『小公女』について未熟ながら論じてみた



私がなぜ『小公女』がお気に入りなのか。
物語が面白いから、というのはもちろんだが、それだけではこうも長く私の心に残り続けるのは難しいと思う。面白い本は世の中に星の数ほどあるからだ。

そこに本があればすぐに手に取ってページをめくってしまう私である。お気に入りの本が増える中で、小さい頃からずっとお気に入りであり続けるのはなぜだろう。

それはやはり、セーラの柔軟性のある強さに憧れるからではないだろうか。
お金持ちとして何不自由なく暮らしていたセーラは、愛する父親を亡くしたことで、お嬢様から下働きの身分に転落する。先生にも料理人にもこき使われ、生徒の1人(ラビニア)には泥だらけの服を笑われる。寝るのは石のように硬いベッド。食事はあまり貰えず、お腹を空かせる日々。

それでもセーラは、想像力で悲しい日々を乗り越えていく。囚人ごっこをしてみたり、寒々しい屋根裏部屋を綺麗なもので塗り替えたりしながら、自分を元気づけるのだ。

そこには自分が置かれている状況を無理やりにでも変えるような、荒っぽい暴力などは無い。知的で美しい、誰も傷つけない方法がそこにある。

自分もお腹を空かせているのに、こじきの少女・アンヌに5つのパンを差し出すシーン。あの場面の挿絵は、絵画のような美しさがあると私は感じる。どんなときも誇りを忘れず、「王女さま」のように振る舞うセーラのしなやかな強さは、人生の手本にしたい。

また、自分の意識を変えるだけでなく、ミンチン先生にちゃんと言い返しているのもかっこいいと考える。相手のサンドバッグにならずに、自分が意思を持つ1人の人間であることを示しているように思えるからだ。

あとこれは個人的なものだが、本好きなセーラに共感するのも理由の1つだと思う。セーラは、オオカミが本をがつがつ貪り食うように、本を読むらしい。また、セーラは本を読むだけでなく、物語を作ることも好きなのだ。クラスメートの1人になって、彼女が語るお話に耳を傾けてみたいものだ。

『耳をすませば』の月島雫。『美女と野獣』のベル。本好きなヒロインを見るとすぐに「分かる〜〜〜!」となるのが私という人間の性である。

『小公女』で個人的に好きなシーンは、アーメンガードとセーラとベッキーの3人でパーティーごっこをする場面。それと、屋根裏部屋に食べ物や家具が運び込まれ、見違える場面である。

特に2つめのシーンは、何度読み返しても飽きることがない。セーラの想像や夢が現実になり、セーラのこれまでの苦労が報われる気さえする。
誰もが寝静まり、邪魔する存在がいない真夜中に、屋根裏部屋で食べる熱いスープや美味しいマフィンにサンドイッチ。赤々と燃える暖かい炎。ふかふかの枕にサテンの羽根布団。想像するだけでこちらも満ち足りた気持ちになる。

『精霊の守り人』、『若草物語』、『秘密の花園』等でもそうだが、食べ物が出てくるシーンを念入りに読み返してしまうのはどうしてだろう。飯テロ、恐るべし。

名作は名作だからこそ、様々な場所で繰り返し世に送り出される。金銭に余裕があるときは、出版社別の『小公女』を集めてみるのもいいかもしれない。『小公女』しか棚に無い本棚というのも面白そうだが、自分が飽きては元も子もないので、程々にしていきたい。
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