執行者がもたらすもの



月も星も見えない夜だった。

人を殴る音。蹴る音。恋人のうめき声。
気遣いなんて無い、痛いくらいに押さえつけられた体。ビリビリと布が裂ける音。ハァハァと生ぬるい息がかかる。気持ち悪い。

いっそ大声で叫び出したかった。でも、喉の奥でへばりついたみたいに、声が外に出ていかない。

怖い。恐い。嫌だ。誰か、誰か助けて……!

「イッテエエエエ!?」

バチィンと鋭く肉を打つ音の後に、男の悲鳴が上がる。掴まれていた腕の痛みが消えて、気づいた時には、私は誰かの腕にお姫様のように抱えられていた。体には見覚えのない上着がかけられている。

「こんなに傷ついて……怖かっただろう。でも、もう大丈夫だ!」

暗闇の中でもほのかに輝いているような金色の髪。優しい緑色の瞳。頭には王冠のような飾りが見える。爽やかで明るい声も、まるで物語に出てくる王子様そのものだった。

「ウジャウジャと寄って集って虫のようだな。みっともない。1人で喧嘩もできんのか? 最近の小童は」

男らしい低い声に、200cmはありそうな背丈。アザだらけでぐったりした彼を小脇に抱えられる程の、がっしりと筋肉質な体。だけど服装は、軍服のような赤い上着に緑のチェックのプリーツスカートだ。

「キャシー、安全な場所で、その2人の手当を。サムベキンはアフターケアを頼む」

すんなりと伸びた長い手足に、スレンダーな体つき。切れ長の青緑色の瞳。伸ばしっぱなしにしたような長い黒髪は、ところどころ毛先がはねている。左耳につけた、不思議なモチーフの大きなイヤリングが、ちりんと揺れた。

影のある、退廃的な美しさを持つ少女だった。

「分かりました、アガリ様!」
「アガリ、くれぐれも気をつけて」
「ああ」

ハキハキとした返事をして、私を抱えている王子様みたいな人が走り出す。私は慌てて、その人の胸元を叩いた。

「ま……っ、待ってください! あ、あんな女の子を1人で残すなんて……!」

「君はとても優しい子なんだね。自分だって怪我をしているのに……。だけど、アガリ様なら心配いらないよ」

「アガリは貴様のような小娘に心配されるような人間ではない。それよりも自分と、この子どもの心配をすることだな」

そう言われて、ハッと彼を見る。意識はまだあるみたいだけど、パンツ1枚でほぼむき出しの全身が痛そうだ。

この人たちは誰なの? あの女の子は本当に大丈夫なの?

彼女の姿は、もう暗闇の中に隠れて見えなかった。

***

「なんだテメェはぁ!? 邪魔してんじゃねえよ!」

「オイオイ、そこのお嬢ちゃんが俺らの相手してくれんのかあ?」

突然の攻撃に、数歩後ずさる者。むちで打たれ、血だらけになった腕を押さえて怒鳴る者。残ったのが少女1人だと知って、ニタニタと下卑た笑い方をする者。

その中で唯一動き出したのは、暴走族である愛美愛主メビウスの総長、長内 信高だった。

「陰気そうだが、よく見たらさっきのより上玉じゃねえか。邪魔してくれた礼に、そのおキレイな顔ごとぐちゃぐちゃにしてやるよ」

アガリと呼ばれた少女の細い首に、長内の節くれだった指が食い込む。オンナだろうがオトコだろうが、力を見せつけて凄めば思い通りになる。

そのはずだった。

「……ふは、」

少女が小さく笑った。

「……ああ、そうやって押さえつけて、屈服させて、思い通りにするのか。へたくそ」

思わず長内は手を離した。自分が禁忌に触れてしまったような、気味の悪い寒気が全身に走ったからだ。それほどまでに、少女の表情は感情が読めなかった。

(なぜだ、なぜ俺はビビってる!? こんな弱そうな女相手に!)

「おまえはこいつを知っているか」

少女が、1枚の黒いカードを長内に見せる。
そこには何かの道具の絵が描かれていた。

「今この時この場所に、私はおまえを認識する。応えろ、《驢馬ブーロ》」

不良たちが息を呑む。
黒いカードから、何かが姿を現した。

そこにいたのは、愛らしい華奢な少年だった。
ロバのような耳と、リボンのついた尻尾。頭に小さな赤いクラウンを乗せ、半裸の背中には十字架のマークが描かれている。

「ギャハハハハ! 何が出てくるかと思えば、コスプレしたチビかよ! 厨二かっての!」
「ガキと女に何ができるってんだあ!?」

恐れるに足りないと侮り、不良たちは笑い出す。そうして少女を組み敷こうと、長内が手をもう一度伸ばした時だった。

「えーいっ」
「は?」

長内を含む不良たちの下半身が、とたんに涼しくなる。下を見ると、彼らのズボンがことごとく姿を消していた。

いつの間に脱がせたのか、ズボンを持っているのは、ロバ耳の少年だった。怒号を放ちながら、不良たちがズボンを取り返そうと少年に飛びかかる。

しかし、それは叶わなかった。

「ギャアアアア゛ア゛アア!?」

縄で縛られた不良たちが乗せられたのは、刃のように鋭い背を持つロバ。ロバが激しく動く度に、揺さぶられた不良たちが悲鳴をあげる。

「通称・三角木馬。ヨーロッパの拷問具だ。西洋ではロバに乗るのは恥とされていたため、この器具をロバと呼んだそうだぞ。日本でも、室町時代から年貢の取立てなどに使われたらしいな」

滔々とうとうと、少女が世間話をするような何でもない態度で、その少年と器具について語る。

「女を集団で襲うような奴らにはうってつけだと思ったが……今回マゾヒストはいないようだ。よかったな、ブーロ」
「やっぱりこうでなくっちゃ♪」

ブーロと呼ばれた少年が、にこにこと無邪気に笑う。背後に痛みで泣き叫ぶ不良さえいなければ、とても心温まる空間だったろう。

男の急所に苦痛を与えられている長内を眺め、少女は無慈悲に言い放つ。

「それにしても五月蝿うるさいな。私はサディストじゃないんだ。喚くくらいなら喋れよ」

「お゛っ、ぎ、な、なにを、」

「目的と人数。この後どんな行動をするつもりだったのか。主犯格は誰か。……お前らみたいな奴らのことだ。あの2人の家族や友人にも危害を加えるつもりだったんじゃないか?」

「ち、ちがっ、ア゛アア゛アッ!」

「《魔女の蜘蛛スパイダー》や《ワニペンチ》を使わないだけ、まだ慈悲があると思え。ああ、《苦悩の梨アングイッシュペア》で、無理やりされる女の気持ちを味わわせてもいいんだぞ?」

ひたり、と長内の太い首に、少女のほっそりとした冷たい指先が絡みつく。
澄んだ音を立てて、少女のイヤリングが揺れる。

「さあ教えてくれ。悲鳴よりも、嬌声よりも、私に真実を聞かせてくれ。気絶することも死ぬことも許さない」

口の端を吊り上げ、少女がわらう。美しい悪魔そのもののような笑みだ。
自分が傷つけられ、苦しめられることに限界を迎えた長内は、とうとう1つの名前を叫んだ。

***

「……それで、これはどういう状況なんだ?」

少女――アガリが、合流した4人に対して問いかける。
助けた少年も少女も、パンツ1枚だったり服がボロボロだったりするが、全身から綺麗に傷が癒えている。しかし、2人とも気力を失ったようにぐったりとしていた。

「キャタナイン君の"手当"が、彼らにとって刺激が強すぎたようなんです」

2人を心配しつつも、丁寧に説明をしてくれたのは、王子様のような青年の姿をしたサムベキンだった。

キャシー。本名は《九尾の猫鞭キャタナイン・テイルズ》。
17世紀スコットランド軍にて、規律維持のために用いられた鞭だ。激痛に耐えられない場合は途中で中止し、手当をされて後日残りの回数を打たれるという。

そのため、キャシーには人の傷を癒す力があるのだが、その方法は傷口を舐めるという原始的なもの。他人にされて気分がいいものとは言えない。

「そうか。そんなに嫌だったなら、《頭蓋骨粉砕器ヘッドクラッシャー》で記憶を一部消すか?」

「いえ大丈夫です!」
「助けてくれてありがとうございました!」

名前の不穏さに怯えた2人は、すぐさま起き上がって頭を下げた。他人に体を舐められた記憶よりも、頭を潰されそうな恐怖が勝った結果だった。

「これに懲りたら、夜の散歩はやめることだな。何がうろついているか分かったものじゃない。気をつけろよ」

2人の青年を従えて去ろうとする少女に、助けられた少女は、上着の裾をかき合わせながら声をかける。

「あの、あなたは誰なんですか……? その人たちはいったい……」

気になることがいっぱいあった。
体が大きくて暴力的な男たち相手に、少女が無傷で帰ってきたことも。スカートを履いた青年が、舐めるだけで打撲も切り傷も治したことも。王子様のような青年の頭についている王冠のような飾りが、ネジだということも。

少女は振り向き、人差し指を唇に当てる。

「"Under the rose"」

「え?」

「今夜のことは、秘密にしてくれ」

雲の切れ間から、ようやく月が顔を出す。
淡い光に照らされた少女は、人ならざる幻想的な雰囲気をまとっているように見えて、助けられた少女はこくりと頷いた。




黒いカードから呼び出すのは、拷問具の魂。
魂を歴史から読み込み、一人格トーチャーとして世界に「再生」できる特殊能力。

それを持つのは15歳の少女。
名前はアガリ。
痛みを感じることができない体質だが、身体機能自体は普通の人間と同じ、中学生の女の子である。
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