なりたてアルファと不遜オメガ
窓から差し込む朝日が、部屋の中を明るく照らしている。私は目を瞬かせて、ソファから起き上がった。
保護施設に来て、初めての朝。家具や私の荷物は運び込まれていたけど、寝室は1つしか無かった。ベッドは立派なキングサイズが1つだけ。あんなことをしてきた人と、同じベッドで寝るなんてできなくて、私はリビングのソファで寝ることにした。
ソファがふかふかなおかげで、体の痛みはほとんど無い。伸びをしてから、ソファから降りる。着替えを済ませてカウンターキッチンに行って、冷蔵庫を開ければ、昨日買ってきた食材が並んでいた。炊飯器のご飯は、昨夜予約してたから炊き上がってる。
卵やベーコン等、必要なものを取り出す。あの人の分も、作っておいた方がいいかな。食材や調理器具を置いて、エプロンをつけて、私は朝ごはんの用意を始めた。
「あ、その、おはようございます」
テーブルにお皿を並べていると、慧悟さんが起きてきた。寝癖のついた髪となめらかな光沢のパジャマ姿なのに、色気が滲んで見えて心臓に悪い。私を見つけたとき、彼の目が微かに丸くなった。
「……何やってんだ」
「朝ごはん作ってました。一緒にどうですか?」
向かいの椅子を手で指し示すと、慧悟さんは大人しく腰を下ろす。今朝はご飯とお味噌汁と、ベーコンエッグ。付け合わせにちぎったレタスだ。
「いただきます」
「……何だそれ」
「ご飯の前にする挨拶です。やったことないですか?」
「無え」
「じゃあ手を合わせてください。はい、いただきます」
「……いただきます?」
「はい、どうぞ」
慧悟さんが、ベーコンエッグに箸をつける。1口大に切り分けて口に運ぶと、何かに驚いたように瞬きした。もくもくと、夢中になったように食べ進めていく。
「……美味い」
お味噌汁を1口飲んで、彼の唇から、ぽつりと言葉がこぼれた。
「そ、そうですか。お口に合ってよかったです」
「……飯って、こんなに美味かったんだな。……温かい」
言葉の意味を確かめるような、合いそうな言葉を当てはめているような、ぎこちない話し方だった。ご飯を噛んで飲み込みながら、私はふと思う。
この人、どんな生活をしてたんだろう。
お箸の使い方は綺麗なのに、「いただきます」の言葉を知らない。強引で自信家に見えるのに、何かが欠けているような気がする。
生まれた疑問を、お味噌汁で流し込みながら、同じ食卓を囲む。まだ少しの気まずさは抜けないけど、どこか穏やかな時間が流れていた。
***
まだ春休みだから、やることがない。学校のパンフレットを読んだり、持ってきた本を読んだりして時間を潰す。テレビをつけてみると、動画配信サービスと契約してるらしく、色んな作品が見られることが分かった。
「あの……」
寝室のドアをノックすると、ドアが開く。私服姿の慧悟さんを見上げて、私はおずおずと口を開いた。
「映画とか、一緒に見ませんか?」
「……いいのか?」
「はい」
「……お前、オレといるのが嫌なんじゃねえのかよ」
「い、いきなりあんなことされたら、怖いですけど。しないって約束してくれるなら、大丈夫です」
この人のことを、ちゃんと知りたい。その思いで、彼の目を正面から見つめる。慧悟さんは少しの間黙っていたけど、リビングのソファに移動してくれた。
「慧悟さん、見たい映画はありますか?」
「無え。お前が見たいやつ見ろよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
民話を基にした、有名なアニメ映画にする。本編が始まるまで、少し質問をしてみる。
「慧悟さんは、普段どんな映画を見ますか?」
「洋画は何本か見た」
「お気に入りの作品はありますか?」
「……『シザーハンズ』は、3回くらい見たな」
物語を2人で眺める。魔法で野獣に変えられた、我がままで傲慢な王子。聡明で勇気ある美しい女性。女性が城に囚われることで始まった、2人の関係は、様々な出来事を経て変化する。お互いに心を通わせて、惹かれ合っていく。
綺麗な映像と音楽。ロマンチックなストーリーに、引き込まれる。ハラハラするシーンもあるけど、ハッピーエンドで幕が降りる。
「……こういうのは初めて見たが、悪くねえな」
「他にも色々あるので、また見ましょう」
「……ああ」
きょとんとしたように見開いてから、彼は目を細める。少しだけ笑ってるみたい。楽しみにしてくれているなら、嬉しかった。
***
「飯、また作るのか」
「作りますよ。デリバリーばっかりだと、お金かかりますから」
「金ならあるから問題無え」
「そういうことじゃありません」
もともと大学に行って一人暮らしするときは、自炊すると決めていた。自分の身の回りのことは、自分でできるようになりたいから。食材を切り分けながら、眺めてくる彼に話しかける。
「慧悟さんは、お料理しないんですか?」
「ガキの頃は施設の奴らが飯出してくれたし、後はデリバリー頼んでた」
「誰かと食べたりはしないんですか?」
「覚えてる限りは、一度も無え」
テーブルマナーは一通り教わったが、1人で食えるようになってからは、ずっと1人だった。
その言葉に、一瞬だけ呼吸を忘れる。だから、彼は「いただきます」も「ごちそうさま」も知らなかったのだろうか。誰かと食べるご飯の温かさも。私がごく普通だと、当たり前だと感じることを、何も。
「これからは、一緒に食べましょう」
目は口ほどに物を言う、とは言うけれど。初めてのことに驚くような、戸惑うような表情を、彼はよく見せる。初対面の不遜な彼と、今の無防備そうな彼は、どちらが本当の姿なのだろう。どちらも本物なのかもしれない。
「お前が、良いなら」
こくりと彼は素直に頷く。ゆっくりと、おずおずと、私たちは近づき始めていた。