実の親に捨てられたけど、優しいお姉ちゃんやお兄ちゃんたちに出会えたので問題なしです。
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桜が幼女と再会したのは、その翌日。
散歩していた彼が見かけたのは、クマのぬいぐるみを抱えてぽろぽろ泣いている幼女。そして、彼女を抱えている1人の男だった。昨日会った、幼女の祖父ではない。無精ひげが生えた40代くらいの、ぽこりと腹がふくれた男だ。
「おい」
泣いている子どもと知らない男。怪しい組み合わせに桜は声をかけていた。
「そいつ、お前の知り合いか」
幼女――いつきの目を見て聞くと、彼女はふるふると首を横に振る。声を上げないまま、涙が次から次へとあふれ、丸い頬からこぼれ落ちた。
「な、何言ってるんだ。この子は僕の娘だよ。まったく、ウソついちゃダメじゃないか」
「じゃあお前、こいつの名前言えんだな」
「も、もちろん! ふうちゃんだよ!」
ガキってギャンギャン泣くもんじゃねぇのか。そう桜が考えていると、男が慌てたように口を挟み、いつきを軽く揺すった。挙動不審な男に桜がカマをかけると、男は違う名前を答える。
「違ぇよ」
その言葉に男が目を見開くが、もう遅い。桜が拳を握り、思い切り振るう。彼の右ストレートが、綺麗に男の顔面に入った。
「……で、何でお前は誘拐されかけてたんだよ」
不審者を撃退し、いつきを保護したものの、家には帰りたがらない。ポトスに行くかと聞いてみたが、首を横に振られる。仕方が無いので、桜はとりあえず、公園のベンチで話を聞くことにした。
「……」
いつきはまったく泣き止まない。こいつ泣くの静かすぎだろ、と思いつつ、桜はがしがしと頭をかいた。子どもの面倒なんて見たことが無いし、泣いてる子どものあやし方も分からない。泣いてる理由も知らねぇし。
楡井か蘇枋を呼ぶか……。いや蘇枋にこんなとこ見られたら、面倒なことになりそうだ。脳内の蘇枋が、「桜くん、こんなに小さな子を泣かせたらだめだよ」と笑顔で注意してきた。
「そ、そもそも何で泣いてんだよ。さっきのヤツがそんなに怖かったのかよ」
「……」
「〜ッ」
いつきが、クマのぬいぐるみを抱きしめる腕に力をこめる。ぬいぐるみの頭にぽたぽた落ちる涙を見ていると、桜はどうしていいか分からなかった。あまりにも静かで、のれんに腕を押している気分になる。
「……おかあさんね」
そのとき、いつきが口を開いた。涙でかすれた声で紡がれる言葉に、桜は自然と耳をすませる。
「おかあさんね、いつきのこと、いらないんだって」
「いつきがいるから、ぜんぶだめなんだって」
「いつきなんか、うまなきゃよかったんだって」
「おばあちゃんに、おでんわでいってるの、きいちゃった」
舌足らずな声でされた告白に、桜は一瞬だけ、呼吸を忘れた。
「それで、それで……。おうちをでて、あるいてたら、さっきのおじちゃんとあった」
話を聞くと、男はいつきに優しげに話しかけ、そのまま抱きあげて歩き出したらしい。突然のことに驚いたのと、泣いているせいで、上手く言葉が出せなかったようだ。
「いつき、どうしたらよかったのかなぁ」
顔をくしゃくしゃにして、胸が痛くなるような声で、いつきは泣く。彼女は確か5歳。生まれて5年しか経っていないのに、自分の世界の全てである親に、拒絶された。
他者から、拒否や否定をされること。諦めたはずの痛みが、桜の胸で微かにうずく。目の前で泣いている小さな子どもが、自分に重なる。
「……お前はそう思うのかよ。自分が、いらないヤツだって」
自分でも驚くほど、静かな問いかけだった。うつむいたまま、いつきは首を横に振る。自分がいらない存在なんて、信じたくないという思いが、伝わってきた。
「……どんなに手を伸ばしたって、離れてくヤツはいる。そんなヤツより、自分の方を向いてるヤツの方を――お前のことを、いらないって言わないヤツの方を向け」
桜が頭に思い浮かべたのは、この街に来てから出会った人たちのことだった。喫茶店の女――ことは。楡井と蘇枋。柊に杉下。梅宮。パン屋の人。八百屋の人。肉屋の人。温かさにあふれた笑顔が、鮮やかに描き出される。
いつきが顔を上げ、びしゃびしゃに濡れた顔で、桜の方を見た。
「……はるかおにいちゃんたちのほう?」
「……ッ、オレも数に入れてるのかよ。お前のじいさんとかばあさんとか、喫茶店の女とか、風鈴のヤツらとかがいるだろ」
「はるかおにいちゃんも、ふーりんのひと」
「ぐ……ッ」
ぶわっと顔に熱が集まる。胸の奥がもぞもぞして、やけに温もって、落ち着かない。桜は顔を逸らし、照れを隠すようにぶっきらぼうに言った。
「は、早く帰んぞ。お前のじいさんとばあさん、心配してんだろ」
「……うんっ」
立ち上がると、いつきもぴょこんとベンチから下りる。そして、桜の制服の袖を、おずおずと掴んできた。なぜか振りほどく気になれず、桜はしたいようにさせることにした。
袖をぴんと引っ張られるため、必然的にいつきのペースに合わせることになる。袖から手が離れたり、また掴まれたりするので、桜は一旦立ち止まった。
「ちゃんと掴んでろよ」
「ご、ごめんなさい」
「……怒ってねえよ」
おどおどした小動物のような目で見上げられ、桜はふいと顔を逸らす。
「……はるかおにいちゃん。おてて、つないでもいい?」
「……す、好きにしろよ」
「うん」
桜の手に、いつきの手が重なる。その手があまりにも小さくて、ふにゃりと柔らかくて、温かくて、桜はドキッとした。
「……お前、ちゃんと骨入ってんのか?」
「ほね? って、なあに?」
「骨っつーのは……、あー、体の中にある、白くて硬いやつ……?」
「へー。はるかおにいちゃん、ものしりだねえ」
「……つーか、その呼び方やめろ。何かむずがゆくなる」
「? はるかおにいちゃんってよぶの、だめ?」
「できれば別のにしろ」
「んーと、じゃあ、はるちゃん!」
「おい」
さすがに5歳児に対等に扱われるのは、桜も無視できない。思わず突っ込むと、いつきはくすくすと楽しそうに笑っていた。泣き腫らした目はまだ赤いが、元気が出てきたらしい。
手を繋いで歩く。小さな子どものペースに合わせて歩くのは、少しじれったい。でも不思議と、このままでもいいような気がした。
「はるちゃん。たすけてくれて、ありがとー」
「! べっ、別にお前を助けたわけじゃねーし。お前がメソメソ泣いてっから、仕方なくだし」
「はるちゃん、おかおが、まっかっかだねぇ」
「うるせぇ!」
「きゃー!」
澄んだ風鈴の音と、無邪気で軽やかな笑い声が、街の片隅で響いていた。