咲いた百合は白か黒か
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
2018年 7月。
同級生たちと出会って2週間やそこら経ったある日、私は1級呪霊を祓いに行くことになった。単独で。
虎杖くん、伏黒くん、釘崎さんの3人は、西東京市にある英集少年院に派遣されるそうだ。特級レベルの仮想怨霊の呪胎(呪霊の卵みたいなもの)を、何人かの一般人が見たと報告があったらしい。
「鈴掛! 気をつけてな!」
補助監督の人が待つ車に乗り込もうとした時、虎杖くんが声をかけてきた。いつも通りの明るい表情で、拳を私の方に突き出している。
「そっちこそ気をつけてよ。相手は特級なんだから」
人の心配もいいけど、自分の心配をしてくれ。
そんな思いを込めて私は返事をし、車のドアを閉めた。シートに座って、シートベルトをきちんと締める。
「それでは行きますよ」
補助監督を務める女性が車を走らせる。目的地は、虎杖くんたちが向かう少年院と反対側の方角にあった。クラスメートたちと離れ離れで寂しい、なんて思わないが、見事に別行動を取らされていることが気になる。
「今から向かうのは、4年前に潰れた廃病院です。報告では1級呪霊とありましたが、病院に対する負の感情を取り込んで、特級に進化している可能性があります」
緊張感が漂う声に、持ってきた武器を握りしめる。近づいてきた2級以下の呪霊を、爆発四散させられる私は、必然的に1級以上の呪霊を相手にすることを求められていた。
難儀なものを引き継がれたな。
顔も知らない前世の自分を引っぱたいてやりたいが、とっくに死んでるうえに何度も生まれ変わっているため叶わない。ちょっと腹立つ。過去の因縁は清算してから次へ行け。
通り過ぎていく建物の数が少なくなり、坂道を登っていく。珍しく木々が多い場所に、その廃病院はあった。
雨風にさらされたせいか、塗装が剥げた壁を、枯れたツタがびっしり覆っている。窓ガラスはほとんど割れていた。寂しくて、薄暗くて、陰気な場所。いかにも呪霊がわんさか住んでいそう。
「闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」
補助監督さんの呪文で、灰色に曇っていた空が、みるみるうちに夜に変わっていく。結界術の一種である、帳が降りた証拠だ。
「どうか気をつけて」
「はい」
ケースからすらりと薙刀を取り出す。私の術式は直接攻撃するタイプじゃないから、近接戦闘できるように選んだ武器だ。
手に取った時の、しっくりと体に馴染むような感覚は、今もちゃんとある。
「行ってきます」
挨拶は欠かさずに。
姉さんに言われたことを思い出しつつ、私は廃病院の入り口をくぐった。
***
冷たい空気と、ホコリ臭い匂いが、五条先生と入ったあの廃墟と重なる。かつん、かつん……と、硬くてつるりとした床を踏む音が、やけに響き渡った。
その時、気持ち悪い化け物が、曲がり角から顔を出した。輪郭がぼんやりしているから、2級呪霊だろう。こっちに向かってくるのを、何もせずに見つめていると、そいつは私の目の前で勝手に消滅した。
例えるなら、走ってくる車のライトに引き寄せられて、そのまま車にぶつかって潰れる虫。うーん。何かこの例え、分かりやすいけど、あんまり気分が良くないな。やめとこ。
誰に言うわけでもないことを自己完結し、そのままスタスタ歩いていく。
1つの病室を開けると、そこには広々とした赤い花畑が広がっていた。
病室のはずなのに。
壁も天井も灰色なのに。
辺り一面、赤、朱、紅、緋、赫。
「……何、ここ……」
この空間が、呪霊が作り出した生得領域だということは、後で知った。1輪の花に触れてみると、ぺちゃりと赤い液体が指について、白い花弁が顔を出す。
「不思議の国のアリスか何かか」
思ったことをそのまま口にする。
ピンク! 緑! 青も駄目! ってか。
手を振って液体を払ってから、ハンカチで拭う。よく見ると花畑の中に、何本か骨が転がっているのが見えた。
「……イダ……ィ……ヴゥ……」
声がした。呻くような不明瞭な音が聞こえた。
背中から何本も突き出た手足。
ハダカデバネズミみたいな出っ歯。
土色の肌にぎょろりとした目。
筋肉のついた体。
ぼんやりとじゃなく、はっきりしっかり見える。これ特級だろと思えるレベルで。
人型か。狙う場所が決めやすくて助かる。
薙刀を構えた途端、呪霊が手に呪力を込めた。
呪力を飛ばすだけ。それだけなのに、地面がえぐれ、花々が無惨にちぎれる。
射程圏内にいた私は、跡形もなく消えた――はずだった。
「仕留めたと思った?」
呪霊の斜め後ろから薙刀を振るう。首を狙ったのに、背中に生えてる手がそれを阻止したから、首の代わりに手が落ちた。反応が早いな。
赤く染まった花びらが舞う。
考えるより先に体がよく動く。まるで、戦い慣れてるみたいに。
小学生の頃から、運動神経は悪くなかった。特に何かを避ける動きが得意だったと思う。
例えばドッジボール。どんなにボールを投げられても、どんなに狙われても、私は最後まで内野に残っていた。敵側はイラつき、味方側は拍手喝采。そんな記憶がある。
その特技を活かして、私は呪霊の攻撃を避けまくっていた。自分の術式も存分に活用しながら。
呪霊が地団駄を踏んで、私に突進する。ギリギリまで引き付けてから、勢いよく薙刀を突き出し、呪霊の胸を串刺しにする。
「ところでさ、今まで何人殺したのかな」
薙刀を抜く。紫色の体液が、呪霊の胸からぼたぼたと流れ落ちる。
「【十夜幻術】全盲地蔵」
術式を発動する。すると石地蔵が呪霊の背中に現れ、呪霊を花の中に沈めた。そこだけ重力が操作されているみたいに、呪霊の体が押し潰され、クレーターのようなへこみができていく。
相当の人数を殺してきたんだろう。
だってその石地蔵は、対象が奪ってきた命の分だけ重くなるのだから。
「今、楽にしてあげる」
苦しそうに
ごとり、と呪霊の首が落ちる。呪霊が動かなくなり、背中の石地蔵も赤い花畑も消えた。
実を言うと、この石地蔵は幻覚だ。
私の術式は、対象に幻覚を見せるもの。何の因果か知らないけど、幻覚の内容を"ある物語"に縛ることで、より深くより鮮明に相手を蝕む効果がある。
昔、目隠しをした死刑囚の手首と足首にメスをあてがい、水が滴り落ちる音を聞かせただけで、死刑囚が亡くなったという話がある。
思い込みで人は死ぬ。私の術式は、それを利用していると言えるだろう。現にこうして、対象は私の幻覚に影響されていた。
「さて、補助監督さんのところに戻るか」
薙刀を振って紫色の体液を飛ばし、歩き出す。病室を出て廊下を歩き、もう少しで入り口だというところで、ポケットに入れていたスマホが震えた。
「……伏黒くん? 珍しいな」
そう言えば、連絡先交換したんだっけ。電話のマークをスライドして電話に出る。
「どうしたの? そっちも任務終わった?」
「……鈴掛」
いつも以上にぶっきらぼうな、感情を押し殺しているような、固く険しい声だった。電話の向こうで、言葉を言いかけては飲み込んでいるような息遣いが聞こえる。
――はい、鈴掛です。
――はい、はい……。
――え……?そんな、父と母が……!?
思い出したのは、あの日、電話に出た姉さんの愕然とした顔。それから、受話器から聞こえた、言いづらそうな声。
とても嫌な予感がした。
「…………虎杖が……」
だってこれは。こういう声の時は。
「虎杖が、死んだ」
まずい知らせの時だ。