奴隷の少女と夜の王
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鳥の鳴き声が聞こえる。光がふと遮られたような気がして、何度かまばたきをすると、のんびりした声が聞こえた。
「あ。人の子、起きた?」
「人ちがうー。あたしミミズクー」
夢の中の声に応えるように、軽い調子で返事をする。両目をこすりながら顔を上げると、声の主の姿が映った。2mを超えているような大きな体は、真っ白な毛皮に覆われている。頭についた小さくて丸い耳が、ぴくぴく動く。黒いビーズのような目が、どこか嬉しそうにきらめきながら、少女を見つめていた。
「……まもの?」
「うん」
「あたし喰う?」
「食べないよ!?」
「ちぇーなんだ。がっかり」
「人食べなくてすいません……」
少女が唇をとがらせると、白熊のような姿の魔物は、しょんぼりと肩を落とした。雨雲のようにどんよりした空気が彼を包む。見た目よりもずっと、打たれ弱いらしい。
「なんでー? なんで食べてくれんのー?」
駄々をこねるように、もふもふの体を拳で叩くと、ガチャガチャと少女の手足についた鎖が鳴る。その腕に力は無く、白熊の体はびくともしない。
「この森の魔物は、あんまり人食べないし。お前に喰えって言われても、おれはお前を食べられないよ」
「どうして? 食べきれなくて、のこしちゃうから?」
「キャプテンが見逃したモノを、おれたちがどうこうはできないから」
「きゃぷてん?」
「おれたちの王様。月の瞳を持つ、この森の絶対の支配者だよ」
白熊の声が誇らしげに響き、その目は素敵なものを紹介するように輝く。その説明で、少女は昨夜のことを思い出した。
「あー、あのきれいなお兄さんかぁ」
金色の月の瞳。きらきらして、綺麗だった。
「キャプテンが食べなかったから、お前はもうこの森の、どの魔物にも食べられないよ」
白熊が断言する。その言葉を、自分の中で噛み砕いて、飲み込みながら、少女は頷く。だいたいは分かったが、誰も食べてくれないのは困る。食べてもらいたくて、せっかくここまで来たのに。
「じゃあやっぱり、あの人に喰ってもらおー」
よろよろとふらつき、近くの小枝に掴まりながら、少女は立ち上がる。白熊の黒い目に、自分の姿が映っているのを見ながら、少女は問いかけた。
「魔物さん、お名前はー?」
「おれはベポ。お前は?」
「あたし、ミミズク」
歩き出すと、ベポもついてくる。ただ、体が大きい分、すぐに少女を追い越してしまい、やがて体を小さいものに変えた。少女の膝くらいになると、まるでぬいぐるみのようだ。
「ねぇミミズク。そのおでこの数字は何?」
「これー?」
前髪から見え隠れする額を、少女はぽんと叩く。そこには3桁の数字が焼きついていた。
「さんびゃくさんじゅうにばーん」
「それがどうかした?」
「あたしの番号でーす」
「?」
ベポはきょとんと首を傾げる。おもちゃのような仕草に、少女は口元を緩めた。裸足で草や小石を踏みつけながら、少女は問いかける。
「ベポちゃん、どーしてあたしに、優しくしてくれんの?」
「おれ優しい?」
「うん」
不思議そうに問い返したベポに、笑いながら頷く。どうしたら優しくしてもらえるか。そんな方法があるなら、知りたい。そう思ったとき、足の鎖が木の根に引っかかり、少女の体が前のめりにつんのめった。
「うわっ!」
そのまま、顔から地面に激突――なんてことはなく。モフッと柔らかなものに顔が埋まる。元の大きさに戻ったベポが、少女を難なく受け止めたのだ。
「今のが、優しくするってことだと思う!」
「そうなの? どうして?」
「おれ、お前と仲良くなりたいんだ。この森に人が来るなんて久しぶりだし。たまに来ても、悲鳴あげて逃げちゃうし……」
(ベポちゃんは人と仲良くなりたい。あたしは人。だから優しくしてくれる)
むむ、と小さく唸りながら、少女は考える。
(ならもうベポちゃんに、あたし人じゃないって言うのやめる)
「ベポちゃんわかったー。びっくりだわ」
「何がわかったの?」
「まだあたし人でも、喜んでくれる人いるんねぇ」
鎖を引っかけないように、気をつけて足を動かす。また小さくなったベポが、よく分からなさそうに首を傾げ、後を追いかけた。
***
肉球がついた柔らかな手が、少女の手を引く。ベポに案内されながら、少女は森の中を歩いていた。人の手が入らない、むせ返るような緑に紛れ、何かの気配を感じる。視線や息遣い。木の葉のざわめきに似た、ささやく声。
川辺を見つけると、少女は突然しゃがんで、水に手を入れた。冷たい流れを感じながら、何度も何度も両手を擦り合わせる。それから透明な水脈に、少女はいきなり顔をつけた。
「ぷはぁー」
ひんやりと透きとおった水が、乾いた喉を潤し、体中に染み渡っていく。顔から顎へ水が伝い落ち、前髪からもぽたぽたと雫が垂れる。
すると川底で黒い影が揺らめき、ザバァッと勢いよく、何かが飛び出してきた。
「ばあーっ!」
「ぎゃっ!?」
悲鳴をあげて、すてんと尻もちをつく。目の前には、けらけらと楽しげな笑い声を上げる魔物がいた。黒い眼鏡のようなものをかけた顔や、上半身は人間と似ている。しかし、黒い腕にはヒレがあり、手には水かきがある。更に、水面から出ているのは、白と黒の尾ひれだった。
「シャチ! おどかしたらダメだろ!」
「悪い悪い。あのキャプテンが見逃した人間が、どんなヤツか気になってさ」
ベポに怒られても、人魚のような魔物は悪びれずに、ニイッと口角を上げる。肉食らしい鋭い牙が、あらわになった。
「ここの水、美味いだろ」
「うん。顔にしみて痛いけど」
「手ですくえばいいじゃん」
そう言われて、少女は自分の両手を見下ろす。初めて気づいたように、まじまじと。あかぎれて筋の浮いた手は、まだ濡れて光っている。その手が一瞬、透明ではなく赤い色に、染まっているように見えた。
「あれ」
何度か握って開いてを繰り返し、少女は立ち上がる。
「行こー、ベポちゃん」
「本当に行くのか? キャプテンのとこ」
ベポが返事をする前に、シャチと呼ばれた人魚の魔物が、少女に声をかけた。後ろを振り返り、少女は不思議そうにたずねる。
「ほんとて?」
「キャプテンは、お前に失せろって言ったんだろ。なのに、またキャプテンの前に現れてみろ。命はねェぞ」
「そ、そうだよ。一瞬でバラバラにされるか、電撃に貫かれるか」
「喰われるか?」
注意するようなシャチや心配そうなベポに対し、少女の問いかけは弾んでいた。濁りのある目に光をたたえて、本当に「喰われる」ことを望んでいるように。シャチはその目をじっと見てから、尖った爪が生えた指で、少女の後ろを指した。
「キャプテンがいるとこ、ここから真っ直ぐな」
「分かったー」
「ミミズク、またな」
寂しそうな表情のベポが、少女に抱きつき、その頬に自分の頬を擦り寄せる。ふわふわした毛に肌を撫でられ、少女は思わず声を上げて笑った。
「ベポちゃんたちは行かないの?」
「呼ばれてないからね」
「んじゃあ、行ってくるー」
ぽっかりと口を開けた森の奥へ、少女は1人きりで踏み出す。心細さも迷いも無い。この森に着くまでは、長い道のりを1人だけで歩きづめていた。
鎖を鳴らし、草をかき分け、低い木の枝をまたいで進む。そうしているうちに、辺りが開けた。
真ん中にあるのは、朽ちかけた大きな屋敷。その扉の前に、片膝を立てて座る姿がある。魔物たちからは"キャプテン"と、人間たちからは"夜の王"と呼ばれる存在。
細く引き締まった体や腕には不思議な紋様が刻まれ、背中からは大きな翼が生えている。その色は漆黒で、
「……あー」
少女の喉がこくりと鳴り、奥歯がかちかちと細かな音を立てる。足の先から全身へと震えが走り、身体中が痺れるように揺れる。少女には、それが畏怖や怯えだと分からなかった。
何を言おう。何を言ったらいいのだろう。
(そうだ。食べてって、言わなきゃ)
「何故来た」
夜の王の薄い唇が動き、冷え冷えとした言葉を発した。抜き身の大太刀のような硬い声に、見たものを凍りつかせるような視線。少女はそれを、微かな驚きを抱きながら受け入れる。
(ぎんいろだ)
夜の王の目は、昨晩とは違う、白くて銀色の輝きを宿していた。それでも別物だとは思わない。小さな月そのものだ。
(まひるの、おつきさまのいろ)
「きれいー」
少女の小さな呟きを聞きとがめるように、夜の王が眉間に皺を寄せる。不快さを隠さずに、夜の王は殺意のこもった言葉を投げた。
「失せろ。自分の場所に帰れ。人間」
「帰るところなんてないよ」
高らかに言い返す声が、静かな空気を震わせる。魔物たちの王に向けて、弱者である人間が、ここまで敵意が無い声を上げたことはなかった。
「帰るところなんてないよ。あたしには最初から、自分の場所なんてないよ……!」
殴られたことしかなかった。「村」の人たちは、痛いことしかしてくれなかった。あたしの場所はあんなところじゃないって、どこにも帰らなくていいって、思いたかった。
「ねえ、ねえぇー! 人間なんて言わないでよぅ……!」
声を張り上げると、頭がくらくらする。おかしいな、水を飲んだのに。立っていられず、両膝ががくんと地面についた。肩から崩れ落ちながら、少女は手を伸ばす。
「あたしを食べてよ。夜の、王さま……」
お願いだから。そう懇願したいのに、身体が言うことを聞いてくれない。銀色の真昼の月が2つ、こちらを見ている。腕についた鎖が重くて、引きずられるようにだらりと手が落ちた。意識が泥沼に沈んでいく。
いつもは、もう起きなければいいと思ってた。
でも、またあの美しい瞳が見られるなら、目が覚めたって構わないやと、そんなことを思った。
***
名前を呼ばれた気がして、目が覚めた。赤い空が見えた瞬間、上から何かがばらばらと降ってくる。思わず悲鳴を上げて半身を起こした。
自分の周りや膝の上に転がっているのは、アケビや山ぶどう。それから名前も知らない、見たこともないような、色鮮やかな果物。ぽかんと口を開けて顔を上げると、ベポの隣にまた1体、初めて見る魔物がいた。
「起きてよかったー!」
「ベポちゃん! え、あの、コレ何?」
「見たまんまだよ。腹減ってんだろ?」
人間のような顔に、両側の布が垂れた帽子を被り、鳥のような体をした魔物が答える。そして器用に持っていた魚を、手頃な木の枝に刺し、空中に円を書くように振る。すると炎が魚を包み、だんだん香ばしい匂いが漂った。火が静まってから、魚を差し出される。
「ほい。これなら、人間も食えるだろ」
こんがり焼けたのは魚だけのようで、木の枝の部分は無事だ。反射的に受け取り、少女は魚と魔物を交互に見る。それから、むさぼるように魚に食らいついた。
もしかしたら、中がまだ生焼けだったかもしれない。でも少女には、そのときの魚の味が全く記憶に残らなかった。あまりにも久しぶりの食事だったからだ。
(こんなの、食べたことあったかな)
「おお、落ち着けよ。死んだ魚は逃げねェよ」
驚きと笑いが混ざったような声が、意識の外で聞こえた。1匹の魚を目玉まで食べつくし、口の周りにぼろぼろと
「魔物さん、誰?」
「おれはペンギン。よろしくなー」
「2人とも、なんでいるの?」
よく見たら、そこはまだ夜の王の屋敷の前だった。夜の王の姿はどこにもない。
「おれたちも、よく分かんないけど。お前、ここにいたい?」
「え、いてもいいの!?」
「明日にも殺されるかもしれねェけど。それでもいいか?」
ベポとペンギンに言われ、少女は歓喜の声を上げる。頬がへらっと緩み、また地面に倒れ込んだ。一度に食べすぎて、胃袋がキリキリ痛んでいた。
「あのねーベポちゃん、ペンギン。だってあたしの幸せは、夜の王に食べてもらうことだからー」
嬉しくてへらへら笑いながら、両手を上げると、鎖が歌うように鳴る。死にたがりやの少女は、本当に幸せそうに呟いた。
「あー。あたし、しあわせで死んじゃいそうだよ」
「そっか」と小さな返事が来る。それを聞きながら、少女はくすくす笑った。
「ねぇ、ベポちゃん。ペンギン。夜の王はきれいだねぇ」
「お前もそう思う!?」
「当たり前だろ。おれらのキャプテンだぞ!」
食いつくような勢いで、生き生きと弾んだ声が返ってくる。幸せってこういうことかな、と思いながら、少女は空を仰ぎ見た。森に夜のとばりが降りてくる。
夜の王の瞳も、金に変わったかな。
ぼんやり考えながら、少女はまた微笑んだ。