奴隷の少女と夜の王
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巨木の下で目を覚ますと、残り火のような夕日が、辺りをやわらかく照らしていた。近くの川で顔を洗い、口の中をすすぐ。水面に顔を映すと、前より少しだけ血色がよくなったように見えた。
2日に1回くらい、ベポたちが少女に食べ物を届けてくれるので、頬骨もあまり目立たなくなっている。「腹減ったら、いつでも呼べよ」と3人は言ったけど、探し回れば少女でも、食べられるものを見つけられた。何より彼らから与えられる食べ物は、それだけで何日かしのげそうなほど、充分過ぎる。最初のうちは食べすぎて、吐いてしまうこともよくあった。
(さがしにいこう)
眠るのに飽きて、食べるものも欲しくなくなると、少女は夜の王を探してさまよった。他にすることがなかったからだ。森に来る前は、朝から晩まで、あるいは夜通し働くのが当たり前だったのに。何もすることがないのは、変な気分だった。
毎日のように、広い森の中をあてもなく歩くうちに、だんだん分かってきた。
静かなところ。世界で1人だけのようで、何も息遣いが聞こえない、凪いだところ。それから、きれいなところ。
ベポたちに止められたから、屋敷の中には入らなかった。辺りが闇に包まれ、月の光が木々の隙間から差し込んでくる頃。静かで少し開けた場所を見つけた。
「あ」
大きなシイの木の太い枝に、夜の王が腰かけていた。こちらに目もくれず、金色に変わった月の瞳で、どこか遠くを見つめている。
「あー……きゃぷてーん……」
何度やっても、声をかけるのを迷う。少しためらう。でも他に方法を知らない。木の根元に歩み寄ると、彼の綺麗な姿がよく見えて、幸せな気分になった。
「目障りだ」と石ころのように扱われるのは慣れてる。でも「村」の人たちとは、何かが違う気がした。なぜか「村」にいたときのように、消えたいとは思わなかった。
「あのね、あのねきゃぷてん」
大きく息を吸って、何か喋ろうとする。夜の王に干渉することが、ただ1つの方法だった。
「……人間」
突然声がする。逆光でどんな表情をしているか分からなかったけれど、金の瞳がこちらを見ていた。
「お前は魔物じゃねェ。おれはお前の、キャプテンじゃねェ」
少女はどうしていいか分からず、力無く笑う。当たり前のことを彼は言っていたけど、少女の中で理解が追いつかない。少女は自分のことを、人ではないと思っていた。
人ではない。魔物でもない。むしろ魔物になって、夜の王の傍にいられたら、どんなにいいだろうと思う。でもそれは無理だった。
「えっとー、じゃあ、なんてよべばいいー?」
もうキャプテンとは呼べない。たぶん、夜の王とも呼べない。足りない頭で考えて、それでも思いつかなかったから、少女は正直にたずねた。
興味をなくしたように、夜の王は視線を逸らす。しばしの沈黙の後、低い声がただ一言だけ、呟いた。
「……ロー」
聞き逃してしまいそうなその音を、何とか捕まえる。夜の王が、たぶん名前を教えてくれた。それが嬉しくて、幸せで、少女はへらっと笑った。
「ロー」
オウムのように言葉を繰り返す。ローはまたどこかを見ていた。その視線の先には何があるのだろう。何もないかもしれない。少女も「村」にいた頃は、理由もなく宙を見つめていた。
あの頃の記憶は不鮮明で、ところどころ崩れている。どうせそんなにぼろぼろなら、何もかも、きれいさっぱりなくなればいいのに。
「ねえ、ロー。どうしてあたしのこと、食べてくれないの……?」
木の上で動く気配がする。漆黒の翼が何度か動く。いつもはこれほど、長く一緒にはいられない。今日は幸運な方だ。けれど、届かないと分かっていても、手を伸ばしてしまう。
「行かないで……行かないでよ……!」
次の瞬間。目の前に2つの月が現れた。すぐ近く、鼻先がふれてしまいそうな近さに、ローの綺麗な顔がある。心臓が止まりそうになったとき、その薄い唇が動いた。
「人なんざ喰ったら、ヘドが出る」
瞬きした時には、ローの姿は闇の中へ消えていた。黒い羽根を1枚だけ、地に残して。ずるずると力が抜けたように座り込み、少女はその羽を掴む。
「ちがうもん……」
唇を噛む。よく分からないけど、胸が詰まる。
「あたし、人間じゃないもん……」
座り込んでうつむきながら、少女は呟いた。もう痛む心もないのに、胸が詰まって仕方なかった。
***
「ねぇペンギン。あたし、ローに食べてもらうにはどうしたらいいかなぁ」
ペンギンが持ってきてくれた木苺を口にしながら、少女はぽつりと聞く。向かいにいたペンギンは、ぱたりと翼を震わせた。
「ロー? キャプテンが教えたのか?」
「うん。あたし魔物ちがうから、キャプテンじゃないって言われてー。なんてよべばいい? って聞いたら、ローって返ってきた」
「あのキャプテンがねェ……」
羽を顎に当てて、ペンギンは少し考え込むような仕草をする。
「ミミズク」
「あいー」
少女の名前を呼んでくれたのは、ベポとペンギンとシャチしかいなかった。3人は人じゃないけど、人よりずっと素敵だと少女は思う。
「お前は気づいてないんだろうけど、お前はいろんなことを許されてるよ」
「許すー?」
「そう。ミミズクさ、屋敷に行ってみろ」
「屋敷? ローの? 行っていいかなぁ」
「本当ならアウト。怒られてバラされるかもな」
パサパサと軽い羽音を立てて、ペンギンが少女の近くに飛んでくる。少女の目線に自分の目線を合わせ、彼は言葉を紡ぐ。
「許されなかったら殺される。許されたら何かが変わる。死ぬことが恐くないなら、今さら恐いものはないだろ」
何となく言いたいことが分かった。少女は最初から、殺されるのが一番だった。喰われることが、何よりの望みだった。それなら、何も臆することはなかった。
「ペンギン、どうして教えてくれんの? ペンギンのキャプテンは、ローでしょ?」
王様が嫌がることをする魔物は、怒られちゃうんじゃないかと少女は思う。ペンギンはゆっくり羽ばたきながら答えた。
「おれはキャプテンの幸せを望んでる。でもさ、キャプテンの幸せがどこにあるかなんて、誰も知らないだろ」
少女にはよく分からなかった。幸せなんて、簡単なことなのに。
***
古ぼけた屋敷の扉を軽く押すと、軋んだ音を立てて開いた。辺りは薄暗く、古く乾いた木の香りがする。少女はくるくると周りを見回してから、階段を上り始めた。
2階にたどり着くと、長い廊下の突き当たりに、ほんの少し開いた扉がある。そこから光の線が伸びていて、少女は扉を開いた。
「わぁ……」
大きな窓から差し込む光が、部屋を明るく満たしていた。そこにあるのは、たくさんの本。壁が本棚でできているようで、美しい革表紙のぶ厚い本が、みっちり詰め込まれている。
その中でぽつぽつと置かれているのは、様々な植物だった。一輪挿しにいけられた花に、吸い寄せられるように手を伸ばす。小さな白い花を咲かせているそれは、スーッと涼しげな香りがした。指先がふれる、その瞬間だった。
「触るな」
刃物のような言葉が、身体を切り裂くような気がした。肩をびくりと震わせて振り返ると、黒い翼が揺れる。
「何してんだ」
向けられる怒りの感情に、少女の背筋がわななく。本能の恐怖。でも少女にとっては、どうってことない。もう何も、怖いことはない。
「花が、きれいで」
それだけ言った。怒っているなら、殺してくれるなら。食べてくれるなら、それがよかった。
少女の頭を掴むように、ローの手が伸ばされる。少女は全てを受け入れるように、目を閉じた。死ぬなら、あとかたもないのがいいな。そう思いながら、走馬灯が走らない闇の中で、そっと意識を手放した。
***
目を開けると、ペンギンが少女の顔をのぞき込んでいた。そこはローの屋敷ではなく、濃い緑の森。少女は手を伸ばして、ペンギンの柔らかな羽を撫でた。
「起きたか、ミミズク」
「……あたし、まだ生きてる?」
「そうみたいだな」
「あたし、また食べてもらえなかった?」
「……おう」
また駄目だった。何が駄目だったんだろう。悔しくてつらくて、唇を噛む。でも、それだけじゃないような気がした。
「ペンギン。あたしローの部屋見たよ」
「そっか」
「本とか、お花とか、いっぱいだった」
「……キャプテンが集めてる薬草さ、1つだけ足りないのがあるんだよ」
「足りないもの?」
珍しく、どこか迷うような口調だった。首を傾げて問うと、ペンギンは答える。
「この森の奥にある花。必要なのはその根っこなんだけど、花粉はおれたち魔物にとって猛毒になるんだ。おれたちじゃ、近づけない」
「……! ペンギン! あたし行くよ、それ採ってくる!」
少女は立ち上がって言った。ローがその花を欲しいという。けれど魔物だから、採りには行けない。少女は魔物ではないから、その花を採りに行くことができる。
彼のために、できることがある。そう思ったら、心が弾んだ。
「いやでも、人が行くには危険だぞ」
「いいよ。何でもいいよ。教えてよ」
せがんだ結果、ペンギンが教えてくれた場所は、小さな崖の上にあった。筋力は無いけれど、細く軽い身体のおかげで、何とか崖を登りきる。流れる汗を手の甲で拭いて、荒い息を何度か吐き出す。開けた場所に、小さな野生の花畑ができていた。まるで海のようだ。
近くにあった木の枝と片手の爪で、乾いた土を掘り返す。根から掘り起こし、少女はようやく花を手にした。苦労して掘り出した青い花は、何よりも美しく、愛しく映った。
(根っこだけでいいって言われたけど、こんなにきれいだもん。もったいないよ)
「ロー、よろこんでくれるかなぁ」
大丈夫。あとは下りて、ローに花を渡すだけ。片手に花を握りしめて、少女はゆっくり足を進める。手元の花に気を取られたとき、足場がふっと無くなった。足下の石が突然崩れたのだ。
硬い木の枝に、腕の鎖が引っかかる。ぶら下がったせいで、手首と肩が激しく痛む。少女は歯を食いしばり、花をきつく握りしめた。
感覚だけで足場を探し、体勢を整えながら、ふと思う。
(おかしいな。生きていたいみたいだ)
(そうだ。あたしはローに、これを渡すんだ)
小走りで陽の通らない林を抜けて、小川に出る。そのとき影が見えて、少女は足を止めた。魔物や獣とは違う影だ。近寄っていくと、少しふっくらした男性だと分かった。背には弓を担ぎ、怯えた目を地図に走らせている。
「何してんの?」
「うわあああ! 迷い込んだだけなんだ! 助けてくれええ……!」
飛び上がり、しゃがみ込んだ姿をきょとんと見つめ、少女はもう一度声をかけた。
「ねぇー大丈夫ー?」
「……お、おんなの、こ……?」
「おじさん迷ったのー? この小川沿ってまっすぐなら、今の時間はあんまり魔物出ないよー。あ、ちょい待ってね」
思いついて、少女は花からおしべをちぎり取る。ローに渡す前に、取らなければならないものだから、ちょうどいい。ローに嫌な思いはしてもらいたくなかった。
「これねぇ、魔物除けになるからね。乾いて変色しちゃう前に、がんばって帰ってね」
にこにこ笑って、男の手に握らせる。男は受けとりながら、呆然と聞き返してきた。
「お、お嬢ちゃん。君は?」
「んー? あたしミミズクだよー」
「そうじゃなくて、君は一緒に来ないのかい?」
見当違いに答えると、男は痛々しいものを見るように、少女の姿を上から下まで眺めた。その視線の意味も、言葉の意味も、少女には分からない。
「あたし、この花ローに持ってかなきゃだから、行けないよー。じゃあねー、ばいばーい」
ひらりと片手を振って、少女はぱたぱたと勢いよく去っていった。男は少女を追いかけられず、諦めて少女に教えられた道を、小走りに進んでいく。そして小さく呟いた。
「兵士様に、お知らせしなければ……」
***
屋敷に向かう途中、湖の近くで足を止めた。漆黒の翼を持つ影に、胸が高鳴る。思わず頬を緩ませ、高く声を上げた。
「ロー! これ、あげるよ!」
手は届かないけど、振り返った顔が見える距離までたどり着く。大事に握った青い花を差し出すと、ローは白月の目で見下ろした。
「見返りはなんだ」
低くささやくような声で、けれどはっきりと、問いかけられる。思いもよらない言葉に、少女は目を見開いた。
(みかえり。ほしいもの)
そんなこと、初めて聞かれた。どうしよう。また食べてって言おうか。駄目だって言われるだけでも言ってみようか。あたしは何のために、花を持ってきたんだっけ。死にたくない、死ねない。この花を渡すまで。そう思いながら。
考えた末に、口にできるだけのものに思い当たる。
「ほめて」
自分以外の誰かのために、何かをしようなんて、思ったことなかった。それでもローのためなら、花を摘んでこようと思った。
今まで命じられて何かをして、褒められたことなんてなかった。当然のように済まされるか、殴られ怒鳴られ罵られるかだった。
褒められるために動いたわけじゃない。でも褒められたなら、きっと素敵なのにと思った。「村」では誰もしてくれなくて、されたいと思ったこともなかったこと。それを少女は、ローに望んだ。
ローは応えない。ほんの僅かにその目を細め、少女の手から花を取った。少女と目を合わせずに唇を動かすと、湖の水面がざわめく。そしてシャチが姿を現した。
「アイアイ、キャプテン」
「シャチだー」
「おかえり、ミミズク。よく無事だったな」
ペンギンから話を聞いていたのだろう。少女だけに聞こえる声で、ニッと彼が笑う。そして近寄ってきた少女の頭を、ぽんと叩くように撫でた。言い表せない気持ちになり、少女はだらしなく笑ってみせる。
そのとき、少女の身体がかくんと傾いた。
「あ、れれ?」
仰向けに倒れる。頭がくらくらして、視界が揺らいで、少女は意識を失った。
「限界が来たか」
少し呆れたように少女を見下ろし、シャチは自分たちのキャプテンを仰ぎ見た。ローは何も言わず、立ち去ろうとする。その背にシャチは声をかけた。
「キャプテン。この人間、沈めときましょうか?」
「……好きにしろ」
ローが立ち止まり、ちらりとシャチに目を向ける。そして淡々と言い捨てて、翼を鳴らす音1つ、闇の中へとかき消えた。それを見送ってから、シャチは少女の額をそっと撫でる。
「よかったな、お前。また1つ許されたぜ」
サングラスの下の目は、少女を労わるように、柔らかく細められていた。