奴隷の少女と夜の王
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「今すぐ夜の王の拘束をやめさせてください!」
王城の執務室に乗り込んできたコビーは、どっしりとした机に両手のひらを叩きつけて、王に直談判した。近くに座っていたガープが、せんべいを取り落とすほど、滅多に見ない勢いだった。
「それは出来んな」
「何故ですか! もう報告は上がっているはずです!」
少女の記憶が読まれていると知ったロビンが、魔術師たちを下がらせて、見届けたもの。その壮絶な道を伝えられたコビーは、焦りと哀しみを抑えきれなかった。
「あの子を痛めつけた人間たちと、あの子を労わった夜の王。どちらが悪だとあなたは言うんですか!」
「……魔物は魔物であるというだけで悪だ。そして、魔王討伐を行ったのはお前だ。"英雄"コビー」
「そうです。だからこそ言わせてもらいます。夜の王を今すぐ解放してください」
「それは出来ない。あと数日で夜の王のミイラは完成する。今更解放したところで、生き長らえるとは思えない」
折れずに答えるセンゴクに、緑茶をすすりながら見守っていたガープが口を開く。
「そんなもん返してやればいいじゃろ。わしは、孫の身体を治せるだけの魔力さえあればいい」
「貴様は黙っていろガープ。そんなことをしてみろ。魔力を取り戻した魔王が、魔物たちを従えて攻め入ってくるぞ」
「夜の王も、ただの魔物ではありません。話せば分かってくれるかもしれません……!」
「何を甘いことを言っている。そんな考えで、この国を、民の全てを、危険に晒す気か」
厳しく鋭い眼光で射抜かれ、コビーは辛そうに口をつぐんだ。君臨する王として、センゴクは静かに、畳み掛けるように言い放つ。
「誤解があったことは認めよう。しかし今となっては致し方ない。もともと、魔王討伐は昔から求められていたことだ」
センゴクはいつも、何よりも国を重んじていた。自分か国か、どちらか選べと言われたら、天秤にかけることなく国を選ぶ。だからこその名君。彼があってこその今の王国だった。
「……ミミズクさんは。今でも夜の王を求めて泣く、あの子はどうなるんですか」
「……夜の王を解放し、ミミズクと共にあの森に帰ったとしよう。それが幸せだと言い切れるのか。あの魔物に、人間の少女1人を幸福にする意志があると思うか」
センゴクは背を向けて立ち上がり、執務室の窓から城下を眺める。そこには平和で穏やかな、人々の営みが流れていた。先程よりも声を和らげて、センゴクは言う。
「お前たちが育ててやれ。幸福を与えてやれ。人には人の、幸せがあるだろう」
自分たちの前に現れた、無垢な瞳の少女を、コビーは思い浮かべる。自分たちの手で、幸福にしたいと思った少女だ。生きるうえでの素晴らしさを教えたい。涙の意味すら知らなかった彼女を、救いたいと思っていた。
しかし、誰が分かるだろう。1人の人間の幸せを、どうして他人が限定できるだろう。
「……次の満月の夜。魔術の儀にはお前も参列してもらうぞ。最後に魔王の心臓に剣を刺すのは、お前の役目だ」
「……分かりました」
強く目を閉じ、拳を握りしめて、コビーはかすれた声で言う。振り返らずに出ていく弟子の背中を、ガープは静かな眼差しで見送っていた。
***
この国に来てから、教えてもらった。綺麗な服や美味しいものをもらって、優しくしてもらったとき、何て言えばいいか。
「ありがとう」
あなたは何もしてくれなかったけど、あたしの話を聞いてくれた。冷たくて、お月様みたいに綺麗な目で、あたしのことを見てくれた。
あなたのその目にあたしがいたことで。初めて自分が、生きていることを知ったのです。
「ありがとう」
会ってあなたに、伝えなくてはいけない言葉がある。
***
「ミミズク!」
いつも一緒に遊んでいた中庭。そこにようやく待ち望んでいた姿が現れ、ルフィは少女にぎゅっと抱きついた。
「お前、もう身体とか何ともねーのか?」
「うん。心配かけてごめんね」
じっと少女の顔をのぞき込みながら、ルフィは聞く。記憶を取り戻していても、取り戻していなくても、ルフィにとって少女は友達だった。
「あのね、ルフィ」
おずおずとした声で、身体を小さくしながら、少女は言う。その言葉を聞き逃さないように待つと、少女はささやくように言った。
「……お願い。助けて、ほしい」
思い出したのは、コビーが話してくれたこと。少女の額の刻印の意味や、2日後に行われるという儀式のこと。なんだ、そんな当たり前のことかと、ルフィは笑った。
***
鐘の音が微かに、地下室へ届く。捕らえられたあの日から2ヶ月。食事も水も与えられず、吊るされて魔力を吸い取られていた魔物の王。まぶたを閉じたその姿は、やつれてやせ細っていても、寒気がするほど美しかった。
部屋の中央にある水晶玉の中では、青い炎が燃えている。夜の王に残された魔力はもう無い。描かれた魔法陣の上に魔術師たちが立つ。そして夜の王の前に、剣を持ったコビーが進み出た。
コビーが剣を構え、その刃が鈍く照らされたとき。
「ゴムゴムの……"鞭"!」
長く伸びた腕がしなり、勢いをつけて魔術師たちをなぎ払う。誰もが目を剥いて振り返った先には、駆けてくる小さな人影が2つ。
「行け! ミミズク!」
ルフィに背中を押され、少女が弾丸のように走り出す。赤い絨毯を走って向かうのは、ローの下。翼を広げた、美しい夜の王がいる場所。
「ロー!」
その手には、小剣が握られていた。ここに来る前、ロビンが貸してくれたものだ。
綺麗な着物も、美味しい料理も、ふかふかの布団も嬉しかった。幸せだった。それは嘘じゃない。それでも、帰りたい場所がある。みんな優しくしてくれたのに、ごめんなさい。
ロビンは寂しそうに、でも慈愛に満ちた母のように微笑んで、話を聞いてくれた。
――持って行くといいわ。
――これは魔力を帯びているものよ。夜の王を捕らえるあの糸は、きっとこれにしか断ち切れない。
冷たい重みに、過去の痛みが体を引き裂く。吐き気が込み上げる。でも、この手は離さない。
(どこかへ行けと言ったあなた。あの時、あなたの隣を選んでも、よかったのかな)
今まで誰かに言われるままだった。指図されるままに生きてきた。誰かに何かを許されたことなんて、自分で何かを得ようなんて、したことなかった。
(許してくれなくても傍にいるわ。ねぇ、あたしを食べてよ。夜の王様)
あの日、初めて選んだんだ。あなたと出会うことが、あたしの人生の中で、初めて選んだことだった。
(あたしは戦う。あなたを取り戻す、そのために戦う)
「ロー、ロー! 目を開けて!」
細い絹のようなその糸を、小剣で叩き切る。だんだんと拘束が解かれ、ローの身体ががくりと傾いた。その顔は蝋細工のようで、少女の背筋が凍る。失ってしまうかも、という恐怖が、少女の身体を震わせた。
「ロー!」
涙を浮かべて名前を呼んだとき、ローがうっすらとまぶたを上げた。薄い月光が静かに現れ、少女の手首を掴む。それは小剣を取り落とすほどの強さだった。
焦った声でコビーが、少女を呼ぶ。ロビンも息を呑むが、ローは少女を覗き込むようにして、言った。
「ナイフは嫌だと……言ってなかったか」
出会った頃から、何も変わらない声。少女は生まれて初めて、力強い笑みを浮かべた。1粒だけ涙がこぼれ落ち、それを振り切るように言い放つ。
「たいしたことじゃないよ」
少女はそうして、ローの首元に飛びついた。華奢な腕で、きつく抱きしめる。彼を抱くために生まれて、今日まで生きてきたかのように。
ローは少しだけ目を細めて、少女の身体を強く、強く抱き返した。
「何をしている、お前たち……!」
「ルフィ、お前のために必要なことなんじゃぞ!」
「そんなの知らねェ! おれは友達を泣かせてまで、普通の身体なんか欲しくねェ! いらねェ!」
「コビー! ガープ! 魔王を討伐しろ!」
額に血管を浮かばせたセンゴクが、声を張り上げる。一瞬ためらい、剣を握り直したコビーよりも早く動いたのは、ガープだった。振り上げられた拳に、少女は強く目を閉じる。
一際大きく、ガラスの割れるような音が響いた。
ガープが拳を振り下ろしたのは、ローではない。ローの魔力が詰まった水晶玉だった。叩き割られて粉々になった破片が、透明なきらめきを放つ。失われていた魔力が戻り、ローの翼が大きく揺らいだ。
「ガープ、貴様……!」
「すまんのうセンゴク。当の孫にあそこまで言われたら仕方ない!」
怒りに満ちた声で言われても、ガープは旧友に答えるように、あっけらかんとした口調で言ってのけた。
「ロー、ロー、大丈夫?」
「何で、来た」
「どうして来ないと思うの」
「お前は幸福も――自由も手に入れたはずだ」
「手に入れたよ。温かいごはんも、綺麗なお洋服も、柔らかいタオルも、ふかふかのベッドも。でも、あなたがいない」
「……お前は、本当にバカだ」
「なんでもいいよ。今さらそんな、難しいこと言わないで。ねえ、帰ろう? あの森に、帰ろうよ……!」
2つの月と向かい合いながら、少女はぽろぽろと涙をこぼす。ローの指先が、少女の涙をそっと拭う。
「お前は、泣かねェもんだと思ってた」
「泣き方を覚えたの。笑い方も。こんなに人間らしくなっちゃった、あたしは嫌?」
「……いや」
ローは少女の髪を指で梳き、額の刻印がよく見えるようにした。
「お前は、ミミズクだ」
それが、彼の答えだった。
「お前ら、大丈夫か?」
「ルフィ! あのね、ありがとう……!」
「おう!」
ルフィが笑うと、陽の光が届かない地下が、ぱっと明るくなったように感じる。その腕や頬には、足止めをした際についた擦り傷があった。
ローはそれを見つめ、無言で手を伸ばして、ルフィの腕を静かになぞった。青い膜のようなものに包まれ、ルフィの腕の傷が消えていく。
「お? 治った! ありがとな! お前いいヤツだな!」
無邪気に言われたお礼を、聞いているのかいないのか。ローは興味をなくしたように顔を背け、空中へとのぼった。自らの森へ帰るのだと気づき、少女は慌てて両手を伸ばす。
「あ! あたしも! あたしも一緒に帰るよ!」
「……」
「どうせ帰るんなら一緒に連れてってよ! 置いて行っても駄目だよ。そうしたら自分で行くんだから! ここから森はとっても近いからね、逃げても無駄だよ!」
「……」
「きゃー!」
腰に手を当てて少女に宣言され、ローは小さくため息をついてから、少女をまた抱き上げた。少女が幸せそうに声を上げる。
「ミミズクさん!」
「コビー、ロビン……! あの、あのね……!」
彼らに言わなければならないことが、たくさんある気がした。ありがとう。ごめんなさい。それだけじゃ足りない。言葉は教えてもらったのに。
涙を滲ませる少女に、2人はそっと微笑む。ルフィも2人の間で、ヒマワリのような笑顔を浮かべた。
「また、いつでもいらっしゃい」
「僕たちは、ここで待っていますから」
「また冒険しような! 今度はおれが遊びに行くよ!」
くしゃりと顔を歪ませて、少女はこくこくと頷く。温かな暮らしと優しい人々がいた。それでもやはり、1つを選べと言われたら、もう少女は迷わなかった。
言葉にならない気持ちを覚えて、少女はぎゅっとローの首元に抱きつく。言葉で伝わらないときは、こうすればいいんだと、自分の四肢の使い方が分かった気がした。
ローはそんな少女に、面倒そうな顔をしながらも、そっと少女の頭を撫でるような仕草をする。そして闇の中に溶けるように、羽1つ残さず消えていた。