君が教えてくれた、小さな魔法



オレには、ほかのヤツらと違うところがあった。

オレは黒猫。どこにでもいそうな野良猫だ。いつも1ぴきで行動してる。

寂しくないのかって? 野良猫が1ぴきでいるのは当たり前だろ? それにオレは、他の野良猫とはつるめないんだよ。

なぜか……。
それは、オレが人間の言葉を話すから。

話す言葉が違うと、意思の疎通ができなくてさ。オレは他のヤツらから、のけものにされたんだ。

まぁ、オレもあいつらが何話してんのかわかんないけど、目つきとか雰囲気で何となくわかる。よそ者を見るような、疎外すべきものを見るような感じ。

"アイツ何言ってんのかわかんねぇ"
"オレたちと違うから近づくな"みたいな?

そんなこんなだから、1ぴきでいるほうが気が楽なんだよ。

***

「あ〜……。腹減った〜……」

黄昏時の街角。そんな小さな声が路地裏から聞こえた。

薄暗い路地裏から、1匹の黒猫がひょっこり顔を出す。野良猫らしく、その毛並みはぼさぼさで薄汚れている。その表情は、どこかすねているようだった。

「……ここんところ、メシにありつけてねーんだよなぁ……」

そこに人がいたら、叫ぶか追いかけ回しただろう。その言葉を発したのは、他でもないその黒猫だった。

***

いつもの場所――水色のでっかいバケツの中にも、魚の切れっ端1つ無かったし。ねずみもなかなか見かけねーし。
確か昨日も食べてなかったから、めちゃくちゃひもじい。

優しい人間さんが何かめぐんでくんねーかなー……。にぼし1ぴきでもいいからさ。

でもこないだ水かけてきた家あったな。気をつけよう。人間には、時に冷たいヤツと会う。水だけにってか? あんま笑えねえな。

とりあえず通りをぶらぶら歩く。

石畳の石が、クッキーとかだったらいいのになぁ。いつかは忘れたけど、前にちっさい子からもらったことがある。確かあれは魚の形をしてて、猫のオレにも優しい味だった。美味かったなぁ。

オレ、うっかり「ありがとな」って言いそうになったんだっけ。

思い出してしまい、腹がきゅるきゅると音をたてた。

これはまずい。とにかく何か食い物を探さねば……。

必死で周りを見ながら通りを歩いていたそのとき。ふわりと美味そうな匂いがした。

「!」

匂いの方向には1つの家。赤茶色のレンガの屋根が特徴的だ。2階の開いた窓から、ほのかに匂いが漂ってくる。

……しめた!

わらにもすがる思いでオレは、その匂い目指して走り出した。塀から上がって柱を伝って、登っていく。匂いに近づいてくたび、腹が急かすように鳴る。

窓枠に前足をかけて中をのぞけば、小さな部屋が見えた。真ん中にあるテーブル上には、ほかほかと湯気を立てる美味そうなスープがある。

オレあんま熱いの苦手だけど、贅沢はいうまい。
ちょうど部屋には誰もいなさそうだし、ちょっと悪いけどもらっちゃえ!

そう飛び出そうとしたとき、モソ、と何かが動く音がした。

「?!」

その瞬間。

「イテッ!」

バランスを崩したオレは、窓枠から部屋の中へ転がり落ちていた。下手に転んだらしく、じんじんと来る痛みに顔をしかめる。

とにかく早くアレを……!

何とか起き上がり、テーブルに向かおうとした。そのとき。


「……猫が、しゃべった」


小さくも、はっきりと聞こえた声に歩みが止まった。

ギギギ、とぎこちなく顔を向ける。
すると、テーブルの近くに置かれた木のベッドから半分体を起こしている少女がいた。

白い肌と焦げ茶色の大きな目。飾りげのないネグリジェを着て、茶色の髪をおさげにしている。

透き通ってるけど感情があまり見えない、子どもらしくない瞳でじーっとこちらを見つめていた。

「……にゃー」

場を取り繕うように鳴いてみるも、少女の表情は相変わらず変わらない。

「……あなたは、魔法使い?」
「!?」
「……人の言葉を、話せるんでしょ?」

気味悪がるのでもなく、追い払おうとするのでもなく。ただ静かに問いかけてくる少女に、オレはどうにでもなれと胸をそらした。

「そっ、そうだ!オレは魔法使いだ!」
「……それなら、私に魔法を教えて?」

思わず体を震わせた後、オレはテーブルを見上げた。ほどよく湯気がおさまってきたスープに喉が鳴る。

「……いいぜ。でもその前に、あのスープをオレにくれたらな」
「……いいよ。全部あげる」

よっしゃ! ……って、え?

ある意味自分勝手な条件をあっさり受け入れてもらったことに、オレは逆に戸惑った。

「え、お前は? 食わなくていいのか?」
「……お腹、あんまり空かないから」

そう言いながら、少女がもそもそとベッドから降りてテーブルに近づく。思わず距離を置きながら見ていると、少女はスープが入ったお椀を床にそっと置いた。

「……どうぞ」
「あ……ありがとな」

目の前にある美味そうな匂いに耐えられず、オレはお礼を言った後すぐ口をつけた。ほどよい温度の優しい味が、体中にほかほかと染み込んでいく気がして、空っぽだった腹が満たされていく。

オレががつがつと夢中で飲んでいる間、少女は近くにしゃがみこんでいた。

あっという間に飲み干し、少しぽこりとした腹をなでる。

「美味かった〜……」

生き返ったような心地もしたオレは、すっかり気が抜けていた。

「……ねこさん、魔法教えて」
「……あ」

……そうだった……。

ちくちくと胸のあたりをつつかれる気がしてきた。少女はぱちぱちと瞬きをしながら、オレの目を見つめてくる。

目をそらしながら、オレは聞いた。

「……ど、どんな魔法を使いたいんだ?」

うあ、まずい質問だったかもしれない……。
オレはただの黒猫ってだけで、魔法なんか使えない。姿を消すとか無理だし、空を飛ぶなんて、できるならオレの方が使いたい。

少女は少し黙った後、ゆっくりと口を開いた。

「……おばさんと仲良くなれる魔法」
「……おばさん?」

静かな調子に垣間見えた必死な響きに聞き返すと、少女はこくりとうなずいた。

「……今、私を育ててくれてるの。……でも、私が嫌いみたいだからあまり話してくれないし、私もどうすればいいのか分からないから……」

────"両親"は、いないのか?
口から出かけた言葉は、ぐっと飲み込んだ。
この子は、オレに似ている……。

────なんで、ぼくと おはなし してくれないの?
────みんなは、ぼくがきらいなの?
────ねえ、あそぼうよ。なんでむこうにいっちゃうの?

陰りをおびた少女の目に、昔の自分が重なる。

その次に、クッキーをくれた小さな子を思い出した。あの子の目には、明るく純粋な光があった。

……もし、オレにできるなら。寂しそうなこの子の瞳に、光をあげたい。

「……あのさ、挨拶してみればいいんじゃないか?」
「……挨拶……?」
「そう。お前からおばさんに話しかけるんだよ」
「……本当に、それでいいの?」

心配そうな目に、オレは迷いを振り切るように告げた。

「大丈夫だって。お前とおばさんは同じ人間同士だろ? 言葉が通じれば、あとは思ってることを話すだけだ」

とことこと歩いていき、窓枠にぴょんと飛び乗る。

「じゃあな。スープごちそーさん」

そのままオレは振り返らず、少女の部屋を後にした。

***

不思議なねこさんに会った。

窓から転がり込んできた黒い毛並みの彼。猫の姿をしているのに、人の言葉を話していた。

スープと引き換えに教えてくれたことは、本当に上手くいくのか分からないけど……。魔法使いが言っていたのだから、きっと大丈夫。

カーテンの隙間から差し込んでくる光に、目が覚める。今日は何だか、体の調子がいつもよりいい。

朝ごはん、自分で取りにいこうかな。

そう思って、階段をゆっくり降りていったとき。踊り場で、上がってきたおばさんと出くわした。

緊張で体が固まり、足が止まる。おばさんもびっくりしたように、目を丸くしていた。持っているおぼんには、私の朝ごはんであろうパンとオムレツ。

「……あ、あの……」

掠れた声がもれる。おばさんが困惑したような表情になり、ますます声が喉で絡まった。

どうしよう……。

『挨拶してみればいいんじゃないか?』

彼の言葉がふわりと浮かぶ。
息を吸い込み、私は口を開いた。

「……おっ、おはよぉございます……っ」

声がちょっとひっくり返ったし、はきはき言えなかったけど、なんとか言えた。

「おはよう。今日は、早いのね」
「……は、はい。……あのっ、私、部屋まで運びます」
「え、大丈夫よ?」
「……や、やらせてくださいっ。自分の分だから……」

おばさんの手からおぼんを取り、自分の部屋に向かう。そのとき、ふわりと両肩に温かな手がふれた。

「……ねえ、今日は、1階で食べない?」
「……え……」
「あなたはいつも寝ていたり、部屋にいることが多かったけど……。体の調子がいいなら、一緒に食べましょう?」

柔らかな微笑みとその言葉に、私は胸がいっぱいになった。

……もっと早く、向き合ってみればよかったのかもしれない。

私は何度もうなずき、おばさんの隣を歩いて1階に向かった。

***

昼間。石畳の道を歩いて行く黒猫が1匹。

「……はあ……」

今さらながら、オレはウソをついたことを後悔していた。

挨拶なんて、オレはほかの猫にしたことがない。それっぽいことを言ってごまかしたかもしれない。
……けど、あの子はオレと違って、相手と言葉が通じる人間同士だ。大丈夫だって、思いたい。

気づけば、赤茶色のレンガ屋根の家に来ていた。様子を見たかったのと、あの子に謝りたかったから。

屋根まで上がり、窓枠に乗ってこっそりと顔を出す。そのとき少女がこちらに顔を向けた。

「……ねこさん!」

少し大きめに上がる声に驚き、ぶわっと尻尾がふくらむ。とたんに前足をすべらせ、またオレは部屋に転げ落ちていた。

「いてえ……」

既視感を感じながらむくりと体を起こしたとき、少女がオレを抱き上げた。

「あのね、ねこさんのおかげで、おばさんとたくさん話せたの……!」

嬉しさにはずむ声に、思わずうつむく。

「そ、そっか。よかったな」
「すごいの。挨拶をしたら、魔法が効いたの」

その言葉に、胸を針で刺したような、ツキンとした痛みが走った。

「……魔法じゃねえよ」
「え?」
「……お前がおばさんと仲良くなれたのは、お前自身の力だ。オレはただ、アドバイスをしただけだ。……オレはただの黒猫で、魔法使いなんかじゃないんだ。……ウソついて、ごめん」

うつむいた顔が上げられない。
少女はがっかりしたのか、何も言わない。ズキズキと罪悪感が広がっていく。

そのときだった。

「……でも、私にとっては魔法だよ」

温かい、優しい声で 少女が続ける。

「あなたに教えてもらわなかったら、ずっと誰かと向き合わないままだったかもしれないもん」

顔を上げると、こちらを見つめる少女の目は、幸せそうにきらきらとしていた。

「ねえ。お昼、一緒に食べようよ」

テーブルに置いてあった皿にはサンドイッチが2つ。そのうちの1つを、少女がオレに差し出す。

おそるおそる前足で取ると、少女はあどけなく微笑んだ。

「「いただきます」」

2人分の声が、重なった。

***

あれから、何ヶ月か過ぎた。

「クロエ、ただいまー」
「ノワール、おかえり」

少女――クロエから名前をもらい、オレは彼女の家で暮らすことになった。

ちなみに"ノワール"がオレの名前。フランス語で、"黒"という意味らしい。響きがかっこいいから気に入っている。

クロエのおばさんは心が広いうえに猫好きで、2人で良く接してくれる。でもオレは元々野良なこともあって、こうして散歩に行くこともあるのだ。

それに、散歩に出れば、オレには帰る場所があると分かるから。
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