執行者がもたらすもの
マイキーこと佐野 万次郎が、その少女と初めて出会ったのは、5歳の時だった。
どこから見つけてきたのかは知らないが、傷だらけで血を流している少女を、兄の真一郎が抱えて帰ってきた。祖父と2人で少女の止血をしたり、病院に電話したり、バタバタと慌ただしい空気が流れていたのを覚えている。
「いいか? 怪我してる奴がいるから、騒いだりイタズラしたりするなよ?」
病院から帰ってきて、ようやく落ち着いたのか、少女は布団を敷いた客間に寝かされた。真一郎に注意されていたにもかかわらず、幼い万次郎は少女が眠る部屋に忍び込んだ。
騒ぐつもりもイタズラするつもりも無い。自分の家に突然現れた、知らない人間に対する、子どもならではの好奇心からだった。
自分と同じくらいか、少し下くらいに見える少女だった。髪はカラスみたいに真っ黒。白い顔にも、ばんそうこうが貼られている。
体を丸めて、すっぽりと布団にくるまっている姿は、弱々しい小さな生き物を連想させた。
ばんそうこうを貼られていない方のほっぺたを、興味本位でつついてみる。ぷに、と柔らかい感触が指先に伝わった。
「……へんなやつ」
すやすやと静かな寝息をたてている少女に、万次郎はぽつりと呟く。そのまま真一郎に見つかるまで、万次郎は少女の側に寝そべって、寝顔を眺めていた。
***
2度目に会ったのは、それから1年後。
あの後、少女は養護施設に引き取られ、真一郎がしばしば面会に行っていた。その日は万次郎も真一郎に連れられて、少女に会いに行ったのだ。
「アガリ。こいつは俺の弟の万次郎だ。去年も会ってんだけど、お前寝てたし、あんま話せなかったよな」
アガリと呼ばれた少女は、真一郎の影に隠れていた。どうやら、真っ黒な目で穴があきそうなほど見つめてくる万次郎が怖いらしく、真一郎の服をぎゅっと掴んで離さない。
「大丈夫だぞアガリー。万次郎は怖くないぞー」
真一郎に声をかけられても動かないアガリに、万次郎はずんずんと近寄る。逃げるアガリ。追いかける万次郎。真一郎を中心にぐるぐると2人は回る。
(なんか前に1回読んだ絵本みたいだな)
ヤシの木の周りをぐるぐる回っているうちに、バターになったトラたちの絵を思い出して、真一郎は思わず吹き出した。
「止まんねえと2人ともバターになっちまうぞ」
「ならねえよ。なに言ってんだシンイチロー」
「あ、ネタが伝わらねえやつか……」
アガリはびくっと素直に止まる。万次郎もアガリにぶつかるように止まったが、何言ってんだこいつと言わんばかりに首をかしげた。
「アガリ。万次郎は俺の大事な弟なんだ。仲良くしてくれるか?」
アガリと目線を合わせるようにしゃがみ込み、真一郎は優しい顔で諭すように言う。大切なことを言われていると理解したアガリは、迷ったように万次郎を見てから、首を縦に振った。
「ありがとな」
くしゃくしゃと大きな手で、真一郎はアガリの頭を撫でる。するとアガリの頬が、ぽうっと桃色に染まった。真一郎の手が離れた後も、手の感触を忘れまいとするように、頭を押さえていた。
「……」
それを隣で見ていた万次郎は、両手でわしゃわしゃと、犬でも撫でるような遠慮の無い手つきで、アガリの髪をかき回した。
「わ、え、な、なに……?」
初めて万次郎が聞くアガリの声は、か細くて、動揺していて、チリチリと震える鈴のようだった。
「なんか、ちがう」
「?」
「なんでシンイチローになでられたときと、おれになでられたときで、ちがうの」
自分がすると、アガリの頬は桃色に染まらない。びっくりしたように目を丸くして、ぱちぱちと瞬きをして、ぽかんとしている。
それが万次郎には不思議だった。
「あーあー、ボサボサじゃねーか」
もともとハネ気味のアガリの黒髪が、かき回されたことで台風にでも襲われたような髪型になり、見かねた真一郎が手ぐしで直す。
「アガリ。今日から、おれのともだちな」
細くて小さくて、壊れやすそうな白い手。それを万次郎はぎゅっと握る。初めて舌の上で転がした彼女の名前は、不思議な響きだった。