癒しの庭のおばあちゃん



ケーンケーンと、甲高い音で目が覚めた。

毛布の中に一度潜り込んでから、おれはもそもそと這い出す。ふわふわの毛布と一緒に、上に重ねられたパッチワークキルトをどかしながら、おれは辺りを見回した。まだ視界がぼんやりし、瞬きを何度も繰り返す。

壁に飾られているのは、不思議な縞模様のタペストリー。棚には手作りらしい木彫りの人形が、いくつか並べられている。カーテンの隙間から差し込む朝日に照らされて、飴色に輝く床には、絨毯とふかふかの布団が敷かれている。そこにおれとコラソンは寝かされていた。

そういえば、コラソンのばあさんちにたどり着いたんだった。メシを食い終わった後、すぐ寝ちまったのか。

他人の家で、こんなにぐっすり眠ったのは、いつぶりだろう。枕元に畳んで置かれていた綿入れを羽織り、そっと部屋を出る。
廊下は思ったよりも寒くない。うろうろとドアを開けたり閉めたりしながら進み、ようやく玄関を見つけた。靴を履いて、ドアノブを捻る。

ふわりと顔を撫でたのは、柔らかな風。目の前に広がる光景が信じられず、おれは息を呑んだ。

そこにあったのは、緑の庭だった。

「おはようさん」

おっとりとした声の主が、庭の真ん中にある小道を進んでくる。右手に持つカゴには、いきいきとした色の野菜や薬草。左手に持つカゴには、灰色の卵が入っていた。

「今、朝ごはんつぐっからな」
「……ここは、真冬の冬島のはずだ。ここは一体……。ばあさん、あんた何者なんだ……?」
「こごは"迷い家"。腹すがしたり、困ってだりする人が、ばあちゃんのとごさ来るのだ」

ばあさんいわく、ここは少しだけ、世界から外れた場所。
本当に困った人、心から助けを求める人だけが、たどり着ける場所。
訪れた人を癒し、守り、元いた世界で生きるための力を与える場所。

食材を台所まで運ぶと、ばあさんが手際よく食事の支度を始める。青々としたほうれん草は、おひたしに。灰色の卵――キジの卵らしい――は、出汁で味付けした玉子焼きに。キャベツや人参は、味噌汁の具に。釜で炊いたご飯は白く輝き、ほかほかと湯気を立てる。冷凍庫に入っていたサーモンを塩焼きにすれば、朝ごはんの用意が整った。

コラソンを起こし、朝食を摂る。どれもほのかな甘みと豊かなうま味が緩やかに染みて、体の奥から活力が湧いてくる。食後に鉄製のポットでいれてもらったハーブティーも、身体が楽になる気がした。

***

「ばあさん、これくらいで大丈夫か」
「ありがとさん。いい子だなぁ」
「……ガキ扱いするな。収穫くらいできる」

帽子越しに頭を撫でられ、もぞもぞと落ち着かない気持ちになる。畑仕事を手伝ったくらいで、おおげさじゃないのか。ブルーベリーがたくさん入ったカゴを抱え直すと、少し離れた場所から声が聞こえた。

「ヨーイシャー、ヨイヨイシャー」
「ヨーイシャー、ヨイヨイシャー」

声の方を見ると、1枚の布で作ったような服を着た子どもが3人、野菜や果物を抱えて歩いていく。4歳か5歳くらいだろうか。
彼らが向かうのは、薄紫の釣り鐘のような、小さな花を咲かせる大木の下。そこに座るコラソンは、3歳くらいの子どもの相手をしていた。

"何もしないこと"が一番の手伝いになると、自覚しているらしいあいつは、2人の子どもに座られたりよじ登られたりしている。合流した3人も、収穫したものを誇らしげにコラソンに見せていて、あいつが懐かれていることがよく分かった。

「……あいつら、ばあさんの孫か?」
「いんや、座敷わらしたちだな」
「ザシキワラシ?」
「んだ。ばあちゃんの手伝いしてくれんだ」

収穫したものを、皆で家の中に運ぶ。ザシキワラシが摘んだラズベリーはジャムに、おれが摘んだブルーベリーはジュースになった。

ばあさんが大きな鍋でラズベリーを煮詰め、木ベラでかき混ぜていると、甘い匂いが立ち込める。ザシキワラシたちがばあさんの周りをウロウロしては、余ったラズベリーをつまみ食いしたり、ジャムの味見をして嬉しそうに頬をゆるませたりしていた。

それを少し離れた場所で、ぼんやり眺めていると、くいくいと袖を引っ張られる。見下ろすと、さっきコラソンによじ登っていたザシキワラシが、くりくりした目でおれを見上げていた。そして、ラズベリーを持った小さな手を、ずいっと差し出してくる。

「……おれに、くれるのか?」

そう問いかけると、コクコクとおおげさなくらい首を縦に振る。おれがラズベリーを受け取って口に入れれば、ぱぁっと顔を輝かせた。つぶつぶした食感と共に広がる甘酸っぱさが、より一層強く感じられる。

いとけない仕草に、妹のラミの姿が浮かんだ。
じわりと視界がゆがむ中で、ザシキワラシがおろおろしているような様子を見せる。やがてぱたぱたとどこかへ行き、ガラスのコップを両手で持って戻ってきた。

乱暴に目元を拭うと、バラの花みたいに透きとおった赤色で満たされたコップを差し出される。砂糖の浸透圧で脱いた果汁を、こして作ったブルーベリージュースは、慰めの味がした。

***

ばあさんの家に来てから、かなりの時間が流れた。

――痛ェのはお前の方だったよな……。かわ゛いそうによォ……!!!

おれを想って、本気で怒ったり涙を流したりしてくれるコラさん。

――ありがとさん。いい子だなぁ。

訛り混じりの穏やかな声と笑顔、そして美味いメシで、おれを普通の子ども扱いしてくるばあさん。

――♪ ♪

代わる代わるやって来ては、ちょうど食べ頃に熟した林檎や梨を渡してきたり、無邪気に手をつないできたりする座敷わらしたち。

労りの気持ちでくるまれる日々は、傷つき果てた心に、優しく染みとおる薬のようだった。

おれを人間扱いしてくれる奴がいる。
おれが健康に生きることを望んでくれる奴がいる。
その事実が、おれにもう一度立ち上がろうとする力を与えてくれた。

「ばあさん。おれ、この家を出るよ」

ばあさんのメシや茶は、傷を癒したり痛みを和らげたりするのによく効く。だが、積もりに積もった中毒を、無かったことにするのは難しいらしい。それでも、今日まで痛みも熱も無く過ごせていたのは、ばあさんが持つ不思議な力のおかげだろう。

このままじゃダメだ。
本当に、珀鉛病を治す方法が見つかるかは分からない。だけど、コラさんと探しに行きたいと考えられるようになった。

「そうが。困ったら、またございん」

湯呑みを両手で持ち、ほうじ茶を飲んでいたばあさんが、ほっこりと笑う。そっと背中を押して送り出してくれるような笑顔に、おれも思わず微笑んでいた。



風呂敷にどっさり包まれた食べ物を背負い、コラさんと一緒に振り返る。杖をついたばあさんと、座敷わらしたちが、手を振って見送ってくれる。泣きながら長い腕をぶんぶん振るコラさんを、軽く引っ張りながら、おれは彼らに頭を下げた。

「ありがとう」

旅路を祝福するように咲く、薄紅色のバラが絡みつく門を、2人でくぐる。
この温かな庭を出て、元の世界で生きるために。
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