イノセント・テイル



朝。コハクが目を覚ますと、アイアンはいつも通り、既に起きて朝食を作っていた。2枚のパンにいろいろな具材を挟み、サンドイッチにしている。ピンク色のハムやみずみずしいキュウリ。パリッとしたレタスにこんがり焼いたベーコン。ふわふわの黄色いオムレツ。森で摘んできた野いちごのジャム。

「すごい! こんなにたくさん!」
「昼の弁当の分もあるから、全部は食べないぞ」
「お出かけ? どこに行くの? 森?」
「村だ。木材の配達と買い出しが終わったら、一緒に食べよう」
「"ぴくにっく"みたいだね! 私、ぴくにっく初めて!」

歓声を上げるコハクを見て、アイアンはハーブティーを、ボトルに注ぎながら微笑む。その表情からは、数日前に見せた苦しみも動揺も、さっぱりと見えなくなっていた。

***

のどかな緑と花が描かれた看板が、立てられている入口を通る。そこには小さな家や店がいくつも並んでいて、プランターや花壇には可愛らしい花々が咲きこぼれていた。

森の木々を切り倒して作った木材を、手押し車に乗せて運ぶアイアンに、村の人たちが声をかけてくる。

「あら、アイアンさん! 今日も来てくれたの?」
「おうアイアン! いつもの配達か。助かるぜ!」
「アイアンだー! ねえ、今度薬草つみに連れてってよ!」

老若男女問わず、笑顔で代わる代わる声をかけてくる彼らに、アイアンは静かに笑みを返す。木材は飛ぶように売れ、袋の中にはお金が増えていった。

「アイアン、人気もの!」
「皆が優しいんだ」

お弁当が入ったバスケットを抱え、アイアンの横に並びながら、コハクは目を輝かせる。アイアンは恥じらうように頬を染めて、ぽそりと呟くように言った。

「あ! アイアンが女の子つれてるー!」

そのとき、少年が面白いものを見つけたように声を上げた。まだ10歳になったばかりのような彼に、引き寄せられるように、他の子どもたちも集まってくる。

「ほんとだー!」
「アイアンって子どもいたの?」
「お姉ちゃんだあれー?」
「背中に羽はえてる!」
「わ、わぁ」
「お前たち、一斉に話しかけるな。コハクが驚くだろう」

大きな目を好奇心でいっぱいに輝かせて、無邪気にまつわりつく子どもたち。コハクがおたおたとアイアンの後ろに隠れると、アイアンは腰をかがめて子どもたちをたしなめた。

「わ、私、コハク。よろしくね!」
「おれ、ヴェルデ!」
「わたしはフローラ!」

コハクが名乗ると、子どもたちも明るく答えてくれる。それが嬉しくて、可愛らしくて、コハクはにこにこ笑った。

子どもたちと別れ、店の前に手押し車を停めてから、中に入る。チーズや加工された肉等、森や畑では採れない食材をいくつか買い、コハクが興味を示した雑貨屋にも立ち寄った。

「おや。いらっしゃい」

椅子に腰かけていた老婦人が、杖をついて立ち上がる。アイアンとコハクを見る目が、穏やかそうに細められた。

「こんにちは、アイアンさん。そちらのお嬢さんは、コハクちゃんかい?」
「そうです」
「コハクのこと、知ってるの?」
「知っているとも。アイアンさんが、たまに話してくれたからねぇ」

「ゆっくり見ておくれ」と声をかけ、老婦人はまた、ゆったりと椅子に座る。棚には、食器やぬいぐるみ、置物等のこまごましたものが並んでいた。それらを、くるくると目を動かしながら眺めていたとき。コハクは、アクセサリーが置いてある棚に目を留めた。きらきらした装飾品に、かつて与えられた豪華なものたちを、懐かしく思い出す。

並ぶ品物の中に、淡いラベンダー色のビーズを、細い鎖に通したペンダントがあった。惹き込まれてじーっと見ていると、アイアンが隣に立って、そっと声をかけてくる。

「それが欲しいのか?」
「これ、アイアンの目の色と似てる。きれい」

指さして頬を緩めながら言うと、アイアンは少しの間、言葉を忘れたように黙り込んだ。驚いたように目を見開き、どこか切なげに目を細める。そして、大きな手ですくうように、そっとペンダントを取った。

「これを貰いたい」
「はいよ」

老婦人の元に持っていき、代金を払う。店から出た後、アイアンはペンダントが入った包みを、コハクに手渡した。

「ありがとう、アイアン」
「……どういたしまして」

肩掛けカバンに、包みを大事にしまい、コハクは笑う。それにつられるように、アイアンも口元を緩め、コハクに手を差し出した。

「行こう。弁当を食べるのに、良い場所があるんだ」

2人で手を繋ぎ、並んで歩いて辿り着いたのは、真っ白なデイジーが咲く花畑だった。子どもたちが何人か、楽しそうに遊んでいる。木製のベンチに腰掛け、2人はバスケットを開けた。

「おいしい!」
「そうだな」

サンドイッチを頬張りながら、コハクは満面の笑みを浮かべる。野菜はシャキッとしてて、お肉は塩気が利いている。オムレツはほんわり甘い。野いちごのジャムは、胸がきゅっとするほど甘酸っぱくて、どれも頬が落ちそうな美味しさだった。爽やかな風に吹かれながらだと、より特別な味に感じる。

「……コハクに、話しておきたいことがある」

ハーブティーを飲んでいたとき、アイアンがぽつりと言った。コハクがアイアンの方を向くと、彼は眼帯に覆われていない方の目を、少し苦しげに細めている。

「……数日前の夜、俺が取り乱したことに関係する」
「うん」
「コハクは、戦争が何か、知ってるか」

せんそう。それは、1冊の絵本で見たことがある。絵本の内容を思い浮かべながら、コハクは拙くも、懸命に言葉を紡いだ。

「えーと、大切なものが、ぜんぶなくなっちゃう。いたくて、かなしくて、……むなしい? もの?」
「そうだ」

アイアンが水筒を置き、拳をぎゅっと握りしめる。一度だけ強く目を閉じてから、彼はまた話し出した。

「この村から遠く離れた国で、戦争があった。オレは、それに参加していたんだ。国を、守るために」
「この傷は、その時のものだ」

黒い眼帯に大きな手を添え、アイアンはため息をつく。

「獣の力を手に入れる薬を打って、俺たちは戦った」
「敵も味方も、たくさん死んだ。たくさん殺した。俺の友人――スズとナマリも亡くなって、俺だけ生き残った」
「あのときの光景は、今も焼き付いてる。音も、匂いも、忘れられない」
「俺は人殺しの、けだものだ」

伝わってくるのは、深い苦しみと、強く根を張るような後悔。アイアンが抱えていたものは、コハクにとって未知のもので、どんな言葉をかけていいのか分からない。

――言葉は、アイアンが教えてくれたのに。

それでも、過去の罪に囚われている彼を、放っておきたくなかった。コハクは傷ひとつ無いなめらかな手で、静かにアイアンの手を取る。固く握られた拳を、壊れ物を扱うように撫でて、指を少しずつほどいていった。

うなだれていたアイアンが、顔を上げる。コハクと目線を合わせ、泣きそうな目になる。

「……ずっと、独りで生きようと思っていた。独りで生きなければと、思っていた。そんなとき、コハクに会ったんだ」
「私に?」
「ああ」

自分の手にふれる温かさを確かめるように、アイアンは目を閉じる。そして、強ばっていた彼の頬が、ゆっくりと和らいでいく。

「君は俺の、大切な光だ」

その優しい眼差しと言葉に、コハクの胸が、甘く締め付けられる。自分がいることで、彼の心が軽くなるなら、ずっと彼の側にいたい。誰かから与えられるものを、ただ受け取るだけだったコハクにとって、初めて芽生えた願いだった。

***

「あ! アイアンとコハクお姉ちゃん!」

花畑で遊んでいた子どもたちが、ぱたぱたと駆け寄ってくる。その中には、さっき出会ったフローラと、もっと幼い女の子がいた。手にはデイジーを編んで作った花かんむりを、大事そうに握りしめている。

「これ、どおぞ」
「お花のティアラだよ。頭に乗せるの」

5歳くらいの女の子が、コハクに花かんむりを差し出す。コハクが受け取って首を傾げると、フローラが笑顔で教えた。言われるままに花かんむりを被ると、コハクの金色の髪に、可憐な白い花がよく似合う。

「おねえたん、てんしさまみたい」
「てんしさま?」
「神様のお使いだよ。お姉ちゃんみたいに真っ白な翼がはえてて、キレイなの!」

アイアンの方を見ると、彼の白い頭にも、花かんむりが乗せられていた。人懐こい笑顔の子どもたちに囲まれて、2人も思わず笑う。
のどかで幸せな、尊い時間が、そこに流れていた。
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