なりたてアルファと不遜オメガ
カバンを持って靴を履き替える。今日から大学生活が始まるから、ちょっと緊張する。忘れ物は無いか確認したし、お弁当も持ったし、大丈夫かな。
慧悟さんはお留守番だ。バース性が違うから、アルファの学校への入学資格が無い。それに加えて【番】がいないオメガは、アルファを引き寄せるフェロモンを出してしまうので、1人での外出は許されていないらしい。職員の人たちを除いたら、アルファとオメガしかいないこの施設では、特に。抑制剤を飲めば、フェロモンや
もし、私たちが番関係になったら、一緒にお出かけできるのかな。
「行ってきます、慧悟さん」
「早く帰ってこいよ」
爽やかな朝日が降り注ぐ。スマホで調べた道を歩き、目的の建物にたどり着いた。まずはオリエンテーションと、講義の登録をするはず。どの部屋だろう。封筒に入っていた資料を確認していると、涼やかな声が響いた。
「オリエンテーションでしたら、2階の部屋ですわ」
顔を上げると、優雅な花模様のワンピースが揺れた。豊かなウェーブを描く黒髪が背中に流れている。シャンプーのCMに出られそうなくらいツヤツヤだ。
すらりと背が高いその人は、大輪の花に似ていた。たおやかで華麗で、圧倒的。立っているだけで、その場が華やぐような存在感を放っている。
「ごきげんよう。初めまして。わたくし、
「は、初めまして、花山院さん。私は……」
「小石川 律さん、でしょう?」
宝石がふれ合うような声で名前を呼ばれ、あでやかな笑みを浮かべられる。何で名前を知ってるんだろう。こんな美女とお近づきになったことないのに。どぎまぎしながら頷くと、彼女は赤い花びらみたいな唇を緩めた。
「お話は伺っておりますわ。わたくしたちのコミュニティは狭いですから、すぐに情報が広まりますの」
「そうなんですか……」
案内してくれるという、花山院さんの後をついて行く。アルファらしい堂々とした背中に、つい見とれた。上品な言葉遣いと所作から、根っからの上流階級だと伝わってくるようだ。
「新しい人が増えて嬉しいですわ。ずっと代わり映えの無い顔ぶれでしたから、退屈しておりましたの」
「やっぱり、アルファって少ないんですか?」
「ええ。中等部に1人、高等部に2人。わたくしたちが通う大学部は、あなたを含めて3人。後は卒業した者が2人ほど。施設外にいる者も合わせれば、まだいますけれど」
施設内では8人くらいなのか。両手の指が余る人数とは思わなかった。
「真面目に授業に出る者も、ほとんどいませんわ」
「そうなんですか!?」
「自宅で教科書を読み、テストだけ受けて進級していますの。珍しくありませんわ」
アルファが生まれつきのエリートって噂は、本当なんだ。そこまで考えてはたと気づく。授業に出る必要が無いくらい、頭が良いはずなのに、なぜ彼女はここにいるんだろう。
「わたくし、退屈が嫌いですの」
教室のドアを開きながら、彼女が振り返る。私の考えを見透かしたように、ミステリアスな微笑みを咲かせて。
「自ら動き、他者と関わり、新たな発見や知識を得る。そうして吸収したもの全てがわたくしの糧となり、わたくしを彩る花となる。こんな面白いこと、しない方が勿体無くてよ」
ああ。この人は、学ぶことを心から楽しんでるんだ。
その姿が鮮やかで、眩しくて。こんな人がリーダーとして引っ張ってくれたら、とても心強いなと感じた。
***
オリエンテーションを終えて、花山院さんに講義登録のコツを教わる。彼女は私より1学年先輩らしい。他の教室や図書館も案内してくれて、連絡先を交換した後。私たちはラウンジでお昼を食べていた。
「小石川さんが通っていた学校は、どんな雰囲気でしたの?」
「クラス分けできるくらい人が多くて、賑やかでしたよ」
花山院さんは、私がベータとして暮らしていたときのことを聞きたがった。私が話す内容を、興味深そうに、楽しげに聞いてくれるのは、何だか嬉しい。
「わたくし、バース性が決まる5歳の頃から、ここで暮らしておりますの。ですから、外の世界のことは何でも新鮮に感じますわ」
私はおにぎりを、花山院さんはサンドイッチとフルーツを食べ終えて、お茶を飲みながら語り合う。初日から仲良くできそうな人に会えてよかった。胸を撫で下ろすと、向こうから人が近づいてくるのが見えた。
「お嬢様」
花山院さんに声をかけたのは、細身のスーツを隙無く着こなした青年だった。細い銀色のフレームの眼鏡が、知的な印象を強めている。髪型も服装も、一切の乱れが無い。首には、シンプルな黒のチョーカーがついていた。
「あら、理人。もうそんな時間?」
「はい。ご歓談中申し訳ありませんが、次の予定が入っております」
「ごめんなさいね。もう行かなければなりませんわ」
「いえいえ、大丈夫です」
荷物をサッとまとめ、花山院さんが立ち上がる。長い髪とスカートの裾を柔らかく揺らし、彼女は美しく微笑んだ。
「ごきげんよう、小石川さん。また明日」
「失礼いたします」
「は、はい。また明日」
礼儀正しく一礼した青年――リヒトと呼ばれていた――を連れて、花山院さんが歩いていく。彼は秘書さんみたいな感じだろうか。絵になる2人を見送ってから、私もお弁当バッグを片付ける。スマホを確認すると、慧悟さんからメッセージが届いていた。
『食いたい物はあるか』
どうしたんだろう。夕飯は帰ったら作る予定だったけど、メニューのすり合わせかな? そう思いながら返信を打つ。
『カレーライスが食べたいです。豚肉が入ってて、じゃがいもがゴロゴロ入ってるタイプ』
『分かった』
すぐに既読がついて返事が来た。早い。
そろそろ午後の講義の時間だ。スマホをしまって、私もラウンジを出て行った。
***
2人暮らしの部屋に帰ると、馴染み深いスパイスの香りが鼻をくすぐった。この美味しそうな匂いは、カレー? カバンを置いてからキッチンを覗くと、慧悟さんがいた。
「おう、帰ったか」
「ただいま帰りました! 夕飯、慧悟さんが作ってくれたんですか?」
「いつも、お前に作ってもらってるからな。本と、外箱に書いてる作り方見たから、不味くはねえぞ」
2人でお皿にご飯をよそい、とろりとしたカレーをかける。飲み物は冷たい牛乳を用意した。ほかほかと湯気を立てるカレーに、食欲をそそられる。誰かが作ってくれたご飯は、久しぶりだ。
「「いただきます」」
手を合わせてから、スプーンで1口すくう。ちょっと不揃いで、歪な形のじゃがいもや人参が、ゴロゴロ入ってて癒される。息を吹きかけて口に含むと、オーソドックスな中辛の味わいが広がった。豚こま肉や玉ねぎの甘みと一緒に。
「美味しいです。ありがとうございます」
「……別に」
変にアレンジせず、レシピ通りに作ったのだろう。根っこは素直な人なのかもしれない。照れたように横を向く彼を見てると、お腹と胸の辺りが温もった。
「今度、一緒に作りませんか?」
「いいぞ」
隠し味がありますよって言ったら、どんな顔するかな。その日を楽しみに思いながら、夕飯の時間は過ぎていく。それは、お腹も心もいっぱいになるような時間だった。