奴隷の少女と夜の王

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ある日のこと。コビーが少女の部屋を訪れると、少女は窓辺に肘をついて、空を見上げていた。

「何か、おもしろいものが見えますか?」
「月が、ないかと思って」
「月? まだ昼間ですよ」
「うん。白いの見たい。夜の、金のでもいいよ」
ミミズクさんは、月が好きなんですね」
「なのかな。なんだかね……懐かしい」

そっと顔を曇らせて、少女は吐息のようにささやく。それを見て、コビーは思いを決めたように口を開いた。

ミミズクさん、お話があるんです」

***

ミミズクさんの記憶が無いのは、幸せなことなんでしょうか」

少女の近況をロビンに話していたとき、コビーはそう切り出した。本に囲まれた部屋で、ロビンはすっと真面目な表情になる。

「人は、そんなに簡単に、つらい過去を忘れていいものなんでしょうか。幸福というのは、たくさんの涙や苦しみを乗り越えて、輝きを増すものではないでしょうか」

ロビンはそっと立ち上がり、本棚から1冊の本を取り出す。古くくすんだ表紙の本は、何かの写しのようだった。

「……私も気になって、古文書を調べてみたの」
「調べた、とは……」
ミミズクの、額の刻印よ。あの子にかけられた魔法が、どんなものなのか」
「分かったんですか?」

考古学者である彼女は、長いまつ毛を伏せて、ページをめくる。変色した羊皮紙に、かすれたインクで描かれているのは、少女の額にあるのと同じもの。それを指でさして、ロビンは言う。

「あれは、記憶封じの刻印よ」
「そんな……! 魔物は彼女を捕らえ、記憶まで消したというんですか!?」
「それは違うわ。それじゃあ順番がおかしいの。あの子は森でのことも忘れているわ。魔法が発動したのは……あの子が森を出る、そのとき」

コビーは思い返す。森が燃えていたあの夜。崩れた屋敷の中で、うずくまっていた少女。泣き叫び、傷つき、誰かの名前を呼んでいた。

「……記憶は、取り戻せないんですか?」
「やってみる価値はあると思うわ。けれど、それがいいことなのかは分からない」

"五体も内臓も、壊れきってないのが奇跡だよい"

医者にそう言われるほどの、栄養失調の身体。手足首には消えない鎖の跡。決して楽しい暮らしではなかったと、想像できる。

「それに、相手は魔物の王。本来、人の魔力で太刀打ちできるものではないわ。それでも望みがあるとするなら……。多分、あの子の意志にかかっているんだわ」

***

「どうしますか?」

記憶を取り戻すか、このままでいるか。ありのままを話したコビーに、少女は戸惑う表情を見せる。

「少しでも嫌なら、大丈夫です。記憶なんて無くても、君は幸せになれるでしょう」
「……魔法を解いたら、額の模様は消えちゃう?」
「いえ、効力を消すだけなので……。残念ながら消えないはずです」
「じゃあ! する!」

ぱっと顔を上げて、少女は即答した。キラキラ光る瞳で頷く少女に、コビーは少し目を見開く。

「君は、その刻印が好きなんですか?」

無垢な笑顔で、少女は朗らかに答えた。

「だってこれ、綺麗だから」

***

1日掛かりで解呪の魔法を受けていた少女は、ベッドの中で丸くなっていた。結局、完全に解呪はできなかったが、封印はぎりぎりまでほころんでいるという。そのほころびから、記憶が蘇る可能性は、存分にあると言われた。

「……気分はどうかしら?」

ロビンに優しく尋ねられ、少女はゆっくりまぶたを下ろす。

「あたま、いたい」
「大丈夫?」
「うん。ゆめを、みた」
「どんな夢かしら?」
「わたしに、だれかがいうの。わすれてろ。わすれてろって。わたしは、いやだっていった。ふざけんなばか。なんでわたしわすれなきゃいけないのよーう」

過激な言い方を、淡々と棒読みで言うので、ロビンは思わずくすりと笑った。

「いつものミミズクじゃないみたいね」
「わたしだよ。あれは、わたしのこえだ」

はっきりと答え、少女は確かめるように言う。

「ふざけんな、ばか」

***

「ああ、久しぶりだ。確かに君だ」

翌日、少女の部屋に招かれた客人は、少女を見て顔をほころばせた。小太りの身体に質素な上着の彼は、王城の風景に恐縮しているようだった。

「覚えているかい? 森で会ったことがあるのだけれど」
「どうかその時のことを、詳しく話してもらえないかしら」

男はロビンに一礼し、少女に向き直る。

「わたしが森で迷っていたとき、君が私に話しかけてきたんです。魔物かと思い、わたしは怯えてしまいました。君はわたしを、おじさんと呼びました」

「そして、道を教えてくれたんです。この小川を沿って、まっすぐと。おかげで、森を抜けることができました」

「『君は?』と問うと、君は自分の名前を答えました。『わたしはミミズク』と」

少女の頭の中が、きいん、と鳴る。

(んー? あたしミミズクだよー)

このこえは、だれのこえ。

「『一緒に来ないのか』と聞いたら、この花を持っていくから駄目と言った。見事な青い花を持っていて、わたしにおしべをくれましたね。魔除けになると」

「あおい、はな」

少女の背中を汗が伝う。心臓が、早鐘を打つ。

「その花を、ローに持っていかなくてはいけないと、君は言いました」
「ロー」

夜が深かった。闇が濃かった。月が、美しかった。

「……おや? ちょっと失礼。額の模様が変わっていますね?」
「! 前はどんな模様だったの?」
「ええと、わたしが見たときは、模様ではなく……確か数字でした。333……? いや、332だったかな」

(さんびゃくさんじゅうにばーん!)

それは、わたしの。あたしの、ばんごう。

「い……や……」

少女は目を見開いて、自分の耳を覆う。かたかたと、全身の震えが止まらない。ロビンに名前を呼ばれたが、少女の耳には届かない。

「いやああああああああああああ!!」

断末魔のように少女は叫んだ。ローと別れた、最後の日のように。身体が冷え、唾液がだらだらとこぼれる。胃がせり上がるような苦しみの後、少女は吐いた。記憶の濁流に呑み込まれながら。

あの日あの時自分に何が起きたか。自分は何を感じ、何を殺したか。全ての記憶を、息つく間もなくたどる。目を逸らさずに取り戻しながら、少女は必死で探した。

(優しくされていた)

いつの時からか、きっと、優しくしてもらっていた。叫ぶように、心の中で名前を呼ぶ。

(ロー……!)

「忘れる……もんか……」

ぜいぜいと息を吐き、大きく吸う。ぎゅっと拳を握りしめ、少女は実際に叫んだ。

「人の記憶勝手に消すんじゃねーやローの馬鹿ああああああああ!!」



少女が倒れ込むように、意識を失った後。石とカビの匂いがする王城の地下の中。透明な細い糸に縛られ、はりつけにされていたローは、ぼそりと呟いた。

「……馬鹿はお前だ」

地下室の中央に置かれた水晶玉の中で、赤い炎が揺らめく。搾り取られた魔力と生命力を示すその炎の色は、青く染まりかけていた。

***

「ローはどこ!? ローをどうしたの! どこにやったの!」

少女の記憶が戻ったと聞いて、部屋に駆けつけたコビーが見たのは、使用人たちに掴みかかる少女の姿だった。

「返して! ローを返してっ!!」

叫びながら髪を振り乱し、暴れる様子は、小さな獣に似ていた。周りが見えていないようで、「ロー」という何者かを求め、わめいていた。

ミミズクさん!」

コビーが声を張り上げる。少女の動きが止まり、使用人たちが救いを得たような顔をする。彼女たちの手や腕には、少女がつけたらしい爪痕や歯型が刻まれていた。

「……こびー……」
「大丈夫です。何も、怖いことはないんです」

少女を刺激しないように、手負いの獣を労わるように、コビーは静かな声で言う。呆然とした少女の顔に、悲しみや喜びや痛みのような表情が、浮かんでは消える。

ゆっくりと歩み寄り、少女の髪にコビーが手をふれようとした、そのとき。バシッと音を立てて、その手が払いのけられた。

「出て行って」

少女はコビーを、真っ向から睨みつけていた。悔しさと苦しさの交ざったような確かな意志が、真っ直ぐにコビーに向けられる。

「出て行って! みんな出て行って!」

コビーの知る少女は、いつもどこか夢でも見ているようだった。ふわふわとした無邪気な微笑みと、素直な驚きの表情ばかり。ここまで強い表情が彼女にできると、思わなかった。

「……分かりました」

コビーは一言優しく言って、使用人たちを下がらせる。最後に振り返り、部屋の中心で立ち尽くす少女に声をかけた。

ミミズクさん。これだけは忘れないでください」
「僕たちは、君を愛しています」

たとえ少女がどんな記憶の中に、世界の中にいたとしても、その事実は変わらない。静かな音を立てて、扉が閉められる。少女はぺたりと絨毯の上に座り込み、両手で顔を覆いながら、小さな声で呟いた。

「……あたしも、大好きだよ。コビー」

ああ、これがそうなんだ。この頬に流れている、熱い雫が、涙なんだ。

「でも、許さない」
「ローの大切なものを焼いたあなたを、絶対に許さない」
「ねぇ、どこにいるの? ……ロー」

***

その夜。少女の部屋では、ベッド脇のランプだけが灯っていた。運ばれた食事を口にする気にはなれず、水だけを1口飲む。

ベッドに座り込み、腕に顔を埋めながら、少女は考えていた。ローのために、自分のために、自分が何をすべきかを。ベッドの上で正座をし、涙を拭う。

「ベポちゃん。出てきて」

数秒待っても反応は無い。

「ペンギン、シャチ……!」

ただ信じて、その名前を呼ぶ。するとポンと音がして、目の前に小さな3人が現れた。森では見たことがない、薄い半透明の姿は、まるで幽霊のようだった。

「……久しぶり」
「……また会えるとは思わなかったよ」

鼓膜をふるわせるのは、確かにペンギンの声だ。小さなベポが、少女の膝にぴとっとくっつく。

「どうして? あたしが記憶をなくしたから?」
「そういうこと」
「ってかね、ローはどうしてこんなことしたの!? 信じられないよ! そんなにあたし邪魔だった!?」

少女はベッドから降りて立ち上がる。そして堰を切ったように、3人にまくし立てた。

「邪魔だったことは知ってるよ! 分かってるよ! でも、でも、そんなに!?」

じわりと少女の目に涙が浮かぶ。声が、感情を抑えられないように震える。

「……そんなに、あたし、いらない子だった? 迷惑、だった……?」

あの森で、自分がどれほど厚かましかったか、今なら分かるつもりだった。あの頃よりもずっと、少女には色々なことが分かっていた。心の痛みに引き裂かれそうだ。だけど、まだ倒れるわけにはいかない。

「……ローね、捕まっちゃったよ。どうしよう……」
「キャプテンが人の手で、捕らえられたことは聞いてる」
「魔物は、助けに行かないの……?」
「それは出来ないよ」
「この身体、見てみ」

ペンギンもベポもシャチも、腕を広げたり身体を見せたりする。うっすら揺らめき、向こうが透けて見える身体だ。

「この国にも、城にも、厳重な結界が張られてる。もちろん、キャプテンが捕まってるだろう地下にも」
「おれたちだって網の目をくぐるように来たけど、長くはもたない」
「……魔物は、ここには来られない?」
「だけど、それも直接の理由じゃない」
「どういうこと?」

手のひらを返すような言い方に、少女が問い返す。するとシャチは口を開き、鋭い牙を見せた。

「あいつらは、人間たちは、キャプテンの魔力を舐めきってんだ!」
「新月の夜、魔力が弱まるいっときに囚われることがあっても……! キャプテンは魔物の王だ、夜の王だ!」
「また満月が来れば、この街もこの国も、全部壊して逃げられるはずなんだ!」

そこでぴたりと、3人の勢いが止まる。

「……だけど、キャプテンはそれをしなかった」

少女にも、3人の言う意味は分かった。かつてローが少女を食べてくれなかったことで、少女がどの魔物の手にも掛からなくなったように。

「今この国があるのは、キャプテンの意志だ。おれたちがそれを曲げることは……できない」
「夜の王を見捨てるの!?」
「……夜の王は不滅だ。今の王が倒れても、大地に魔力が集まり、また王が生まれる。そういう仕組みだ」
「じゃあ、ローのこと見捨てるの!?」
「……おれたちには、何もできない」

ぽつりとペンギンが答える。ベポは悲しそうにうつむき、シャチは悔しそうに唇を噛んだ。窓から覗く月は、今の状況に不釣り合いなほど大きく、美しい。

じゃあ、あたしには、何ができるだろう。そもそも望まれているのだろうか。記憶まで消されてしまった自分なのに。ローのためを思って動いても、疎まれるだけかもしれない。

(……疎まれる……)

森にいた頃の少女なら、こんな風に思うことも、考えることもなかった。誰の心の中も考えず、誰かの言う通りに、自分のやりたいように生きていればよかった。愛されることを知ってしまった今、愛されないことの恐怖も、知ることになってしまった。

(たくさん分かるって、哀しい)

それでも戻りたいとは思わない。幸福も哀しみも涙も、痛みさえも痛みと分からないあの頃には、もう戻りたくない。

ローを救けて、あの森に帰りたい。凍えない夜も飢えない朝も、優しい手も知ったうえで、ローと一緒にあの森へ帰りたいと願う。

それでも、駆け巡るのは、この国で過ごした時間のこと。コビーは優しく撫でてくれた。ロビンは優しく抱きしめてくれた。ナミは手を繋いでくれたし、ルフィは友達になってくれた。

あの優しい人たちに、後ろ足で砂をかけるような真似をしてまで、ローを救うことが、誰のためになるのだろう。ローも望まないかもしれないのに。森にいた頃のように拒絶されたら、今の自分は耐えられるのだろうか。

「……ミミズク

少女の考えを優しく遮るように、ベポの声がする。ハッとして顔を上げると、ベポが何かを差し出した。

「これ、ひと月前に、キャプテンの命令で手に入れてきたんだ」

少女の手のひらに置かれたのは、ひとふさの髪。美しさもツヤも無い、なんてことない鳶色の髪だ。どこかで見たことがある気がする。

「キャプテンの命令で確かめた。これが証拠。お前が刺した男は、ピンピンしてたよ」
「え……?」

驚きに目を見開き、手の中の髪を見る。この色は確かにそうだ。あの血にまみれた記憶の、最後に刻まれている、あの男のもの。あの男が、生きていた。

本当かどうかは分からない。よく似た他人のものかもしれない。でも生きていると、ベポたちは確かめてくれた。少女は誰も殺していないと。ローが、それを命じた。

何て分かりにくいんだろう。何てひねくれていて、何て不器用なのだろう。

(優しくされていたんだ)
(ずっと、精一杯、優しくされていたんだ)

髪を掴んだ拳を、額に押しつけながら、少女は理解した。哀しみではない涙が、温かく頬を濡らした。

「悪い、ミミズク。そろそろ限界だ」
「これ以上魔力を高めたら、見つかっちまう」
「あ……待って、みんな! 1つだけ教えて!」

不安定に揺らめく3人に、少女は懸命に声をかける。視界が歪むのがもどかしく、何度も手で目をこすった。3人の姿を、はっきり焼き付けて起きたかった。

「みんなは、ローが大事だったの? それとも、みんなが大事なのは夜の王で、ローじゃなくてもよかったの……!?」

朝もやよりも淡い存在になりながら、3人ははっきりと少女に答えた。

「おれたちが大事なのは、キャプテン――ローさんだ」

ランプの灯りしかない静寂に取り残された少女は、もう一度涙を拭って月を見上げる。窓から見上げる月は、ローの瞳のように、美しく澄み切っていた。
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