エピソード・オブ・フレア
ほんの小さい頃に、両親は海で亡くなった。
唯一の家族だった祖母は、私が13歳のときに病気で、天国へ行ってしまった。
祖母の身体の中で生まれた病気は、大きな町の大きな病院で診てもらわないと、治せないものだったらしい。小さな村の片隅で薬師をしていた祖母は、自分が助かるよりも、残される私が何不自由なく暮らせることを選んだ。
村の診療所に通い、自分で作ったハーブ薬で症状を和らげて。病気の苦しさを優しい微笑みの下に隠し切って、ハーブの知識や薬の作り方等を、最期まで私に教えてくれた。そしてある日の朝、穏やかな顔で冷たくなっていた。
村の人たちがしてくれたお葬式で、診療所の先生が詳しいことを教えてくれた。真っ白な花に包まれて、祖母が眠る棺は、薬草畑から少し離れた場所に埋められた。
遺されたのは、祖母が大事に貯めた財産と、私たちの家。そして毎日手入れをしている薬草畑。私は2代目の薬師として、祖母の代わりに薬を作ったり、村の人たちに薬を売ったりするようになった。
――先入観にとらわれてはいけないよ。私たち薬師がそうなってしまえば、治せる人も治せなくなってしまう。
祖母の教えを守り、祖母がしていたことをなぞるように暮らす毎日。村の人たちは優しく励ましてくれたり、採れた野菜や果物をおすそ分けしてくれたりした。嬉しかったし、また頑張ろうという気持ちになったけど。それでも1人きりの家に帰ると、胸の辺りにぽっかり空いたスキマは埋まらなかった。
ねえ、おばあちゃん。どんなに生活が苦しくても、ワガママ言わないようにするから。私、まだ、おばあちゃんと一緒にいたかったよ。置いていかないでほしかったよ。
涙がぽろぽろ溢れて止まらない。胸に空いたスキマが、じんじんと痛む。食欲はあんまり無かったけど、ちゃんと食べなきゃ働けない。集中力が無くなるし力も出ない。
リンゴとかオレンジを数切れ口に入れて、キャベツや人参をたっぷり入れたスープを流し込む。薬草畑の世話をして、ハーブを収穫して、オイルを作ったり乾かしたりする。洗濯をして、掃除をして、料理をする。
たまに来る村の人たちに薬を渡す。祖母のエッセンシャルオイルボックスを持って、村の人の家に、薬を調合するために出かけていく。そんなふうに、淡々と過ぎていく毎日。
1年が過ぎたある日、転機が訪れた。
ことことと軽いノックの音。ドアを開くと、そこには可愛い男の子と、かっこいいお姉さんがいた。男の子のローズヒップみたいな赤い目が、きらきらしながら私を見つめていた。
「こんにちは! 『ファイア』さんですか? 私、『朱雀@最推し不死鳥』です!」
初めて聞く名前のはずなのに、何だか懐かしい。首を傾げたとき、ぱらぱらとページをめくるように、頭の中で記憶が流れ出す。
ブートジョロキアペペロンチーノを食べて、3日間頭痛と腹痛に苦しんだこと。『ひだまり亭』シリーズという飯テロ夢小説を書きまくっていたこと。『ONE PIECE』のメッセージリング(もちろん最推しの物)を買って、左手薬指につけたときのドキドキした気持ち。それから、SNS等で繋がっていた夢女子仲間さんたちのこと。
「……『朱雀』さん! マルコさんの真似してパイナップル皮ごとかじって、口の中ケガしてた『朱雀』さん!?」
「はい! 今世も『スザク』です!」
「今世では初めまして、だな。私は『ふわふわこっとん』。今は『コットン』だ」
「えっ、あのビジュアルも手先も良すぎる『ふわふわこっとん』さんですか!? シルバ〇アのゆきヒョウと一緒に、自作でおそろいローさんコスしてた、あの!?」
「ふふ、懐かしいな。覚えていてくれて嬉しい」
とりあえず2人を家の中に招き入れる。リラックス作用がある、オレンジブロッサムのハーブティーをいれて話を聞くと、どうやら2人は前世の仲間探しをしているらしい。そしてここが、『ONE PIECE』の世界だと知った私は、思わずお茶を吹き出していた。
「ゲホッ、ゴホゴホッ!」
「大丈夫!?」
「ご、ごめ……ていうかここワンピの世界なの!?
火がついたように、感情が湧き上がる。頭に浮かぶのは太陽のような笑顔。テンガロンハットを被った、癖のある黒髪。愛嬌のあるそばかす。惜しげも無く晒された、均整のとれた上半身。毎年欠かさず、日の出と共に誕生を祝っていた、一番大好きなキャラクター。
「一緒に来てくれる?」
「もちろん! でも時間が欲しい!」
おばあちゃんが生きていたときから、診療所の先生と薬の情報共有をしていたことは知ってる。でも村で1人だけの薬師がいなくなるのは、大変なことだと分かっていた。
先生と話をして、おばあちゃんのレシピブックを書き写したものを渡す。畑のハーブや、これまで作った薬にオイル、ドライハーブを受け取ってほしいこと。そして海に出ることを伝えると、先生は寂しそうに眉を下げて、微笑みながら頷いていた。
「寂しくなるね……」
「……すみません。この村は皆優しくて、大好きな故郷です。でも私、どうしても外の世界を見に行きたいんです」
深く頭を下げる。そのとき肩に、大きくて温かな手が、そっと置かれた。顔を上げると、見守るような眼差しで、先生が私を見ている。
「君と、君のおばあさんが大事にしてきたものは、僕が受け継ぐ。安心して行っておいで」
「先生……、ありがとうございます……!」
村の人たちにも話をした。いい決断をしたと笑う人。寂しがる人。たくさんの反応にふれながら、持たされた食糧を両腕に抱えて船に向かう。スザクとコットンさんも手伝ってくれて、無事に荷物を積み込んだ。あとは私の荷物。調理道具と服と日用品。おばあちゃんのレシピブックに、私が持つ全財産。必要なだけのハーブ薬等など。
村の人たちに手を振って、2人が待つ船に乗り込む。
「ようこそ、私たちの船へ!」
「これからよろしくお願いします!」
にこにこ笑うスザクと、優しく微笑むコットンさんにつられるように、私の頬も緩む。もう1人じゃない。胸に空いたスキマは、いつの間にか埋まっていた。
ねえ、おばあちゃん。私、海の上でも頑張るから、見守っててね。