それは希望よりも熱く、絶望よりも深いモノ
「あの鳥野郎、めんどうなことしてくれやがって……!」
「衣にくるんでカラッと2度揚げして、ドフライミンゴにしてやるからな!」
とうとうやって来たドレスローザ王国。逸る気持ちを何とか押さえ、リーゼとフレアは街を歩いていた。花や料理の香りも、女性たちの情熱的な踊りも、人間のように生活するオモチャも、今の2人を楽しませることはできない。
2人の前方をゆっくり進んでいるのは、1匹のカメ。セイラの能力で実現されたそのカメは、カシオペイアという名前だ。
「リーゼは『モモ』って読んだことある?」
「無いなー。何か表紙がちょっと怖くて、避けてた印象ある」
「セイラさんの解説ありがたかったね」
『モモ』とは、ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる、児童文学作品だ。またの名を、時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語。
カシオペイアはその物語に出てくるカメで、30分さきの未来を見ることができる。その力で、敵がどの道をいつ通らないか分かるため、案内役には最適というわけだ。
王城の近くにたどり着き、物影で『天狗の隠れ蓑』を身にまとう。姿が見えない状態で、2人と1匹は堂々と城の中に侵入した。
「こんなにゆっくりで大丈夫かなと思うけど、急がば回れって言うもんね」
「実際ここまで敵と遭遇してないのすごい」
長い廊下を進み、角を曲がり、階段をいくつも上る。ドキドキと鳴る心臓を押さえながら、息を殺すようにして、柔らかな絨毯を1歩1歩踏みしめていく。少しずつ、着実に。
『ココデス』
城のてっぺんに近いような、ひっそりとした場所。ようやく1つのドアの前で、カシオペイアが歩みを止めた。甲羅に浮かび上がった文字を読み、2人はカシオペイアを褒めるように撫で回す。ドアノブを捻ってみるが、案の定、鍵がかかっていた。
「だーいじに守ってる場所は怪しいね」
「ふふん、こっちにはセイラさんに付与してもらった"魔法"があるんだよ。その前に聞き耳目星」
「クトゥルフ神話TRPGか」
ドアに耳を押し付け、リーゼは中の様子を探ろうとする。それにフレアがツッコミを入れると、リーゼは気が済んだように離れ、ドアに片手を押し当てた。
「"開け、ゴマ"!」
ガチャリと鍵が回る音がする。リーゼが勢いよく中に踏み込むと、豪華な内装が広がっていた。
天蓋付きの大きなベッド。おびただしい数の箱。可愛らしいクマやウサギのぬいぐるみ。宝石に彩られた、たくさんのアクセサリー。その中で、椅子に腰掛けてぼんやり窓の外を見ていた女性が、驚いたように振り向いた。
「コットンさん!」
「待たせたな! 助けに来たぜ、副船長!」
「フレア、リーゼ……!」
ひらりと長いスカートを揺らし、コットンが駆け寄ってくる。その手首には無骨な手錠がはめられており、鎖で繋がれていた。"開けゴマ"の呪文で難なくそれを外し、3人は再会のハグを交わす。
「よかった〜……! 怪我とかしてませんか?」
「ああ。問題ない」
「いやぁコットンさんは何着ても似合うけどさ。プリンセスラインよりスレンダーライン。そもそもパンツスタイルのドレスがもっと似合うと思うんですよ。分かってないなミンゴさんよ〜」
「絵描き故の視点だ」
「ドレスローザの流行りらしい」
コットンがまとっているのは、ウエストの切り替えから下のスカート部分が、ふんわりとふくらんだドレスだった。お姫様のようでありながら、愛と情熱の国らしく、肩や腕を大胆に出したデザイン。金糸の刺繍が純白の生地を、華やかに彩っている。
「敵がさらってきた女の子に、可愛いおべべ着せて愛でるやつだ」
「この歳で、"流行りの服は嫌いですか?"ムーブをされるとは思わなかった」
「ムスカ大佐じゃん」
「サングラスと王家関連の血筋繋がりだ」
カシオペイアをコットンに預けてから、フレアは観音開きの窓を開け放つ。するとカシオペイアの甲羅に、『キケン。イソイデ』と文字が浮かび上がった。
「フッフッフ……! ネズミが2匹、入り込んだみたいだなァ?」
「げっ!!」
特徴的な笑い声に、振り返ったリーゼが、あからさまに顔をしかめる。入り口を塞ぐように立ちはだかるのは、大きな人影。コットンを庇うように2人が身構えるも、ドフラミンゴが指先を軽く動かす方が早かった。フレアとコットンの目の前で、リーゼの両腕と両足が吹き飛ぶ。
「リーゼ!」
「どうする? コットン。大事なお仲間が、おれに殺されるのを眺めたいか? それとも、おれのもとに戻るか?」
床に崩れ落ちたリーゼをちらりと見てから、ドフラミンゴはコットンに目を向ける。サングラスに隠されているはずなのに、糸で首を絞めるような気迫と、ちりちりと肌を焦がすような怖気を感じるような視線だった。
「お前は、おれから仲間を守るために、おれのもとへ来たんだろう?」
「……あのさあ。人の上で、勝手に話進めないでよ」
足元から声がした瞬間、リーゼの胴体から新たな手足が生える。そして床に転がった右腕と左腕、右足と左足からも、新しい身体が作り出されていく。立ち上がったのは5人の姿。リーゼの口角が、にいっと持ち上がる。
「効かないねえっ! プラナリアなもんで!」
「……分裂と再生……。なるほど、"百人力"の名は伊達じゃねェか」
煽るように声を上げるリーゼに対し、ドフラミンゴがこめかみに青筋を立てる。それを見ながら、フレアは自分の刀を構えた。
(さすがスザク……! ベストな采配!)
人間を切り裂く糸を使うドフラミンゴに、切断に強いリーゼをぶつけるのは最適解だ。あとは自分が、どれだけリーゼをサポートできるかにかかっている。それを自覚し、フレアは集中するように深く息を吸い込む。
「私たちの絆は誰にも引き裂けない!!」
「言いたいことは分かるけど鬼滅引用してる場合かァ!」
「なら、こいつはどうだ。"
「わっ!?」
那田蜘蛛山のシーンを重ねたのか。鬼狩りの少年の名台詞を叫ぶリーゼに、フレアがツッコミを入れた瞬間。リーゼと分裂体の身体が不自然に揺れ、くるりとフレアたちの方を向く。まるで操られるマリオネットのように、5人がフレアとコットンを捕らえようとしたとき。
「"筋切り"!」
細かな斬撃が降り注ぐ。武装色の影響で黒く染まった刀が、ドフラミンゴの糸を切り落としたのだ。解放されたリーゼが、肩を回しながらフレアに並ぶ。
「ありがと、フレア! 助かった!」
「まだ油断できないからね。気張っていくよ!」
勝てなくていい。勝とうとしなくていい。この戦いで何より大事なのは、全員無傷で船に戻ることだ。目配せを交わしてから、2人はドフラミンゴに対峙する。
「……お前も、おれから逃げる気か」
「分かってほしいとは言わない。ただ、聞き分けてくれ」
ドフラミンゴは、コットンしか見ていないようだった。思い通りにならない苛立ちが混ざったような声で、ドフラミンゴは言う。コットンは静かに答えながら、スカート部分に手をかけた。分別の無い子どもを諭す大人のような口調だった。
「王子様を待つだけのお姫様は、とっくに死んだんだ。ドフィ」
床に着くほど長いドレスの裾が、ビイイッと音を立てて裂ける。細くしなやかな足があらわになるのも構わずに、コットンは破いたスカートを結んで、動きやすいようにした。
「"レア"!」
フレアが唱えると、紫がかったピンク色の炎が激しく燃え上がる。この技は30秒しか出せないが、威嚇にはちょうどいい。ドフラミンゴが飛び退いた隙に、リーゼはコットンとフレアをしっかりと抱き寄せた。
「"
地面を蹴る反動を使い、開かれた窓から外に飛び出す。それを待ち構えていたかのように、リーゼが背負う荷物から、1枚の布が躍り出た。
魔法の絨毯が3人を受け止め、空を飛んでいく。柔らかな絹の絨毯の上に転がり、手足を伸ばしながら、3人は息を吐き出した。
「よし! あとはこのまま船に直行! ありがとうございました!」
「全員無傷でよかった〜……! 早く帰ろ。精神的に疲れたよ」
「オモチャにされていた人たちも、元に戻っているようだな。よかった……」
「あ、そうだ。コットンさんがドレス破いたとこ、めちゃくちゃかっこよかった」
「あの状況で、そんなこと考える余裕があったのか」
身体を起こし、お互いの顔を見合わせる。あのドフラミンゴを出し抜いて逃げられたことに対する、達成感と開放感。それについ、頬が緩んでいく。
「助けに来てくれて、ありがとう」
「「どういたしまして!」」
深く頭を下げるコットンに、リーゼとフレアは笑顔で答える。その瞬間、コットンが抱えているカシオペイアの甲羅に、「ジョウクウ」と浮かび上がった。
「ジョウクウ……上空?」
3人で空を見上げる。すると城から上空へと何かが伸び、そこから網を広げるように細い線が走っていく。
「……やばいやばいやばいやばい!!」
「絨毯! 急いで! 頑張って!」
絨毯がスピードを上げるが、遅かった。3人の目の前で、絨毯の先が細かく裂ける。急いで方向を変える絨毯に掴まりながら、3人は呆然と、目の前の柵を見つめた。ドフラミンゴの『鳥カゴ』に囚われたのだ。
「「くそがーーーー!!!」」
ドレスローザの空で、フレアとリーゼの叫びがこだました。
「ふざけんなーっ! コットンさん助けただけなのに、ルフィ以上ウソップ未満の4億ってどういうことだーっ!」
「コットンさん助けたからだろうなぁ」
「すまない2人共……。巻き込んでしまった……」
「大丈夫、悪いの全部あの鳥野郎だから」
ギリギリで鳥カゴに捕まったことや、理不尽な懸賞金をかけられたこと。やり場の無い怒りを発散するように、フレアは拳を空に突き上げる。それをなだめつつ、リーゼはコットンを慰めていた。
「電伝虫も繋がらないし、鳥カゴ消えるまでサバイバル確定だね」
「も〜こうなったら何が何でも生き抜いてやる! いっそドフラミンゴ倒しに行こ」
「それはルフィたちに任せようねー、どうどう」
カシオペイアが絨毯から落ちて、はぐれたりしないように、リーゼはカシオペイアをリュックにしまう。下手に関わって、ルフィたちの足を引っ張ることはしたくない。このまま剣も銃弾も届かない空中にいれば、楽に生き残れるだろうか。そう考えていると、空から何かが近づいてくるのが見えた。
雲が浮かんでいる場所をたどる様に、モフモフの人影が飛んでくる。それが何か気づいたリーゼは、焦ったように大声を出した。
「……ちょい待ちドフラミンゴ来てる来てる!」
「雲の無いとこ退避ーーっ!」
「私の銃ってそっちにあるか?」
「あるよ、はいこれ!」
フレアがコットンに、拳銃を渡す。生身か糸人形か分からないが、警戒を解くわけにはいかない。スピードを上げた絨毯から振り落とされないように、しっかり掴まる。すると糸でできた弾丸が、絨毯に複数の穴を開けた。
「
「ッ! "ウェルダン"!」
コットンを庇うように抱きしめるリーゼ。2人を守るようにフレアが腕を振ると、高火力の炎が勢いよくほとばしる。炎は糸の弾丸を焼き払い、ドフラミンゴに襲いかかった。空中で火だるまになる彼を尻目に、彼女たちはすぐさま距離を取る。
「スザクがフレアも選んだのって、ドフラミンゴのトラウマ刺激してビビらせるの想定してた可能性あるよね」
「ワンチャンあるけど、だとしたらだいぶ徹底的な策だね。まあそうでもしないとこっちが死ぬからなあ」
「ていうか本物来られても困るけど、
「まあ糸人形も本人っちゃ本人だからね……」
「また来たぞ」
「コットンさんのエイム良すぎー! かっこよ! さすがうちの狙撃手!」
「ダミーとはいえ、仮にも元婚約者をためらいなく撃つの強すぎ」
「やらなきゃこっちがやられるからな」
「それは本当にそう!」
いくら幼なじみでも、31年前に婚約破棄されている相手に、今更特別な感情なんて残っていない。ただ彼が、大切な仲間と自分の自由を奪おうとするから、全力で抗うだけだ。淡々と糸人形の心臓辺りを撃ち抜きながら、コットンは答える。ドフラミンゴとコットンが持つ感情の温度差に、リーゼとフレアは少しだけ震えた。
そのとき、一瞬だけ、チリッと何かが3人の間を駆け抜ける。何事だと探る間もなく、3人の身体がガクンと大きく傾いた。なすすべなく空中に投げ出されながら、彼女たちが見たのは、ズタズタの布切れと化した魔法の絨毯。
どうやらドフラミンゴの糸で、足場を崩されたらしい。
「ギャーーーッ! 死ぬ死ぬ死ぬってこれ! イヤーーーッ!」
「……参ったな。このままだと3人とも地面に叩きつけられて、ぐちゃぐちゃの死体になってしまう」
「真顔で怖いこと言わないでよコットンさあん! 私まだ死にたくないよーーーッ!」
「2人とも! 手! 手伸ばして! 私に掴まって!」
フレアが必死に両腕を伸ばす。落下する木の葉のように、風に煽られながら、2人もフレアに手を伸ばした。何度か空振るが、ようやくお互いを捕まえる。
2人がフレアの両腕にしがみつくと、フレアは下に手を向けた。手足に意識を集中させ、力を込めると、3人を守るように炎があふれ出す。熱エネルギーで落下速度を遅らせようと、フレアは炎をコントロールしていく。
「スザク〜! ふつつかな船員でごめんねえええええああああああああ」
「不吉なこと言わないでよリーゼ! だああああもう! なんとかなれーーッ!」
硬そうな石畳と、建物が迫る。万事休すかと思ったそのとき。暗闇に走る閃光のように、1人の声が大きく響いた。
「お前ら火消せ! 受け止める!」
希望を与える太陽のような、少年の声。ほんの一瞬に近い出来事だったが、フレアは不思議とためらわなかった。覚悟を決めて炎を静めると、ぶわっと丸いものがふくらむ。
「ゴムゴムの〜ッ、風船っ!!」
ボスッ、ムギュ、ボヨ〜ン。肌色のトランポリンに飛び乗ったかのように、3人の体が柔らかく沈む。ボヨンボヨンと何度かバウンドして、ようやく体が止まった。こわごわと目を開けると、仰向けになった視界に、鳥カゴに覆われた空が映る。こんなときでも、空は青く晴れていて美しい。
「……いき、てる?」
「みたい、だな……」
「……良がった〜〜! 死ぬがど思っだああ〜!」
口をぽかんと開きながら、フレアは呟く。離れないようにかたく掴まった場所から、お互いの存在を感じながら、コットンはぼんやりと答えた。リーゼが安堵で泣き出しながら、2人をぎゅっと抱きしめる。
「しししっ。久しぶりだな、お前ら!」
無邪気な声と共に、しゅるしゅると柔らかな球体がしぼんでいく。地に足をつけて人心地ついたとき、目の前にいたのは、ヒマワリ模様のシャツを羽織って麦わら帽子を被った少年。希望の光であり、頼れる主人公。モンキー・D・ルフィだった。
「本当にありがとう……! 助かったよ!」
「お礼言うなら、おれもだ! お前ら、エースのことも助けてくれたんだろ?」
「えっ、何で知ってるの?」
「コロシアムで会ったんだ! もう1人の兄ちゃん……サボっていうんだけどよ、3人そろって会えたんだ! どうもありがとう!」
がばっと勢いよく、ルフィは頭を下げる。フレアはというと、あっさり告げられた情報の処理をするのに精一杯だった。
(……つまり、コロシアムで盃兄弟が、感動の再会を果たしたってこと? 何それ〜〜全盃兄弟推しが夢に見る展開じゃん!? スザクたちそれ見たのかな!? うわ羨ましい〜〜〜! 見たかった〜〜〜!!)
「そういやお前ら、ミンゴとケッコンするってほんとか?」
「どこ情報!? ドフラミンゴと一夫多妻制とか、こっちからお断りなんだけど!」
「トラ男が言ってた!」
「言ってねェよ! "フォレスト海賊団の副船長とドフラミンゴが婚姻を結んだら、フォレスト海賊団が利益を得る可能性がある"って言ったんだ!」
いつもの調子を取り戻したリーゼが、目を剥きながらルフィにツッコミを入れる。それに元気よくルフィが答えたところ、海楼石の手錠を繋がれた状態で、ローが不本意そうに怒鳴った。
(うわ〜〜トラファルガー・ローだ〜!背ェたかっ、腰ほそっ、手足ながっ、顔ちっちゃ! ア゛ーッ声が良いーー!!)
今世では、前世よりも女子キャラ好きに拍車がかかっているリーゼだが、それでもイケメンには興奮する。密かにはしゃぐリーゼを落ち着かせながら、コットンはこっそり、リーゼとフレアに耳打ちした。
「今のうちに、ローの手錠も外してくれないか? 自由を奪われたままで荷物のように運ばれるのは、少々不憫だ」
「大丈夫かな。レベッカから鍵もらうまで体力温存しておかないと、この先きついよ」
「セイラさんから『命の水』もらってるから、そこは大丈夫。フレアが外したげて。私あの手錠さわれない」
「そっか。リーゼも能力者だもんね」
「"開け、ゴマ"」
フレアがローの手錠に片手を添えて、呪文を唱える。すると鍵が外れ、カランと音を立てて、手錠が地面に落ちた。
「あとこれ。うちの船医特製の、飲むと体が楽になる水」
「……まだ体が動かしにくい。飲ませてくれ」
「えっ、大変じゃん! 分かった!」
フレアは急いで蓋を外し、そっとローの唇に小瓶を当てる。ローの背中に片手を添えて、ゆっくりと小瓶を傾けながら、ローが『命の水』を飲むのを手伝った。甲斐甲斐しく世話をするフレアと、それを受け入れるローを眺めながら、リーゼとコットンは口元に手を当てる。
――あれれ〜おかしいぞ〜? 手錠は外れてるんだから、水くらい自分で飲めるのでは〜?
――気のせいだろうか。あの気位の高いローが、まるでフレアの優しさに甘えているように見えるんだが。
『命の水』の効果で、ローの体の傷が癒えていく。撃ち込まれた鉛玉も、傷口があった場所からころりと転げ出た。それを確認してから、ローはフレアの方に顔を向ける。
「……お前に助けられるのは、これで2度目だな」
「え」
「……おれのことを、覚えてるか。フレア」
どこか切なげに眉をひそめて、ローはフレアを見つめていた。名前を呼ばれ、問いかけられて、フレアの目が丸くなる。ぽかんと開いた口から、かつての呼び名がこぼれた。
「ロー……くん?」
「あァ」
「え、? 覚えてて、くれたんだ……」
「……当たり前だろ」
心外そうにムッとするローに対し、フレアはうろたえるのを隠せなかった。ローとは13年前に、3日間一緒に過ごしただけだ。そんな自分のことを、ローが覚えていたなんて。
「忘れるわけねェ。ずっと探してた」
灰色の彼の目に、フレアの姿が映る。その眼差しは凪のように静かで、何かを決断したような気配が見えた。フレアの心臓が、ドクリと嫌な音を立てる。
その目は、病気を隠して、自分に薬の作り方等を教え込んでいた頃の、祖母にそっくりだった。
「……会えてよかった。お前に、言っておきたいことがある」
「え、やだ。聞きたくない」
そう返されるのは想定外だったのか。すっぱりと断ち切るような言葉に、ローが目を剥く。フレアは素早く立ち上がり、同じように目を見開いていたコットンたちに駆け寄った。まだ座ったままの、ローの方を振り返り、はっきりとフレアは声を上げる。
「全部片付いて、お互いちゃんと生きてたら、そのとき教えて! それじゃあ!」
ローが手を伸ばす。しかし、それよりも先にフレアが炎を出した。ピンク色の炎が黒く固まり、サイドカーのようなバイクに変化する。側車にコットンを乗せ、後ろにリーゼを座らせてから、フレアはバイクを発進させた。
「ちょっとフレア〜! 聞かなくていいの!? 今の絶対大事な話じゃん!」
「だからだよ! あんな状況で何言われても、死亡フラグにしか聞こえない! そんな遺言じみたもの聞きたくない!」
「すっげェ〜〜!」と、ルフィがはしゃいでいるような声が遠ざかる。それを聞きながら、リーゼはフレアの両肩を掴んで軽く揺らした。バイクを運転しつつ、フレアは必死に叫ぶ。
幼少期に両親を亡くし、13歳で最後の肉親である祖母に先立たれて、天涯孤独になったフレア。彼女は大切な人や身近な人に置いていかれることが、けっこうトラウマになっていた。顔色が悪いフレアの背中を撫でつつ、コットンは口を開く。
「いざとなれば死も覚悟している男に、心残りを作っていくとは、策士だな」
「そんなつもり無いよコットンさん!? 人聞き悪いこと言わないで!?」
「いや。"死んでほしくない"なんて、なかなか真心がこもってると思っただけだ」
「お2人さーん。お話中ごめんだけど、多分イトミンゴ来てるよ」
「そうか」
「とうとうコットンさんが、ノールックでおでこをぶち抜いた」
「やだうちの副船長つよい」
「コットンさんも、一応話をした方がいいんじゃないの? ドフラミンゴと……」
「……話が通じる相手に見えるか?」
「なんかごめん」
コットンが諦観たっぷりの薄い笑みを浮かべたので、リーゼは思わず謝った。これ、素人は黙ってた方がいい案件だ。
懸賞金狙いの人々を振り切り、混乱の街を爆走していく。たどり着いたのは、王宮から離れている場所。まだ鳥カゴは来ていないが、残っている人々もいない。目の前には、新たな糸人形が立っていた。
「こっちに戦力割くとか、とんだ舐めプですなァ! ローとルフィにボコされろ!!」
しつこい猛追に、リーゼが地団駄を踏みながら、糸人形を睨む。その隣でフレアは刀を構えた。2人に守られるように、コットンは後方で拳銃を構える。
「……何故だ」
ドフラミンゴそっくりの、糸人形が唸る。
「お前は、おれのモノだろう。何故、おれを拒む。何故、おれに銃口を向ける。そんなに、そいつらと死にたいのか」
ドフラミンゴにとってコットンは、幸せだった頃の象徴であり、自分と共に歩くべき存在だった。そんな彼女が自分から離れ、自分以外の人間を肯定し、命を差し出すこともいとわないほど大切にしている。
――その感情と献身を、何故おれには与えてくれない?
――何をどれだけ捧げれば、お前はおれを見てくれる? おれと同じ愛を与えてくれる?
鋭く張りつめた感情が、コットンを縛ろうとする。見聞色でそれを感じ取りながら、コットンはまぶたを閉じた。
「スザクや仲間のためなら、私は命を捨ててもいいと思ってる。でもそんなことをしたら、皆が怒る。だから、その道は選ばない」
神もヒーローも王子様も、どこにもいない。それは昔に、嫌というほど知った現実。でも、救いだけは確かにあった。今のコットンには、迎えに来てくれる仲間がいた。
「スザクと皆がいてくれる限り、私は"全員で迎えるハッピーエンド"を諦めたりしない。私の物語に、"王子様"は必要無い!」
星のようにきらめく黄色の目が、ドフラミンゴを真っ直ぐに見据える。凛とした声で告げられたのは、長年の呪いを断ち切るような、決別の言葉だった。