奴隷の少女と夜の王
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新月の夜だった。木の根元で眠っていた少女は、慌てて飛び起きる。何者かの絶叫が、聞こえた気がした。
「あれ? 何? 何?」
何かがおかしい。でも何がおかしいのか分からない。きょろきょろと首を回すと、闇が騒いでいた。森の木々や葉の1枚まで、悲鳴をあげているような。軋んでいるような。月の見えない空を見上げ、背中に冷たいものが走る。
はじかれたように駆け出す。鎖をガシャガシャ鳴らして地面を蹴り、屋敷へ走る。何も美しいものは持っていないから、追い返されるかもしれない。でも行かなきゃという衝動が、少女を突き動かしていた。
「あ……ああああ……!!」
屋敷に近づくにつれて、異変が分かった。屋敷が燃えていた。真っ赤な炎が屋敷を包み、取り囲んでいた。
(なんで。どうして)
細く開いていた扉に、無理やり身体を押し込む。火の勢いは激しく、熱に焼かれそうになりながら、階段を駆け上る。ローの部屋に走り込むと、彼は部屋の中心に立っていた。
その冷たい金の目には、どんな感情も浮かんでいなかった。
「や……っ、やだ! やめてよ! やだああ!」
壁に収められた本が、置かれていた薬草が、炎に巻かれて燃えていく。少女が集めた美しいものたちも、端から黒く染まり、ぼろぼろと無惨に散っていく。
煙が肺に入り、激しく咳き込む。それでも何か、彼が大切にしていたものを守ろうと、少女が炎の中に身を投じようとしたとき。その細い腕をローが掴んだ。
「もういい」
熱い部屋の中で、温度の低いローの声が届く。
「よくないっ! よくないよぉ!」
叫んだ声をかき消すように、屋敷が不吉な音を立てた。爆発が起きるような音がして、足場が崩れる。手足の鎖が焼けるように熱い。世界ががらがらと崩れていくような、そんなとき。
「こっちです! 手を伸ばしてください!」
瓦礫となった屋敷の向こうに、立っている人がいた。淡い桃色の髪に、丸くて黒い瞳の青年が、少女に手を伸ばす。
「ええええ!? あたし!?」
「君です! 助けに来ました!」
少女は緊迫した場面に似合わない、すっとんきょうな声を上げる。それでも答える声は、限りなく力強く、凛と空気を震わせた。
こんな風に手を伸ばされたことなんてなかった。そういえば昔、もっと小さい頃に、願ったこともあったような、気がする。いつか、こんな風に。素敵な人が「助けに来た」と。あたしを連れ去って、幸せに。しあわせ、に……?
「あ、あたし……」
予想できないタイミングで広がった運命に、少女の身体がすくむ。言葉が震える。
「怯えることはありません! 大丈夫です!」
こんなに強く、たとえ嘘だとしても。少女に「大丈夫」なんて、言ってくれた人はいなかった。何かに取り憑かれたように、数歩そちらに歩く。けれど振り返って、ローを見る。
ローの身体は、見えない糸に捕まえられているようだった。月のような瞳が、少女を静かに捉える。
「行け。お前にはもう、ここにいる理由がねェ」
不自由そうなぎこちない動きで、ローが腕を伸ばす。少女の額を、長い指で一度だけなぞる。少女の身体が、ひとりでに、少女自身の意志で動いた。少女が取ったのは、魔物の王の手ではなく、白い制服を着た青年の手。
伸ばされた手に抱き寄せられ、抱えられる。感じるのは温かな人肌。愛されるように救い出されながら、なぜか少女は泣きたかった。
――ねえ、あんなにも。あたし、あなたにたべられたかったのに。
***
王城の一室。水鳥の羽が入った大きなベッドで、寝かされていた少女が、うっすらと目を開けた。魔王に囚われていた少女の意識が戻った、という知らせを聞いて、兵士のコビーが駆けつける。
「目が覚めましたか?」
哀れに痩せている少女は、緩慢な瞬きを繰り返す。声にならないうめき声を上げ、力が入っていなさそうな動きで、身体を起こそうとした。それを手伝いながら、コビーは優しく問いかける。
「大丈夫ですか? 痛いところはありませんか?」
「……な、い」
少女は微かな声で答える。額には不思議な紋様があり、三日月のようなそれから魔王の魔力が感じられた。その手首から鎖は外されていたが、茶色く変色した跡は消えずに残るだろう。コビーは胸を詰まらせながらも、少女に安堵のため息をつく。
「……ここ、どこ」
「ここは王城です。何も怖いことはありませんよ」
「こわいことは、ない」
「そうです。僕はコビーといいます。君の名前は?」
「わたしの、なまえ」
オウムのように反復しながら、少女のまつげがふるえるように揺れる。まぶたを持ち上げながら、少女はそっとささやくように答えた。
「なまえ、わすれちゃった」
驚いて目を見張るコビーを、少女は無垢な目でじっと見つめる。コビーは唇を噛み、何かをこらえるように目を閉じて、少女の頭をそっと抱き寄せた。優しい仕草で、静かに呟く。
「……可哀想に」
少女は小さく首を傾げた。どうしてそう言われるのか、心底分からない、というように。
***
「あなたの名前は、ミミズクよ」
少女の暮らす部屋に現れた美女は、優しい声でそう言った。ウェーブのかかった艶やかな黒髪が、背中に流れている。青い瞳は、知的で穏やかな光をたたえていた。
「かつて夜の森に迷い込んだ狩人に、あなた自分でそう告げたの」
「……ミミズク……?」
「そう。覚えている?」
「……わからない。でも、そう言われたら、そんな気がする。……うん、わたし、ミミズク」
柔らかい生地の、シンプルなドレスを着た少女は、ベッドの上に座り込んだまま言った。大事なものをしまい直すように、両方の手のひらで胸元を押さえる。
「私はニコ・ロビンよ。よろしくね、ミミズク」
「よろしくね。ええと……ロビン」
「ここの暮らしはどう?」
「ええとね、毎日、美味しい食べ物がたくさん。綺麗なお着物も。それに、みんなすごく優しい」
「何か、足りないものは無いかしら?」
「それ、コビーとかにも聞かれる。全然ないよ」
慌てたように首を横に振りながら、少女は答える。充分すぎる暮らしだった。金髪のコックさんは、こっくりとしたスープや柔らかな煮込み料理を作ってくれた。トナカイを連れた赤ぶちメガネのお医者さんは、少女の身体が回復していくのを、自分のことのように喜んでくれた。
どうしてこんなに、よくしてもらえるんだろう。
ロビンは微笑んでから、小さな声でたずねる。
「……何か、思い出したことはある?」
目覚める前。森にいた日々。少女には答えようもなくて、首を横に振る。
「あなたは今まで、夜の森にいたの。そこで魔物に捕まって、それは怖い目にあったんだと思うわ。だから自分を守るために、その記憶を封じてしまったのかもしれない」
「無理をして思い出すことはないわ。きっと、忘れていてもいいことだと思うの。あなたには、これからの一生があるんだから」
夜の森。魔物。怖い目。そんな言葉が、頭の中をぐるぐると回る。忘れていてもいい。本当に?
「わたしの、一生は、これから?」
「そう、これからよ」
(本当に?)
心の中で、誰かがそっと問いかける。シャラシャラ、シャラシャラと、耳元で遠く鳴り響く音がした。
***
少女を救い出したのは、仏と称される名君が治める、平和な王国だった。精鋭揃いの兵士たちのおかげで、人々は悪しき心を持つ者に
少女は聞き分けのいい城の居候だった。ベッドで眠ることも、窓から景色を見ることも、使用人たちと話すことも大好きだった。誰もが少女に優しくしてくれた。
国王であるセンゴクと、近衛兵のガープが会いに来たこともある。威厳があり真面目そうな王と、少女にせんべいを与える明るい近衛兵の組み合わせは印象的だった。
その数日後。歳が近そうな1人の少年が、少女の下を訪れた。
「お前がミミズクか? おれルフィ! 友達になろう!」
「ともだちってなあに?」
「友達ってのはな、一緒にメシ食うようなヤツのことだ!」
「いいよ、友達なろう!」
ガープの孫だという彼は、よく"冒険"と言って、少女を部屋の外に連れ出した。自由奔放で明るい彼に手を引かれ、城を探検したり、コックにおやつをねだったりする。少女にとっては初めてのことばかりで、楽しかった。
「お前の手首、変わった色してんなー」
「これね、取れないんだって。ルフィも見たことない手足だね」
「おう! おもしれーだろ! 生まれつきなんだ」
頬や腕をゴムのように長く伸ばし、ルフィがニカッと笑う。
「じいちゃんは、他のやつと同じ身体にしたいみたいだけどな。おれはこっちのが嬉しい!」
ルフィは少女に、いろいろな話をしてくれた。城の外で見つけた面白いものや、綺麗なもの。城下町で売っている、屋台の串焼き肉や、焼いた果物。町で会った人々のこと。将来の夢も語ってくれた。
「じいちゃんは兵士になれって言うけどさ。おれ、大きくなったら、この国を出て旅をするんだ」
「たび?」
「外の世界を冒険して、おもしれーもんとか宝物とか、いっぱい探しに行くんだ!」
「何だか楽しそうだねえ」
「おれが旅に出るときは、お前も一緒に連れてってやるよ!」
黒い目をきらきら輝かせて、太陽のように笑う彼を見ていると、少女の胸の辺りが温かくなる。お日様に照らされてるみたいだ、と少女は思いながら、嬉しさで唇をほころばせた。
***
少女が初めて城下町に行く日は、綿雲がぽつぽつと浮かぶ青空に恵まれた。仕立てのいい服と可愛らしいリボンが付いた帽子を身につけ、少女は歓声を上げる。
「人がいっぱい! たくさんの荷物だね!」
「ミミズク! 早く行こーぜ!」
「はぐれるでしょうが! ミミズク、手を繋いでおきましょ」
付き添いで来たのはルフィとコビー、そして使用人の1人であるナミ。オレンジ色の波打つ髪を揺らす彼女に手を取られ、少女は幸福そうに微笑んだ。
「ここは買い物をするところよ。お金と交換で、欲しいものを買うの」
「ナミ〜、おれもこづかい欲しい〜」
「あんたはすぐ食べ物に使っちゃうでしょ」
ルフィをたしなめながら、ナミは少女の空いている手に、3枚の銅貨を握らせる。カモメの紋様が彫られているそれは、少女の目には宝物のように映った。
「欲しいもの……」
「いろいろ回ってみましょうか」
コビーに言われるまま、市場を歩き出す。新鮮な野菜や果物、きらきら光る石を使ったアクセサリー、繊細な刺繍を施した布等が並べられていた。見るもの全てが珍しく、少女はあちこちに視線を移す。
「こっちだぞ」とルフィに手を引かれながら、やがて1軒の屋台を見つけた。甘くかぐわしい香りが、ふわりと鼻をかすめる。砂糖漬けの果物が、鉄板の上で音を立てながら焼かれていた。
「おっちゃん、いつもの2つ!」
「やあルフィ。今日は友達も一緒かい?」
「おう!」
お金と交換というナミの言葉を思い出し、少女は銅貨を、愛想のいい店主に払う。紙に包まれた果物を1口食べると、シャクッと歯触りのいい音を立てた。温かな甘みと果汁の酸味が、じんと舌に染みる。
「美味しい!」
「うんめェ〜!」
「そうだろそうだろ!」
2人の無邪気な反応に、店主は上機嫌だ。夢中で頬張る2人を見て、周りに人が集まってくる。焼いた果物が売れていく中、1人の老女が少女たちに目をとめた。
「あらあら、こんなに口の周りにつけて」
皺にまみれた手を伸ばし、柔らかな布で優しく、口の周りを拭ってくれる。ルフィの次は少女だ。2人とも鼻の頭までべたべたになっていて、皆に優しく笑われた。
「ほら、綺麗になった。あら、なんだいこの額の……」
老女がさらりと少女の前髪をどかすと、三日月のような紋様があらわになる。それを見た老女は驚いたように息をのみ、周囲も一瞬静まり返った。その真ん中で、少女とルフィはきょとんとする。
「あんた、まさか……お姫さんかい?」
「わたし? お城に住んでるけど、お姫さま違うよ」
「違うよう。あんた、この間の魔王討伐で助けられた、夜の森のお姫様だろう……!?」
「え……、うん。多分そう、かな?」
お姫様と呼ばれる理由も、周囲がざわめく理由も、よく分からない。でも言われた通りのような気がした。思い出すのは、前にロビンが話してくれたこと。
「よく、よく生きて戻ってきたねえ。怖かったろうねえ、よかったねえ……!」
老女に抱きしめられ、少女は目を瞬かせる。はたはたと落とされた涙に、余計に慌てた。
「夜の森から助け出されたお姫さんが、いらっしゃったぞぉ……!」
歓声が上がり、少女はもみくちゃにされた。色んな人に撫でられて、抱きしめられ、握手を交わされる。どぎまぎしながら、少女は思う。
(あったかいな。なんだろう)
やがて人混みの中から、コビーが2人を連れ出してくれた。人に揉まれてくったりしているルフィを抱き上げながら、コビーは少女と手を繋ぐ。その手は、温かい。
「あのね、コビー」
「どうしました?」
「おばあちゃんがね、ぎゅっとしてくれたんだ。それでね」
「泣いていましたね。おばあさん」
「泣いて……?」
「君のために、涙を流してくれたんですよ」
優しい笑顔でコビーは言う。涙ってなんだろう。温かいな。優しかったな。そう思ったら、何だか鼻の奥がつんとした。