実の親に捨てられたけど、優しいお姉ちゃんやお兄ちゃんたちに出会えたので問題なしです。
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チリン、チリリン。
カラカラ、コロン。
白い鳥居にも似た、商店街の入口から、その音は鳴っていた。いくつもぶら下がる、ガラス製や鉄製の風鈴。風が吹くたびに、涼やかな音色が耳をくすぐる。
それを見あげる、小さな背中があった。
くりくりした大きな目が、入口の傍に立てられた、緑のツタが絡まる看板を見つける。剥がれかけのシールがぺたぺた貼られた看板だ。
「これより……。を、つける……。を、す……。を、ち、む……。も、なく。ぼーふーりんが、する……?」
あどけない声で読み上げながら、子どもはきょとんと首をかしげる。まだひらがなとカタカナしか読めない彼女にとっては、難しい字がたくさん並んでいた。どういう意味かも分からない。おとなの人なら分かるだろうか。
リュックを背負い直し、クマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、子どもはむんと胸を張る。それから大まじめな顔で、とことこと街に入っていった。
***
「こんにちは~!」
カランとベルの音を立てて、小さな頭がぴょこんと現れる。うんしょ、うんしょと全身で、喫茶ポトスのドアを押しているお客さまに、ことははドアを開けてあげた。
「おねえちゃん、ありがとー」
「どういたしまして。お嬢ちゃん1人?」
「うん。あのね、おたずねしたいことがあって、きました!」
細い腕で、クマのぬいぐるみを大事そうに抱えた女の子は、4、5歳くらいだろうか。しゃがみこんで目線を合わせると、女の子ははきはきと質問をしてきた。
「いつきのおじいちゃんと、おばあちゃんのおうち、しりませんか?」
「あんたのおじいちゃんとおばあちゃん? 名前は分かる?」
「えーと……」
そのとき、くきゅるるると音がした。ことはが瞬きしながら、いつきと名乗った女の子を見ると、その子は片手をお腹に当てて、はずかしそうにもじもじしている。その様子に、ことははピンときた。
「もしかしなくても、お腹すいてる?」
頬を染めながらこくりと頷くいつきに、ことはは優しく微笑む。そして、テーブル席にいつきを案内した。おずおずとソファに座るのを見て、ことははカウンターの反対側に入る。手際よく卵を割ったりかき混ぜたり、炒めたりする音を、いつきは荷物を下ろしながら聞いていた。
「――はい。召し上がれ」
コトッと白いお皿を置くと、いつきの口が感嘆するようにパカッと開き、目がきらきらと輝いた。黄色い玉子にくるまれ、赤いケチャップが波線を描くようにかかったオムライス。
スプーンも一緒に置くと、いつきは手をぐーにして、それを握った。
「これ、ぜんぶいつきの……?!」
「もちろん。いっぱい食べな」
「おねえちゃん、ありがとう! いただきまーす!」
「よく噛んで食べなよ。誰も取らないから」
玉子とチキンライスをすくい、リスのように頬張る。口の周りにケチャップをつけながら、詰め込むようにもぐもぐ食べるのを見て、ことはは思わず声をかけた。微笑ましい気持ちと、放っておけない気持ちが、ことはの中で入り交じる。
「ごちそーさまでした! おいしかった!」
「はい、お粗末さまでした。プチトマトもブロッコリーも、全部食べたんだ。偉い偉い」
ぱちんと両手を合わせて、ニッコニコの笑顔で言う様子が可愛らしい。ことはがウェットティッシュで口の周りを拭いてやると、いつきはくすぐったそうにクスクス笑った。
「こ、と、はー!」
そのとき、軽やかなベルの音と、それを上回る明るい声が店に響く。びくっとソファの上で飛び上がり、ぬいぐるみにぎゅっと抱きついたいつきの横で、ことはは呆れたようにドアの方を向いた。
「梅。そんな大声出さなくても聞こえるから」
「ははっ、悪い悪い。……お、珍しいのがいるな。1人か? お父さんかお母さん待ってんのか?」
入ってきたのは、襟と袖口が緑色になっている制服を着た人たち。その中で、人懐っこい笑みを浮かべて、ずんずん近寄ってきた男の人は、テーブルの側で膝を折った。真っ白な髪が、窓から差し込む光を浴びて、きらきらしている。垂れた目元が優しそうだ。
「オレは梅宮 一だ。お前は?」
「……いつき、5さい! こっちは、ぱでぃんとん!」
「いつきか。よろしくな。そっちのクマもカッコイイ名前だな!」
ぱーにした右手を出しながら、いつきは自分とぬいぐるみの紹介をする。はじめと名乗った彼は、親しみやすい態度でニカッと笑ってくれた。
「はじめおにいちゃん?」
「……今日からオレがお兄ちゃんだぞ!!」
「ぴゃっ」
感極まったような甘い声で、がばっといきなり抱きしめられ、いつきは思わず体を固くする。
「梅! この子が驚くでしょ!」
「悪い! あんまり可愛いから、つい抱きしめちまった」
ことはに叱られ、梅宮の腕がほどかれた。自分をすっぽり包んでいた温かさが離れていく。それから、ほんのりとした、おひさまと土の匂いも。びっくりしたけど、イヤな気持ちじゃない。なぜかは分からないけど、いつきは気持ちがぽかぽかするのを感じた。
「この子1人で、おじいさんとおばあさんの家を探してるんだって」
「えっ、1人でここまで来たのか!? 小さいのに偉いなー! はじめてのおつかいに出られるぞ!」
「……いや、それより突っ込むとこあるだろ」
顔をしかめて言うのは、ハリネズミのように逆立った髪の男の人――柊だ。梅宮と比べると、目と眉がつり上がっていて怖そうで、いつきはぬいぐるみを抱く腕に力を込める。
「お、おかあさんおでかけするから、そのあいだ、おじいちゃんとおばあちゃんのおうちにいってねっていわれた!」
「……おじいちゃんとおばあちゃんの名前、分かるか?」
「えっとね、これ!」
いつきがごそごそとズボンのポケットを探り、四つ折りの紙を差し出す。少しくしゃくしゃになったそれを、柊が受け取って開くと、2人分の名前が漢字で書かれていた。
「おとなのひとにみせればわかるって、おかあさんいってた」
「いつきちゃんって言ったか。オレがおじいちゃんとおばあちゃんを探すから、ここで待てるか?」
「? いつき、じぶんでさがすよ?」
「1人で来たなら、足疲れてるだろ」
「う……」
ソファに座ったことで、楽になった足が、じんじんとしただるさを思い出す。いつきが口ごもると、柊が顔を合わせるように腰をかがめた。
「絶対連れてくるから」
「あ、ありがと、トゲトゲのおにいちゃん……!」
「……柊 登馬だ」
「とうまおにいちゃん!」
真面目な顔に怖さが薄れ、お礼を言うと、柊は複雑そうに眉間に皺を寄せた。名前を呼び直すと、梅宮が楽しそうにケラケラ笑いながら立ち上がる。
「オレも行くぜ、トゲトゲのお兄ちゃん? 杉下も手伝ってくれ」
「はい」
「おい梅宮……」
「お前らは、いつきと一緒にいてくれ」
梅宮と柊、そして杉下と呼ばれた長髪の青年が、店から出ていく。その前に柊に手招きされ、ことはも一旦店の外に出た。
喫茶ポトスの中に残ったのは、いつきを含めて4人。いつきはどきどきしながら、彼らをぐるりと見回した。
***
「……あの子、訳ありよね」
店のドアを閉めてから、先に口を開いたのは、ことはだった。同じことを考えていたらしく、柊も梅宮も頷く。片腕をぎゅっと掴みながら、ことはは気遣うようにドアの方を見た。
柊も、いつきの話を聞いて、ずっと考えていたことを口にする。
「今はオレたちが守ってるが、この街は2年前まで、チームやギャングの抗争があった。当然、治安は最悪……。普通の親なら、絶対に近づかせないだろうな」
それなのに、殴られたらひとたまりもない5歳の子どもが、たった1人でやって来た。いくら祖父母に会うためとはいえ、この街は、まだ幼い子どもを一人旅させるような場所ではない。
「……あいつ、オレが抱きしめた時、カチコチに固まったんだよな。びっくりしただけじゃない。どうしていいか分からないっていうか、ああされることに慣れてないみたいだった」
腕の中から伝わってきた動揺を思い出すように、梅宮は眉を下げる。いつきの細い腕に、目立った傷は無かった。しかし、3人の中に浮かぶのは、嫌な予感ばかり。
「ひとまず、あいつのおじいちゃんとおばあちゃんを早く見つけて、会わせてやらないとな!」
ぱんと手を打ち、からりと梅宮は笑う。太陽のような快活な笑みに、気持ちを切り替えられるように、柊とことはも小さく笑っていた。
***
「オレ、楡井 秋彦っていいます。皆からは"にれー"って呼ばれてるっす」
「にれーおにいちゃん」
「オレはジョニー・デップ。よろしくね、いつきちゃん」
「じょにーおにいちゃん?」
「えーと、こっちは蘇枋 隼飛さんっす」
「はやとおにいちゃん、おめめいたいの? だいじょうぶ?」
「大丈夫……と言いたいところだけど。封印した古代中国の悪霊が暴れだしそうになるから、たまに困るんだよね」
「あくりょー……!?!?」
「あはは、冗談だから泣かないで」
「……」
「桜さん。挨拶っすよ挨拶」
「ごめんね。このお兄ちゃん照れ屋さんなんだ」
「べっ、別に照れてねーよ! …………桜 遥だ」
「はるかおにいちゃん」
「改めて、私は橘 ことは。よろしくね、いつき」
「ことはおねえちゃん」
ひとりひとりの名前を覚えるように、顔を見て名前を呼ぶ。初めましてのお兄さんやお姉さんに囲まれて、緊張していたいつきだったが、だんだん落ち着いていった。皆の雰囲気が、やわらかくて優しいおかげだ。
「おねえちゃんとおにいちゃんたちは、なんで、いつきにやさしくしてくれるの?」
ことはが用意した、裏が白いチラシ。それに絵を描いていたいつきが、思い出したように顔を上げて言った。不思議そうに首をかしげている彼女に、楡井は笑顔で答える。
「街の人が困ってるのを助けるのは、オレたちの仕事なんすよ」
「でもいつき、きょうきたばっかりだよ?」
「この街の人の家族なら、この街の人と同じっす!」
"この街の人"だから、優しくしてもらえるのかな。
"この街の人"じゃないから、お母さんは、こんなふうにしてくれなかったのかな。
「だってオレたちは、"ボウフウリン"っすから! 街を守るのは当たり前っす」
「ぼーふーりん?」
「そっか。いつきちゃんは、今日来たばかりだから知らないっすよね」
どこかで聞いた言葉に、いつきはこてんと首を傾ける。楡井から説明を引き継ぐように、ことはが話しかけてきた。
「この街に入るとき、看板は見た?」
「うん。みた!」
「『人に痛いことしたり、物を壊したり、悪いことをしたりする人は、"ボウフウリン"のお兄さんたちがやっつけるよ』って書いてあるの」
いつきが思い出したのは、テレビで見るアニメーション。それに出てくる、優しい人たちを困らせる悪い敵を、倒してくれるかっこいい存在。
「じゃあ、おにいちゃんたちはヒーローなの?」
「そうだよ。賢いね」
「オレはまだまだ修行中っすけどね」
「かっこいい……!」
お兄さんたちを見回しながら言うと、眼帯をつけたお兄さん――蘇枋がふわりと微笑む。楡井は照れたように頭をかき、桜は頬を赤くして横を向いた。
そのとき、ドアベルが来客を告げる。ことはが立ち上がると同時に、1組の老夫婦が慌てたように入ってきた。ことはにとっては見覚えのある2人。喫茶ポトスの常連客だ。
「ここに孫が、いつきが来てるって本当かい?」
「おじいちゃん、おばあちゃん!」
いつきの顔がぱっと明るくなり、パディントンを抱えて、ぴょんとソファから降りる。そして、とたたっと軽やかに駆け寄り、2人に抱きついた。
「いやー、見つかってよかった!」
老夫婦の後ろから、梅宮たちも顔を出す。
「教えてくれてありがとうねえ。何にも知らなかったから驚いたわ」
「ことはちゃんも、風鈴の子たちも、うちの孫の面倒を見てくれてありがとう」
穏やかそうな老夫婦が、ほっとしたように笑いながら、いつきを抱きしめ返したり頭を撫でたりする。いつきはふにゃりと笑ってから、ことはや梅宮たちの方を見回した。
「ことはおねえちゃん、ヒーローのおにいちゃんたち、ありがとう!」
「どういたしまして! またな、いつき」
「おじいちゃんたちと一緒に、また来てね。オムライスの他にも、美味しいのがたくさんあるから」
「うん!」
梅宮とことはの言葉に、いつきは大きく頷く。オムライスの代金を払ってから、老夫婦はいつきを連れて店を出た。感謝を伝えるように会釈する2人に挟まれて、いつきは大きく手を振って笑っていた。