エピソード・オブ・セイラ
その後、イゾウさんを身元引受け人として、私は白ひげ海賊団の客分になった。まず始めたのは、自分にできるお手伝いだ。一宿一飯の恩は返したいし、何より白ひげ海賊団の役に立ちたかった。
掃除、洗濯、お皿洗いといった家事はもちろん、能力を使ってサポートすることもある。そのおかげか、船員の人たちもナースさんたちも優しく接してくれた。ありがたい。
中でも、よく使う能力は……。
「『しずくの首飾り』」
唱えると、きらきら光る10個の雨粒がついた、細い銀の鎖が首にかかる。持っていたちり紙で鼻をちんとかめば、貯水タンクの上に灰色の雲が集まり、銀色の糸のような雨が降り注いだ。
いくつもあるタンクに、水がたっぷり溜まったところで、手を叩く。すると雨はぴたりと止んだ。海水の
「助かるわ。いつもありがとう」
「海水は見渡す限りあるが、真水は貴重だからな。このまま仲間になってくれないか?」
「もったいないお言葉です」
差し入れのクッキーや数枚のコインを受け取りながら、私ははにかんだ笑顔を浮かべる。順風満帆に見える居候生活だけれど、ひとつだけ問題があった。
「オヤジを前にしたときだけ起こる、動悸・息切れ・目眩か……」
「いつもすみません、マルコさん……」
そう。最推しのニューゲートさんと、ひとつ屋根の下で暮らしていることだ。初対面では、偶然甲板で出くわしてしまったため、挨拶もできずに倒れてしまった。あのときは、彼の存在感とかっこよさと威厳とオーラにすっかり当てられていた。突然の供給、大変心臓によくない。
医務室に運び込まれ、持病があるのかと心配するマルコさんに、恥じらいながら説明したところ。マルコさんはぽかんとしてから、体をくの字に丸めて、背中を震わせて笑っていた。
後日。イゾウさんに付き添われて、改めて挨拶をしたものの。ニューゲートさんへの耐性は未だについていない。姿が見えなかったり仕事に集中していたりするうちは、浮き立つ気持ちも治まる。
けれど、ニューゲートさんの姿がちらりとでも見えてしまうと、いけない。頬は熱くなり、酸素は薄くなり、心臓はドクドクと忙しなく脈打つ。目の前がくらくらして、足の力が抜けてしまう。我ながら重症だ。
「オヤジがかっこいいのは分かるけどよい。この船に乗る以上、慣れてもらわねェとなァ」
「はい……、頑張ります……」
そうは言ったものの、すぐに慣れたら私も困っていない。治安がいい有人島があったら降ろしてくれませんか、と頼んでみたものの。色んな人から反対されてしまった。
「危ないわよ! また人攫いに捕まったらどうするの!」
「おれたちの清い花を、どこぞの馬の骨に渡すわけにはいかねェ!」
「降りないでくれ〜頼む〜〜!」
「み、皆さんどうしてそこまで……?」
「全員、お前を気に入ってんだ」
温かみのある、どっしりした低い声に、心臓が跳ね上がる。ふっと降りた影に顔を上げると、包み込むような深い眼差しで、私を見下ろすニューゲートさんがいた。ひゅ、と息を呑む私に、ニューゲートさんが口角を上げる。
「気配りができて、働き者で、この船のヤツらのために自分の力を使ってくれる。おれたちにはもったいない、いい女だ」
「だが、おれたちは海賊だ。欲しいもんは、何があろうと手に入れる」
「セイラ。お前、おれの娘にならねェか」
それは、前世で見た夢小説や夢絵の中で、一番言われたかった言葉。一度でいいから言われてみたいと夢見ながら、そんな恐れ多いことが起こるわけないと思っていた言葉。
いいんですか。
あなたの娘に、してくださるんですか。
そんな夢みたいなこと、本当に。
そう言いたかったのに、口はぱくぱくと開閉するだけで、声が出てこない。体は汗をかくばかりで、蚊の鳴くような声すら出ない。私は胸の辺りで両手を組みながら、何とか話そうとした。そう言われて嬉しいと、誉れだと、伝えたいのに。
ふっと意識が遠くなる。限界が来たか、とどこか冷静な自分が判断する中、遠くで皆さんの慌てる声が聞こえた。
***
便利な能力を持つ私が悪用されないように、白ひげ海賊団の皆が庇護してくれてから、5年後。27歳のとき、私は円満に船を降りた。まだ手配書も出ていないし、能力も鍛えたから、ちょうどいい時期だと判断した。
何かあったときのために、マルコさんとニューゲートさん――オヤジ様には、『命の水』を渡している。どうか少しでも、彼らの助けになりますように。
「いつでも帰ってこい」
「……はい! 長い間! お世話になりました!」
口ではそう言いながらも、旅路の幸せを願ってくれているような笑顔を向けられ、深々と頭を下げる。泣いている人や笑顔で手を振る人の顔を忘れないように、潤む目に焼きつける。
さようなら、モビー・ディック号。愛する人が率いる、私にとっての大切な居場所。あなたと航海ができたこの記憶は、永遠に私の宝物だ。
晴れやかな寂しさと、白ひげ海賊団の人たちにもらった宝物を抱えて、歩き出す。これからどうしよう。どこへ行こう。また一人旅もいいけれど、平和な村か町を見つけて定住するのもいいかもしれない。そう悩みながら、当てもなく歩いていたとき、あの人たちは私の前に現れた。
「こんにちは! あの、もしかして『セイラ』さんですか? おれ、『朱雀@最推し不死鳥』です!」
「えっ、『朱雀』さん? アニメでマルコさんが活躍すると、タイムラインがお祭り騒ぎになる『朱雀』さん!?」
「はい! 前世ぶりです!」
11歳くらいの赤目の美少年と、20代後半くらいの男装の麗人。そしてオレンジ色の目をした、14歳くらいの快活そうな女の子。前世で繋がっていた夢女子仲間さんたちが、そこにいた。
「今世では初めましてですね。私、今世でも『セイラ』です。あ、若い頃のマルコさんに会いましたよ」
「えーーっ! 待ってマジで!? いいなぁ羨ましい! ……じゃなくて! おれ今、前世の仲間集めしてるんです。よかったら、一緒に来てくれませんか?」
「いいですよ。喜んで」
船着き場にあった船に乗り込む。前世で知り合った人たちと、今世でも会えるとは思わなかった。正に、事実は小説よりも奇なりだ。
この人たちと、この先どんな物語が紡げるだろう。高鳴る胸を押さえながら、私は微笑んだ。