なりたてアルファと不遜オメガ
その日は、慧悟さんの体調が良くなかった。
「お風邪ですか?」
「そうじゃねえ。寝てれば治る……」
「大学にお休みの電話を、」
「いい。気にすんな。……今日は、遅めに帰ってこいよ」
そう言われても、熱っぽいような赤い頬と、弱々しくかすれた声に心配になる。講義を終えてからスーパーに寄って、ゼリーや果物、経口補水液を買った。おかゆは帰ってから作ろう。急ぎ足で道を進むと、エコバッグの中身が微かに揺れる。
ドアを開けると、暗がりに包まれた。慧悟さんは寝室にいるかな。リビングの電気をつけると、ソファの上に丸まっている人影がいた。
「……えっ、慧悟さん!?」
慌ててエコバッグをテーブルに置く。私が使っている毛布を頭から被って、慧悟さんが横向きに寝ていた。肩に手を添えて、そっと叩くと、熱い温度が伝わってくる。
「だめですよ、ちゃんとベッドで寝ないと、」
起こそうとしてみるけど、ぐったりと脱力していて、動かせない。真っ赤に火照った顔が汗ばんでいて、ゼェゼェと荒く息を吐き出している。冷却シートを取りに行こうとしたとき、ぶわっと甘い匂いが広がった。
「……!」
この匂い。嗅いだことがある。初めて会ったときに彼が出した、フェロモンの匂い。グツグツに煮詰めた蜜みたいに甘くて、引き寄せられる、危険な匂い。
――美味しそう。
慌てて頭を振って、不穏な考えを押しやる。そのとき彼が目を開けた。とろんと潤んだ目が、私を見つける。はくはくと口が動き、手が伸ばされる。
「慧悟さん、動けますか……?」
何とか抱き起こすと、胸に縋りつかれた。お母さんを見つけた迷子のように。溺れているときに、救命具を掴まえたように。熱い息が、私の肌にかかる。背中と腰の辺りに、ゾクゾクとした感覚が走った。
「……ッ、ヒート、だ……」
「
「……くすり、のんだ、のに……っ。あつい、くるしい……。あたま、おかしくなる……ッ」
慧悟さんが苦しんでるのに、どうすればいいか分からない。何も出来ない。彼の頬や髪を撫でさすると、顔を擦り寄せられる。震える手が、私にしがみつく。
「ハァ、ハァッ、……ッたのむ、オレのうなじ、かんでくれ……っ」
「慧悟さん……」
「おまえじゃなきゃ、いやなんだ。おまえと、つがいに、……なりたいんだ」
熱に浮かされたような瞳の奥に、彼の本心が見える。初めて会ったときの、奪うような誘惑とは違う。彼が自分の意思を、自分の願いを、伝えてくれている。
「りつ。オレの、あるふぁ。オレの、うんめい」
震える指が、もどかしそうに、チョーカーの留め金をいじる。ぱさりと革紐が毛布の上に落ちた。目を潤ませて、うなじを差し出す彼に、私は吸い寄せられるように顔を近づける。
他の誰でもない。慧悟さんだから、応えたい。
「……いいん、ですか……?」
「そう、いってんだろ……」
「痛かったら、ごめんなさい」
「いい……ッ。おまえなら、おまえになら、いいから……」
甘い匂いが漂う。うなじに唇がふれると、慧悟さんの体がピクッと揺れた。ちょっとだけためらい、勇気を出して、口を大きく開ける。かぷりと歯を立てる。
「……ッ、もっと、つよく」
「こ、こうれふか」
「もっとだ、……へたくそ」
ククッと喉奥で笑うような音が聞こえる。ガジガジ噛んでたら、何となく力加減が分かってきた。えいやと意気込んで、がぶっと歯を食い込ませる。
「……ッあ」
鼻にかかったような、上ずった慧悟さんの声。その瞬間、周囲に満ちていたフェロモンが、色を変えた気がした。むせ返るほど甘かったのに、穏やかな優しいものへ変わっていく。
探していたものを見つけたような。気づかないうちに欠けていた部分が、満たされたような。パズルのピースが、かちりとはまる感覚。
私のオメガ。
「すきだ」
向き合って抱きしめられる。少し苦しいくらいの、がむしゃらなハグが愛おしい。お互いを自分の一部にするように、ぎゅうっと抱き合う。
ぱちりと目が合って、どちらからともなく顔が近づいて。唇を重ねて求め合った。かちかちと歯がぶつかるのも気にならないくらい。初めてで拙くて、一生懸命なキス。絡む舌が柔らかくて、口の中は熱かった。
「好きです、慧悟さん」
あなたのアルファは、ここにいます。そう伝えるように、彼に応える。ほろりと一筋涙を流しながら、彼は目を細めた。心から満たされて、喜んでいるような。世界で一番、綺麗な笑みだった。