反社の首領がひよこ飼い始めたってマジ?
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青年が持っていた鍵でドアを開けると、ぱたぱたと足音が近づいてきた。中にいる住人が、ドアの開閉音で、人が来たことに気づいたらしい。
「おかえりなさい、万次郎くん」
「……ただいま」
「今日の夕飯はオムライスだよ。手洗いうがいしてきてね」
「……うん」
人懐こい笑顔で青年を出迎えたのは、柔らかそうな黒髪を1つに結んだ女性だ。
童顔のためか、20代半ばよりも少し若く見える。料理をしていた後らしく、動きやすそうなTシャツとジーンズの上に、クリーム色のエプロンを重ねていた。エプロンの左胸には、小さなひよこの刺繍がある。
青年――佐野 万次郎が、ツヤツヤしたタイルの洗面台で手洗いとうがいを済ませて、ダイニングルームへ行く。テーブルの上には、向かい合うように温かそうな料理が並んでいた。
黄色い玉子にすっぽりくるまれ、赤いケチャップがかかった、昔ながらのオムライスが1つ。
デミグラスソースと、ふわふわとろとろの半熟玉子がかかった、今風のオムライスが1つ。
汁物は、キャベツや人参、玉ねぎが入った、野菜たっぷりのコンソメスープ。
「万次郎くん、オムライスに旗つける?」
「……いらない」
「はーい。それじゃ、いただきます」
「……いただきます」
椅子に腰かけ、手を合わせる。同棲中のカップルか新婚夫婦のような、どこにでもある穏やかな家庭の風景だ。
テレビから流れる音を聞きながら、スプーンで玉子とチキンライスをすくい、口に運ぶ。しっかりした味付けのご飯に合うように、野菜スープは優しい味わいだ。食べているうちに、空っぽだったお腹が、ほかほかと満たされていく。
「あ、」
ニュース番組で取り上げられた話題を見て、女性が小さく声をもらす。万次郎も釣られてテレビの方を見ると、そこには写真が載っていた。
【――渋谷区在住の26歳の女性、雛野 陽依さんが行方不明になってから、1週間が経ちました。家族と警察は今も、行方を探し情報を求めています――】
仕事中に同僚か誰かが撮ったのだろう。飼育員の作業服を着た若い女性が、2匹のパンダにまとわりつかれながら、おひさまのように明るい笑顔で写っている。長い黒髪は邪魔にならないように、後ろで1つに縛っていた。
「心配かけちゃってるなあ……」
万次郎の向かいに座り、デミグラスソースのオムライスを食べていた女性が、ぽつりと呟く。口元は微笑んでいるが、眉は申し訳なさそうに下がっていた。
突然、ニュースを読み上げる声が途切れる。
万次郎がリモコンで、テレビの電源を切ったからだ。横顔は真っ白な髪に隠れて、どんな表情をしているか分からない。
「あのパンダちゃんは双子の男の子でね、ランランとリンリンっていうんだよ。万次郎くんはパンダ好き?」
「…………別に」
「そっか。もふもふで可愛いよ。動きもゆったりしてて癒されるし」
自然な様子で話を続ける彼女に、万次郎は短く言葉を返す。本来ならテレビなんて買うつもりは無かった。彼女が「万次郎くんと一緒に見たい映画があるんだけど、だめかな?」と言ったから、ここに置いてあるけれど。
夕飯を食べ終えて、彼女は食器類を食器洗い機にてきぱきと入れ、フライパン等の調理器具を手で洗っていく。
「万次郎くん、先にお風呂入っていいよ。今日も疲れたんじゃない?」
「……嫌だ。ぴよちゃんと一緒に入る」
「ふふ、分かった。もうすぐ終わるから待っててね」
「……ん」
後ろから、彼女の細くて柔らかい体に、万次郎はぴとりとくっつく。自分とは違う黒い髪に顔をうずめると、杏の花のような甘い匂いがふんわりと香る。
「甘えんぼさんだなあ。万次郎くんは」
髪の香りと同じような、柔らかで包み込むような声で、彼女は言った。
その声を聞く度に、ここは甘やかな鳥かごだと、万次郎は思う。
***
泣かれるのも、嫌がられるのも、抵抗されるのも、覚悟の上だった。
逃げようとするなら、足の健を切って鎖に繋ぐことも考えていた。
それなのにだ。
「え、リビング広い! カウチソファふかふか! わー、アイランドキッチン実物見るの初めて! すごい……!」
あちこちのドアを開けながら、囲うために用意した家を探検されるとは思わなかった。
「……お前さ、分かってんの?」
「何が?」
「オレ、お前をここから出さないつもりなんだけど」
「どうして?」
「どうしてって……」
東京卍會とは――かつての仲間とは決別した。
自分では制御できない黒い衝動に、あいつらを巻き込む訳にはいかないから。
だけど、彼女だけは諦めきれなかった。
離れている間、ずっと彼女のことを考えていた。
隣にいてほしかった。
一緒に話をしたかった。
ただ、それだけでも許されたかった。
全部手放すから、彼女だけは傍に置かせて。
それだけを願うようになっていた。
「マイキーくん」
柔らかな手のひらに、両頬を包まれる。
茶色くて丸い瞳が、中学生の頃と変わらずに、俺を真っ直ぐ見つめていた。
「何かしてほしかったら、ちゃんとこうしてほしいって伝えなきゃだめだよ」
姉がいたらこんな感じだろうか。真一郎が、エマが生きていたら、似た言葉で叱ってくれるのだろうか。優しく諭す姿に、ありもしないことを考えてしまう。
「…………一緒にいてほしい」
言葉が、想いが、口からこぼれだす。
「オレのそばにいて。オレのことだけ考えて。オレから離れないで。オレを独りにしないで」
声が頼りなく震えて、目の前が少しぼやける。そんなオレを、ぴよちゃんはぎゅっと抱きしめた。温かさに気持ちが落ち着いて、オレはぴよちゃんに身を委ねる。
ぴよちゃんが、そっとささやく。
「いいよ。マイキーくんのそばに居るよ」
***
教室の前で、着崩した学ラン姿のオレが、中学の制服を着たぴよちゃんと向かい合っていた。
「佐野先輩?」
「その呼び方ヤダ。マイキーって呼んで」
「マイキー先輩?」
「……」
「マイキーくん?」
「なーに? ぴよちゃん」
ひょこひょこ揺れる、耳の下でシュッと2つに結んだ黒い髪。笑ったり驚いたり、くるくると変わる表情。オレを見て優しく細められる、丸っこくて茶色い瞳。
「マイキーくん!」
素直で、かすり傷がついた
「オレのぴよちゃん」
そう呼んで、オレはいつもぴよちゃんにくっついていた。
「怒られちゃうし危ないよ」と慌てるぴよちゃんを、なだめすかして自転車で2ケツした帰り道。柔らかい体が、俺の背中にひっついていた。
たい焼きをわけっこしながら食べた。オレはあんこで、ぴよちゃんはクリーム。いつもより甘く感じた記憶がある。
初めて集会に連れてった時は、オレの特服の裾をきゅっとつまんで、不思議そうにキョロキョロしていた。
座っているぴよちゃんの膝を、枕にして寝転がると、ふんわり笑って頭を撫でてくれた。
「……ん、」
目を開けると、そこにいたのは中学生のぴよちゃんじゃなくて、大人のぴよちゃんだった。
オレの頭を撫でているようで、感触が心地いい。目を閉じて、すり寄るように頭を動かす。
「あ、おはよう万次郎くん。よく眠れた?」
「……ん」
「眠れたみたいだね」
目の下のクマが濃くなるほど、しばらく眠れていなかったのに。ぴよちゃんがいると、不思議と眠りにつけることが増えた。
眠れないオレに温めたミルクを飲ませてくれる日もあれば、一緒にベッドに横になって体をぽんぽんと軽く叩いてくれる日もある。
この前は「眠れないなら、悪いことしちゃおっか」と言った。悪いことをしまくっているオレに何をさせるのかと思ったところ、ハーゲンダッツ片手に録画していたアニメ映画を見ることになった。深夜に。
大中小の不思議な生き物と、それらと関わる小さな姉妹。緑や田んぼがいっぱいの、のどかな里山の風景。すくすく伸びる木。
血も暴力も怒鳴り声も無い、平凡で平和な光景。
オレのバニラ味とぴよちゃんのイチゴ味を、1口ずつ交換したりしながら、画面に映る物語を眺める。
うとうとと、ふかふかのタオルにくるまれているような気持ちのいい感覚がして、気づけば太陽が空に昇っていた。
彼女がいない間、自分がどうやって生きていたかは、遠い昔のことみたいだった。