出会いとモデルとクロッキー
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たぶん、一生関わらない相手なんだろうと思っていた。
180を越える高身長。太陽の光を浴びて輝く金髪。華やかさのある顔立ち。明るくて調子のいい性格。群がる女の子たち。
同じクラスにいながら、目を合わせたのは今日が初めてで。言葉を交わしたのも、今日が初めてだった。
「えっと……?」
「あ、あの、ちょっと匿ってくれないっスか?!」
いきなり美術室のドアを開けて、中にいた私に目を丸くしてから。彼は切羽詰まったような顔でそう言った。
「……え? 何、追われてるの?」
「そうなんスよ! だから、人助けだと思って───」
「黄瀬くーん!」
「もう帰っちゃったのかなぁ……」
「でもこっちから声したよ?」
階下から女の子の声が数人分聞こえてくる。「やべ」と彼がもらした言葉から何となく状況を察し、私は椅子から立ち上がった。
黄瀬くんの腕を掴んで室内に引き入れ、内側からそっと鍵をかける。私は人差し指を口に当てた。
「……声、出さないでね」
彼の目を見てささやくと、彼は素直にうなずいてくれた。
ドアの向こうからは、戸を開ける音や話し声が聞こえてくる。でもここだけは静かで、別の空間として切り離されてるみたいだった。
やがて声が遠ざかり、階段を降りていくらしい足音が小さくなっていく。外が完全に静けさを取り戻した時、私たちは同時にため息をついた。
「はーーっ。やっと行ってくれたみたいっスね」
「モテるってのも大変だね」
床にへたり込む彼に相槌を打ちながら、私は机の上に置いていた鉛筆を取る。
「何描いてるんスか?」
「見れば分かるでしょ。石膏像」
スケッチブックから目を離さずに答えると、黄瀬くんが私の横に立ったのが視界の端に映った。
「へえ……、写真みたいっスね」
「ありがと」
「絵、描くの好きなんスか?」
「うん」
紙に鉛筆を走らせる音と、短い会話が部屋の中に流れていく。さっさと帰ってしまうかと思いきや、意外にも彼はまだここに留まっていた。
「……どうかした?」
気になって、横に顔を向けて声をかけてみる。
ちょうどデッサンも終わったところだったから。
すると、私が描いた石膏像を見つめる彼の瞳が、どことなく輝いているように見えた。
「俺でよければ、モデルするっスよ」
「え」
「さっき匿ってくれたお礼っス!」
これは現実なんだろうか。
クラス、いや学校でも1位を約束されるレベルのイケメンが、絵のモデルを買って出ているなんて。
「じゃあ……男性の筋肉のデッサンしたいから、上脱いでくれる?」
「りょーか……ん? え?」
「あ、タンクトップとかは着てて大丈夫だから」
来訪したチャンスは物にしなければ。
そんな衝動にかられ、私は美術室のカーテンを閉めた。
「ず、ずいぶん大胆なリクエストっスね……」
「私、便利グッズは遠慮なく使う派だからね」
「俺便利グッズ扱いっスか!?」
「ほら
椅子に座り直してスケッチブックの新しいページを開き、タイマーと尖らせた鉛筆を構える。
え、強引? そんなの知るか。
「ポーズは自由に取っていいよ。5分で終わるし」
「5分って短くないスか? もっと時間かけても良いんスよ?」
「クロッキーだから良いの」
「くろっきーって何スか?」
「一言で言うなら早描きデッサン」
黄瀬くんが制服のブレザーを肩から落とし、ネクタイを指に引っ掛けて解く。ワイシャツのボタンを全て外して脱ぐと、下に着ていたタンクトップと腕の筋肉が露わになった。
スラックスのポケットに手を入れ、背筋を伸ばし、足をハの字に開けた、いわゆるモデル立ちになる黄瀬くん。
「準備オッケーっスよ」
「ありがと。じゃあ始めるね」
カチリとタイマーを押し、私は猛然と彼の体つきを紙に写し取っていった。
***
"男性の筋肉のデッサンしたいから、上脱いでくれる?"
まさか、あんなに本格的なリクエストをされるとは思わなかったっスね。
そんなことを思いながら俺は、ひたむきにスケッチをしている女の子に視線を向けた。
彼女は俺と紙を交互に見てるけど、俺が試しにしている流し目に動じた様子は無い。俺の周りでは、見ないタイプの女の子だ。マジで絵を描くことに集中してる。
大抵のことは何でもできる俺だけど、絵を描くことはどうも苦手。だからだろうか。
写真みたいに正確で、繊細なタッチで、俺には絶対描けない絵を描いている彼女のことが、気になってしまった。
あと何分、この真剣な表情を見つめてられるんだろう。
何歳のときから絵を描き始めたんだろう。
どれくらい絵が好きなんだろう。
今俺を描いている、この子の名前は何だろう。
息遣いが聞こえてきそうな静かな部屋で、あれこれ思いを馳せていた時。
───────ピピピピーッ。
「ありがとう。服着ていいよ」
「え、もう終わりっスか?」
彼女はカチリとタイマーを止め、鉛筆を机に置いた。
別の机の上に置いていたシャツを羽織り、俺は彼女のスケッチブックをのぞき込む。
服のシワとか浮き出た筋肉の線が、忠実に描かれてる。影の付け方も上手いとしか言えない。使ってるのは鉛筆だけなのに、何でこんなに表現できるんスかね……。
「……って、何で首から上描いてないんスか!?」
「え? だってコレ体のデッサンだし」
「これじゃ誰か分かんないじゃないスか!」
「分かったら分かったで面倒なことになると思うけど……」
首なしの人物絵に突っ込みを入れると、絵描きの中じゃ普通のことなのか、彼女は不可解そうに首をかしげていた。
「そんなに嫌なら後で顔描きたそうか? へのへのもへじで」
「それ完全に遊び心じゃないスか」
「バレたか」
たはは、と笑いながら、彼女はスケッチブックを閉じる。そして、俺に向かって微笑んだ。
さっきまでの朗らかな笑い方と違って、満足そうで穏やかな笑みだった。
「でも、本当にありがとう。良い練習になったよ。毎日石膏像とかレプリカの果物とか瓶ばっかりで、退屈してたから」
「……いつもここで、絵を描いてるんスか?」
「うん。私の他は幽霊部員だから、ここが私のアトリエみたいになってる」
つまり、ここに来れば、いつでも会えるってこと……っスよね。誰にも邪魔されずに、2人きりで。
「時間があったら、また来てもいいスか? 絵のモデルも受け付けるっス」
「え、……いや、でも忙しいんじゃないの? バスケ部とかモデル業とか」
「さすがにバスケ部の練習は休めないけど、それ以外は気にすることないっス」
聞きたいことが、まだたくさんあるから。
少しずつ、これから知っていきたいんだ。
「だから、君の名前、教えて欲しいっス!」
面食らったように彼女は瞬きをする。
訳が分からないといった表情をしながら、彼女は自身の名前を明かしてくれた。
「……佐藤 名前」
「じゃあこれから名前っちって呼ぶっス」
「いきなりあだ名……!?」