癒しの庭のおばあちゃん



そこは、何もかもが真っ白な世界だった。

空も、地面も、生い茂る木々も、音を吸い込むような白に満ちている。しばしば聞こえるのは、さくりさくりと雪を踏む音。そして、ボフッと大きなものが、倒れるような音。

吹きすさぶ風が頬を打ち、細かな雪が視界を襲う。吐く息さえ白く染まり、肺まで凍りそうな空気を裂くように、少年の怒鳴る声が響いた。

「おいコラソン! 恩人か何か知らねーけど、こんな見通し悪い吹雪の森の中で人家が見つかるわけねーだろ!!」
「大丈夫だ! ロー! むしろこんな大変な時にこそ、ばあちゃんの家は見つかりやすいんだ! 初めて会った時もそうだった!」
「ガッチガチに歯鳴らして鼻垂らしながら言われても説得力無いんだよ!」

ギャンギャン吠えかかる少年の名前はロー。ローを抱えて歩いている青年の名前は、ロシナンテ。ローに呼ばれた"コラソン"という名称は、コードネームだ。
何度も雪に足を取られて転んだせいで、ロシナンテの黒いモフモフコートが、メスのシロフクロウのようなまだら模様になっている。ローはコートに包まれているおかげで、ロシナンテよりは寒さから守られているが、さすがに限界が近づきつつあった。

このままじゃ、珀鉛病で死ぬ前に凍死する。

げんなりした目で、鬱陶しい粉雪を見つめながら、ローはロシナンテの言葉を思い出していた。

――ばあちゃんの家に行こう!
――ばあちゃんに会えば、何か良い薬を貰えるかもしれねェ! それに温かい家でゆっくり休めるし、美味いメシもたくさん食える! きっとローの身体も良くなるぞ!

その"ばあちゃん"とやらも、おれのことを怪物扱いするかもしれない。方向が合っているか分からないのに、ロシナンテは歩みを止めない。もう嫌だ、もうやめてくれと抵抗しようにも、さっき叫んだせいで、そんな気力も体力も残っていなかった。

これで楽になるのか。ぼーっとしながら目を閉じようとした時、ロシナンテの大声に邪魔をされた。

「あった! おいあったぞ、ロー! ばあちゃんちの門だ。間違いねェ!」

ゆさゆさと上下に揺らされ、眉間に皺を寄せながらまぶたを開く。そこには、緑色のアーチがぽつんとあった。この島の季節は真冬だというのに、薄紅色のバラがいくつも花を咲かせている。冷たく澄んだ空気の中に、甘い香りが混ざった。

ロシナンテが駆け足でアーチをくぐった瞬間、耳元で唸っていた風が止まる。雪がぱたりと止み、開けた視界の中に現れたのは、温かみのあるログハウスだった。うっすらと雪が積もった道を進み、ロシナンテは、小窓から灯りがこぼれるドアをノックする。

「はぁい」

のんびりとした声が聞こえ、ドアが開く。そこには、杖をついた小柄な老女が立っていた。裾を絞った作業用らしきズボンを履き、ざっくりと編まれたセーターの上に温かそうな綿入れを羽織っている。雪まみれのロシナンテとローを見て、笑っているような細い目がぱちりと丸くなった。

「なんたら、そったな雪まみれになって! 早ぐ中さ、入れ、入れ!」

***

30分後。久しぶりのお風呂にゆっくり浸かったロシナンテとローは、居間のクッションに腰かけていた。毛布で覆われた低いテーブルに足腰を潜り込ませれば、ぽかぽかと心地いい温もりに包まれる。暖炉の前に置かれた筒を通じて、毛布の中に温められた空気が送り込まれていた。

「……いろいろ聞きたいことがあるんだが」
「どうした? ロー」
「……何であんな吹雪の中でこの家にたどり着けたのか。何で季節外れの花が咲いてるのか。何でいきなり押しかけたのに、おれたちの身体の大きさにぴったりな服があるのか」
「まあ、ばあちゃんちだからな!」
「答えになってねェよ! 何なんだここ!」

理解できないことが多すぎて、ローは戸惑いながらツッコミを入れる。久しぶりに受ける優しい扱いが、どうにも落ち着かず、もぞもぞと体を動かす。

「みかん食うか?」
「……いらねェ」

ロシナンテは慣れた様子で、テーブルの上に置かれたカゴから、食べ頃に色づいたみかんを取る。皮をむこうと爪を立てた時、飛んだ汁が目に入ったのか、顔をシワシワのくしゃくしゃにしていた。あまりにも情けない表情だったため、思わずローは唇を噛んで肩を震わせる。

「外は寒がったべ」

その時、からからと格子戸が横に引かれ、老女がお盆を持って現れた。湯気を立てる大きめのお椀が2つと、白と茶色のおにぎりを乗せたお皿が2枚。出汁と醤油の匂いが鼻をくすぐり、ローのお腹がキュルキュルと音を立てる。

「いっぺつぐったから、たんとぇ」
「……い、いただき、ます」
「ばあちゃん、おれ運ぶよ」
「座ってらい。ロシーがやっだら、まかすもの」
「うぅ、そりゃ昔は運ぶ度にドジってぶちまけてたけどさ……」

聞き慣れない訛りを使いながら、にこにこと微笑む彼女と、昔を思い出したかのように恥ずかしがるロシナンテは、とても仲が良さそうだった。腹ごしらえしてから、いろいろ聞くか。そう思いながら、ローはスプーンを手に取る。

お椀の中にあるのは、野菜と肉と、ひらべったい団子のようなものが入ったスープ。スプーンですくった分を、息を吹きかけてから口に含むと、優しいうま味がふわりと広がる。煮込まれた人参やごぼうは柔らかく、豚肉から染み出た脂がほどよく溶け込んでいた。
団子のようなものを噛むと、もちもちした食感があり、満足感がある。

おにぎりはシンプルな塩味と、表面がこんがり焼かれたものがあった。焼きおにぎりの方は、醤油と味噌が軽く塗られていて、香ばしい匂いがする。夢中で詰め込むとむせそうになり、ローは慌ててスープを飲んだ。

「やっぱり美味いなあ。ばあちゃんのひっつみとおにぎり!」

両手でしっかり持ったお椀から、ロシナンテが幸せそうな顔を上げる。ローのものと違い、スープの色が真っ白だ。よく見ると、彼の側にガラス製の牛乳瓶が置かれている。

「……それ、もしかして牛乳入れたのか?」
「おう。こうするとちょうどいい熱さになるし、味もまろやかになるんだよなぁ。ローも入れてみるか?」
「……おれはこのままでいい」

空っぽだった胃が、ほかほかと満たされていく。足りなかった栄養が、体にじんわりと染み渡っていく気がした。
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