コワレヤスキ
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穏やかな日々は、ある日終わりを迎えた。
"美咲は、ここで待ってて"
"我々におまかせください、お嬢!"
"ボクたちがケチョンケチョンにしてくるからさァ! 安心してよォ~☆★☆"
最上階のこの部屋を出ていく、家族たちの背中を見送ってから、長い時間が経っている。
争い合っているような、何かが壊れたような、派手な物音。窓の向こうに見えた黒いライオンの姿。
皆を信用していないわけじゃない。
それでも、心配で、不安でたまらなかった。
武器を持って部屋を飛び出し、エレベーターの方へ向かうも、それは停止していた。階段を駆け下りても時間がかかるだろう。
下位吸血鬼としての能力である"瞬間移動"を使い、私は椿がいるはずの場所へ飛んだ。
***
広々とした部屋の中。数本の黒い杭に動きを封じられた椿を庇うように、突然現れた人物。
椿が目を見開き、青ざめる。他の全員、特にその中の5人も、その顔を見て驚愕した。
「……ヒガンやべルキアたちも、あなたたちが傷つけたの……?」
戦闘とは一見無縁そうな、華奢な体つきの可憐な少女。赤色の瞳は冷静なようで、確かに怒りに燃えていた。
「……あれ? 俺の目がおかしいのかな? 弓ちゃん盾ちゃん、どう思う?」
「……認めたかねーけど間違いねぇ。あいつだ」
「……血痕残して行方不明って聞いてたけど、何で……」
さっきまで椿を追い詰めていた吊戯、弓影、盾一郎は、困惑を隠せずに動きを止める。
「……っ、どうして、あなたがそちら側にいるんですか……? それに、その目は……」
リリィの声が、戸惑いで掠れる。御園は目の前に映る人物を、信じられない思いで見つめていた。
「……そんな、何であなたが、……っ姉さん……!」
「……"姉さん"?」
怪訝そうな目が、御園を捉える。しかしその視線はふいと逸らされ、彼女は背後にいる椿に目を向けた。
「駄目だ、美咲……っ」
「……椿。私はあなたの主人なんだよ? こんな時くらい守らせてよ」
美咲が握りしめているレイピアの色は、サーヴァンプの主人が持つような漆黒だった。そのことが、更に彼らを動揺させる。
「椿! 貴様、姉さんに何を……っ!」
「盾ちゃん」
御園が叫んだとき、吊戯が盾一郎に合図を出し、その瞬間黒い杭が床から伸びる。
人間技とは思えないほど、素早く軽やかな動作で美咲は全てをかわし、躊躇なくレイピアを吊戯に向けた。
「え~俺可愛い後輩ちゃんと戦いたくないんだけど、なっ!」
「目覚ませ美咲! お前はキツネに化かされてるだけなんだよ!」
吊戯と弓景の言葉を聞いても、彼女は攻撃の手を緩めない。
美咲は不思議でしょうがなかった。
どうして彼らは、初対面のはずの私を知っているような口を利くのだろう。
(……今は、この2人の注意を私に引きつけることに集中しよう)
小柄な黒髪の人が特攻をしかけて、眼鏡をかけた人が捕縛して、金髪ポニーテールの人がトドメを指す戦法が定番だったはずだ。
そこまで考えて、美咲はハッとした。
(……そう、初対面の、はずだ)
それなのになぜ、彼らの戦闘スタイルを自分は熟知しているのだろう? まるで、近くで見続けてきたように、鮮明に……。
「……っ!?」
ズキン! と脳天に響くような痛みが美咲を襲った。それに耐えられず、美咲は頭を押さえて床にへたり込んでしまう。レイピアが床に落ち、金属がぶつかる音を立てた。
黒髪の人は、よく書類で紙ヒコーキを作って飛ばしていた。
金髪の人は、いつも怒ってるように見えて実は気遣い屋さんだった。
眼鏡の人は、2人の面倒をよく見てて、優しくしてくれた。
身に覚えのない記憶が、美咲の頭の中を走馬灯のようにかけめぐる。
黒髪の小さな、可愛らしい男の子。
琥珀色の髪と目の、賢そうな青年。
「お姉ちゃん」と、「美咲」と、自分を呼んでくれる声。
(痛い……! 痛い……!)
頭痛をこらえてうずくまる美咲に、吊戯が駆け寄ろうとしたとき、美咲を守るように炎の壁ができた。
意識を取り戻したヒガンが、血を流しながらも、能力を使っていたのだ。
「ヒガン……!?」
「椿、ライラと美咲を連れて逃げな。猟犬相手じゃあまりに不利だ……。ここは致し方ない」
杭から何とか抜け出した椿は、美咲を支えて立ち上がらせながら、顔を歪めた。
「君らを置いていけるわけないだろう」
「行け……大丈夫。お前までここでやられてどうするんだ。……それに、大丈夫……知ってるさ。お前は誰も裏切らない……だろ?」
家族の捨て身の手段と、信頼してくれる笑みに、椿はギリッと唇を噛み締める。
そしてライラと美咲をしっかりと腕に抱え、全てを振り切るように飛び去った。
「……美咲」
東京ワールドツリーホテルから、遠く離れた建物の屋上で、椿は美咲の額に手をふれた。
もう家族の誰にも、戦わせたくない。巻き込みたくない。美咲の手は、綺麗なままでいてほしい。
「……ごめんね」
その言葉は届いたのだろうか。美咲は椿の腕の中で目を閉じた。苦しそうだった顔が穏やかなものへと変わり、手首についていた武器の跡が消える。
椿は今まで肌身離さず身につけていた懐中時計を、美咲の首にかけてやってから、落ち着いた声でライラに告げた。
「僕の下位吸血鬼みんなに、僕のことは忘れて……自由に生きるようにと伝えて」
「あとは、僕の問題だ」
***
ぱちり、と目が覚める。
い草とひだまりの匂いに、優しく包まれているような感覚だ。
私は、和室に敷かれた布団に寝かされていた。
「ん……」
妙に頭がすっきりとしている。左手がほのかに温かくて、そちらに目を向けると、小柄な少年が私の手を両手で包んでいた。
畳に座り込んだまま、彼はこっくりこっくりと居眠りをしている。
「……御園……?」
おずおずと弟の名前を呼ぶと、彼がぴくりと肩を揺らし、ゆっくり目を開ける。
寝起きでぼんやりしていた顔が徐々にはっきりとしていき、御園は気がついたように目を丸くした。
「……姉、さん……?」
「5年ぶり、かな。……大きくなったね、御園」
上半身を起こし、昔のように頭を撫でると、御園が私に縋りついた。肩がゆっくりと、温かいもので湿っていく。御園の体は、震えていた。
「……姉さん……!」
細い御園の体を抱きしめて、落ち着かせるように頭や背中を撫でる。そうしているうちに、私は今までのことを全部思い出していた。
御園が泣き止んだ頃、
「御園、入ってもいいか?」
「……ああ」
襖がそっと開き、短髪でぱっちりした目の、明るそうな少年が顔を出す。御園と同じ歳くらいかな。
彼の後ろには、大柄の青年が立っていた。
確か彼は、こう見えて中学生だったはずだ。
「怠惰の主人の城田 真昼くんと、傲慢の主人の千駄ヶ谷 鉄くん……だよね?」
「あ、はい。御園のお姉さん……ですよね?」
「うん。美咲と言います。御園と仲良くしてくれて、ありがとう」
布団の上に正座して頭を下げると、城田くんはびっくりしたように「そんな、お礼とかいいですから! 頭を上げてください!」と言った。
「……あのときと雰囲気全然ちげー……」
城田くんの肩に乗っている黒猫は、怠惰のサーヴァンプだろう。今の名前は"クロ"だったかな。
「あんた、ここの近くに倒れてたから、家に運んだんだ。チビの姉貴なら、心配ないと思ってよ」
「そうだったんだね……」
「介抱は貴様ちゃんがするって言い張って、ずっと離れなかった……。意外とシスコン……」
「まぁまぁ、クロ。御園と美咲さんは5年ぶりに再会したんですから、そういう言い方は良くないですよ」
リリィがクロをたしなめる。彼と会うのもすごく久しぶりだ。
皆の会話を聞いていたとき、御園が「姉さん」と真剣な表情で私を呼んだ。
聞かれる内容に何となく想像がついて、私は御園の目を見る。
「……今まで、何があったのか、教えてほしい」
気づけば城田くんも、リリィも、千駄ヶ谷くんも、クロも。全員何かが引っかかったような顔をしていた。
私は静かにうなずき、話し始めた。
5年前、有栖院家の真実を知るために、兄さんを探してC3の戦闘班に入ったこと。しばらくC3で活動していたこと。兄さんと2人で家に帰る方法を探していたこと。
ある日椿に襲われ、下位吸血鬼にされたこと。
記憶を全て消され、恋人同士という偽りの記憶を与えられたこと。
椿と契約し、椿の主人になったこと。
それから椿たちと生活していたこと。
今は椿との契約が切れ、武器も失い、本来の記憶を取り戻していること。
伝わりやすいようにシンプルにまとめて、説明をし終える。御園は、赤色に変化した私の目を見て、傷ついたような顔をしていた。
そんな表情をさせてしまったことを苦しく思うのと同時に、私の中にしこりのように残る思いがあった。
(……どうして椿は、私を解放したんだろう)
幻術で誤魔化し続けることだって、しようと思えば出来たはずなのに。
"……ごめんね"
頭に、彼の最後の言葉が残っている。
騙してごめんねと、人間としての私を殺してごめんねと、言いたかったのだろうか。
……確かに最初は、偽りの恋人同士だった。
でも、椿と過ごしたあの1年間は、そこで芽生えた想いは、私にとって本物だった。
彼の心が知りたい。
私が彼に抱いている気持ちが何なのか、はっきり分かりたい。
椿に会って、話をしたい。
日が落ちて皆が寝始める頃、私は5年前のようにこっそり部屋を出た。
でも、そこで足が止まる。
暗い廊下に、御園が立っていた。
「……え、み、御園……!? もう10時だよ? いつもは寝てる時間じゃ……」
「……姉さん。僕だって、もう子どもじゃなくなってるんだ。それより、こんな時間にどこに行くんだ」
「……あはは、やだな。お父さんみたいだよ、御園」
「はぐらかさないでくれ」
御園の引き締まった表情は、今まで見たことがないものだった。当たり前だ、5年も経てば人は大体変わる。
私は18歳だけど、体は17歳のままだ。
その事実が、私には辛かった。
「……椿のところに、行くのか?」
黙り込んだ私を見て、御園は苦しげな表情になり、私の両肩をつかんだ。吸血鬼になった今の私なら簡単に振りほどける強さだったけど、私は動けなかった。
ああ、そんな悲しそうな顔、1度もさせたくなかったのに。
「……っ、何で……っ! 御国も姉さんも、肝心なことは何も言わないでいなくなるんだ!
父さんが2人に伝えてくれって僕に言ったんだ、"帰ってきなさい"って……! "家族でちゃんと話をしよう"って……!
2人が帰る場所はちゃんとあるんだ! ……もう、いなくならないでくれ……」
胸が痛くなるような声を絞り出し、御園がうつむく。自分には大切な存在が多いことを、私はそこで改めて自覚した。
「……御園」
私は首から懐中時計を外し、御園の手に握らせた。御園の目が、丸く見開かれる。
「……これ、姉さんの宝物じゃないか」
「うん。……これを、御園に預かってもらいたいんだ」
御園の手に自分の両手を重ね、きゅっと優しく包み込む。
「ちゃんと、返してもらうために帰ってくる。だから、もう1度、約束をさせてほしい」
御園が何か言いたげに口を動かす。
でもそれを言葉にすることはなく、御園はこくりと小さくうなずいた。
「……ありがとう、御園」
切ない気持ちで微笑み、するりと手を離せば、温もりが遠ざかっていく。私は振り返らず、廊下を歩き出した。
「……良かったんですか?御園」
気遣うようなリリィの声を背中に聞きながら、御園は手の中に残る時計と温もりを、そっと握りしめた。
「……あんな目で言われたら、イエス以外返せないだろう」
その場限りの嘘には、どうしても思えなかった。大切なものがたくさんあって、どれも大事にしたくて、どうすれば良いのかを必死に考えているような目だった。
また椿に幻術で惑わされないとも限らないけど、姉さんは宝物の時計を僕に預けてくれた。
返してもらうために帰ってくると、言ってくれた。
「……だったら、また信じて待つだけだ」
***
まずは椿を探すことを決めた私は、決意表明のために、伸ばしていた髪をばっさりと切り落とした。
月が照らす夜の街を飛びながら移動すると、夜風に吹かれた首すじが少しだけ寒い。
椿は今、どこにいるんだろう。
彼が行きそうなところを思い浮かべる。
甘味処? 寄席? 遊園地?
どれも一夜を明かすことなんて出来なさそうだ。それに逃亡している訳だから、人目につかないところを選ぶに違いない。
「……あ、」
1つだけ、思い当たる場所があった。
人が全くと言っていいほど立ち寄らなくて、雨風を凌げて、そのまま暮らせる場所が。
私は方向を変え、町外れに向かった。
***
さくり、さくりと、草を踏みしめる音が響く。
鬱蒼とした森の中を、私は1人で歩いていた。
ここに、椿が昔買った洋館があるはずだ。
"全てが終わったら、家族皆でここに住もう"
あの時の椿はそう言って、穏やかな顔で微笑んでいた。
しばらく歩き続けて足が痛くなり始めた頃、緑だけの景色がぽっかりと開け、向こうに古びたお屋敷が見えた。
吸い寄せられたように、少しふらつきながら近づいていく。
芝生は伸び放題で、壁にはツタが絡まっている。外観だけ見ると、人が住んでいる気配は感じられない。
それでもなぜか、ここに彼がいるという確信があった。
ドアノブに手をかけるけど、ガチャガチャと音が鳴るだけで開かない。鍵ではなく幻術がかけられているのだと、気づくのに時間はかからなかった。
ドアノブに手を添えて幻術を解く。
やや軋んだ音を立てて、ドアが開いた。
埃がうっすら積もった絨毯を踏みしめ、1つずつドアを開けていく。がらんとした部屋は、どこも寒々しい印象だ。
ここは、たくさんいる家族全員で、一緒に暮らすはずだったのに……。
哀しみと切なさが、心に波紋を作って広がっていく。
1階の部屋を全て調べてから、螺旋階段をゆっくりと登り、2階に上がる。夏へ繋がる扉を探す猫のように、たくさんのドアを開けて、1つ1つのぞき込んでいく。
そうしているうちに、やっと私は最後のドアにたどり着いた。
ドアノブを捻り、そっとドアを押す。
部屋の中で一際目立つ、4本の柱がついたアンティークの大きなベッド。そこに横たわる人物が見えて、息を飲んだ。
ベッドの上で細い体が身を起こし、私の方を見て、動きを止める。
「……美咲……何で……」
どうしてここにいるのかと問うような戸惑いと、少しの怯えが、その声から感じられた。
「……ここにいるんじゃないかなって、思ったの」
「……何で。……探しに来てくれたの?」
「椿に、言いたいことがあったから」
自分の声が、凛と部屋に響く。審判の声を聞いたように、椿が自嘲気味に笑い、目を閉じた。
「……そうだよね。言いたいことがあって当然だよ。僕は君から全てを奪って、人ではないものに変えた。君には大切なものがたくさんあったのに、僕はそれらを君から切り離して、ずっと遠ざけてきた」
「……椿」
「僕たちが恋人同士だったっていうのは嘘の記憶だって、もう気づいてるよね?あれは僕の願望で、ただの妄想に過ぎないんだ。君を縛り付けるための、自分勝手な夢物語だ」
「……違うよ」
「……もう僕には、君を繋ぎ止められない。人間関係なんて、どうせ脆くて壊れやすいものなんだ」
「椿、聞いて」
ベッドの上に座り込む椿に歩み寄り、私は椿の背中に腕を回した。驚いたように、椿の体が強ばる。
「……そんな悲しいことを、言わないでよ。……確かに最初は、私は偽物の記憶を信じて、あなたを恋人だと思っていた。でも、椿と過ごしたあの1年間を楽しいと感じたのは、本当のことなんだよ」
私はあなたを
「私には、大事に思う兄弟もいるし、親しくしてくれた人たちもいる。いつでも椿を優先することは出来ないかもしれないけど……、私が1番大切にしたいと思うのは、あなたなんだよ」
椿に対して感じていた、震えるような気持ち。
胸がしめつけられるような、温かくて苦しい気持ち。
彼の中にある脆くて柔らかい部分を守ってあげたいと、切に願う気持ち。
「私は、椿のことが大好きだよ」
やっと名前をつけることができた、嘘偽りない自分の気持ちを告げて。私は椿から体を離し、思い出の簪を椿に差し出した。
「だからもう1度、私と契約して」
放心状態だった椿の目に涙の膜が張り、静かに頬を伝い落ちる。
ベッドから降りて立ち上がった椿は、震える手で簪を受け取り、ぎゅうっと私に抱きついた。
「……名前、呼んで。美咲」
「……椿」
もう1度やり直すために。
本当の恋を始めるために。
私たちは再び、互いを強固な鎖で繋いだ。