平和主義者でも戦わなきゃいけないときがある
昼も夜も無い深海の中。白クジラに寄り添うように、淡い虹色の膜に包まれたコーティング船は進んでいく。1周回って落ち着いた空気の中、スザクが全員に、作戦の内容を話していた。
「まず、おれとタタンで道を開く。セイラさんとダイナさんは全体のサポート。フレアには、サポートに加えてパシフィスタの対処も任せたい。コットンさんはいつも通り、後方から援護をお願いします」
「任せてちょうだい」
「かしこまりました」
「了解!」
「分かった」
「リーゼは男性海兵の相手だけしてくれ。おつるさんとかヒナさん見たら、絶対捕まりに行っちゃうだろ」
「おっ、私のこと分かってるぅ〜」
「"分かってるぅ〜"じゃなくて」
「ごめんごめん」
いよいよ戦争に乗り込む。勝負は一度きり。全力を尽くすのはもちろんだが、勝っても負けても、結果を受け入れるしかない。くいが残らないように、改めて覚悟を決め、7人は円陣を組む。スザクが大きく息を吸い込んだ。
「救けて!」
『勝つ!』
「勝って!」
『救ける!』
「合言葉は!」
『いのちだいじに!』
「誰も欠けずに乗り越えるぞ! オー!」
「いやワンピ要素無くて草」
「ヒーロー志望寄りになっちゃった」
***
マリンフォードの湾内に、コーティング船が浮上する。想像していたよりも、大勢のどよめきに包まれ、タタンはびくりと肩を震わせた。見渡す限りの人々に、塔のようにそびえる人。それらがぐるりと三日月形の湾内を囲んでいる。
小さな身体の中で、心臓がバクバクと激しく脈打っている。指が白くなるほど槍の柄を握りしめ、タタンはぎゅっと目をつぶった。気を抜けば足が震え出しそうだ。
恐怖心をどうにかやり過ごそうと、顔を伏せて耐えていたとき。冷たく強ばっていた手が温もりに包まれた。目を開けると、大きくて筋張った手のひらが、タタンの手に重なっている。
「タタン」
名前を呼ぶのは、スザクの声。見上げると、高い位置にスザクの顔がある。スザクは目を逸らさずに、真剣な眼差しで、戦場を見つめていた。
「おれの背中、任せたぞ」
すっぽり包み込むように握られた手から、じんわりと温もりが伝わってくる。タタンに向けられた眼差しは、励ますような優しさと、大丈夫と思わせてくれるような強さに満ちていた。自然とタタンの背筋が伸び、彼女はこくりと頷く。
(自分が傷つくのも、誰かが傷つくのも、怖い)
(でも、もっと怖いのは、私を見つけてくれたスザクさんたちが、傷つくこと。私にとって大切な人たちが、大切な人を失うこと)
積もった雪が溶けて、新芽が顔を出すように、タタンにとって大切なことが思い出される。スザクが手を離すと、温もりと共に恐怖心も離れていく。タタンは目を閉じ、両手でぺちんと自分の頬を叩いた。まるでスイッチを切り替えるように。次に藍色の目が開いたとき、弱気な感情はかなり薄くなっていた。
***
「おれの愛する息子は、無事なんだろうな……!」
白ひげが交差させた両腕を振り、2つの拳を宙にぶつける。大気にヒビが入り、振動と共に海が歪んだ。津波が引き起こされる様子を、フォレスト冒険団は足を踏ん張りながら眺める。
「いやー、やっぱかっこいいな。白ひげさんの技」
「セイラさんがガン見しながら拝んでる」
「気を抜くな。これからだぞ」
「クザンが海凍らせる前に、船をマリンフォードの外に避難ね」
戦況を見ながら、スザクは手に持っていた大剣を構える。それに合わせて、タタンも槍を構えた。155cmという小柄な彼女の身長と、ほぼ同じ長さの槍だ。
「せー、のっ!」
スザクの掛け声の後に、2つの衝撃波が、海兵たちを吹き飛ばす。
人海が2つに割れたおかげで、現れた1本の道を、海賊たちが我先にと駆け抜けていく。センゴクが目を凝らすと、衝撃波が起きた場所に、目立つ人影がいた。
180cm程の大剣を軽々と使う、2m程の立派な背丈。服の上からでも分かる、鍛え上げた彫像のような身体。肩にかけた外套と共に、さらりと風になびく黒髪は、長い髪の毛先まで艶やかだ。赤い双眸は、一番星のように輝きながら、処刑台を真っ直ぐ見上げている。
その姿を確認したセンゴクは、声を張り上げた。
「何故、貴様らがここに……! 我々を裏切るつもりか! 『フォレスト冒険団』!」
「裏切るなんて人聞きの悪い。おれたちは初めから、海軍所属じゃないだろ」
おかしそうに笑いながら、スザクは高らかに答える。自分たちは何も、世間に恥じることなどしていないと、堂々と胸を張るような声だった。
「おれたちが誰に手を貸すかは、おれたちが決める。おれたちは、『白ひげ海賊団』に仲間を助けられた。その恩を返しに来ただけだ!」
***
「おりゃああっ!」
黒く染まる腕や足が、鋭い一撃を叩き込む。大きく上体を逸らして攻撃を避ける等、女性らしい体の柔らかさも印象に残った。相手の懐に果敢に飛び込み、リーゼは拳を振るう。
「脇腹っ、ガラ空き!」
自分の身一つで、海兵たちをちぎっては投げちぎっては投げしていく。そのとき背後に回り込んだ海兵が、剣を振りかぶった。右腕が切り落とされ、咄嗟に彼女は切られた場所を押さえる。腕を切り落とした海兵本人は、ぎょっとした顔で後ずさった。
――手応えが、無さすぎる。
骨や筋繊維を断つ感覚が無い。何の手応えも無く切り落とされた腕を見下ろすと、切り口がぼこりとうごめいた。透明な層が膨らみ、色づき、みるみるうちに肉体を形作っていく。
立ち上がり、動き出したのは、暴れていた彼女と瓜二つの人間。細い身体に茶色のショートヘア。丸い青色の目。一卵性の双子のように同じ顔が、にいっと楽しそうに口角を上げる。気づけばもう1人も、五体満足の姿になっていた。
「増やしてくれて、ありがと♡」
2人のリーゼが、同時に複数の海兵を蹴り飛ばした。
***
戦場で、1人の女が踊っていた。
両端に金色の輪がはめられた鉄棒を持ち、氷上で軽やかに舞う。武装色の覇気をまとったその足には、エナメル革の美しいダンスシューズが履いてあった。人混みの中でも目を引くような、鮮やかな真紅の靴だ。
肩の上辺りで切りそろえた黒髪が、さらりと揺れる。セイラの動きに合わせて、鉄棒は自在に伸縮した。近くにいる海兵も離れた場所にいる海兵も、逃がさず倒していく。
華麗なターンで後ろにいた海兵を蹴り飛ばし、セイラは呟いた。
「やっぱり『赤い靴』は、少しコントロールが難しいわね」
現在、彼女が使用しているのは、中国の伝奇小説『西遊記』に出てくる
踊り続けようとする靴をなだめるように、セイラはトントンと爪先を地面に打ち付ける。
聞き分けのいい子でいても、大切な人は守れない。それどころか、奪われ、利用され、傷つけられる。それが現実だ。
――だったら、自分の意志を押し通せるくらい、強くて我がままにならないとね。
「世界政府が、何も考えずに燃やした
子どもの頃の後悔は、もう繰り返さない。穏やかに垂れた緑の目に、凛と固い決意を宿して、セイラは前へと地面を蹴った。
***
一瞬のうちに、数人の海兵が倒れ伏す。長いスカートと白いエプロンを、ふわりと揺らして立っていたのは、清楚なメイド服をまとった女だった。三つ編みにした1本のお下げが、白金色にきらめきながら胸元に垂れる。
「申し訳ありません。火急の事態ゆえ、少々手荒に行かせていただきます」
いつ、どこから出したのか。その手には長い針状の武器が握られている。海兵たちが彼女を囲み、捕らえようと飛びかかる。しかし、それよりもダイナは速く動いていた。
蜂のように飛び回り、相手の死角に入り込む。そして蛇のように相手に絡みつき、海兵の首筋を針先で突いた。針に塗られた弛緩毒が回り、海兵の身体がぐにゃりと崩れ落ちる。
目で追うことが困難な中で、彼女はまた2人、海兵を地に沈めた。
「美しいバラには刺が、綺麗な花には毒が、鉄の処女には針がございます」
両手に鋭く光る針状の武器を持ち、メイドは戦場でしとやかに佇む。息を切らさず、表情を変えないその姿は、まるで人形のようだった。紫色の目が、海兵たちを静かに映す。
「穴を開けられたい方はこちらへ。私がお相手致します」
***
淡いピンク色の髪が、ふわふわと揺れる。海兵たちが捕まえようと手を伸ばせば、その少女はイタズラ好きな子猫のように機敏な動きで、全てをくぐり抜けた。
(なるべく傷つけないように、周りの人たちを追い払うイメージで……!)
"ハキ"と皆が呼ぶ力を調節しながら、タタンは槍の柄を握る手に、力を込める。それは、名も知らぬ海賊たちに囲まれたとき。タタンがパニックになりながら、無我夢中で槍を振り回した際に出た攻撃。
赤黒い稲妻のような光が、微かにパチパチと槍の先端で弾ける。この技を使う時は、この言葉を唱えるように。仲間たちから口を揃えて教えられた言葉を、タタンは素直に唱えた。
「か……っ、"カムサリ"……!」
ここで、初めて技を出した当時の様子を振り返ろう。
「もうやだ〜〜〜〜! あっち行ってくださ〜〜〜い!」
「わあ、黒閃だあ」
「雑誌は同じでも作品が違うでしょ」
「……ダイナ、あの攻撃どう思う?」
「私の記憶が正しければ、海賊王ゴール・D・ロジャー及び四皇赤髪のシャンクスが使用する技、"神避"に酷似していると思われます」
「うわっ……うちの末っ子、強すぎ……?」
「ケンカで追い詰められた子が、両腕振り回しながら体当たりしてくる感覚で、レジェンド級の技出すなよ」
「うちの末っ子が、実の母親より戦神に溺愛され過ぎてるんだが」
「闇深ラノベタイトルやめい」
回想終了。
その場一体に、一瞬息ができなくなる程の突風が吹き荒れる。海兵たちが吹き飛ばされたせいで、タタンの周りには扇状の広い空間が生まれていた。何が起きたのか分かっていない者、泡を吹いて倒れている者と、様々だ。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい〜……!」
思わず弱々しい声を上げながら、タタンは後続の海賊たちに道を作る。いくら戦闘員とはいえ、やっぱり荒事は苦手だ。でも逃げるわけにはいかない。大切な仲間が頑張っているのだから、立ち止まっていられない。
ぱたぱたと処刑台を目指して駆けていく。そのとき、正面から斬撃が飛んできた。
(さ、さばき切れるかな……!?)
咄嗟に武装色の覇気をまとい、槍を振るって攻撃をそらす。土煙の中から現れたのは、スザクと変わらなさそうな身の丈の男。宝石や金の装飾が施された、十字架のような大刀が、その手に握られている。
どうしよう。すごく強そうな人が来ちゃった。この人、誰だっけ。おぼろげな前世の記憶を慌てて探り、タタンはハッとひらめく。
(この吸血鬼さんみたいな男の人……。確か、えーと、"タカノメ"さんだ!)
「……懐かしい技だ。赤髪の関係者か?」
「ち、ちがいます……!」
赤髪さんって、シャンクスさんのことだよね?
今世ではまったく彼と面識が無いため、タタンは急いで首を横に振る。鷹の目のミホークは、ふむ、と呟いてから、自身の武器――黒刀「夜」――をタタンに向けた。
「先程の攻撃、本気では無かったな」
猛禽類を思わせる金色の目が、彼女の姿を真正面から映す。静かな闘気と威圧するような雰囲気、そして鋭い切っ先を向けられ、タタンは涙目になった。胸の前で槍の柄を、ぎゅっと両手で握りしめる。
「その実力、見せてもらおう。来い。娘よ」
その様子は、さながら小刻みに震えるハムスターと、爪を隠さず、獲物に狙いを定めた鷹だった。
***
「タタンのメンタルが心配だが……。今のところ、全員大丈夫そうだな」
戦場が一望できる高い場所で、コットンはスコープから顔を上げて呟く。得意な見聞色の覇気のおかげで、彼女の視界は戦場の様子を余すことなく映し出していた。空から狩りをする鳥のように、俯瞰して全体を眺めるイメージが、くっきりと浮かぶ。
ライフルを構え、意識を集中させる。呼吸に合わせて、1発1発、確実に引き金を引いていく。落ち着き払った様子で、自分自身と標的に向き合うように。
「遠距離攻撃ができるものから潰すのは、定石だよな」
狙いは砲台。セイラによって、物語の効果が付与された銃弾を打ち込むと、当たった場所から勢いよく茨の蔓が飛び出た。内側から植物に蝕まれ、砲台が次々と使い物にならなくなっていく。ウソップが映画で使用していた、緑星「蛇花火」のようだ。
『みどりのゆび』。内容は詳しく覚えていないが、大砲から美しい花が咲いている挿し絵は、コットンも知っていた。白い花がいくつも咲いている砲台を眺めながら、コットンはほうとため息をつく。
何の因果か皮肉か。狙撃の腕は、仲間たちの中でも上達が早かった。どんなに綺麗な人間のふりをしても、自分の体に流れている血は、忌まわしい人殺しの化け物なのだろうか。気が滅入るが、昔ほどではない。
――仲間を守る。そのためなら、情の無い化け物にだってなってやる。
覚悟なら、とっくの昔に決めていた。別の弾を弾倉に込めて、スコープをのぞき込む。
リトルオーズJr.が処刑台を目指して突き進む。古代巨人族である彼は、誰よりも巨大な身体を持っている。その腕力等を活かして多くの敵をなぎ払えるが、その分、的として狙われやすい。
「"
圧縮された大気を発射する、バーソロミュー・くまによる攻撃。そこに狙いを定め、コットンは引き金を引く。方向は逸れたが、それでも爆弾のような威力を帳消しにすることはできない。血を流してよろめくリトルオーズJr.に、コットンは別の銃を向ける。
入っているのは、『命の水』を込めた特別製の弾。それはリトルオーズJr.の肩と背中に命中した。ふらつきながらも、ゆっくりとした動作で、彼は辺りを見回す。
――あれだけの量じゃ、彼を完全に治癒するのは難しいな。
彼の巨体から考えても、100発は必要だろう。無理に治すよりも援護に徹する判断をし、コットンは攻撃用のライフルに持ち替える。
見聞色の覇気で探れば、リトルオーズJr.の足元に、ピンと張られた細い糸が見えた。武装色の覇気を強めにまとわせ、3発ほど打ち込む。ようやく糸が切れ、リトルオーズJr.の足が解放された。
しかし、力及ばずにリトルオーズJr.が倒れる。彼の身体を乗り越えて、海賊たちが突き進むのが見えた。白ひげ海賊団13番隊隊長・アトモスの姿を確認し、コットンはその方向へスコープを向ける。
彼と会敵するのは、王下七武海ドフラミンゴ。名前の通り、フラミンゴのようなピンク色の羽を集めたコートが、ふわふわと揺れる。刈り込んだ金髪と特徴的なサングラスに、幼い日の面影がうっすらと重なった。彼が指先を動かすと、能力の糸がアトモスの身体に刺さる。
「……悪趣味な」
相手の身体の自由を奪い、思いのままに操る"
そのとき、スコープ越しに、目が合った気がした。
「!」
思わずこめかみに、冷たいものが流れる。スコープの向こうで、ドフラミンゴは確かにこちらを向いていた。表情が抜け落ちたのは数秒のことで、見る見るうちに口角がつり上がっていく。
「……しまった」
スコープから目を離せないまま、コットンは呟いた。
――必ず迎えに行く。それまで待っていろ。……おれの、お姫さん。
10歳のときにかけられた呪いが、はっきりと頭の中で再生される。あれから29年も経っているし、自然消滅しているだろうと考えていた。ドフラミンゴが昔の幼なじみとの約束を守り続けるほど、律儀な男だとは思っていない。そもそも、そこまで女に困る男ではないはずだ。
それなのに、なぜこんなにも、怖気を震う。
目を閉じて、深呼吸をする。動揺している場合じゃない。ここは戦場だ。自分が今すべきことを思い出せ。氷で冷やされた空気が、頭の中をすっきりと晴らしていく。
ふと見聞色の覇気が、別の気配を察知した。まぶたを開いて空を見上げると、黒い点のような影が見える。だんだん悲鳴や叫び声といった騒がしさを引き連れて、影が近づいてくる。
「……
自然と口元が緩む。その場にあるはずのないものが、空から降ってくるのを、ファフロツキーズ現象と言うらしい。軍艦と共に降ってきたのは、インペルダウンから脱獄した囚人たち。そしてこの世界の主人公――モンキー・D・ルフィだった。