗せられる。ささやくような声には、感謝と安らぎがにじんでいるようだった。

何となく放っておけなくて、彼の黒髪をそっと撫でる。彼はされるがままになってから、顔を上げた。私を映した灰色の目が、優しく切なげに細められて。薄い唇が少しだけ開いていて。不健康そうだけど整った顔が、ゆっくりと近づいて。

「……ローも、キスしたいって思うんだ」
「惚れてる女を前に待てができるほど、行儀は良くないんでな」

数秒間、重なった唇が離れる。初めてってわけじゃないけど、昼間にされたことは無かったから、頬が熱い。ぽっぽと火照りだす顔を押さえると、ローはククッと声を上げて笑った。それはどこか、少年じみた無邪気さを微かに残したような、くしゃっとした笑い方だった。

***

ダークブルーの海の中。私が持ってきたドライハーブで、入れたお茶を飲みながら、少しずつ話をする。ローがしてきた冒険の話。私がしてきた冒険の話。お互いが見たもの、聞いたもの、感じたもの。

りんごのようなカモミールの香りに包まれて、自然と眠くなるまで語り合って。ふと目が覚めると、後ろから抱きしめられる形で、ローのベッドに横になっていた。

近くにあったローの手をそっと取り、長い指や筋張った手の甲を観察する。鬼哭を振るい、敵と戦い、人を助けてきた手。頑張ってきた人の手。刻まれたタトゥーは、彼の信念と覚悟の証。

「D、E、A、T、H、っと……ふふっ」

人差し指でアルファベットをなぞりながら、頬をほころばせる。死を意味する単語なのに、怖いとは思わなかった。

人を、大切に想える人を生かすために。自分が「死」に近いところにいると、いつでも覚えておくために、彫られた文字。

もそもそと体勢を変えて、ローと向き合う。眉間にシワの無い寝顔は、いつもより穏やかで、ちょっと可愛く見えた。強面でヒゲも生えてる成人男性に、抱く感想じゃないかもだけど。

胸の内に、温かな愛おしさがあふれる。エースに対して抱いているのとは、似ているようで少し違う。美味しいご飯をいっぱい食べて、温かいお布団でぐっすり眠って、健やかに生きてほしい。大切な人に囲まれて、誰にも傷つけられることなく、幸せになってほしい。

エースが幸福なら、その隣に誰がいてもいい。でも、ローの隣に立つのは私がいい。ローの人生を共にする女の人は、私じゃなきゃ嫌だ。自分がこんな風に思う日が来るなんて、思わなかった。

規則正しい寝息を立てる、彼の髪と頬に、そっとふれる。起こさないように、ギリギリの力で撫でてから、私はローのおでこにキスをした。花びらでふれるような、ささやかなキス。

「……ねぇ、ロー。愛してるよ」

いつか、同じ道を進む時が来たら。どうか私を置いていかないで。独りにしないで。私を愛してるって言うなら、私と一緒に幸せになって。

彼の頭を胸に抱くように、両腕で柔らかく包み込む。少し跳ねた短い黒髪を撫でていると、ぎゅっとローの腕に力が込められた。

「……寝てる間に言うなんて、冷てェな」
「お、起きてたの!?」
「お前がおれのタトゥーをなぞってたときに。くすぐってェと思った」
「割と最初じゃん」

青に包まれた朝の中。さらさらした、白いシーツの波の上でふれあう。壊れ物を扱うような、大切なものにふれるような手つきで。約束の3週間目は、ちょうど今日だった。

「……帰したくねェな」
「こら。約束は守らないと、スザクたちに出禁にされるよ」
「このまま攫っちまうか」
「こらこらこら」

叱るように、ペち、とローの頬を軽く叩く。彼は私の手を取って、その手のひらに頬を擦り寄せてきた。大きな猫が甘えてくるようで、胸がきゅんと高鳴る。

「おれも、愛してる」

雪が舞い降りるように、そっと重ねられた唇を、私は素直に受け入れた。

***

「「「また来いよ~~!!」」」

ハートの海賊団一同に手を振りながら、ポーラータング号を出る。ここでの生活も、なかなか楽しかったな。新しいレシピや知識も増えたし良いことづくし。トロイメライ号に戻ると、スザクが抱きついてきた。

「おかえりフレア~~~!」
「おかえりなさい。『大どろぼうホッツェンプロッツ』に出てくる、呪文を使わずに済んでよかったわ」

スザクの後ろから、セイラさんが安心したような笑顔を浮かべる。他の皆も甲板に出てきて、普段と変わらない様子で出迎えてくれた。

「本日の夕食のメインは、私が作りました。スパゲッティ・アッラッサッシーナ。通称、暗殺者のパスタでございます」
「ダイナさんが言うとシャレにならない」
「スープは私が作ったよ」
「サラダは私とタタンが担当だ」
「デザートは私が作ったの。グレープフルーツとオレンジのゼリーよ」
「私は味見した!」
「皆ありがとう~!」

スザクがピースサインをし、コットンさんは胸に手を当てる。セイラさんは頬に手を当てて微笑み、リーゼはぴんと手を挙げた。全員に向けてお礼を言って、私は食卓につく。

暗殺者のパスタは、スパゲッティを茹でずに、オリーブオイルで焼きつけてからトマトソースで煮込むパスタだ。お焦げの香ばしさとカリカリした食感。酸味のあるソースを、余すところなく吸った、麺の濃い旨み。実家のような安心感と、たくさんの愛に囲まれて、私は頬を緩ませた。
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