エピソード・オブ・スザク



本当の王様とは何だろう。
少なくとも、豪華な服と大きな宝石を身につけて、金ピカの椅子でふんぞり返る人ではないはずだ。
その問いは、今も私の中にある。

***

南の海サウスブルーにある王国で、私は第3王子として産まれた。物心ついたときから、誰も私に期待していなかったように思う。その国で王位継承権を持つのは、兄の第1王子だったから。

「かわいそうに」
「第2王子ならともかく第3王子なんて、王位継承権など無いにも等しい」
「あの方はどれほど努力なさろうとも、王位を継ぐことはできないのだ」
「せめて姫なら、嫁がせることで、他国との繋がりを持てたのに」

使用人もメイドも、影でひそひそと同情の言葉を口にする。両親は兄2人と一緒にいることが多く、私の方を見ることは無かった。4人はお抱えの宝石商や仕立て屋を呼んで買い物をしたり、豪華なパーティーを開いてお客様とおしゃべりをしたりしていた。

そのとき、ふと思った。
――あれ? 誰も私に期待してないなら、自由に好きなことしていいんじゃね?

前世の記憶を思い出したのは、3歳くらいのとき。私が産まれたときに、名付け親から贈られたという羅針盤で遊んでいたとき、頭の中に記憶が流れ込んできたのだ。

風変わりな羅針盤だった。文字盤には7つの宝石がはめ込まれていて、針はそれまでずっと、12時の位置にある真っ赤なルビーを指していた。

他にはオレンジ色のファイアオパール、黄色のシトリン、緑色のエメラルド。青色のサファイア、藍色のラピスラズリ、紫色のタンザナイト。それらと重なるように、前世のSNSやサイトで繋がっていた人たちの思い出が、描き出されていく。

この世界のどこかに、前世の夢仲間たちも転生している。少なくとも、あと6人。だったら皆を集めて、この世界を冒険したり、やりたいことに挑戦したりしたら楽しいんじゃないか。

そうと決まったら、ぐうたらしている暇は無かった。この国を出てもやっていけるように、力をつけなければならない。今の私じゃ、知力も体力も魅力も、何も足りない。待ってて前世の夢女子仲間たち! そして私の愛する最推し、マルコさん! あなたの横に並んでも恥ずかしくない、立派な人間になるからね!


勉学や剣術、楽器に乗馬。王族として叩き込まれる教養を、私は毎日吸収していった。「そんなに頑張っても無駄なのに」と、兄2人にバカにされて笑われても、不思議とへっちゃらだった。むしろ勉強や鍛錬をサボる兄たちよりも、私は先生たちに質問しては指導をお願いしていた。

5歳になったある日、私のところに新しい先生がやって来た。

「リベルテと申します。スザク様の家庭教師を仰せつかりました」
「よろしくおねがいします、せんせい!」

学習室で待っていたのは、さらさらした短い黒髪の、綺麗な女の人。彼女は凛とした金色の目で、私と、私がいつも首にかけている羅針盤を見た。そして花びらみたいな唇が開き、私に言葉を投げかける。

「スザク様。"王様"とは、どんな存在だと思いますか?」
「おうさま?」
「はい。王様です」
「くにでいちばんえらいそんざいだとおもいます!」
「では、なぜ偉いと思いますか?」

手をぴんと上に挙げて答えると、深掘りするような質問をされた。

「ええと、くにのみんなをまもらないといけないから、ですか?」
「そうですね。王様とは、国と民が存在しているからこそ、成り立ちます。そのため、国民の生活と自由を、守る義務があるのです」

先生が教えてくれることは、どれも面白かった。頭を使うことが多くて知恵熱が出る日もあったけど、先生は側にいて、優しく面倒を見てくれた。いつしか私は先生の顔を、親の顔より見るようになっていた。言葉通りの意味で。


「スザク様には、王様になる素質があります」
「なんで? わたし、おうさまになれないよ?」
「なぜそう思うのですか?」
「あにうえたちがいるから」
「確かに、この国で王位継承権は、生まれた順番にあります。しかし、スザク様は誰よりも思慮深く、努力家です。私は、貴方様の将来が楽しみです」

そんなことを言われたのは、初めてだった。

――スザク様は、毎日鍛錬に励んでいますね。……第1王子様も、スザク様のようにしてくれたらいいのですが……。

――スザク様、もうこの言語を読めるのですか? ……あまり根を詰めなくても、よろしいのですよ?

――まだスザク様は幼いのですから、もっと遊ばなくては。女の子のような口調も、直さなくてはいけませんね。

「かわいそう」で「必要ない子」でも、変わり者の第3王子でもない。私自身を真正面から評価してくれた人なんて、今までいなかった。もともとの性別を表す口調で話しても、受け入れてくれる人は、先生だけだった。

「えへへ、そうかなぁ。せんせいにほめられると、うれしいな」
「私は、見たままをお伝えしているだけです」
「でもうれしいよ。せんせい、うそいわないもん」

嬉しくて頬が緩む。にこにこと笑顔で伝えると、先生はほんのり微笑んで、頭を撫でてくれた。いつもクールな先生が、私にだけ見せてくれる優しい表情。大切にしてくれていると分かる手つき。それが温かくて安心して、私は先生の手に頭を擦り寄せた。

***

「スザク様、今日は町を見に行きましょうか」

5年後。先生がそう言ってくれて、私は初めて城の外に行くことになった。先生いわく、社会見学の勉強らしい。

町の人がびっくりしないように、なるべく飾りの少ない服を選ぶ。そのうえで、「お好きなお召し物を着てよろしいですよ」と先生が言ってくれたので、パフスリーブのブラウスと花の刺繍が入ったスカートにした。城に仕立屋さんが来たときに、こっそり買った服。

先生が私の髪をとかして、赤いリボンを飾ってくれる。鏡の前にいるのは、どこから見ても可愛らしい女の子だった。まだ性差の無い、柔らかな子どもの体だからか、女装しても違和感が無い。

「参りましょう。私の手を離さないように」
「はい!」

いつも城は高い壁に囲まれていて、外の景色は全然見えなかった。お城の中は金細工で飾られた白壁に、たくさんの絵画や、ふかふかの赤い絨毯があったから、飽きることは無い。庭には色とりどりの花が咲いて、季節ごとに目を楽しませてくれた。

でも今日は、生まれて初めて自分の国を見られるんだ! どんな光景が広がってるんだろう。綺麗な町と優しい人たちが、のんびり幸せに暮らしてるといいな。先生のしなやかな手を握って、私は開かれていく門を、わくわくしながら見つめていた。

外に3歩出たとたん、その期待は一気に萎んだ。

離れた場所に見えるのは、粗末な小屋が並ぶ風景。足を踏み入れれば、痩せた人や不健康な太り方をした人が、疲れた顔で歩いている。道は割れたタイルや小石が転がっていて、よそ見をしていたらつまずきそうだ。辺りを見れば、ぼさぼさの髪の男の人たちが、荒んだ目でこちらをうかがっている。

「……先生……」
「大丈夫ですよ。私から離れないでください」

いつもと変わらない落ち着いた声に、不安と恐怖が少し消える。私はこくりと素直に頷き、先生の腕にしがみついた。

先生が入ったのは、傾いた看板がかけられたパン屋だった。店番をしていたおかみさんが、先生を見て少し表情を緩める。

「リベルテさん。来てくれたのかい?」
「ええ。こちらが、城の料理人に分けていただいた小麦です」
「ありがとうね。税金が増えてから、小麦を買うお金も足りなくなっちまったから、助かるよ」

背中に背負っていたカバンから、先生が包みを取り出す。それを受け取りながら、おかみさんは困ったように眉を下げて笑っていた。棚を見ると、パンはほとんど残っていない。もう売れたのか、あまりたくさん焼けていないのか。

「……税金って、そんなに高いの?」
「そうだよ、お嬢ちゃん。この国の偉い方々が、たくさん持っていってしまうのさ。おかげで私たちは、明日のパンにもありつけるかどうかなんだ」

その言葉に、胸が詰まる。城では1日3回豪華な食事と、1日2回おやつの時間がある。ちょくちょく開かれるパーティーでは、おしゃべりに夢中なお客さんたちが食べきれないほど、ご飯やデザートが出されていた。

今まで、何も考えずに、与えられるものを受け取っていた。それらがどこから来たのか、誰の生活を犠牲にして得られたのか、知らなかった。


「……先生」
「はい」
「……私、今まで、国の人たちを踏みつけて生きてたの?」
「いいえ。国の人たちを踏みつけにしているのは、スザク様ではありません」

手を繋いだままで城に戻り、自室にたどり着くと、ほっと気持ちが落ち着く。帰り道を歩く間、ずっと黙って考えていたことを口にすると、先生が私と目を合わせるように膝をついた。

「でも、この服も、この家具も、国の人を苦しめて手に入れたものでしょ?」
「スザク様はまだ、庇護を受けるべき子どもです。スザク様が責任を感じる必要はありません」

両肩に先生の手が置かれ、真剣な金色の目が私の目をのぞき込む。不安でいっぱいになっているだろう私の顔を見て、先生は少しだけ眉を寄せた。

「国の人たちを苦しめているのは、国王――スザク様のお父様です」
「申し訳ありません。辛い思いをさせてしまいましたね」

先生の手が、そっと頭を撫でてくれる。優しい感触に視界がぼやけ、ぱたぱたと頬にぬるい水が落ちた。しゃくり上げる私をそっと抱きしめて、先生はささやく。大切なことを、私の中にしまい込むみたいに。

「スザク様には、人を思いやる、優しい心があるのですね」
「その涙を、どうか忘れないでください。自分を支えてくれる存在を知り、その存在を気にかけることは、人の上に立つとき必要になります」

***

その後、私は行動を起こした。
城のコックたちと話をし、パーティーでほとんど手つかずだった料理やデザートを、全て国の人たちに配布した。

自分には必要ないと判断した服や調度品を売り、お金に替えた。国の人たちに道路を直す仕事等を持ちかけ、そのお金を賃金として払った。

税金は高いままだったけど、それでも飢えに苦しんでいた人たちは減っていく。先生と町に出かける度に、荒んだ目をした人やぼんやりした顔の人が少なくなっていることを確認した。皆に余裕が出てきたところで、町の子どもたちに文字を教えることもあった。


第3王子という立場を使って、国の人のために動いて1年。私は数人の使用人と共に、船旅に出されていた。

「……やっぱり、父上は分かってくれないよなあ」

もともと国庫を、自身の財布としてしか見ていない、典型的なダメ王様だ。おまけに自分のすることに意見されれば、自分の権威が脅かされていると感じる頭の持ち主。一生、政治に関わることが無い私が、自分の代わりに政治をしているようで気に食わなかったんだろう。

邪魔者を島流しするようなものだ。先生とか、私にとって信頼できる人たちが一緒に乗ってるのが、せめてもの救いかな。

そう思いながら、首にかけていた羅針盤を眺める。7つの宝石を指でなぞっていたとき、私はおかしなことに気がついた。澄んだレモン色だったはずのシトリンが、黒く濁りかけていた。

「……何これ、汚れ?」

指やハンカチでこすってみる。だけど濁りは消えてくれない。針がゆらゆらと揺れ、シトリンを指した。弱々しい針の揺れに胸騒ぎがして、針が示す方向を見る。操舵手に行先を変えるよう伝え、船を急がせた。

身を乗り出して目を凝らす。ぽつんと見えたのは、一艘いっそうの小舟だ。ほっそりとした人影が立っている。

――見つけた。

そう感じた瞬間、人影が小舟から身を踊らせた。水しぶきを上げて人影が消える。全身から血の気が引き、私はとっさに船から飛び降りていた。


見聞色の覇気で居場所を探り、その人を引き上げる。ちらちらきらめく長い銀色の髪が、ほっそりした身体に張り付いていた。装飾品が一切無いドレスを着たその人は、ゲホゲホと苦しそうに咳き込んでいる。

「大丈夫ですか!? あの、『ふわふわこっとん』さんですよね!? おれ……私! 『朱雀@最推し不死鳥』です!」

一目見ただけで、なぜかその人だと分かる。前世では、衣装や小道具を手作りしていた有名コスプレイヤー。トラファルガー・ローやジュラキュール・ミホーク等の、男装が得意だった彼女。

名前を呼ぶと、女の人が顔を上げる。ぽたぽたと雫が垂れるその姿は、水の精霊のように儚げで美しかった。シトリンそっくりな黄色の目が、私を映す。暗く虚ろだったその目に、だんだんと光が瞬き始める。

「……『朱雀』さん……?」


まずは1人目の仲間を見つけた。城にコットンさんを連れ帰り、彼女の面倒を見る責任を持つ。両親に何か言われる前に、海に出てしまおうか。コットンさんと今後のことを話しながら、船の調達や旅の準備をした。

「広い世界を見て、本当の王様はどんな存在か、知りたい」

前世の仲間を探して、自由に冒険すること。それに加えて、私には新たな欲求が生まれていた。そのことを先生に伝えると、先生は頷きながら聞いてくれた。

「あなたが良き人になることを。あなたがこの先出会う仲間にとって、良き王様リーダーになることを、心から祈っております」

11歳と30歳の旗揚げ。見送ってくれるのは先生と、使用人の皆。旗のデザインも団体の名前も決まってないけど、不安は無い。羅針盤を見ると、針はいつの間にか、ファイアオパールを指していた。
夢女子冒険団の長い旅は、ここから始まった。
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