なりたてアルファと不遜オメガ


講義内容は、少し難しいけど面白い。新しい知識を学んだり、論理的な思考を組み立てたりして、頭を働かせる。花山院さんが教えてくれるおかげで、予習や復習もはかどっていた。

「ありがとうございます、花山院さん」
「牡丹でよろしくてよ。わたくしも、お名前で呼んでいいかしら?」
「もちろんです。えと、ぼ、牡丹さん」
「ふふ、律さんはお可愛らしいこと」

次の講義を待つ間、ラウンジでおしゃべりする。まだ時間はあるし、図書館で借りる本を探しに行こうか。蔵書が多いから、今度は何を読もうかな。そんなことを話していると、ラウンジの扉が開く音がした。

「……あら」

牡丹さんが意外そうに片眉を上げる。振り返ると、そこには綺麗な男の人がいた。高そうなジャケットやズボンに身を包んでいて、ぴかぴかの革靴が歩く度に音を立てる。シャツのボタンを3つくらい外しているから、ワイルドな雰囲気だ。冷たく整った顔立ちで、こちらをじろりと睨む。

「あなたがいらっしゃるなんて。明日は、槍が降るなんて予報は出ていませんわよ。圭秀(けいしゅう)さん」
「オレがどこに行こうと、オレの勝手だろう。牡丹」

名前で呼び合うなんて、親しい仲なのかな。それにしては、あんまり朗らかな会話に聞こえないけど。2人を見回すと、ケイシュウさんと呼ばれた人が、私を見下ろしてきた。

「そいつが小石川 律か」
「は、初めまして」
「アルファもどきが」

ギロリと刺すような視線に、体が震える。まるで吐き捨てるように、彼は言った。

「所詮は、純粋なアルファの生まれでない凡庸なベータ。紛(まが)い物だ。一条家の恥晒しには似合いだな」
「……え……」
「あいつは、血の繋がった親戚すら狂わせて誘う。血筋を残すことしか能が無い、汚らわしいオメガ。今もあいつが一条を名乗っていると思うと、腸(はらわた)が煮えくり返る」

鋭く舌打ちをして、告げられた言葉が、頭の中でグルグルと回った。言われた内容が、上手く理解できない。噛み砕けない。

一条家の恥さらし? 汚らわしいオメガ? それは、誰のこと……?

「他所の人間関係に首を突っ込むなんて、無粋ですわよ」

静かなのに重く響く声がした。椅子から立ち上がった牡丹さんが、冷ややかな目で彼を見つめている。初めて見る怒りのオーラと、氷で作ったナイフみたいな目つきに、息を呑んだ。

「一条家の人間なら、もっと礼儀正しくしたらどうですの。初対面の女性に対する態度とは思えませんわ」
「お前もだ、牡丹。家格が釣り合わない相手に付き合うなんて、何故そう時間を無駄に使える。オレには理解できん」
「ええ、あなたには一生かかっても理解できませんわ。上に立つ人間としての自覚を、履き違えているあなたにはね」

ピリピリと険悪な気配が漂う。睨み合う2人を止めたくても、口を挟める隙は無かった。ライオン同士が威嚇し合うようで、割り込めない。おろおろする私を厳しく見下して、彼は毒を吐く。

「オレは認めない。お前とあいつが、一条家の敷居を跨ぐことは許さない」

カツカツとかかとを鳴らして、彼は出て行った。姿が見えなくなり、深くため息をつく。思っていたより緊張していたみたいだ。張り詰めていた気持ちが、ふっと緩む。

「……ごめんなさいね。気分を害してしまったでしょう?」
「だ、大丈夫って言ったら嘘になりますけど……。牡丹さんがいてくれたから、平気です」

椅子に座り直しながら、牡丹さんが申し訳なさそうに柳眉を下げる。両手を振りながら答えるけど、さっきの言葉が棘のように刺さっていた。初対面の人に、あんな敵意を向けられたことなんて無い。どうして、あんな風に言われなきゃならないんだろう。

「あの、さっきの人は、誰なんですか……?」
「……一条 圭秀。大学部の4年生。一条家の御曹司で次男。あなたのパートナーの、兄君に当たりますわ」
「慧悟さんの、お兄さん……」

身につけているもの。プライドが高そうなところ。言葉の選び方。アルファらしく偉い立場の人だと分かるけど、牡丹さんみたいな温かみは全く無い。ひたすら冷酷で、全部を見下してるみたいだった。

「どうして、慧悟さんが、あそこまで言われなきゃ、ならないんですか。……お兄さん、なのに」

ぎゅっと両手を握りしめる。声が少し震える。怖いのと同じくらい、お腹の底がムカムカしていた。見ず知らずの他人に、身近な人が貶されて、良い気はしない。私の心は、そこまで広くない。

「あなた、自分のオメガのことを……。一条 慧悟のことを、どれくらい知っていて?」

牡丹さんが、静かに問いかけてくる。さっきの挑むような目と違う。穏やかで、何かを試すような眼差しだった。

そこで気づいた。私は、慧悟さんのことを、あまり知らないことに。家族のこと。育ってきた環境。これまでの人生。何も聞いていないし、教えられていない。

目を伏せて、両手の指を組み合わせる。息を吸って、吐いて、私は顔を上げた。

「……ご家庭のことは、分かりません。でも慧悟さんが、素直で、義理堅くて、頭の回転が早くて、少し寂しがり屋なことは、知ってます」

一緒に暮らす中で見えてきた。私が嫌だと伝えたことは、絶対しない。いつも作ってもらってるからと、ご飯を作ってくれる。映画の感想を語り合うとき、深い視点や考察を聞かせてくれる。人と過ごす温かさを、求めているような面がある。

牡丹さんの目をまっすぐ見つめる。彼女はふわりと、花が開くように微笑んだ。

「相手の本質を、しっかりと見ている。やっぱりわたくし、あなたのことが好きですわ」
「え」
「あなたには知る権利がありますわ。彼に何か言われたら、わたくしのせいにしてくださいませ」

牡丹さんが話してくれたのは、慧悟さんにまつわることだった。

「一条家は、数多の事業を展開し、莫大な富を得ている名家ですの。いくつか、聞いたことがあるのではなくて?」
「あ、CMで見たことあります」
「優秀なアルファを多く輩出する家系としても、知名度の高い家。わたくしの家とは家族ぐるみの付き合いでしたから、よく知っています。一条 慧悟は、三男として誕生しましたわ」

一条家の人間らしい、順調な成長。物覚えの速さ。彼は当然アルファだろうと、誰もが思っていた。それが覆されたのは、彼が5歳になる頃のことだった。

「本来、ヒートは10代後半から現れるもの。しかし彼は、未熟ながら既にフェロモンを放つようになっていましたの」

その力は強く、周りのアルファは彼に惹き付けられた。奪い合い。誘拐未遂。それだけでなく、決定的な事件が起きた。彼の叔父が、彼を手篭めにしようとしたのだ。

「幸い未遂でしたけれど、彼は一条家にとって危険だと判断されてしまった」

彼は5歳で親元から離れ、この施設で生活してきた。両親も兄たちも親戚も、誰も彼に会いに来なかった。職員に勉強の進み具合を確認し、一条家の人間として、恥ずかしくない教育を施させるだけ。

「それからずっと、彼は待っていたようでしたわ。自分にとっての、【運命の番】を。決して自分から離れていかない、強い繋がりを」

だから、初めて会ったとき、私を誘惑したのだろうか。強いフェロモンで意識を奪って、自分のもとに固く繋ぎ止めるために。

彼の寂しさは、苦しさは、どれほどのものだっただろう。人の温もりに、どれだけ飢えていたのだろう。考えると胸が苦しくなって、鼻の奥がつんとした。
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