奴隷の少女と夜の王
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月が綺麗だった。ローがどこにいるか、何となく分かるようになっていて、少女は湖の前に行く。ローはまた、木の上から湖を眺めていた。
少女は思いついたように目を輝かせ、すぐ傍の木に登り始める。大きくて枝振りのいいその木は、難なく登ることができた。そして、ローの傍の木に移る。ジャラジャラと鎖が鳴る音が、夜の静寂を裂くように、森に響いた。
「――そんなもんつけて、邪魔じゃねェのか」
「うわっ!」
突然かけられた声に、少女は足を踏み外しかける。慌てて体勢を立て直して、枝に座り込んだ。隣に、間近にローがいる。ローは少女の方なんて、見向きもしていないけれど、今のはローの声に聞こえた。
(ローが、あたしに話しかけた)
「え、あ、あのねあのね!」
慌てながら言葉を探す。そんなもの。多分、鎖のことだ。
「えーとね、あたしこれキライじゃないんだよ」
足を上げて鎖を持ち上げる。シャラシャラと音がする。
「キャラキャラキャラーって鳴るの。きれいな音するよ。てゆーか、あたしの持ってるもんってこれしかないからー、キライじゃないよー」
ずいぶん長い間、少女と共にある鎖だ。小さい頃に溶接された鎖は鍵穴がなく、その頃からほんの少し骨が太くなったくらいで、手首と足首の太さが変わっていないのが幸いしていた。
ローは
「ローはー、どうして人間きらいなのー?」
静かな夜のような気持ちで、少女は言う。沈黙が降りて、少女は自分の鎖を撫でた。
「醜いからだ」
返答は突然で、不機嫌そうな低音が鼓膜を震わせる。少女は顔を上げて、それから話し出す。
「ミニクイってー? でも人間もきれいなのいるよー? ローみたいにきれいな人は、まだ見たことないけどー」
見たことも話したこともない。でも大きな街とかに行けば、いるのではないかと思う。いたらいいな、と思う。美しい人、優しい人。素晴らしい世界が、どこかにあると。
「外見じゃねェ。魂だ」
「タマシイ?」
「身体の中にある」
「身体の中にあるのはー、血と、ぐちゃぐちゃしたものとー、それから食べたものだけだよ?」
そう言ったら、軽蔑したみたいに睨まれた。仕方ないので考える。ローが喋ってくれるのは、とてもとても珍しいことだ。幸せなことだ。だから、なんとしても長引かせたい。
「んー、心とか? そういうの?」
「似ている」
「わあい! あたしも嫌いなの多いよー。そういう人たちって、あたし見ると汚れるって言うんだよー」
にこにこ笑う。「村」の人たちは、自分だって汚いのに、少女のことを「もっと汚い」という目で見ていた。でも今は、少女は綺麗なローの隣にいた。
「ねー、ロー。あたし今、もうすーごい幸せー」
ローは不可解さを表すように、少しだけ目を細める。そしてそっと口を開いた。
「その額の数字は、まじないか何かか」
「これねー、焼きゴテだよー」
前にベポに聞かれたときは、よく分かってもらえなかったものだ。少女は額を撫でながら、ローに詳しいことを話し出す。
「ほらー、牛とか羊とかに、ジュッてするやつー。あれと一緒。鉄真っ赤っかで、むちゃくちゃ熱くてー、ジュウウッてなってギャアッてあたし倒れちゃったよー」
くすくす笑いながら言うと、ローは黙ってその手を伸ばした。その指が、少女の額にふれる。
(食べてくれんのかな?)
目を閉じながら思う。痛くないのがいいなぁ。焼きゴテ、痛くて熱かったもんなぁ。ローの指は冷たくて、でもなぞられたら、じわりと温かさが残った。
「胸糞悪い数字より、少しはマシか」
「へ?」
目を開けると、お月様がきらきらしていた。ぽかんとしたけど思い立って、もたもたと木から下りる。湖に走って顔を映し、少女は歓声を上げた。
「うわぁ!」
額の数字は、不思議な紋様になっていた。ローの手の甲にあるものと、似たようなもの。月の光を浴びながら、少女は笑う。
きれい。あぁ、何てきれい。
生まれて初めてだ。あたしがきれいなんて。
***
美しいものを集めようと思った。
綺麗な花や葉。滑らかな手触りの石。美しくしなをつくった枝。宝石のような、樹液の塊。明るいうちにそんなものを集めて、少女は陽が落ちるとローの屋敷へ向かった。
2度目に屋敷の扉を開けたとき、少女は綺麗な黄色の花を持っていて、ローは少女を追い返そうとしなかった。だから通行証のように、少女は美しいと思うものを持って、ローの下まで行くのだ。
奥のドアを開けると、古めかしい椅子に座るローが見えた。足音を立てすぎないように、少女はローの隣に座り込む。ローはぶ厚い本を、静かにめくっていた。
(ローはきれい。おへやもきれい)
たくさんの本。ローが集めたという薬草。少女の持ってきた「美しいもの」。それらで飾られた部屋は、統一された美は無いけれど、自由で心躍るような美しさがある。
「あたし、食べてもらえないの、何でだっけか」
自分がこの場所に不似合いで、ぽつんと呟く。どうしてこんなところにいるのだろう。そんな疑問を忘れそうになる頃、ローが口を開いた。
「何でおれに喰われてェんだ」
「死にたくなかったから」
無意識に持っていた答えを言うと、ローは虚をつかれたように黙る。少女は一生懸命に言葉を繋げた。
「あのねー、あたしナイフ使うのきらいなのよー」
「……分かる言葉で話せ」
「なんでかっていうとー。あたしいろんなお仕事してて、汚いのもつらいのも痛いのも、今さらなんともなくてー。でもいちばんきらいなの、人をさばく仕事なんだよー」
「……さばく?」
「うん」
ローの目が相変わらず綺麗で、少女は自然と笑みをこぼした。
「村の人が、殺した人。そゆ人の、お腹ビリビリーで胸元ザクザクーって、そんでぐちゃって手ぇ突っ込んでー、心臓とか取り出すの。高く売れんだって」
「川とか入っても、血とか内臓の匂い、なかなか消えてくんなくて」
「死んだ人埋めんのも、あたしの仕事なの。穴掘るの時間かかったから、腐ってたくさん虫わいてー、すごい臭いの」
「そんなふうになりたくなかったから、食べてもらえたら、きっときれいだよねー? って」
話を続けようとしたとき、ローの手が少女の口を塞いだ。乱暴な手つきで、嫌悪に近いけれど言葉では表現しきれない表情で言う。
「もういい。話すな」
少女から手を離し、ローはまた本に目を落とす。少女が下から覗き込むと、ローはその目を真っ直ぐに見つめて、問いかけた。
「そこまでの扱いを受けて、何で逃げなかった」
「…………わかんない。なんでだろ。たくさん嫌だーって思ったよ。でも、なんでだろうね。逃げようとしたこと、なかったなぁ」
誰かが手を差し伸べてくれる夢を、見たこともある。痛いのも苦しいのも嫌だった。思えば本当に、不思議でたまらない。
だって、そんな毎日が普通だった。少女にとっての当たり前だった。あんな毎日が終わる日が来るなんて、信じられなかった。
「なら何で、お前はここにいる」
「あー、それはねー。もういいやって思ったんだよー」
今度は答えられると思い、冷たい床に座り込む。安らかに眠るようにまぶたを落とし、歌うように言葉を紡ぐ。
「あたし、馬小屋で寝てたのー。干し草の中でぬくぬく。そしたらお馬さん騒ぎ出して、あたし起きたの」
「あたしの村、悪い人たちの村で。悪い人たちきらいな、よくない人たちがいて。その人たちがいっぺんに、わー! って来てさ」
それは盗賊間の縄張り争いや、確執が発端だった。他の盗賊たちが少女の村を襲い、悲鳴や怒号が耳を突く。炎が燃え立つ音と、濃い血の匂いがした。
「耳ふさいでたんだけど、あたしも捕まったんだー。鳶色の髪の男の人。ほっぺたに傷あってー」
『奴隷の娘か。おもしろい』
そう言って、身の毛のよだつような笑みを浮かべた男の顔が、焼き付いたように離れない。
「それ言われたら、なんもわかんなくなっちゃったんだぁ」
少女の思考は止まっていた。何も考えていなかった。ただ手は、干し草の中からナイフを取り出していた。いつも死体を切り刻むのに使っていた、大振りのナイフ。何か叫んだ気がするけど、もう覚えていない。
「あたし、そん人、刺したよ。生きてる人、刺したの初めてだったー。男の人、倒れちゃったよ」
視界がぼやけた。
「きっと死んじゃったね。あたし、殺しちゃったんだぁ」
ぽたぽたと少女のこめかみに、汗が流れる。暑くもないのに。むしろ寒ささえ感じて、指先が震えるのに。似たようなことをずっとしていたけど。自分があのときしたことは、決定的に違うものだと、少女の足りない頭でも分かった。
「そしたらあたし、もういいや、疲れたぁって思ったー」
何もかも諦めて、昔々に聞いた話を思い出した。ずっと遠くに夜の森と言われる場所があって、そこの魔物に喰われたら、跡形も残らないのだと。
「そんでー、あたし歩いてここまで来たよー」
目を開けて、ローを見る。彼の瞳を見たら、心が休まる気がした。
「まだ、おれに喰われてェか」
何を当たり前のことを聞くんだろう。何度も何度も言ってるのに。ずっとずっと望んでるのに。迷いなく言おうとして、口を開いたけれど、何の言葉も紡げなかった。
「あ、れ」
不思議に思って、乾いた自分の唇をなぞる。今「食べて」と言えば、ローは自分を食べてくれそうな気がしたのに。望めば、叶いそうだったのに。
「あのね、ロー……。あたし、今日はここで、眠ってもいいー?」
考えているうちに分からなくなった。言えない言葉は、どうしたって言えないんだから、仕方ない。代わりに、この綺麗な部屋で眠れたら、どんなにいいだろうと少女は思った。
ローは目を逸らし、本のページをめくる。拒絶の反応ではなかったような気がして、少女はとても嬉しくて、幸せな気持ちになった。ローの足下に身体を丸め、静かな寝息を立て始める。
そんな少女をローはちらりと見て、また1枚、ぱらりと本をめくった。そして腕をのばし、細い指先で、少女の髪にふれる。なぞるような、撫でるような、曖昧な触れ方だった。
***
小鳥の羽音で目が覚めた。大きな窓から朝日が差し込む。床の冷たさが心地よくて寝直そうとしたとき、名前を呼ばれた。
「ミミズク、おはよう」
「ベポちゃん、ペンギン!」
「頬に板目の跡がついてるぞ」
上半身を起こすと、2人が側にいた。屋敷の主はどこにも見えない。ペンギンに優しく笑われ、頬を擦りながら少女も笑う。
「2人ともどーしたの? 2人からお屋敷来るの、めずらしーね?」
「おれたち、お前に話があって来たんだ」
「なあにー?」
「おれたちこれから数日くらい、森を留守にするね」
「キャプテンの命令で、長くて1ヶ月くらいだな。シャチもいないから、その間、自分のことは自分でしてほしいんだ。できるか?」
「はーい! でも、キャプテンの命令って何ー?」
「それは……」
「ごめんな。言えねェんだ」
ベポが口ごもり、ペンギンがその後を引き継ぐように、申し訳なさそうに言う。そのことに不満は無く、少女は「そっかあ」と笑った。2人が森を出る前に、会いに来てくれたことが嬉しかった。
「ミミズク、森を出る前に、昔話をしてやるよ」
「むかしばなしー?」
「そう。昔々の話」
「してもらうー」
ペンギンの突然の言葉が、どういう真意から来たのか、くみ取ることはできない。でも少女は断らず、床にきちんと座り直した。ベポが隣に寄り添うように、ちょこんと座る。
「遠い昔に滅びた王国と、そこで生き、倒れた少年の話」
「どこまでも遠く、北へ向かった先に、1つの王国があった。その国の地層には、"珀鉛"っていう鉛の一種が眠っていた。人々はそれを掘り起こし、加工し、巨万の富を築いた」
「珀鉛から作られる塗料で、国全体が一面真っ白。童話の雪国みたいな美しさだった」
「ゆき……」
それがどんなものか、少女は手に取ったことはない。ありったけの知識をかき集めて、美しい白い粉を思い浮かべる。
「人々は豊かだった。……珀鉛に含まれる毒の、危険性に気づくまでは」
「掘り起こさなきゃ害はない。取り扱えば微量な毒が、身体を蝕んでいく。国の王族がしたことといえば、目先の富に目が眩んで、その事実を隠したぐらいだ」
「やがて珀鉛の影響で、身体や髪が白く染まり、全身の痛みと共に死ぬ病が蔓延した。王族は国民を見捨てて脱出。伝染病だと思い込んだ周辺諸国は、病にかかった人々を迫害し、射殺した」
「やがて戦争が始まった。女も子どもも関係なく殺され、街や病院には火が放たれた」
「その病院には、1人の少年が住んでいた。医者の両親と妹の、仲睦まじい4人家族。でもその戦争の中で、家族も友人も恩師も故郷も、全て失った」
「愛する人たちを奪われた少年は、病で寿命が尽きる前に、全て壊そうと決めた」
少女はゆっくりと考える。
愛するとは、どんなことだろうと。
「少年はとある海賊団に入った。その中で少年の病を治そうと、力を尽くす男と会った。治療法を探す2人旅の中、優しいその男は命を落とした」
「そのとき、おれたちは、傷つきすぎた少年を見た」
そこで少女は、何かに気づいた。ペンギンが何を――「誰」の話をしているのか。そして思い出す。集められた薬草に、たくさんの本。少女には難しくて読めやしない、複雑な図や文章が記された本。あれはもしや、医学書だったのでは。
「おれたちは問いかけた。まだ生きたいか。人をやめることになっても、構わないかと。少年の答えは、どちらもYesだった」
それは、だって、そうだろう。
「この森では、ちょうど夜の王の代替わりが始まっていた。2つあるうちの1つの代替わりの方法は、先代の王が、次代の王を選ぶこと」
「おれたちは、少年に森へ行けと言った。森へ行き、王に会えと」
「そうして、世界は王を選んだんだ」
「昔話は、これにておしまい」
隣でベポが、小さく鼻をすする音がした。どうしてだろう。どうしてペンギンはそんなことを、あたしに話してくれたのだろう。
「それじゃあまたな。ミミズク」
別れの言葉だけ残して、ふっと煙のように、2人は消えてしまった。立ち上がって窓から身を乗り出し、2人の後ろ姿が見えないか探す。そしてふと、少女は自分の頬が濡れていることに気づいた。瞬きする度に、ぬるい水が落ちる。
「なんだろ、これ。びょーきかな」
ごしごしと水滴を拭う。初めてじゃないけど、覚えもない。汗みたいなものだろうか。目からこぼれる水を拭って、陽の昇る森へ向かおうと、屋敷を飛び出す。
美しいものを見つけて、またローに会うために。